草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2006年 08月 23日

激戦のあとで高校野球について思う (2)

b0061413_1561919.jpg駒大苫小牧の健闘は、いろいろな場所で、いろいろな人が、いろいろな思いで見ていたと思うが、高校の卒業式の後で居酒屋で飲酒・喫煙をして駒大苫小牧高校の春の選抜の出場辞退の原因をつくってしまった元高校生、年齢にして18歳から19歳の若者たちは、どんな気持ちでこの夏の駒大苫小牧の試合を観ていたか、あるいは観ていなかったが、とても気になってしまう。

春の選抜高校野球の出場辞退のあと、南北海道予選を勝ち抜き、甲子園での全国大会でも数々の劣勢をひっくり返し、決勝で15回を闘い抜き、再試合でもあと一歩まで三連覇に詰め寄った駒大苫小牧高校の激闘は、春以降のプロセスを全部含めて、これ以上ない敗者として讃えられるべきであろうし、マーヒーもその賞賛の声をまったく惜しむものではない。

しかし、春の選抜辞退の原因をつくってしまった数人の若者たちは、どうなっているのだろうか。おそらく後悔の思いをますます強くしていると思う。

連帯責任による出場辞退や対外試合禁止などという処置が、これは証明することは非常に難しいことであろうが、見えないところで高校生の非行・暴力などを抑制している効果が、もしかするとあるのかもしれない。 しかし、連帯責任として罰を受けた元高校生たちは、その罪をつぐなう方法を見つけられないままに、この夏の高校野球を見ていたか、もしくは意識的に高校野球から目をそらしていたに違いない。

私が高野連会長であれば、対外試合禁止の代案として、不祥事と言われるものを行った高校生、もしくは元高校生にこそ大会の根底を支える何らかのボランティアを命じる。それがベストの案であるとは自分でも思わないが、少なくとも、これからの未来ある若者がつぐないの方途もわからずに一生涯悶々と生きていくよりはいいのではないだろうか。

不祥事に罰を与えて排除していくことが教育の一環というならば、私にだってそのトップがつとまる。泥の部分を取り除いていてキレイなら、そういうキレイさなのだ。更生というのも大げさだが、やる気をなくしてしまった人間に熱中できるものを与えたりするということが教育だと思う。


マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2006-08-23 16:53 | 草評


<< 激戦のあとで高校野球について思...      激戦のあとで高校野球について思... >>