草仏教ブログ

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2005年 06月 27日

ハッピー精進への道

今や小学館や大修館、さらにはウェブスターなどの辞書資料室よりも多くの
言葉が日々とりあつめられている Googleの検索システムに「ハッピー精進」と打ち込んで
みたが、何とGoogleのもつ世界最大とも言える語彙(ごい)をもってしてもわずかに
一件だけしか表示されない。しかもその一件は、私が書いた文章であった。
(Googleというのはいわば生きた百科事典なので、削除もあれば増えることもあり、
これは2005年6月27日現在での検索状況です)

と、いうことは、今現在のところ、「ハッピー精進」という言葉は、私にとっては意外だったが、
そういう言葉はなく、あるとするならば、どうも私が作った造語のようだ。

ということであれば、この「ハッピー精進」という言葉を普及させ、やがては『広辞苑』や
『大辞林』などの辞書にも掲載することを、これは崇高な願い(と言うよりは私利私欲の
煩悩であろうが)を実現するためにこのブログも活用していきたい。

私が掲げたこの「草仏教」の三文字には、色々な願いや妄想がこもっている。
ひとつには、それは「ハッピー精進」への道でもある。精進というと、もうそれだけで
苦しい、厳しい、嫌だ、ダサイ等々、いろいろなことが想起されてくるのだが、それは
それでそう思われるのは仕方ないとはいえ、何のための精進であるのか、ということだ。

「幸せになりたいから精進する」という答えは、既存の仏教では否定されると思う。
「幸せというものは個人の問題であって、そのような私利私欲にとらわれては仏道は
歩めませんぞ」というのが草仏教ではない仏教が用意する答えであろう。

しかし、その私利・私欲の存在の根深さを知り、それが全否定できないものだとする
流れの仏教があるとして、私は「自分がハッピーになり、そのハッピーさをもって社会に
貢献なり関係していく道」として、この「ハッピー精進」を積極的に提唱してみたい。

宮沢賢治先生は「世界全体が幸福にならないうちは自分の幸福はない」とおっしゃった。
素晴らしいストイック(真剣)さである。宮沢賢治作品は私も好きなのでおちょくるつもり
は全くないが、私はこれに逆説をかたむけてみたいのである。

つまり、「幸せになれそうもない私がハッピーになれるのなら、全世界の誰でもハッピー
になれる可能性がある」というような逆説である。

うーん、何だか小難しい文章を書いてしまった。

私の好きな草野球にたとえてみたい。

一塁まで全力疾走するというのは、これは「精進」である。
日常生活で、別に天敵に追われて逃げるというような行動をしない私にとっては
キツイことである。しかし、一塁まで全力で走れば、相手がエラーしてくれる
率は、たとえそれがピッチャー・ゴロであったとしてもグンと高まっておもしろい。

おもしろいから全力で走る。 これが具体的なハッピー精進ということの一つである。

マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-06-27 04:56 | 草仏教


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