2014年 10月 03日

名曲草鑑賞(46) ボブ・ディランの Blowin' in the Wind 風に吹かれて

b0061413_21391975.jpg というわけで、前回のブログ記事に続いてボブ・デュラン(Bob Dylan)の「風に吹かれて」(Blowin' in the Wind)という楽曲について書いてみたくなった。この曲がレコード(もちろんアナログ・レコード)としてリリースされたのが1963年。私が生まれてきた年でもある。実は、私は京都の左京区のある学生寮のなかで、その管理人もする両親とともに育ってきた。1968年、私が4歳から5歳になる一年間にNHKの大河ドラマは司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』が放映されていたのだが、自分の両親と学生さんたちと共に見ていたということもあって5歳の子どもには難しすぎる内容であると思いつつも、その北大路欣也主演のモノクロ作品(どっちみちその頃は白黒テレビであったので関係ないが)のシーンの多くをかなり鮮明に覚えているものだなぁと、2008年の福山雅治主演の『龍馬伝』を見ながら思った。後に大学生時代に司馬遼太郎の原作を読んだ時の記憶と混同しているのかもしれないとちょっと思ったものの、その時の読書経験自体が、子どもの頃のNHKの大河ドラマの記憶が鮮明に蘇りつつ私としてはスラスラと読めたのだ。 「耳年増」というとちょっと意味が違うけれども、テレビと同じようにその頃に耳にしてきた音楽というものもギターを弾いていた学生さんの部屋に幼稚園が終わると好んで遊びに行っていたために1960年代の音というものに接している。ビートルズの「アンド・アイ・ラヴ・ハー」という楽曲については、その曲をギターで奏でて鼻歌ながらも弾き語ることがオハコであった学生さんが居て、どうもリアルタイムに近い形で『竜馬がゆく』(大河ドラマ)の頃に接している。そんななかで「風に吹かれて」という楽曲のシンプルなメロディは何となくだけれども耳底にずっと残っていた。 時が経って中学生になり、たぶんこれまたNHKだったと思うがこのどこか耳底に残っていた曲がバックバンドを従えてギターを弾き語るボブ・ディランの映像とともに流れているのに聴き入った。(NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」の放送リストを参照してみたが、そのリストのなかに思い当たるものはなかった) その時に、初めてメロディだけには何となく馴染んでいた楽曲の歌詞の意味の断片を知った。耳底ではなく目の底に焼き付いているのは、その時にテロップ(字幕)としてあった「何人死ねばわかるのか?」という文字である。 その答えは「風のなかにある」あるいは「風に舞っている」のだから、いまだによくわからない。その答えが、朝日新聞的であろうと読売新聞的であろうと明確に歌い込まれていたならばこの楽曲に深みはなかったと思う。ただただ、問いの深さがしみてくる。 8歳の末娘と風に吹かれて凧揚げをしながら、いろんな話をしてみると、8歳のこの子が2年前のこと、3年前のこと、4年前のこと、5年前のことまでも実によく覚えているものだなぁと感心する。これから多くのことを得ていくとともに、多くのことを忘れていってしまうだろう。ただ、末娘との凧揚げというささやかながら確かな平和を感じつつ、英語の歌は英語で歌うのが本来とは思いつつも、無理してミネソタ訛らしきボブ・ディランのクセまでも真似して歌うよりは娘と凧揚げをする時だけでも自分自身の訳詞で口ずさんでみたいなぁと心から感じた。風に吹かれて。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-10-03 13:25 | 草評


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