2015年 02月 13日

名画草鑑賞(1) 風の歌を聴け

先週、中学と高校で同級生であった友を病気で亡くし
その葬儀の儀式を執行するということがあった。

お通夜にも葬儀にも同級生たちの出席があり、
何だか僧侶としてその儀式を勤めたというよりも
俳優としてその役をこなしているような心理だった。

私はTSUTAYAに用事があった妻に
「ついでに『風の歌を聴け』という日本映画のDVDビデオを借りてきてくれないかなぁ」
と頼んだ。

自分でも何でそんなことを言い出したのか、その理由は文字にしにくい。
たぶん、自分がまだ20歳になる前に見たことがある映画をぼんやりとでも観ながら、
自分が20歳になる前の頃に何を考えていたかを漠然とでも感じてみたくなったのだ。

妻は私の書いたメモをTSUTAYAの店員に渡して
「この映画のDVDはありますか?」
と尋ねた。

「えっ、私はこの仕事、けっこう長いのですが、
 村上春樹の長編小説のデビュー作が映画化されていたのですか?」
と、驚かれたらしい。
そして端末で検索して
「ああ本当だ、その映画ありますね」
と言いながら棚を探し始めたそうだ。
なかなか見つからないところで妻が先にタイトルを見つけ
「これですね!」
とパッケージをとった。

「ありましたね。えっ、小林薫が主演で大森一樹が監督!」
と、キャリアの長いTSUTAYAの店員さんが驚くほどのカルト的作品というのが
どうもこの作品の今の時代からの評価らしい。

映画の『風の歌を聴け』は1981年の作品。
翌年、大学1年生の時に私は京都市の一乗寺にあった「京一会館」という映画館で観ている。
映画館で観ていてよかったことのひとつは、そこそこ席が埋まっていた映画館のなかで
オーディエンスの反応もかすかにだけれどもその空気感とともに覚えていること。
もともとエンターテイメント性ということに関してはその要素が少ない映画だけれども
どよめきも悲鳴も涙も笑いもない映画であった。
笑いはあったかもしれないけれども、あったとしても静かな苦笑いだけ。
そしてそこから得られた教訓のようなものもまったくない。
30数年の時を経て、私がこの映画に関して覚えていることといえば
シーンではなくていくつかのキーワードだけ。
「バドワイザー」
「赤い小型車」
「西宮球場」
「冷蔵庫」
「落花生」
その記憶から、映画を見なおしてみれば当時の記憶でよみがえってくるものも
何かあると思って見始めた。

しかし、映画を30数年ぶりに見直してみて、自分でもあきれるぐらいに
ハッキリと忘れていた。
前記のキーワード部分以外は、あきれるほどに忘却していた。
逆にそれだけ、そのキーワードがなぜ自分のなかに刻まれ続けていたのかが
気になっていて、それが注目点でもあった。

つまりはJAZZ BARのマスター役の坂田明(サックス奏者)が
主人公の大学生(小林薫)に投げかける
「落花生の殻ばかりを集めて中身を捨てているようなものだ」
という言葉に聞き覚えがあるのは、
私自身がこの映画を見た時にその言葉がその時の私の実生活と呼応したからだと思う。

ほとんど、それだけだった。
あとは何も思い出せなかった。
ただ、別に、それでもいいと思った。

作家の村上春樹と映画監督の大森一樹は同じ芦屋市立精道中学校の先輩と後輩の関係らしい。
原作とはストーリーや設定もやや違っていることもあり、
村上春樹の世界観と言葉がある大森一樹監督の作品という感じである。

今は『深夜食堂』という映画が封切りされたばかりだけれども
若き日の小林薫は唐十郎が主宰する状況劇場を出たばかりの頃。
主演女優は 真行寺君枝。
室井滋は映画初出演。何と上半身裸で彼女の乳首がハッキリと見えるシーンがあった。
ちょっと驚いてしまった。
それから前述の坂田明とともにヒカシュー(バンド)の 巻上公一が出ている。

考えたら原作者の村上春樹が、この頃と今とでは知名度で二桁違うのではないかと思う。
1980年時点でのいろんな才能が洗練を求めつつも粗挽きのまま集まった映画だ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-02-13 08:34 | 草評


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