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2007年 12月 28日

不思議ということ

不思議とか不可思議という言葉は、
思議という人間の頭で計算ずくで考えることを越えたという意味だ。

『蓮如上人御一代記聞書』というものを読んでいると、
その78条にこんなエピソードが記されている。

法敬坊さんという方が

「蓮如上人がお書きになった南無阿弥陀仏の文字が
焼けたら六体の仏さまになったそうですよ・・・
不思議なことがあるもんですね」

と言うと、蓮如上人は

「南無阿弥陀仏の六文字はもともと仏さまなんだから、
焼けて出てきた煙がどのように見えるかはしらないけど、
仏が仏になったんだから別に不思議じゃないでしょ!
それよりも、大悪人が南無阿弥陀仏を称えて仏になるという
ことこそ不思議なんでしょ!」

(超訳BYマーヒー)

と答えておられる。

何だか、先日の雲(神の手)の写真で、このことを思い出して本を開いた。

中世の日本人は当たり前のように
「成仏したい」「往生したい」「仏に救われたい」 と願っていた。
今とでは何だか時間の距離感が強くあるので、さらに超訳をしなければ
ならないとも感じる。

今、ここに自分がいるという不思議にくらべたら、
たいがいのことは不思議じゃないでしょう

大事な人に出会えたという奇跡にくらべたら、
たいがいのことは奇跡じゃないでしょう

まあ、ここまで言うと超訳というより飛訳かもしれない。

不思議とか不可思議という言葉は、
思議という人間の頭で計算ずくで考えることを越えたという意味だと
冒頭で述べたが、英語で不思議はwonderで、
形容詞(または感嘆詞)形はwonderfulであり、
まさに人間の頭での計算ずくの世界を越えた時に発する
最大級のほめ言葉でもある。

室町時代の蓮如上人からさかのぼって鎌倉時代の親鸞聖人が
書かれたものを読んでいると、どうも「不思議」と「不可思議」は
wondefulの意味で使われているようだ。


世間ではわからないことを不思議と言うが、
仏法ではわかったことを不思議という
 (安田理深先生の言葉)


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2007-12-28 23:33 | 草仏教


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