2006年 05月 27日

計れないのが愛なのだ

「国を大切にする」などの「愛国心」表記を通知表の評価項目に盛り込んでいる
公立小学校が埼玉県で52校あって、岩手、茨城、愛知県でも取り入れられている
公立小学校があると毎日新聞に書いてあった。

これは主に小学校6年生の社会科の評価項目のなかのことらしいが、
「愛国心」が表記される通知表が見られるようになったのは、学習指導要領が2002年に
改定され、小学6年社会科に「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を
育てるようにする」などの目標が設定されて以降といわれる。

この流れが今の憲法改正案の、「国を愛する」ということを文言化するかどうかの議論の
重要な伏線の一つにもなっているね。それも含めてさまざまな論争があるのだろうが、
これについての提言をマーヒーはしてみたい。

まず、社会科の前に、
家庭科に 「家庭を愛すること」(大切にすること)を評価項目のなかに入れてみる。
音楽に 「音楽を愛する心」 を入れてみる。
体育に 「スポーツを愛する心」 を入れてみる。

と、こう書いてみると、若干だが、愛を評価するということの矛盾にふと気がついてしまう。
音楽や体育、それから社会科についてはいずれ続編を書いてみたい。

たとえば、家庭科は、今のマーヒーは、いわばプロの家庭人になっちゃったわけだが、
夫婦というプロのカップルは、独身の頃のアマチュアのカップルだった頃とはまた違う
面からお互いを評価したりする。まあ、純粋に楽しかったのはアマチュア時代だが、
プロにはプロの愛がある。まあ、とにかく家庭の愛し方はさまざまである。
はた目から見れば酒もタバコも遊びもやらないで家庭を大事にする完璧に見える真面目な
お父さんに対して「堅苦しくてつまらない」という評価があることも多くて、これは非常に難しい。
マーヒーも不良中年気味ながら家庭を愛する心はもっているつもりだが、
24時間そればかり考えているわけではないし、その心を試されたり、
いつも評価ばかりされたりするということがあればまさに心外である。

心以外の問題なら、
たとえば私が作った夕ご飯について「甘い」「辛い」「美味い」「もうひとつ」「これはダメ」などと
評価するのは自由である。まあ、「心がこもっていない」なんて表現もあるけれど、
プロの夫婦の間でこの言葉を吐くには決死の覚悟が要りますよ。決死の覚悟でたまに
言い合ったりするのだけれどね。

子どもの愛国心というものに評価を与えなければならない側には、この決死の覚悟が
要求されちゃっていると思う。

色々書いてきたが、この矛盾の根本に 「心は計れない」 ということがあるのだろうね。

国を愛するったって、いろんな愛し方があるわけで、漠然とでも日本が好きだと言う人は
もちろん、この日本が嫌いだとハッキリ言う人もまた、この日本の嫌なところを自分の
まわりからでも、少しずつでも変えていこうとどこかで思っているわけで、
それもまた現実的にとても国を愛するというあり方ではないかと思うマーヒーなのです。

マーヒー加藤  草仏教ホームページ
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by kaneniwa | 2006-05-27 01:16 | 草評


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