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2014年 12月 06日

報恩講私記(2) 包み込むような法話と音楽と餃子

b0061413_21145772.jpg というわけで、本年の報恩講は北海道の法林寺ご住職でありシンガーソングライターの阿知波一道先生を幸いにもお招きすることができた。前日の夜、日程の打ち合わせやら音合せやらプログラム構成などをひとくちサイズのものをつまみながらするつもりであった。法話では聴聞者となり弾き語りやライブでは共演者となった小泉さんのお連れ合いが色々と用意していただいた前日のお食事のなかで、包みたてで焼きたてを提供したいということで作りかけの餃子があったのだが、それを見て阿知波先生は「僕に包ませてくれる?」と言い出されて餃子作りに熱中されはじめた。学生時代にずっと王将でバイトをしていたのですか?というような手際の良さだった。そして「焼くのも僕にやらせてくれる?」と言いつつフライパンに餃子を敷き詰めた。「おやおや先生、それでは餃子を敷き詰めすぎではありませんか?」と私は思っていたのだが、きれいに焼きあがった餃子が、これまた手際よくフライパンから一瞬空を飛んで皿に盛られた時にうちの子どもが「餃子のミステリーサークルだぁ!」と声を上げた。これは10インチのフライパンで焼き上げられたのだが、アナログレコードのLP盤と同じ10インチというサイズが身に入っているとしか考えられない出来であった。アナログレコードの話のついでだが、写真が見事な焼き加減が表現されている餃子のミステリーサークルのA面であるとすれならば、包み技でのねりじ加減が表現されているB面も実に絵になっていたのだが、あっという間になくなったので写真はない。 今回は僭越ながら先生のご法話のことを記しておきたい。報恩講法要の後に午前中、70分間していただいたご法話に善良寺のご門徒さん一同とともに私は実に感銘を受けた。そして拝聴された皆さんが口をそろえて「実にわかりやすいお話だった」と私に感想を述べてくださった。「天上天下唯我独尊」という仏教の根本的な教えについて、それをご長男が誕生された時に産婦人科医院に注意事項としてあった「他の赤ちゃんを見ないでください」という貼り紙の言葉を「なるほど、かけがえのない存在を比較してはいけないということなのだな」と感得されたお話など、確かに私にもそういうやさしさをもって伝わってきた。でも、やさしいお話、わかりやすいお話とはいっても安易さとかお手軽さというところとは対極にあるお話であった。たとえば先生は唯識(ゆいしき)教学の阿頼耶識(あらやしき)についても言及されている。それを前住職(私の父)も深くうなずきながら拝聴している様子が目に入った。私は前住職の他の部分は信頼していないが、原始仏教やインド哲学の研究者としては全面的に信頼している。そういうお話を拝聴した方々が口をそろえて「やさしいお話だった」とか「わかりやすいお話だった」と言われる。 教学を私のへっぽこ教学で解説してしまうと、それこそ味が台無しになってしまう可能性もあるので、音楽と餃子になぞらえてそのやさしさと解りやすさを何とか説明したい。これは去り際(そうだ!京都に行こう!と本当に京都に飛んでいかれた)に先生ご自身が私とシャラポア(妻・日本人)に 「カントリーミュージックの世界では難しい技巧を難しそうに弾くのは粋じゃないんだなぁ、難しいフレーズこそ涼しい顔をして簡単そうにやって自然に響かせることがカントリーのプレイヤーとしてカッコいいんだよ」と語ってくださった。その言葉は即席バンドのメンバーとして飛びい入りに近い形で参加してくださったバンジョーの大野さんとギター&ボーカルの小泉さんのプレイぶりをほめた言葉ではあったが、少しは音楽をかじった者として、阿知波先生こそそういう粋をもった方だなぁと思う。まるでアメフトの名クォーターバックがどこに投げたらいいかを瞬時に判断しながら見事にパスを通し、それが高度な技術の結集なのにそのプレイがスムーズで見事すぎるので「簡単」にさえ目に写ってしまう、みたいな感覚で音楽をプレイされているように思う。瞬時にこういうバッキングがあれば、こういうソロがあれば、とその場にいちばん的確な音を出される。 これは今日知った名言だが、あの有名な作曲家のすぎやまこういち氏はゲーム音楽のドラゴンクエストのテーマ曲を5分で作曲したそうだ。5分で作ったことを関係者が「スゴい、スゴい!」と言ったらすぎやま氏は「今までの54年の人生(作曲当時のすぎやま氏の年齢)があるから5分で作れたんだよ」と言ったらしい。阿知波一道さんという人が奏でるフレーズには長いキャリアが凝縮されていたのだなぁとしみじみと感じた。 今回の写真の餃子も、餃子という料理の形となればどちらかと言えばシンプル料理の部類に入る。今回の具は阿知波先生ではなく小泉さんのお連れ合いが自宅で丹念に製作されて持ってきていただいたもので、適度にスパイシーでありそこには様々な技巧がほどこされている。その結集がシンプルでディープな逸品となったのだ。 私は対極的な在り方をしてきたのかもしれない。どうも簡単なことを複雑に語る、簡単なフレーズをいかに高度なことをやっているかのように見せる、手の込んだ料理のように思わせる、そんなクセがついてしまっているのかもしれない。

マーヒー加藤 
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by kaneniwa | 2014-12-06 23:35 | 草仏教


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