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2015年 05月 03日

草仏教掲示板(80) 花はそれぞれ嫉妬しあっていない

b0061413_062584.jpg 阿弥陀経に「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」とあって、青いものは青い光を放ち、黄色いものは黄色い光を放つ。金子みすゞは「みんなちがって、みんないい」と言うだろう。それぞれがそれぞれの輝きを放つことの大切さをメッセージとして発する言葉は経典をはじめとして、古今東西にたくさんあると思う。ただ「お前はお前のままでいい」という言葉に「それじゃ貧乏人は貧乏人のままなのかよ!」という反感をもつ人もいるだろうし、これは私の先入観もあるだろうがお説教臭い言葉も多い。 そんななかでシャラポア(妻・日本人)のメモのなかでこの「花はそれぞれ嫉妬しあっていない」という言葉に出会った。この言葉は上から目線での押し付けではない形でその真理を表白しているように感じられた。 シャラポアが言うには、阿川佐和子の言葉としてメモをしたけれども正確には比叡山の僧侶が言ったもう少し難解な言葉を聞いての阿川佐和子のレスポンスとしての言葉がこれだったそうだ。でも、それでいい。うちの法語掲示板には阿川佐和子の言葉として紹介させていただこう。お釈迦様だって自分の書斎にこもって葉っぱに樹液で本を書いていたわけではない。アーナンダ(阿難)という「この人が言う言葉は尋常ではない、でもホンモノだ」と看破する優れた聞き手がいたから仏法は成立したのだ。どんなに優れたクォーターバックが居ても、優れたランニングバックなどのレシーバーがいなくてはパスは成立せず、サッカーでのキラーパスも受け手がいなければただの無謀なキラーにすぎない。 アーナンダをはじめとするワイドレシーバーたちが言ノ葉(ことのは)を残し、その葉に一本のたて糸を通したのが「経」である。 いつの間にか阿川佐和子は名インタビューアーというか聞き手としての達人のような世の中の評価を得ていた。『聞く力』という本の論評を私はラジオの書評で聞いていたので、そのタイトルは花のたとえもあったことから混同して『菊力』(きくちから)というタイトルの本だと勘違いしていて「何だそれ?」と思っていたら、書店で現物の『聞く力』を見て、自分で自分を笑ってしまった。まあ『菊池から』というタイトルでなくて良かったとしよう。 さて本題に戻って、嫉妬という心は屈折していて心の吹き溜まりのような部分にはあるものの、それはある種自分を育ててくれるようなものでもあると思う。「どうして自分はああ成れないのか、あのようにできないのか」という心は、私としては全否定できないものがある。しかし、事実として花はそれぞれ嫉妬しあっていない。花はすでに「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」という存在である。 「嫉妬」という屈折しためんどくさい煩悩である人間特有の心が沸き起こってきた時には、私はせめてその嫉妬があるという自分だけは見つめ、その自分に向けて「Shit!」という言葉を投げかけたいと思う。

マーヒー加藤 (ブログ本文)
日本人シャラポア(書)
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by kaneniwa | 2015-05-03 00:46 | 草仏教


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