2008年 03月 02日

追悼記事(3) 江藤慎一氏

プロ野球の中日、ロッテなどで強打者として活躍し、
史上初めてセ、パ両リーグで首位打者になった
江藤慎一氏が2月28日に70歳で亡くなられた。

葬儀・告別式は3月5日の午前10時から
桐ケ谷斎場(東京都品川区西五反田5の32の20)である。

熊本商高から社会人の日鉄二瀬を経て1959年に中日に入団。
64年から2年連続で首位打者。
71年にはロッテで首位打者となり、
史上初めて両リーグでの首位打者獲得を達成し、
その後大洋(現横浜)でもプレー。
75年に移籍した太平洋(現西武)では兼任監督も務めた。

マーヒーは首位打者を取っていたような時代の江藤さんの記憶はない。
1975年以降しばらくの時期の太平洋
(この頃の太平洋は球団名がコロコロ変わる時期だったが、
確かクラウンライターかクラブライオンズの時代だ)
の、特に兼任監督だった時代の記憶が、当時、たまにNHKが
プロ野球のTV中継をやるような時に食入って見ていた。

私が見ていた時代、東尾修が太平洋のエースだった。
私がTVで見た試合は、確か江藤さんは9番DH(兼監督)で出場していた。

記憶違いかもしれないが、確か、その試合でショートを守っていたのは
デビューしたばかりの若い真弓(のちに阪神)だったような気がする。
解説の川上哲治さんが、
「この名前で活躍すれば女の子にもてる」
というようなことを言ったので覚えている。
逆に、監督が9番でDHで出場している江藤さんについては
「邪道だ」
というひと言で切り捨てていたような気がする。
マーヒーは「柔軟な発想」のように思って見ていたのだが・・・

そういえば川上さんと江藤さんは同じ熊本で同郷なんだなぁ。

選手として夏場にものすごく強く、
その理由を尋ねられた時に
「日鉄二瀬時代は鉄を溶かす作業をしていたから夏の熱さなんて平気」
と語っておられたのを、どこでかはわからないが読んだか聞いた
記憶もある。

なので、「アイアンマン」 といえば、ゲーリックや衣笠選手よりも、
江藤慎一さんのことを思い浮かべていた。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2008-03-02 00:35 | 草評


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