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2006年 11月 28日

今日は親鸞聖人のご命日

旧暦であるが、今日11月28日は親鸞聖人のご命日である。
(新暦だと毎年1月の中旬あたりになる)

今年は行けなかったが、京都の東本願寺で毎年28日午前10時から
御満座〈ごまんざ〉の法要で坂東曲〈ばんどうぶし〉が勤められる。

初めてその法要に出会った人は、びっくりするだろう。
表現は、関係各位には語弊(ごへい)があると思うが、お許しいただきたい。
かなりの人数の僧侶(約60名)が左右上下にスィングしながらのお勤めである。

その声明(しょうみょう)の発声の仕方も独特で、初めてこの法要に接した時の
マーヒーの感想を素直に書くならば、それは仏教の声明というよりも、
イアン・ギランとかオジー・オズボーンとかのヘビィ・メタル系のボーカリストが
間奏の絶頂で声の限界にいどむような雄叫(おたけ)びをあげるのに似ている
ように思えた。

バカにして書いているのではない。素直に感動した。
それまで南無阿弥陀仏の声は、儀式でも静かに出すものだという
先入観がマーヒーにはたっぷりとあったのだ。
その先入観は打ち破ってくれる声だった。
実際、板東曲の声明は、どこか破壊的なものを内在している。

なぜ、板東曲という名称で、唯一今日11月28日だけ
スィングしながら声を張り上げるのか。

その由来は、たくさん聞きすぎて、よくわからない。

板東曲という名称も含めて、いちばん納得できうる説は、『歎異抄』の第二章の
光景が再現されているという説だ。関東の門弟たちが日本列島を横に歩きに
歩き、京都の親鸞聖人のもとを訪ねて「本当の教えとは?」を問い聞きに行った
という究極の聞法会である。その時、親鸞聖人と会うことのできた関東(板東)の
門弟たちの体中が打ち震えるほどの感動が板東曲に込められているという説だ。

いやいや、それは違うぞ、という説もたくさんある。
声明や儀式形態が整うのは親鸞聖人からずっと後のことで、
これは本願寺第八代の蓮如(れんにょ)上人とその仲間がゆれる船のなかで
お念仏をしたことに由来するのだという説などがあり、
それも福井県の方々は福井県吉崎の海説を支持し、滋賀県の方々は
琵琶湖説を支持する。

新潟県では、船説支持ではあるものの、やっぱり親鸞聖人の時代で流罪(るざい)の
時の越後の海だというご当地説を聞いたことがある。

しかし、いくら何でも越後でも板東というにはいささか大ざっぱ過ぎる地理感覚
なので、確かな発祥の由来としてはいささか無理があると思う。
福井や滋賀ならなおさらである。

大事なことは、この板東曲が、『歎異抄』の第2章も想起させるし、
船も連想させるということだと思う。

こういうことに好き嫌いでものを言うと怒られるかもしれないが、
マーヒーは船説が好きだ。確かな由来としては無理があるものの好きである。

だって、たとえば「光」などを救いの象徴とするのは、これはそうしない宗教の
ほうが少ないぐらいだが、「船」というものをその比喩(ひゆ)にするのは、
これはお念仏の教えの独自性だから。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-11-28 11:06 | 草仏教


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