人気ブログランキング | 話題のタグを見る

草仏教ブログ

kaneniwa.exblog.jp
ブログトップ
2008年 08月 05日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第219段)

四條黄門命ぜられて云はく、
「龍秋は、道にとりてはやん事なき者なり。
先日來りて云はく、
『短慮の至り、極めて荒涼の事なれども、横笛の五の穴は、
聊かいぶかしき所の侍るかと、ひそかに是を存ず。
其の故は、干の穴は平調、五の穴は下無調なり。
其の間に、勝絶調を隔てたり。
上の穴雙調、次に鳧鐘調をおきて、夕の穴黄鐘調なり。
其の次に鸞鏡調を置きて、中の穴盤渉調。中と六とのあはひに神仙調あり。
かやうに間間に皆一律を盗めるに、五の穴のみ、上の間に調子をもたずして、
しかも間をくばる事等しき故に、其の聲不快なり。
されば此の穴を吹く時は、必ずのく。
のけあへぬ時は、物にあはず。
吹きうる人難し』
と申しき。
料簡の至り、誠に興あり。
先達、後生を畏ると云ふこと、此の事なり」
と侍りき。

他日に景茂が申し侍りしは、
「笙は、調べおほせて持ちたれば、ただ吹くばかりなり。
笛は吹きながら、息のうちにて、かつ調べもてゆく物なれば、
穴毎に口傳の上に性骨を加へて心をいるること、五の穴のみにかぎらず。
ひとへにのくとばかりも定むべからず。
惡しく吹けばいづれの穴も心よからず。
上手はいづれをも吹きあはす。
呂律の物にかなはざるは、人のとがなり。
器の失にあらず」
と申しき。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第219段)

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第219段)_b0061413_1451080.jpg


四条の黄門さまこと藤原隆資は次のようなことをわたし(吉田)に言った。

笙の名手である豊原竜秋笙は音楽の道で巨匠の域に達している。
先日も、わたしのところにやってきて来て、こんなこと(青字部分)を言った。

何だか勝手で浅はかな思いつきを口にするのも恥ずかしいのですが、
わたしは横笛の五番目の穴には妙な秘密があるように
ずっとこっそり内緒で思っていました。
というのは、笛の二番目の穴はEの音で、
三番目の穴はF♯の音で、その間にはFの音があります。
四番目の穴はGの音、次にG♯の音をはさんで、
次にAの音のある五番目の穴が来ます。
ちなみに夕刻に鳴る寺の鐘の音と周波数がほとんどいっしょです。
その次にB♭の音をはさんで、Bの音のある六番目の穴があり、
その六番目と七番目の間にCの音があります。

このように穴と穴との間には中間の音があるのに、
五の穴のAを出す時は調子が狂ってしまい不快な変な音が出ます。
   (いや、未来からの声によれば、あることはあるのですが、
    B♭のブルーノートのフィーリングは
    さすがに鎌倉時代の耳には過剰に不良っぽく、
    まだまだJAZZやデルタブルーズの良さがわかる
    子孫の感性が開発されるのを待たなきゃいけないので
    600年以上かかります)
 
穴の間隔は等しく並んでいるので調子が狂ってしまって
五の穴の音はきれいに出ないのです。
ですから、この穴の音を出すときには
必ず口をリード部分から少し離す必要があります。
これがうまくできないと他の和楽器とのグルーヴが合いません。
ですから横笛をうまく吹ける人はめったにいないのです。

 
「この男(竜秋くん)はよく考えているなぁ。実におもしろい話だ。
先輩が後輩にシャッポを脱ぐっちゅーのはこういうことかなぁ」
と言った。
 
 ところが後日、大神景茂(おおみわのかげもち)がわたし(吉田)に言った。
(赤字部分)

竜秋がやっている笙(しょう)という楽器は
チューニング命のようなところがある楽器でしょう。笙でしょう?
事前に入念なチューニングを済ませたものを演奏するのだから
笙のプレイヤーはライヴではただ吹くだけでいいのでしょう。
でもね、笛はね、演奏中に微妙なブレスコントロールをしながら
グルーヴに加わっていくの。
だからね、どの穴の音を出すにもね、習った通りにやるだけじゃなくて、
プレイヤー各人が集中力も高めて各々の感性で工夫して吹かなきゃだめなの。
だからね、それは五番の穴の音に限ったことではないよ。
五番だってさぁ、竜秋の言うようにリードから口を離せばいいってもんじゃないよ。
吹き方が悪きゃ、どの穴の音もみんなへなちょこだよ。
どの穴でもグルーヴコンシャスでセッションするんだよ。
調子っぱずれの音を出しちゃうのは楽器のせいではなくて
要するにプレイヤーがヘボだったちゅーことよ。
楽器のせいにしちゃいけないよ。


超訳BYマーヒー

by kaneniwa | 2008-08-05 01:30 | 徒然草


<< 野潟海岸へ (1)  迷ったら...      赤塚不二夫氏追悼 バカボンのパ... >>