草仏教ブログ

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2014年 11月 19日

なぜ私はワイフのことをブログ上ではシャラポアと呼ぶのか?

というわけで、前回のブログ記事は一応「草仏教ブログ10周年記念」という趣旨趣向があった。

そういうわけで、いまさらながら
「ところでなぜシャラポアなのか?」
「シャラポア(妻・日本人)という表記はいかにして生まれたのか?」
というご質問が二人の方から寄せられた。
そのお一人はFacebookで質問を寄せてくださり、私もFacebook上で回答させていただいたので、
あとはGメールで質問をくださった方にやはりGメールで返信すれば
一応のブログ主としての対応は済んだのも同然である。
しかし、もしかしたら他にもその疑問をもっている方がいらっしゃるかもしれないので、
少々長くなるけれども説明責任を無責任に果たしたいと思う。

かつて、私とシャラポア(妻・日本人)は確かに草テニス仲間でもあった。
いや、まだマリア・シャラポアのデビューのずっと前のことでもあり、
紛らわしいので本ブログ記事に関しては単に妻と書いておこう。

結婚前の妻とはお互いの貴重な休みには
板橋区と練馬区を中心に東京都内のどこかでテニスをした。
主に他のテニス好きな仲間も誘ってのミックスダブルの草試合などが中心だ。
その頃に私が使っていた硬式テニス用のラケットは
プリンスの「マイケル・チャンのシグニチャーモデル」であった。
大柄である私には似合わないラケットだとも言われたが
野球でも福本豊や大石大二郎のように自分にはない機敏さをもつ選手のファンであったように
私は当時のテニス界ではマイケル・チャンが格上の選手とあたる試合がずば抜けて面白かった。
つまりはマイケル・チャンのファンであった。
ご承知の通り錦織圭選手は今年に入ってからランキングと実績をともなった大躍進をした。
元々から積み重ねてきたものの開花期でもあったのかもしれないけれども、
やはり専任コーチにマイケル・チャン氏を招聘したことがその躍進の大きなきっかけとなった
ことは間違いない。
マイケル・チャンのシグニチャーモデル以降はラケットを購入していない。

錦織圭の活躍によって新しくラケットを購入する人(やっぱりウォルソンが売れているらしい)
や、久しぶりに愛用ラケットのガットを張り替えるという人が急増しているそうだ。
私もガットを張り替えたくなったけれども、それがマイケル・チャンモデルであると
「渋い!」
と思ってくれる職人さんもいるかもしれないけれども
「いかにも錦織効果!」
とも思われるなぁと感じて難しいところだ。

さてさて、結婚してからだいぶ遠ざかったとはいえ、私がいいたいことは
「まずはテニスを通じての交流があった」
という一行のみが今まで書いたところでの要諦である。


妻は高校時代までバレーボールをやっていたこともあって、
女子としては肩の回転が良くてなかなかいいサーブとスマッシュを打っていたけれど、
その時にマリア・シャラポアは生まれてはいたもののウインブルドンをはじめとする
世界の桧舞台にはまだまだデビューをしていない。
もちろん、プレースタイルなどは真似のしようもない。

話はそこからいきなり10年経過して
2004年7月のテニスの全英オープン、ウインブルドン決勝戦で
17歳2ヶ月のマリア・シャラポアがセリーナ・ウィリアムズとの激戦を制して
見事な優勝を飾った時の話になる。
この草仏教ブログを始める数ヶ月前のことだ。

その歴史的な試合を二人の子ども(当時)が寝た後にともにテレビ観戦をしていた。
テニスは遠ざかっていたものの、やはり共通の楽しみとしてどこかで残っていた。
マリア・シャラポアは17歳の頃からショットの時に発する声はうるさかったけれど
ウインブルドンの芝生を白いテニスウェア(全英オープンは白基調のウェア着用が鉄則)で
躍動する姿に私も妻も
「美しい!」
「まるで妖精だ!」
「こんな美女系トップアスリートがいるのか!」
などの賞賛の声が思わず上がったものであった。

さてさて、その翌日の話。

私は自作パソコン(マザーボードの音源に真空管を搭載)であるWindowsのXPの
ディスクトップパソコンで何らかの作業をしていた時に、
(たぶん、こういうブログとかホームページではなくて仕事関係だった)
妻の本名のファーストネームを呼びながら
「なあ、何か飲みものをもって来てくれないか?」
と声をかけたけれども、返事がなかった。

妻は7歳年下であることもあって、長女が生まれるまでは亭主関白気味であった。
結婚したばかりの頃はダビスタ(ダービースタリオンという競走馬育成ゲーム)を
やっている最中であったとしても
「なあ、何か飲むものはないかな?」
と言うと
「コーヒーがいい?お茶がいい?」
というような返事が優しい声で返ってきたものであった。

新婚時代のダビスタ98の頃はそういう時代であったが、
子どもができて以降は自分の飲み物のリクエストどころかミルクを欲しがる子どもの
リクエストを叶えることに協力せねばならない立場となり、
子どもが複数となったダビスタ2004の頃になると
致し方ないことではあるが、私のそうしたリクエストには快く応えてもらえなくなった。

本名のファーストネームで呼んでも返事がなかった時に、ちょっとさびしかった。
「もう、自分でやってよ〜!」
という文句でもいいから、返事が欲しかった。

その時に、不意に
「おーい、シャラポア!シャラポア!お前のことだぞ!おーい、シャラポア、お茶!」
という声が出ていた。
今から考えるとシャラポアというのはファーストネームではなく苗字であり、
メチャクチャな話ではある。

するってえと、
「はーい!」
といういい声での返事が返ってきて、お茶が来た。
おそるべし、マリア・シャラポア効果。

その時のインパクトの強さをずっとひきずっており、
この草仏教ブログでは初出はいつかは定かではないものの、
かなりの初期から妻のことをシャラポア(妻・日本人)と表記し続けている。

それから10年、17歳のマリア・シャラポアは当然ながら27歳となった。
27歳であるのでもう「妖精」とは呼ばれないけれども、妖精的な美貌を保ち、
第一線級のトップ選手であり続けている。
亡くなられた高倉健さんが、私の生まれるずっと前から
ずっと第一線級の俳優であり続けていたこともすごいことで、
まったく分野も何もかもが違うことなので比較などしようもないことだけれども、
やはりすごいことだと思う。
私より年上の世代のなかにはおつれあいや恋人に、本名とはまったく違うのに
「なあ、俺のことを健さんと呼んでくれ」
という男性がいたとかいなかったとか。こりゃ、いたな。

最後になるけれども、マリア・シャラポアは
ロシアの西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区・ニャガン市に生まれ、
すでに7歳の時に父親とともに渡米してフロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーに
入学している。
今回のブログ記事を書くためについでにマリア・シャラポアの歩みを確認させてもらって
衝撃を受けたけれども、マリア・シャラポアの両親が西シベリアに移住して生活するように
なったきっかけは、マリア・シャラポアが生まれる前年に起きたあのチェルノブイリ原発事故
からの避難がきっかけであった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-11-19 01:22 | 雑草


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