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2014年 12月 27日

年末になって大事なアニキが亡くなってしまった

亡骸(なきがら)を見慣れている職業柄だが、今日、見慣れた人の遺体を痛い気持ちで見た。
1年前には元気いっぱいであった私のアニキのような方が亡くなった。
年齢も、私よりひとまわり(12歳)ほど年上のアニキのような人であった。
高名なシンガーソングライターと同姓同名だ。

何だか自分でもその現実を受け止めることがどこかで辛いのか、
何だか自分は僧侶ではなくて僧侶役の俳優になった気持ちで阿弥陀経を勤めていた。
英語ではベッドサイドサービス(英語でサービスといえばまず礼拝のこと)という
枕経というお勤めをしてきた。

一年前の今頃は、元気いっぱいの方であった。
私の「住職継承記念事業委員会」の委員を率先して務めてくれて、
その記念の一環である本堂と書院の畳替えの寄付を集めてまわってくれていた。
「畳は新しくしても女房は新しくするなよ!」
が口癖だったように、シャラポア(妻・日本人)のことを実によくほめてくれて
何よりもご本人がたいへんな愛妻家だった。

礼服をはじめスーツの着こなしがビシッとしたダンディな人で、
春と秋の普段着にはなぜか
ロサンゼルス・ドジャースのスタジアムジャンパーを愛用されていたが、
あれが似合う人は限られているように思うのだが、実にドジャーブルーが似合う
紳士でありながらアクティブな輝きを放つ人だった。

住宅街である町内のなかでも大変な人気者で、大学の講堂やホール、会館などを
貸しきってカラオケ大会の形ではあるものの「音楽祭」の主催者になっておられた。
それは本業ではなかったものの参加者の信頼が厚く、
本職を引退後は
「そのイベント活動とお寺の補佐に専念したい」
という嬉しいことを言ってくださっていた。

数年前から寺での会合の後でビールを飲みながら
「なあなあ、新住職の就任を記念して寺で音楽祭をやろうよ!」
と提言してくれていた。
私は率直な気持ちで
「寺でやるのもいいけれど寺の外で、
 アニキが普段借りているようなホールなどで『善良寺音楽祭』をやって、
 その審査委員長というものをいっぺんはやってみたいなぁ」
と言うと
「それいいねぇ~、いいねぇ~、よ〜し、会場と機材レンタルの手配は任せな!」
といい笑顔で言ってくれていた。

そのアニキが今年の春先に数万人に一人という難病にかかり、
楽しみにしてくれていた6月の住職継承式の本番には欠席された。
「ああ、アニキがいない」
という気持ちはどこかで残った。

色々あったけれども、2014年はいい年だったなぁという思いで年末のこの時期を
浮ついた気持ちで迎えていたけれども、いっぺんに目が覚めた。
不幸は浮ついた気持ちのなかに突然やってきて、幸いは不幸中にあるということを忘れていた。
 
 さいわいは不幸中にもあるんやね (ヒヤケナス先生の川柳)

やる気や元気といった肝心要な力こそ、自分の力で起こすことはできない。
まさに他力。ふと沸き起こったり、ふと出会ったものに触発されてくる。
いろんなことがきっかけとなって、これから私は
演奏者としてなのか、シンガーとしてなのか、作ソングライターとしてなのか、
あるいは企画者などプロデューサー的なものなのかマネジメント的なことなのか
全然ハッキリしないままなのだけれども、
音楽活動的なことをしていきたいと思っている。

何をやるかなんて全然決めていない。
決めているのは
客が10人だったとしたら11人居ると思っていやる、
こということだけだ。


マーヒー加藤   合掌
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by kaneniwa | 2014-12-27 00:02 | 雑草


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