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2014年 11月 25日

草仏教掲示板(75) 阿知波一道先生の言葉

b0061413_22511386.jpg 毎月ペースで貼り替える法語掲示板をこのブログにも「中継」する感じで転載し、ブログ用にも文章を書き加えていることは恒例である。今回、はじめてのパターンであるといっていいのは「一週間後にご法話をしていただく先生の言葉を掲載しておき、その先生が去られた後も2週間か3週間は掲示をしておく」ということである。その余韻のようなものから、また新たな響きあいが生まれてくるかもしれない。阿知波一道先生は作家としての著作というよりは、シンガーソングライターとして『器』というCDアルバムを出していらっしゃるので、そのなかから勝手ながら言葉を選ばせていただいた。「まだかね今金」という楽曲のなかからスペースの関係でワンフレーズだけを抜き書きさせていただいたのだが、せめてブログでは、その「まだかね今金」の2番の歌詞を記しておきたい。 疲れた靴ひもがせせら笑ってる ガラスに映る見たくもない顔 何処まで行ってもついてきた けだるい自分という荷物 別に選んだ訳でもないのに 捨てられぬ訳でもなかろうに 車掌さん汽笛をどうぞ まだかね まだかね 今金 という歌詞のなかから抜粋させていただいた。「まだかね今金」はGのキーではじまる軽快なメジャー調の曲であり、CDの音源がライブであることもあってタイトルにもなっている「まだかね今金」の部分ではお客さんの笑い声も入っている。そのために一種のおもしろソング(コミックソング)としての印象も最初はあったけれども、何度も聞いても深みがあるのは、メロディーやリズムや歌声や演奏もさることながら、引用させていただいた部分の歌詞の存在が私にとって大きい。 「自分探しの旅」というような肩に力が入ったものではなく、目的ある旅というでもなく、かといって帰る場所さえ定まらない放浪というものでもなく、しいて言うならば「自分忘れというものをしたいなぁ」という願望で目的なくふらついた記憶がよみがえる。最近、自分の姿を見つめるような乗り物に乗っていないなぁ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-11-25 23:50 | 草仏教


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