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2005年 09月 24日

ジーコという人は「アシュキ」の人なんではないだろうか?

人を簡単に語ることなんかできない。 そんなことは自明のこと、承知の上で、
あえて人を単純に、ひと言であらわしてみたい。

こういうことがシリーズになっていくかどうかはわからないが、その第1回目に
ジーコを選びたい。ジーコとは、もちろんサッカーの全日本代表チームの監督を
つめとている、サッカーの「神様」、あのジーコのことだ。本名はえらい長いので
単にジーコと呼ぶ。ブラジルはリオデジャネイロ出身。話している言葉は
ほんの少しの日本語とポルトガル語(ブラジル語としてのポルトギス)である。

彼が試合後や試合に臨む時の記者会見などで、よく口にする言葉は、私の
耳に、その言葉だけが良く聞こえてくるせいもあるかもしれないが、ジーコは
真剣な表情で何か考えた後で、まず
「アシュキ」という言葉を発した後で、何かをしゃべるというケースが
非常に多い。さて、この「アシュキ」という言葉は、「私はこう思うがなぁ」という意味
である。

アシュキ(ACHO QUE)。
ACHOは動詞ACHARの直説法現在一人称単数の活用形で
私は~思うとか私は~感じるとか私は~判断するとかの意味がある。
まだ他にも意味があると思うが、大体は「思う」で使うことが多いと思う。
それと、この場合のQUEは英語で言う関係代名詞にあたる。というわけで
ジーコが「アシュキ」「アシュケ」「ワシュケ」(人によって聞こえ方いろいろ)
と言葉を発した時には
 「このようにまあ僕は思っちゃうんだけどさぁ」
 「たぶんさぁ、こういうことなんだろうと思うのだけどさぁ」
という意味で、あとはQUE以下の意味につながっていくのだ。

ズバリ、ジーコの本質は、この曖昧(あいまい)さではないかと推理する。このアシュキは、
通訳の鈴木氏によって訳される時もあれば、訳されずにスルーしていく時もあるが、
すべて忠実に訳されていくと、相当、ジーコの言動は曖昧に感じていくことになると思う。

そこで、先発メンバーを事前に発表したりするので、ジーコのことをハッキリした人で
あると思っているサッカー・ファンも多いと思うが、私は、この「アシュキ」の多用から、
ジーコという人の本質は、実はこの「思い」の曖昧さにあると思う。曖昧というと悪い表現の
ようだが、理論よりも感性、感覚を重視している人というか・・・というわけで、理論重視
で選手をロボット的に扱っていた前任のトルシエ監督のことはボロクソに言っていたの
は、ジーコにとって本当にトルシエが目指すサッカーを好まなかったのだろうと思う。

なんせジーコは「神様」であるから、紳士でもあるが、監督としては戦術・理論という
よりも雰囲気・活気の方を重視していくような人ではないだろうか。

というわけで、私は、たぶん日本代表はドイツでも活躍してくれると思うし
たぶん前回と同じか、前回以上の成績をおさめてくれるのではないかと
期待しながら思うのだが、サッカーというゲームに絶対はない、その絶対のなさを理論ではなく
体で知っているジーコは「アシュキ」を多用するのではないか、というのが私の推理
であるが、野球に比べればサッカーはあまり観ない私である。

サッカー、特にジーコという人を私よりもよく知っている方からのコメントを待つ。


マーヒー  http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-09-24 23:08 | 草評


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