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2015年 02月 07日

草仏教掲示板(78) 子の名前は親の名のり

b0061413_2226129.jpg 名前というのは不思議なものだ。名は体を表すと言われると同時に、実体の活躍なり躍動感が名を高めるということもある。例えば白鵬という大横綱にしても大関になる前ぐらいの段階ではさしていい四股名であるとは思わなかった。しかし今や無敵の横綱の代名詞となっては、対戦する力士の立場にたてば白鵬という名前を聞いただけでビビってしまうぐらいだ。千代の富士という名もそうだった。20歳代中盤まではさしていい四股名だとは思っていなかったけれども、アメリカの格闘技雑誌で「ストリートファイトでは誰がこの世界で最強か?」という特集が組まれた時にベニー・ユキーデとともにCHIYONOFUJI(千代の富士)の名が上がっていたのをかつて見た時にはまさに強さの代名詞と感じた。競走馬のトウカイテイオーという名前から感じたものはなおさらで、この名前は母親のトウカイナチュラルという馬名に由来している(父親はシンボリルドルフ)と思うのだが、出てきた時には「何だか東海地方のお山の大将のような名前だなぁ」という印象をもった。それが皐月賞を勝ち、ダービーを制覇してジャパンカップをも取った頃には「何だかいい名前だなぁ」と感じるようになり、有馬記念の復活優勝の際には馬券を当てたこともあって「何といい名前なんだろうか」とまで感じるように変わってきた。 さてさて、そのように名は体を表すということと同時に、実体がその名を高めるということもあるのを前提に法名(浄土真宗では戒名という言葉は使わず、生前に帰敬式を受けて名前を授かる人も多いことから法名という)の話になる。 私より年上の人たちは、名前の文字(漢字)が経典のなかにある率がとても高いような気がする。これは強く意識しているかまったく意識していないかに関わらず、それは仏教文化というものではないかと思う。また経典由緒率(こんな統計学はまだ存在しないけれども…)が低くなりドキュンやキラキラネームが全盛のような今の時代であっても「蓮(レン)」という名前は相変わらず人気が高い。もっとも「蓮」の文字は1990年まで人名に使える漢字一覧のなかになかったので、1990年代に使えるようになってから大いに流行ったのであるが、2010年代の今でも人気がある。それは「蓮」の音の良さのようなものからの命名もあるけれども、やはり泥沼のなかで花開くという仏教のシンボルとしての文化が息づいていることなんだろうと思う。 さてさて、掲示板の言葉はマーヒー加藤が長女から「DQNネームの流行についてどう思うか?」と質問された時の答えらしい。私は「そういえばそんなこと言ったかもしれないなぁ」という程度で、実はよく覚えていない。よく覚えてはいないけれどもシャラポア(妻・日本人)がそれを聴きとめてそれをメモして、そのメモのままに法語として書写されて現在掲示されている。(子の名づけは親がすることは多いけれども、親がするとは限らないけれども…) 長女を近所にあるキリスト教の幼稚園に入れた時にプロテスタントの牧師でもあるその園長先生にその名をほめられたことがある。書くのも照れくさいのだが「このような小学校の前半で習う漢字ふたつの組み合わせで、このように仏教文化にあふれて、しかも名を呼んでいてこの上なく優しい気持ちなれる名前があったとは…」と、お世辞も含まれているのだろうが恥ずかしいぐらいに手放しで絶賛してくれたのだ。そして、彼女(長女)はその後、小学校、中学校、高校といろんな教化の先生にその名をほめてもらえる機会に多く接してきたらしい。 言った覚えがない自分の言葉に責任をもつというのも変な話ではあるけれども、長女の名前が降ってきてくれた瞬間のことと、それを命名することにした時の気持ちや考えについては、それを同時に私の名のりとして再認識していきたいと思う。

マーヒー加藤(ブログ本文)
シャラポア(掲示の言葉の書)
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by kaneniwa | 2015-02-07 23:22 | 草仏教


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