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2014年 12月 15日

コッヘル255番 鮭の押し寿司

b0061413_22462159.jpg 押し寿司というものにハマっている。いろんな刺身をご飯を詰めた押し寿司用の木箱(恥ずかしながら3種類持っています)の上にのせて、最近は数時間押しておくというのをやめて全体重をのせて「秒殺」といった感じですぐに作ってしまう。大阪船場の箱寿司専門店がそうやっているのをテレビで見たからだ。 司馬遼太郎、という名前を出しただけで何だか書く方の私も軽く緊張してしまうがアメリカ合衆国を訪問した時のエッセイである『アメリカ素描』(現在は新潮文庫で読めるようだ)は大傑作であると思っている。現在、さかんに語られているようなグローバルとローカルの関係の問題の本質のようなものがこの本のなかには随所に出てくる。司馬遼太郎さんご本人がとてもジーンズが似合う作家であったが、この本のなかでジーンズというアメリカ文化に出会って、履いてみたその瞬間に「いきなり」好きになってしまったそうだ。その「いきなり」というものがグローバルな普遍性というものでないかと論じている。ジーンズにはその普遍性を「いきなり」感じたというのだ。その時のジーンズ体験の引き合いに出したのが何と「寿司」である。司馬さんは関西出身であるから寿司といえば馴染みがあったのは箱寿司とか押し寿司であった。さらにはグローバルに対するローカルでありつつ寿司というものの原型には近い発酵系の熟れ寿司、代表として鮒寿司(ふなずし)などに馴染んできた。それが、生まれてはじめて江戸前のにぎり寿司を食べた瞬間にこれまた「いきなり」好きになってしまったという。アメリカでの寿司ブーム(もちろん鮒寿司や箱寿司ではなくにぎり寿司を中心としたもの)を見てその時の「いきなり感覚」を思い出して、それがグローバルに広がっていくものだと直感するあたり、それが司馬史観の真髄のように読んでいて私はワクワクした。 ともかく、大阪の箱寿司とにぎり寿司の中間のようなもののスタイル(つまりは酢飯を握るスキルは持ちあわせていないけれどもサッと箱寿司を作っちゃうような感じ)で、司馬先生が生きている間にはなかなか流通していなかった鮭の刺身を箱寿司にした。鮭や鱒などは無菌での養殖が確立してから回転寿司でも生の状態で登場するようになり、スーパーマーケットなどでも広く流通するようになったけれども、昔は寄生虫などが怖かったのでルイベというような凍らせた状態などでなければ生食はなかなかできなかった。鮭というよりはニジマスの仲間といえるトラウトサーモンという種類がその刺身としてはもっとも流通しているのだが、それを押し寿司にしてみた。実際に富山のますの寿しはいつの時代でも人気の駅弁であり、鮭の押し寿司というものも駅弁界にはすでに存在する。それを家庭でやってみたのであるが、ひとくち食べて「いきなり」これはイケる!と感じることができた。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2014-12-15 23:21 | 草外道


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