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2008年 07月 11日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第217段)

或大福長者の云はく、
「人は萬をさしおきて、ひたぶるに徳をつくべきなり。
貧しくては、生ける甲斐なし。
富めるのみを人とす。
徳をつかんと思はば、すべからくまづ其の心づかひを修行すべし。
其の心と云ふは、他の事にあらず。
人間常住の思に住して、かりにも無常を觀ずること勿れ。
是れ第一の用心なり。
次に、萬事の用をかなふべからず。
人の世にある、自他につけて所願無量なり。
欲に隨ひて志を遂げんと思はば、百萬の錢有りといふとも、
暫くも住すべからず。
所願は止む時なし。
財は盡くる期あり。
限りある財をもちて、限りなき願ひに隨ふ事、得べからず。
所願、心にきざす事あらば、我を亡ぼすべき惡念來れりと、
かたくつつしみ恐れて、小要をもなすべからず。
次に、錢を奴の如くして使ひ用ゐる物と知らば、ながく貧苦を免るべからず。
君の如く神の如く恐れ尊みて、從へ用ゐること勿れ。
次に、恥に臨むといふとも、怒り恨むる事勿れ。
次に、正直にして約をかたくすべし。
此の義を守りて利を求めん人は、富の來る事、火の乾けるにつき、
水の下れるに從ふが如くなるべし。
錢つもりて盡きざる時は、宴飲聲色を事とせず、居所をかざらず、
所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く樂し」
と申しき。

抑々人は、所願を成ぜんがために財を求む。
錢を財とする事は、願ひをかなふるが故なり。
所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらんは、全く貧者と同じ。
何をか樂しびとせん。
此のおきては、ただ人間の望をたちて、貧を憂ふべからずときこえたり。
欲を成じて樂しびとせんよりは、しかじ、財なからんには。
癰疽を病む者、水に洗ひて樂しびとせんよりは、病まざらんにはしかじ。
ここに至りては、貧富分く所なし。
究竟は理即に等し。
大欲は無欲に似たり。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第217段)

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ある超のつく大金持ちが言うには、
「人というのは何をさいおいても、ただひたすら金を作るしかない。
貧乏だと生きるモチベーションが高まらないのだよーん。
へっへっへっ、ワシは金持ちだけを人だと思っておる。
金持ちになりたいと思ったら、これからワシの言うことをよく聞いて、
まずその心がまえから勉強していくのがいいじゃろう。
なーに、そんなに難しいことじゃない。
世間は変わらないという考えにとどまって、仮にでも無常を感じてはいけない。
これが第一のポイント。
次だけど、何でも自分の思い通りになると思っちゃいけない。
生きていれば、自分のことでも、他人のことでも、やりたいことなんて
果てしないものだ。
そんなにたくさんのやりたいことの予算を計上すれば、100万ユーロあったって、
手元にそんなに残るわけはない。
欲望に限りはなく、予算には限りというものがあるのだ。
その限りある予算をもって限りない欲望に対処しようとしているのだから、
欲望を満足させようなんてことは、最初からできないことなんじゃ。
じゃから、欲望の心が萌えてきたら、自分を滅ぼす恐ろしいものが
やってきたと思って、そういうときこそ用心して支出を抑え、ささいなことからでも
節制して節約しなきゃならない。
次のポイントだけれども、お金を自分の家来や部下だと思って使っていたら、
当分、貧乏から抜け出すことはできないね。
お金を上司や神様のように思って、もったいなや~と尊敬して、
お金に使われていることを思い知って使わなきゃいけないね。
次のポイントにいくよ。
お金に関して恥ずかしい思いをしても決して怒ったり、恨んだりしちゃダメだよ。
それから、お金に関しては嘘をつかず、約束は絶対に守らなきゃ。
以上のポイントを忘れずにお金を稼いでやろうと思うなら、
お金がわんさか転がってやってくることは間違いなしだよ。
そりゃもー乾燥したところでの火のような勢いで、
高いところから水が低いところに流れ込むようなもんだ。
そうやってお金が貯まって数え切れないぐらいになると、
宴会や音楽会やおねーちゃんたちのことなんかはもうどうでもよく、
住むところを飾ることなんかもどうでもよく、
願いが全部かなうわけではないけれども、それもどうでもいいから
心はおだやかだし、楽しいもんだよ」
と語った。

だいたい人間は欲望を成し遂げたいがためにお金を欲しがるのだ。
お金が財産になるということは、お金が欲望を満たしてくれるからだ。
欲望があるのに我慢して、お金があっても使わないのは貧乏と同じだよ。
このお金持ちはいったい何が楽しいのだろうかね?
ただ、このお金持ちのお言葉は、逆に世俗的な欲望から離れると、
貧乏だってこわくないということを教えてくれるね。
欲望を金で満足させて楽しいと思う人だって、
金がないのに楽しんでいる人には及ばない。
オデキができてしまって、「水浴びするとちょっと楽だね」と思うより、
もともとそんな病気にはならない方がいいのだ。
こうしてみると、金持ちも貧乏も、そんなに変わらないね。
仏教でいう最高の悟りと最低の迷いは、
案外と近いものだというか、同じものだという理論にもうなずける。
結論。
大金持ちが目指すはるかな野望と、
金がなくても楽しく生きたいという無欲は、
とってもとっても似ているのだ。

超訳BYマーヒー

by kaneniwa | 2008-07-11 00:54 | 徒然草


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