2006年 08月 28日

人類の基本的関数を身近なところで考える (4) TVゲーム編

カナダの歴史学者であるウイリアム・アーヴィン・トンプソンは、
世界の狩猟民族の形態を研究し、試行錯誤のうちに最終的に身につける
四つの役割を 「人類の基本的関数」 と呼んだ。

その四つの役割とは、
頭目(指揮官)祭司(作戦参謀)狩人(兵士) そして道化(トリックスター)である。

さて、この人類の基本的関数は、現代の狩猟であるところの労働(各種プロジェクト)にも
当てはまっているだろうし、さまざまなエンターテイメント(娯楽)にも関わっているはず
だ。

今回は、そのなかで、今のエンターテイメントとして語るには欠かせないTVゲームの
なかで、有名なドラゴンクエスト、略してドラクエをとりあげてみたい。

ただ、マーヒーは任天堂のファミコン時代のドラクエⅠ~Ⅳまでしかプレイしたことがない。
プレイステーション2は持っていて、たまにスポーツゲームにうつつをぬかすので、
今すぐドラクエⅤ~Ⅷを買ってきてプレイすることは不可能ではないのだが、
いったんロールプレイングゲームというものを開始してしまっては、その止め難いことも
ハマりやすい自分の性格も少しは知っているつもりなので自制している。

たぶん、長生きできればⅤ以降のドラクエは、飽きるか死ぬかという状態で
老後にプレイすることになると思う。

というわけで、すでにネット上のどこかのホームページかブログで、このドラクエと
トンプソン博士の人類の基本的関数との関連、もしくはユング派心理学との関係が
どこかで論じられているものと思っていた。解剖学者であり、脳学者であり、なおかつ
作家でもあり、さらになおかつTVゲームの超ヘビープレイヤーである養老孟司先生
あたりがすでに論じているような気がしていた。

ところが、いくつかの検索エンジンで調べてもなかなか見当たらないので、
ブログ記事としてはかなり長くなるが、この草仏教ブログにて論じていきたい。

まず、ドラゴンクエスト(竜を征服・克服する)というこのゲームのタイトルが意味深だ。

ドラゴン、すなわち東洋で竜、あるいは龍と表記されるイメージは、
仏教の守護を示すシンボルであり、それで寺院の彫刻や装飾などに用いられることが多い。
(以下の文章は『平凡社大百科辞典』から多くを参考にさせていただいたが)

西洋においても、ドラゴンの語源はギリシャ語の蛇を意味する言葉らしいのだが、
強大な権力や豊穣の象徴であり,授精力をもつ地霊の性格をあらわすという。
ドラゴンは畏敬の対象であり、古代ローマ軍は竜の旗を掲げ、西ヨーロッパ(特にイギリス)
では王家の紋章に用いられた。北ヨーロッパにおいても竜は海軍の象徴であり、
バイキングは船のへさきに竜の頭を飾った。
したがって,この恐るべき地霊を殺害し,大地の秘密や恵みを人類に解放する英雄は
西洋各地の建国伝説などに繰り返し登場することになる。
ギリシア神話の怪物ピュトンはアポロンに射殺されて、同地の支配を人間の手にゆだねる。
テーバイの建設者カドモスはアレスの泉を護っていた竜を斬り殺す。
それから、これはワーグナーの過激な歌劇で有名であるが、ゲルマンの叙情詩では
「ニーベルンゲンの歌」に登場する英雄ジークフリートも竜を殺す。

これら竜を殺すというテーマについてユング心理学では、
混沌の象徴である竜が殺されて秩序が生じる過程を人間の意識の発展
と解釈するようだ。

つまり、ドラクエばかりをやっているドラクエ・ジャンキーは、今や日本中どころか世界中に
ものすごく多くいるような気がするが、これをユング派心理学から見るのならば、
  混沌の象徴であるドラゴンをコントローラーを駆使して退治していって、
  その退治によって生じる何らかの秩序を通じて自らの意識の発展を託している
  のではないだろうか。


ドラゴンクエストの開発者が、このことを意識していたかどうかはわからないが、
いい大人でも徹夜をするものが続出し、社会現象になったほどハマる者が続出した、
そのハマりっぷりを見て、さらにⅣまでとはいっても一時期ハマった経験をもつ者と
しては、その心理的な理由としては納得してしまうのである。

さて、長くなりすぎたので続編を書く。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-08-28 01:26 | 草評


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