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2007年 10月 06日

正力くんとナベツネくん(1)

数日前、巨人人気の凋落(ちょうらく)について、
マザーテレサの至言を引用させてもらいながら語った。

原辰徳監督が「ジャイアンツ愛」を標榜(ひょうぼう)し、
セリーグ優勝を果たしたのに大衆の無関心と対峙(たいじ)している。
ドラゴンズやタイガースとの戦いにはプランはあっても、この
大衆の無関心との戦い方は極めて難しい。

「ジャイアンツへの無関心」と日本テレビがどう向き合っていけばいいのか
を示唆するための論考をしようと思ったが、そのために
巨人(ジャイアンツ)の創始者といっていい正力松太郎さんと
あのナベツネ(渡邉恒雄)さんの経歴を調べていたらあまりにもおもしろ過ぎた。
極端にいえば、日本の歴史の勉強にもなるのでしばらくはこの二人と
巨人、それから日本テレビについて語らせていただきたい。

巨人の創始者といっていい富山出身の正力松太郎さんは、
1907年に東京帝国大学法科大学独法科に入学している。
東京帝国大学はもちろん今の東京大学だ。
本人がやっていたスポーツは柔道で、これは最終的には十段になっている。

1969年のご本人の葬儀は日本武道館でおこなわれており、
なぜ今に至ってあの24時間テレビのマラソンランナーの最終目的地が
日本武道館なのかという必然性を知った気がした。

マーヒーは職業柄、「あれっ?」と思う場所で葬儀があった場合に、
その必然性を知りたくなるのだが、これはもう当たり前すぎる理由があった。

この正力松太郎さんが、かつて武道会館建設議員連盟会長であり、
あの武道とロックの堂殿である武道館という場所自体、正力さんが建てたと
いっていいハコなのだ。
1962年に財団法人日本武道館初代会長となっており、
同じ年に駒澤大学より名誉博士号を授与されている。
なぜ出身の東京大学ではなくて駒澤大学なのだろうか?
どうも駒澤大学が上祖師谷グラウンド(野球部合宿所)を購入する際に
尽力したことに対する顕彰があったようだ。


さて、正力松太郎さんは
東京帝国大学法科を卒業(1911年)後、内閣統計局に入る。
すぐに1912年11月に高等文官試験に合格し、
翌年に警視庁入庁し、1914年6月には警視に任官され
日本橋堀留署署長となっている。

エリートとはいえ出世が早いなぁと思う。
この後もトントン拍子で出世するのだが・・・
というよりも、どうも正力さんは帝大(東大)卒で警察関係に入った先駆者なのだ。
後に、今でいう三面記事の充実ぶりが読売新聞の拡充につながる
のだが、そこにもこの警察とのコネクションが重要な要素に
なっている気がする。
今のジャーナリズムでも警察発表とその根底に流れる数々の情報の
裏取りがたいへん重要だ。

1918年10月に米騒動鎮圧の功績で勲章をもらっている。

1923年9月にあの関東大震災があるのだが、震災に際しての
「朝鮮人暴動の噂」の流布に、この正力さんがかなりからんでいるようだ。
1944年の警視庁での講演で、この虚報を「失敗だった」と発言
(石井光次郎著『回想八十八年』)しているのだ。
「デマであり、失敗だった」と言うような立場にいたことだけは推測できる。

1924年1月に虎ノ門事件を防げなかった責任を問われ懲戒免官となっている。
直後にのちの昭和天皇の婚礼があって恩赦。
読売新聞の経営権を買収してすぐに社長に就任しちゃう。

1934年に大リーグ選抜チームを招聘(しょうへい)して巨人軍を創立するのが
今に至るジャイアンツの濫觴(らんしょう)ということになるのだが、
ここに至る過程がおもしろすぎます。
続きは次回に。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2007-10-06 00:19 | 草評


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