2007年 12月 16日

歴代の「今年の漢字」はその年を思い出させてくれるか?(2)

1996年の漢字(日本漢字能力検定協会選)は



だった。
実はこの字は「偽」が「今年の漢字」に選ばれた2007年の今年の次点だ。
10年以上過ぎているとはいっても、同じ漢字がまた再び選ばれるという
こともあるのだなぁと思った。

さて、この1996年の社会事象でもっとも印象に残っているのは
アトランタオリンピックであり、モハメッド・ブリアリによる
聖火点灯は本当のサプライズであった。

1996年に、この「食」の字が選ばれたもっともはっきりした理由は
病原菌Oー157による集団食中毒の多発である。

個人的にいろいろなことがあった年だが、「食」の字に限定しながら
この年をふりかえると、恥ずかしながらこの年に私は激太りしている。
1年前まで78キロ前後だった体重がこの年に最高94キロにまで増えていた。

恥ずかしいお話が、10年以上を経た今なら何となくこういうブログという
ものにも書けるが、ストレスで過食症のようになっていたのだと思う。
もっといえば、どんなに努力しても埋まらない心の穴を食べ物で埋めようと
していたような気がする。
満腹でなければ眠ることができなかったような
当時の状態をひきずっていれば、私は今、生きていないだろうな。

26歳ぐらいまでの私は体重が70キロに満たず、(身長は180センチほど)
ホントウの話としてずっと巨漢に憧れていたのだが、実際に巨漢になってみると、
それはみっともないものだった。
スポーツは、年に6回ほど草野球の試合に出るぐらいだったが、
本来の私ならランニングホームランになるような打球がギリギリの3塁打に
なり、しかも3塁ベース上でずっと息切れをしている状態をきっかけに
減量を心から誓った。
(そんな決意も野球が契機かい!)




本来78キロぐらいの者が94キロにまでなった時、どうやって減量するか?

当たり前のようだが、やはり「食事と運動」という王道にいきつく。
○○ダイエットみたいなものだけに頼るような方向にいかなくてよかった。

まず、食事の方だがカロリー計算というようなものは自分にはむかないので
自分の性格を考えに考え抜いた作戦が
「夜の朝ご飯生活」というものだった。

事情を書くと長くなるが、マーヒーは18歳以降結婚をするまでずっと
朝ご飯というものを食べないライフスタイルが続いていた。

そこで、何となく考える「理想の朝ご飯」というものを夜に作って食べるという
作戦をとったのだ。

夜10時に帰宅するとする。(当時は忙しかったなぁ)
まずお風呂に入るが、自分の心のなかで
「これは夜のお風呂に入っているのではなくて朝風呂に入っているのだ」
という暗示をかける。

お風呂からあがると

アジの開き、イカの塩辛、ひき割り納豆、 ノリの佃煮、
なめたけおろし、じゃこおろし、梅干し

などなど、「理想の日本の朝ご飯」のようなメニューを作って夜に食べた。
桃屋さんや永谷園にはたいへんお世話になった。
これらは、夕ご飯としては粗末に見えても想像力を働かせて
「今は朝風呂からあがってきたばかりであり、豪華な朝ご飯なのだ」
と思うことで心を満腹にするイメージ・トレーニングだったのだ。

実際、当時の日本人というのは世界一豪華な夕ご飯を食べつつも、
どこの国よりも劣った朝ご飯を食べるか朝食は抜きという人が多かった
のではないだろうか。

「夜の朝ご飯定食」はしみじみ美味かった。
減量中であるにも関わらず、深夜の運動(後述)をしない日などは
ビールの大瓶なんかも1本か2本、よく飲んだ。
夕飯にビールを飲むなんていうことはごく当たり前のようなことだが、
その時のイメージでは「朝風呂の後の朝ビール」であり、これは
とても特別なごちそうなのだ。
「さて、朝風呂と朝酒ときたら朝寝を決め込むかぁ」
というイメージを働かせて、夜の12時に普通に寝るのだった。

