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2006年 10月 19日

子守唄について(1)

松永伍一という方をご存じだろうか。親鸞研究の分野でも有名であるが、子守唄の研究について第一人者といってもいいのではないだろうか。

この人が2003年の5月頃に毎日新聞に寄稿した「子守唄についての考察」の文章が、実に目からウロコだった。(痛恨の切り抜きのし忘れのまま紙ゴミ集配の日を何気なく過ごしてしまった)

一つには、子守唄というものは、赤ちゃん(または幼児)を癒す役割を担っていると考えられているが、赤ちゃんを癒す以前に、実は子守唄を歌っている本人を癒す役割が大きいというのだ。言語は理解しないものの、雰囲気の察知などの感覚だけは信じられないほど敏感な赤ちゃんは、その歌い手の安らぎを感覚的に察知して安心して眠ることができると松永氏は言う。

まさに、赤ちゃんを抱いているつもりが、実は抱かれていたのかもしれない、ということを考えさせてくれた卓見だった。そういえば、子守唄というものは強い方言などでわかりにくいものが多いが、歌詞は日本のブルーズというか、嘆きや悲しみや、少なくとも哀愁に満ちていたり、時には「泣きやまねぇと耳を食いちぎってやっど」的な過激かつ残酷な歌詞内容も多いのだ。

もう一つの松永氏の提言が、21世紀に入った時代の新しい子守唄が担う役割への提言で、寝たきりになった老人たちに、その老人が子どもの頃に聞いてきた子守唄を唄ってあげるということができないだろうか、というこちらもマーヒーには考えもつかなかったことだった。

うーん、子守唄というか、私は究極のお別れの時には「お休みなさい」と言いたいと思う。

生後もうすぐ六ヶ月の娘(三番目)であるが、男の私の役割としては、子守唄よりも、もう少し大きくなってから、寝かしつけのためのかなりバカ話の部分が強調された勝手にその場で脚色して語る落語を話してやるような役割の方が大きいとは感じつつ、たまに必要に応じて子守唄のようなものを歌う時がある。眠ってくれる率が高いのが、超スローテンポでちょっとブルーズっぽく歌うキャンディーズの「年下の男の子」と、ボブ・マーリィのNO WOMAN NO CRY だ。

この2曲に込めるマーヒーの哀愁の感情が、6ヶ月の赤ん坊にはわかりやすいようだ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-19 00:20 | 草仏教


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