草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2008年 05月 27日

せんとくん と 妻と娘のイメージのなかのせんとくん

b0061413_229344.jpg平城遷都1300年記念事業協会は選定委員が東京芸術大大学院教授で彫刻家の籔内佐斗司氏が描いたキャラクターをマスコットとして選び、500万円で著作権の譲渡を受けた。(このキャラクター創出のための費用はその著作権譲渡の500万円を含む1018万円だと言われている) このキャラに対する賛否(否が多い)両論は激しく、仏教関係者からは2008年3月27日に奈良市と周辺の寺院の僧侶などが参加する親睦団体である「南都二六会」が、このマスコットの再考を求める要望書を提出した。 2008年4月15日、キャラクターの愛称が「せんとくん」となる。 直後の4月26日に長野市で行なわれたオリンピックの聖火リレーでは、なぜか中国政府のチベットへの弾圧を訴える団体がそのシンボルとしてこの「せんとくん」を掲げていたのをテレビで見た。 それを見て、逆に(そういう意図があったとすれば確かに) 「私は中国政府が言うような悪魔じゃありませんよ、私の頭に角がありますか?」 と、お茶目に両手で角をつくってみせたダライ・ラマの顔を思い浮かべた。 せんとくんはお釈迦さまや仏像ではないという作者の声明もあるものの、額(ひたい)の中心にあるのは、やっぱりどう見てもお釈迦さまのシンボルである白毫(びゃくごう)ではないかと感じるし、千昌夫でもモデルにしたのでなければ、やはり釈尊像から取り入れたシンボルではないかと思うのである。 このキャラクターを使用するにはファクシミリなどで許可を得なければならないのであるが、「報道」として引用されている場合はその限りではないようなので、いくつかあるせんとくんのポーズのなかで、「まさに仏の死を予感させる涅槃(ねはん)図ではないか」という意見の多い寝ころぶせんとくんのポーズを「報道として」引用する。 マーヒーの感覚としては、お金の話だが、素直に 「500万円というのはどうかな?」 と感じた。ドラゴンクエストの鳥山明先生に複数のキャラを推考させて描かせてやっとそれぐらいなのじゃないかなぁ? そして、やっぱり素直な感想として、この涅槃の図は抵抗があるなぁ。


b0061413_229589.jpgせんとくんを論じていて何だが私は平城遷都1300年よりも普段の奈良の方によっぽど関心がある。 ところで唐突に私は妻のシャラポア(日本人)に「せんとくんを描いてみろ」と命じた。実は私はイラストレーターとしてのシャラポアを昔から非常に高く評価している。家のゴミ箱に、いろんな意味でビックリするイラストが丸めて捨ててある。ドヴォルザークの部屋のゴミ箱を見たブラームスの心境になってしまう。本人は、その才能をまったく知らないでいるようだ。既成のキャラを描いているつもりでそれを曲解(きょっかい)し、いつの間にか独自のキャラを育て上げるという恐るべき才能だ。それはよく言えば黒人霊歌やアメリカ先住民のメロディに着想を得て独自のメロディを作り上げたドヴォルザークの才能にも近いのかもしれない。 マーヒーは、突如、 「おい、せんとくんを描いてみろ」 とノートを差し出した。 「あ、せんとくんは特徴だらけだから完璧!完璧!」 とササッと描きだしたのがこの図である。
シャラポアのイメージのなかのせんとくんは、とにかくツルっとしているイメージがあるらしく、顔の光沢を強調している。さらに、大きな二重まぶたは合っているとして、睫毛(まつげ)が大きく描き加えられていた。「えっーとね、着ていたのは確かタンクトップみたいなものだった」 と言いながらタンクトップ状の服を着せ、小学生が名札を付けているように「せんと」と書き加えた。そして偉大な勘違いというべきか、念珠をもってお参りしている姿を描いた。 白毫を忘れなかったのはサスガというべきだろうか。書き込みすぎて千昌夫のホクロと区別がつかなくなっているが、ちゃんと右巻きでグルグルと描き加えていた。 これを本人が何度も、「あれっ、こんなんじゃなかったな!」 と言いながら何度も書き直しをしていくと、最後には洗練という言葉が合っているかはわからないが、まったく独自のキャラクターが育っていくのがシャラポアの特徴だ。 その他、シャラポアの描いたプリングルスおじさんのイメージや森永チョコボールの鳥ではないキョロちゃん、NHK英会話の犬のチャロなどは傑作である。マーヒーのノートに描いてくれたものが数点ある。

b0061413_22102235.jpg同じ時に、9歳の娘も 「私もやってみる!」 と言いながらB5のコピー用紙に左の絵を描き出した。娘は、5歳ぐらいの頃からか、あるいはもっと前からか、いわゆる 「ゆるキャラ」 というものが大好きで、マーヒーはある意味で 「キャラクターの評論家」 としての娘の意見を信頼しているようなところがある。娘の「せんとくん」への評価は、「キモい。キモ可愛いというのではなくてキモい。せっかくシカの角が生えているのだから、可愛いシカのキャラになったらよかったのに」 ということだが、奈良の東大寺に行ったこともないしその存在すら認識していない娘の意見なのに、これが案外、非常に的確な評論のように思えてならない。 さて、絵の方だが、睫毛でなくて大きな二重まぶたは正解。ただ、母娘とも、あの細い眉毛は忘れていたね。 娘のイメージの場合は両手にミサンガっぽい念珠を身につけいていた。裸足というのは合っている。サスガだ。白毫も、ホクロとは区別がつかないが、とにかく忘れずに書き加えている。服の方は、インドのサリーともソクラテスの着用していたターガとも、どっちとも判断できないようなものを着用している。まあ、せんとくんの服装も何とも言えないのであるが・・・ただ、その服に入っているラインはデザインではなくてシワを表現しているようにも思え、そこはなかなか当っている。ただし、娘の場合もさすが母の娘であって、ほとんどの人がこの絵をみて、この文脈でのブログ記事でなければせんとくんを描いたというよりも独自のキャラを描いたとみてくれるだろう。マーヒーとしても、上のシャラポアの絵を 「ルイスくん」 と名づけ、娘の絵を 「オマイリーちゃん」 と名づけ、今後はせんとくんとはまったく別な独自のキャラとして育てていって欲しいと願っている。  


マーヒー加藤 

[PR]

by kaneniwa | 2008-05-27 22:59 | 草評


<< 妻のイメージのなかの森永のチョ...      原子力より原始力 >>