2005年 09月 28日

京極夏彦は胡乱(うろん)の人である

人を簡単に語ることなんかできない。 そんなことは自明のこと、承知の上で、
あえて人を単純に、ひと言であらわしてみたい。前回はジーコ監督を「アシュキ」の人と
決めつけたが、今回は、作家の京極夏彦さんを「胡乱」(うろん)の人と決めつけたい。
ジーコ氏、京極さんのファンの方々、失礼があったらもうしわけない。

まずは、「胡乱」(うろん)という言葉の基本的な意味は、次のようなものでは
ないかと思われる。

(1)疑わしく怪しいこと(さま) 胡散(うさん)
(2)不確実であること  あやふやなこと また、そのさま 胡散
(3)みだりがわしいこと  勝手気ままなさま  乱雑

(1)について、テレビや雑誌の対談に出てくる京極夏彦氏の姿は実に怪しい。
和服については、私も愛好している方なので分かるが、あの黒手袋で指が
出る奴は、あれは怪しい。忍者ぐらい怪しい。爆笑問題の太田光が京極夏彦に
インタビューする時に同じ装束で現れたが、誰でも、和服に黒手袋をすれば、
京極夏彦のモノマネができる。もちろん、書かれた小説自体もほめ言葉として「怪しい」。

(2)について、特に「不確実」ということについては、京極夏彦の小説の主題に
なっているのではないか、とも思う。「本当に、そこに、それが、あったのか」と
自問自答する人物や、記憶があいまいであやふやな人物が多く描かれる。
この、曖昧模糊(あいまいもこ)ということでは、前回のジーコの「アシュキ」と
共通する。

(3)については、みだりがわしいとか、勝手気ままというと悪口になってしまうが、
良く言えば、ストーリーが融通無碍(ゆうずうむげ)、自由自在に展開していく。


仏教学者で「胡乱」な人、といえば新潟県の越路町の浄土真宗の真宗大谷派の寺院に
生まれ、後に東京の哲学堂公園を作り、東洋大学の創始者となった井上円了博士
などは、その研究の一部に「妖怪研究」などもあり、実に「胡乱」という言葉が似合う
人であり、明治の時代にあって、すでに科学文明の限界と危機というものを見極めた
人であるが、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の前半の面白い議論の最後に、この井上円了
先生の名前がちらっと出てきたのが嬉しかった。

さて、なぜ、京極夏彦が「胡乱」の人であるのか、決め手は今回も実に簡単で、
ご本人がこの言葉を、小説や対談のなかで好んで使っておられるように思える
からである。

マーヒー加藤  http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-09-28 18:07 | 草評


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