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2014年 10月 25日

草仏教掲示板(73) 「くまのプーさん」(絵本)のなかの言葉

b0061413_236545.jpg これはシャラポア(妻・日本人)が始めたことなのであるが、法事などでお寺にお参りをした小学生以下の子どもと希望する中高生にはくまのプーさんかキティちゃんのシャボン玉セットをプレゼントしている。女の子はプーさんを選択する子とキティちゃんをチョイスする子がちょうど半々ぐらい。プーさんが大好きだという羽生結弦選手(フィギアスケート)の大活躍もあって今年に入ってからはプーさんがやや優勢か。男の子はたまにキティちゃんを選ぶ子もいるし、実際にうちの長男なんかも小学校の低学年時代はキティちゃんが大好きであったが、こちらは圧倒的にプーさんを選んでいく。今週みたいに天気も気候もいい時節には法事のあとでさっそく寺の境内でシャボン玉を楽しんでいく子どもたちも少なくない。「なんでもないこ事が幸せ もっと欲しいと思うのが本当はいちばん悲しい」という絵本のなかのくまのプーさんの言葉を知ってか知らずか、粗品ではあるもののシャボン玉遊びの満足感に独特の深さというものがあるのか「もっともっとシャボン玉セットが欲しい」と言ってくる子はほとんどいない。でも、シャボン玉セットというプレゼントを些細なものだとかつまらないものだとも思っておらず、心から喜んで受けっていき、心から楽しんで境内で遊んでいく。こういうプレゼントはささやかなものほど何かが通じていくような気がしてきた。「豪華粗品」(川柳作家の杉山竜さんが編み出した言葉で、マーヒー加藤が川柳で杉山さんのサイトの月間賞をとったときに商品として送られてきたビール券入りの封筒にそう書いてあった)とでも言うべきであろうか。 「まったく最近の若いものは寺にお参りに来ない」という言葉を発する重鎮の住職諸兄もいらっしゃるのであるが、よく視野を広げて見て欲しい。自分が精魂を傾ける研修会や行事には自分が思ったほどに人が来ないという現状も確かにあるかもしれないが、視野を広くもてば、寺に足を運んでいる若い人や子どもの姿というものはあるではありませんか?たまには厳しいことを言わせてもらうと、重鎮さんたちの視界のなかにその姿が入ってこないだけではないですか?シャラポアと知り合うまでは、私もそうでした。

マーヒー加藤(ブログ本文)
日本人シャラポア(書)
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by kaneniwa | 2014-10-25 23:25 | 草仏教


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