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2014年 10月 01日

Blowin' in the Wind 風に吹かれて

b0061413_1143341.jpg 子どもの小さな願いは叶えてやろうと思っていた。「凧揚げをしたい」という8歳の末娘の願いに対して、Amazonで「おっ、懐かしのゲイラカイトがあるなぁ」とワンクリックでそれを取り寄せることは比較的に簡単であった。問題は半径100メートル、最低でも半径70メートルぐらいの範囲に電柱や電線がない場所の選定である。ゲイラカイトは日本上陸の年に今の末娘ぐらいの年齢であったと記憶するが、物品の購入については極めてお手軽になったがそれで遊べる場所がお手軽ではなくなったのだ。末娘を車に乗せて、最初は海辺の砂浜に向かうつもりだった。最初に凧を浮遊させるためのダッシュが砂浜ではキツイかもなぁと思いつつ、その海に向かう途中に「そういえば胎内リバーサイドパークがあるなぁ」と寄ってみた。自宅から車で出てから6分から7分のポイントである。写真はその芝生広場の一部分である。その公園を「凧揚げ場」として観察してみれば「理想的な広場」という結論が出た。広い芝生の広場には幸いに遊具もなく(それがかえっていいのだなぁ)平地なのでダッシュもしやすい。まずは8歳の末娘の前で、揚がらなかったら沽券に関わるなぁとは思いつつ昔を思い出しながら野球でセーフティーバントを転がしてから一塁まで全力疾走する要領で芝生の上を走った。微風だったが凧(ゲイラカイト)は簡単に青空に揚がってくれた。久しぶりに末娘からの尊敬の眼差を受けた。「私もお父さんのように一人で揚げてみたい」と、教えたわけではないのに人差し指を唾で濡らして微風を嗅ぎ分けて上手くいくまで芝生の上での20メールぐらいのダッシュを無心に何度も繰り返す。今のサッカー日本代表にもいちばん必要なトレーニングかもしれない。そんなことを考えているうちに見事に凧(ゲイラカイト)は空高く揚がった。揚がった凧を操る末娘は、細い糸を通じて上空の風を感じている。そして凧に自分自身を投影して、その対象物そのものに成りきっている。相手の立場や対象物そのものに成り切れる素養は大乗菩薩道の極意である。凧上げは遊びながらトップアスリートのエキササイズになり得るとともに「至徳の風静かの風に乗る」という誓願一仏乗の仏道の歩みとなり得ると感得したのであった。「どんな修行をされているのですか?」という人々の問いに対して「皆さんの想像を超えた修行をしています」と答えていこうと、再度確認した次第である。とにかく、この写真を撮った瞬間から、末娘は釣り糸と同じぐらい凧糸というスートラ(たての糸)が大好きになった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-10-01 05:40 | 雑草


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