さて、運動の方だが、ビールを飲まない日には
「夜の朝ご飯定食」 を食べた後に自転車で10分ほどの場所にあった
(今思うと、この自転車での行き来の10分もいいウォーミングアップと
クールダウンになっていたと思うぞ)
練馬区の光が丘公園の真ん中にある400メートルの陸上トラックの
外周の芝生の部分を大ざっぱに一周500メートルと計算して
ジョギングをすることにした。最初は石神井公園を走ったのだが、
なんせ94キロにまで体がふくれあがっているので、
芝生の上を走らないとひざなどへの負担が大きかったのだ。

最初から「深夜の光が丘公園内を一日5キロ走る」という目標を立てていたが、
最初の頃は5キロを休まずに走りきることが実に困難だった。
なんせ94キロ時代の私は百メートルですでに息切れしていたのだ。

そんな時に
ゆっくり走れば速くなる
という考え方を知ることができたことは幸いだった。
今みたいにスローフードとかスローライフなんか言わなかった時代だ。

具体的に「ゆっくり走れば速くなる」は、
佐々木功(元日本電気ホームエレクトロニクス陸上部監督1943~1995)
さんが提唱したLSD(long,slow,distance)で、
文字通り「時間をかけて、ゆっくりと、長い距離を」走ることがLSDなのだが、
LSDというのは同名の幻覚剤があって、
「加藤は最近激太りからやせていっているのは深夜にLSDをやっているらしい」
というのは実に人聞きが悪かったのだが、
LSDは考え方からして実に素晴らしい逆説にして真理だった。

LSDでの走るスピードは細かく言えばケースバイケースであるが、
5キロを走るスピードが 「45分以上をかけて」 である。
くどいようだが、「45分以内」ではなくて「45分以上」である。

実際にタイムを計って走ってみればわかるが、5キロ45分というのは
笑っちゃうぐらいスローなジョギングである。
深夜に光が丘公園でイヌを連れて散歩している人にも抜かれる。
大阪の梅田駅前を乗り換えのために早歩きしているサラリーマンよりも
確実に遅いスピードだ。

しかし、LSDの走り方で45分以上、時には1時間以上走った後の
エネルギーがわき上がるような爽快感といったら他に当てはまるものがない。
なんせ生まれてから
「もっと速く・がんばれ・必死でやれ」
と言われ続けてきた文化を背負って来た自分が、自分で自分に
「もっとゆっくり・がんばるな・ムキになるな」
と語りかけながら走るのだから、これは肉体改造であると同時に思想改革だった。

「朝ご飯定食」(そういえば「食」がテーマだった)
も相当な効果があったが、このLSDが思想的にも抜群の効果があった。
「そんなに急に体重を落とさなくてもゆっくりでいい」
と思えたからだ。

LSDの走り方をしていると、本能的に
「もっと速く走りたい」
とも衝動的に思えるようになった。
慣れてきた時に、その本能を爆発させるようにたまには全力で走った。
その時には長距離走が苦手だった自分には信じられないタイムが出た。
いつも深夜にイヌを連れて散歩してしたオッサンが信じられないような目で
そういう時の私を見ていた。

LSDにハマりにハマって(どうも同名の幻覚剤のせいで人聞きが悪いなぁ)
とうとう翌97年のハーフマラソンの大会のエントリーカードまで出した。

ハーフマラソンを完走した直後の体重は77キロ。
体脂肪率は17パーセント。(96年の最大時に33パーセント)

努力でやせたというのではなく、自分自身と語り合える方法をピンポイントでは
あるものの見つけたために、本能が適正な身に戻してくれたという気がした。

「食」も大事だ。
本能が何を食べたがっているか、偏見を捨てて自分自身と語り合わなければ。


マーヒー加藤
(現在は81キロ)
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by kaneniwa | 2007-12-16 23:39 | 草野球


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