2015年 09月 02日

オリジナルってなんだっけ?

オリジナルっていったい何だろう?
という根本的な問題がある。
いろんなアートがあるなかで世界最小の短詩系文学である
「俳句」とか「川柳」のような、音にすればわずか17音の文芸がある。
しかも俳句の方には季語が必ず入ることになり、
川柳の方も季語はなくてもその時代や時期の旬(時事用語、流行語など)はある。
しかも両方ともに句会や大会や新聞や雑誌の公募などで「テーマ」が設定されることもある。
そうすると似た発想の作品はもちろん、まったく同一の作品というのもあるのではないか?
それは実際に時々あることのようだ。
新聞などでは
「同一の作品がある場合は先に到着した方を優先」
と選者などが明記する場合があるから、実際にそういうケースもあるのだろう。
また、すでに世に出ている作品と一字一句違わぬ同一作品を掲載してしまった場合は
俳句などでは「選者の勉強不足」という扱いとなる伝統があるようだ。
しかし、実際に大賞とか特選とか秀逸の称号を与えられる作品は
この17音の限定世界のなかで
「こんな世界があったのか」「何で今まで気がつかなかったのか」
「どうやったらこんな発想ができるのか」
というような驚きを感じるものが必ず選ばれてくるような気がしている。
オリジナリティとは何か?定義は難しすぎるけれども、
そこには大なり小なり、驚きのようなものが備わって成り立つ気がする。
Wonder(不思議)がWonderful(スンバラシイ)となるような感じ。

音楽の世界も似ている。
普通の人が無理をせずに歌唱可能な音域は「個人差あるけど1オクターブ半程度」とすれば
1オクターブが黒鍵を含めて12音であるから、この17音に近い。
そのなかで最初の音からの流れはある程度人の耳に心地よい組み合わせのようなものは
けっこう限定的であるような気もしているし、ジャンルによって形式や定石もしっかりある。
そのなかで○○風というのではなくて
「こんな世界があったのか」
などと感じてもらう音楽の創作にプロのミュージシャンは日々勤しんでいるのであろう。


ちょうどパソコン画面上でのGoogleのマークが変更された。
Googleであれば様々なOSのコンピュータから、あるいは端末から操作される
ものであるし
「小さな端末からもしっかりとGoogleであることが認識される」
ということを主眼としてデザインされたようだ。

Googleであれば当然「G」の文字がモチーフとなり、
親しまれてきた赤、黄、青、緑と白という配色を使うこととなる。
したがって
「スマートフォン上でもわかりやすいように変わったなぁ」
というだけの感想しかありえない。
たとえ素人の私がGoogleという大きなグループから依頼されたとして、
(そういうことはありえないとしても…)
素人なりに真面目であればあるほどにおそらく似たデザインを提出するだろう。

東京オリンピックで、TOKYOの「T」の文字をモチーフとしてデザインする限りは
どこかのロゴやシンボルやエンブレムや商標で似たものはあると考えていた。
ベルギーの美術館のロゴと似ているとはいっても、
東京オリンピックと間違えてベルギーの美術館に駆けつける人はいないと思うし
そんな大きな問題にはならないと思っていた。

その後、いろいろな過去作品についての指摘が相次いで、
サントリーの景品のトートバックのデザイン盗用と
羽田空港とフランスパンの写真の個人ブログ写真からの無断拝借が
明らかになって、
これは羽田空港やフランスパンの写真を撮ってくる自身の意欲や撮影スタッフもいないという、
そういうことになっちゃうので、やはりプロとしてお粗末であるなぁと感じた。
(それにしても最初に指摘した人はよく見つけたなぁ)

ただひとつ思うのは、これは佐野研二郎氏を擁護するわけではないけれども、
オリンピックのエンブレム問題としてばかりマスコミでも取り上げられていて
「パラリンピックのエンブレムデザインもセットである」
という視点が最初からどうも弱い気がしている。

パラリンピックのエンブレムの方もデザインは同じで配色が異なるために
違うデザインに見えてくるというものであるけれども、
これがもしも隙間なくオリンピックとパラリンピックのエンブレムを並べて
両方を併せたもので一つのデザインであることを強調しつつ
「これがまさしくオリンピックとパラリンピックが両輪となったエンブレムでございござい」
とプレゼンテーションをしていたならば、結果は違っていたようにも思える。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-09-02 16:57 | 草評


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