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2015年 09月 09日

草仏教掲示板(85) ココ・シャネルの言葉と『阿弥陀経』

b0061413_0274143.jpg 『阿弥陀経』という経典は毎日のように読誦していて、おそらくこの30年間に一日平均3回は読誦しているだろうから、3万回以上読んでいることになる。(計算は合っているかな?)それなのに経典の内容の方は今ひとつ頭に入っていない。浄土三部経のひとつとして親鸞聖人も重きをおいていた経典のはずなのに『教行信証』などの著作での言及がとても少ない。『阿弥陀経』を説かれる釈尊は何度も「舎利弗よ」と、舎利弗(しゃりほつ・Śāriputra ・シャーリプトラ)という仏弟子の名を何度も呼びつつ教えを説かれるのだが、この経典のなかでは舎利弗の応答がない。能弁な舎利弗をも完璧に黙らせる内容であるという解釈を聞いたこともあるのだが、読誦していて「舎利弗、ちょっとは応答せよ!」というような気持ちになってきてストレスというほどではないけれども、昔から何だかモヤモヤする。それでも昔から「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という箇所が好きだ。漢文訳でラップ調の力強い韻をふんでいることもあって、同じ光に照らされても青いものは青く輝き、黄色いものは黄色く輝く。たとえば最近では「花はそれぞれ嫉妬しあっていない」 という言葉を掲載させてもらったが、この「青色青光 黄色黄光」を思わせてくれる言葉にはとても惹かれる。そう思っていたら、ココ・シャネルという人が「世界で一番美しい色は自分に似合う色」という至言を残していた。「ココ・シャネルというのは、あのシャネラーのシャネルなのか?」とシャラポア(妻・日本人)に問えば、いかにもそのシャネルさんらしい。 それからこれは余談となるけれどお笑いのドランクドラゴンの塚地武雅は「共感覚」(シナスタジア、synesthesia)というものを持っているらしい。これは塚地が「人を見るとその人に応じた色が頭に浮かぶ」ということで、東京大学の大学院人文社会系研究科の工学博士・横澤一彦教授が検査してみると、塚地は人や言葉(文字)に色をイメージして認識する「共感覚の持ち主だった」ということらしい。これは超能力というよりは主観的な知覚現象 (クオリア) として本人が生々しく感じるということなので「だからどうした?」とツッコめばそれまでだが、共感覚の持ち主と言われる人には不思議なことに絵画のアーティストよりも音楽家や文学者がずらりと並ぶ。たとえばバイオリニストのイツァーク・パールマンは「G線でBフラットを弾くときは深緑色、E線でAを弾くときは赤を感じる」などと言っているが、私は共感覚を持っていないので「白鍵は白で黒鍵は黒」ぐらいの認識しかない。あっ、でもブルー・ノート(JAZZやブルース特有の音階)なんていうのもあるなぁ。あっ、「黄色い歓声」なんていう表現も昔からあるなぁ。余談も長くなってしまったけれど「私は何色なんでしょう?」と、塚地武雅に聞いてみたい気がする。 自分自身の色もわからないし、自分に似合う色が何なのかも自分自身ではよくわからないなぁ。とりあえず実感するのは、自分で選んだ服を着ている時よりもシャラポアや高校生の長女が選んだ服を着ている時の方が「似合う」と言われる確率が高いということ。

ブログ文章・書 マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-09-09 08:25 | 草仏教


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