2007年 11月 21日

不幸のずんどこ研究(5)

人間の心理というものは、大きな問題や課題に直面して苦しんでも、
試行錯誤の末、状況に好転の兆しが見えるならば強いところがある。
その問題を共有する仲間が見いだせればさらに強い。

ところが、クラリネットをこわしちゃった「ボク」は孤独であり、
(少なくとも問題に共に取り組む者の姿は歌に現れてこない)
懸命の努力はしているのであるが、状況に光明が見えてこない。
むしろ、もがけばもがくほどに状況は悪化し、出ない音が徐々に増えていく。

スーパーに自転車で買い物に行き、買い物がカゴに入らなかったで
ポリエチレンの袋をハンドルにつけ、懸命にバランス操作をしながら
自転車で走っている最中に、その袋が徐々に破けてくるのが視界に
入った時のことを思い出す。
大きなストレスを抱えながら何とか自宅近くまでたどり付いたのだが、
あと少しという時に買い物したものは崩壊しながら路上に散らばり、
自転車も転倒。
しかもそこににわか雨まで降り出した時には泣きそうになった。
人間の心理は、大きな問題に立ち向かう時よりもこういう状況に極めて弱い。

♪ どうしよう どうしよう

と、「どうしよう」という言葉が歌のなかではリフレインされているが、
「どうしよう」というような思考の試行錯誤は重要だ。
わたしたちは「どうしよう」というような状況を立ち往生と言う。
「車の立ち往生」などという言い回しを、「往生」というような仏教の言葉を
そのように使うのは不謹慎だという立場をとる人もいるが、
トントン拍子に運んでいる日常を見直してみる状況、
困難に陥った時に、思考のかなり深い部分を使ってそれに愚案をめぐらす
ということは大切なことのように思う。

♪ どうしよう どうしよう

こう、リフレインしながら「ボク」は深い思索をしているようだ。
私がこの一家を「クラリネットの家元的な系統なのではないか」と推論して
きたのだが、その根拠のひとつに歌詞の3番では
「パパに見つかったら怒られる」
という内容の言葉がおりこまれている。
ただならぬプレッシャーを「ボク」は背負いながらの
♪どうしよう、である。
推論では、タンポという部品に羊の腸が使われているために湿気に弱く、
それによって徐々に音が出なくなってきているのであるが、
そういうタイプのクラリネットであり、それは相伝されてきた大変な銘器なの
だろう。

そのボクは、思いもかけなかった言葉を口にすることになっていく。

まだ続く。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2007-11-21 22:45 | 草評


<< 不幸のずんどこ研究(6)      不幸のずんどこ研究(4) >>