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2008年 10月 10日

素粒子のなかの6つのクオーク

このマーヒーは、自慢ではないが、理科という科目は好きではなかった。
学校に行っていた時には、試験というものがあったので、仕方ないから
「試験前だけ、ちょっとは勉強してやるか」 という態度だった。

数学も、中学生の図形幾何学の初歩ぐらいの時期には
「ひらめく瞬間」 の快感のようなものに、ほんの短期間ではあるが
ハマッたような時期があるにはあったのだが、高校での数ⅡB(昔の科目名)
の頃になると、どうも苦手だということになった。
「こういうような数式を覚えてもどうせ役に立つことなんかはない」 
という気持ちがその苦手意識を増殖させた。

それこそ自慢にならないのだが、見事に勉強をせず高校の物理の試験で
0点をとったことがある。その時期、あきれるほど勉強せず、物理の試験を
受けたら0点だったのだ。

国語、社会(歴史、地理など)、英語などの 「文系」 といわれる科目では、
100点満点をとることも難しいが、逆によほど勉強せずに試験に臨んだとしても、
0点をとることもほとんどないはずだ。

物理で0点というものを取った(取ったといえるのか?)時は、
問題が難しく感じたということはあたり前だったものの、
もっとショックだったのが、試験問題の大半について、
「何について何を尋ねている問題であるのか」 がまったく読み取れなかった。
まさに問題外だったのだ。

さすがに0点を続けたら、高校でも留年してしまうので物理も少しは勉強したが、
それは大きな苦手意識をともなっての嫌々ながらの勉強であった。

そのような経験があるので、理系というものは毛嫌いしてきたのだが、
大人になって、「試験がなくなった」 というだけで、だいぶ違ってきた。

マイクロソフト社の Excel というソフトを使うようになって、
高校時代にまったく役に立たないと思った数学の順列・組み合わせの
考え方などは非常に実用的なものとなり、もっと数学のできる同僚は、
微分や積分で見た記憶がかすかにある公式を Excel に入力して
美しい表を作成していた。 それを何だか尊敬の眼差しで見ることになった。

そして、「まさに文系そのもの」 と考えていた 「哲学」 というものが、
実は 「理系とは密接であるどころか、理系そのもの」 という感触まで
もつようになった。

何度読んでもおもしろいような小説は、
非常に美しい数式のような構造をした物語が多いのではないか、
という実感のようなものまでもつに至った。
たまにはアカデミックなオヤジギャグも飛ばさせていただくと、
「美文は微分」
という感じがするのだ。
論理では説明できないはずのフィーリング的なものがあえて分析的に
書かれた文章は、何だかジャンルを問わずに美しい気がする。

さて、非常に長い前置きを述べてしまったが、今年の
ノーベル物理学賞を受賞した南部、益川、小林トリオであるが、
何度報道されても、最初は 「何についてどんな発見をしたのか」
さえなかなかわからなかった。
翌日の新聞の解説のようなものを何度読んでもなかなか理解が
できなかった。

ノーベル物理学賞の内容について、「0点男」 が解説するのは笑止千万
ではあるが、要するに、万物の根元であると思われていた原子は、
昔の高校の化学でも 「もうこれ以上小さいものはないんだよ」 と
習ったが、その後にその原子は素粒子というものによって構成されて
いるということが分かってきて、さらに、どうもその素粒子のなかに
クオークというものがあるらしいということが分かってきたのだ。

小林、益川両氏の研究は、その最小単位のクオークが3つしか
発見されていなかった時代に、物理学的論理性によって
「素粒子のなかのクオークは6つある」 ということを予言し、
それが実証実験において証明されたのだ。

マーヒーも予言をしておきたい。
 「その6つのクオークの中にも何かがある」

これは、やがて、誰かによって発見されることであろう。

宇宙の無限性については、誰もが子どもの頃から不思議に思っただろう。
「ビッグバン以降、宇宙は広がっている」 と教えられ、
もはや人間の想像を越えた、その「広がっているスペースの無限性」 に
誰しも思いをめぐらしたことであろう。

時間というものも、過去はいったいどこまでさかのぼれるか?
未来はいつまであるのか?
だいたいが、過去と未来のどっちが長いのか?

ああ、考えだしたら眠れなくなってしまい、いつも気がついたら眠っている。

原子のなかの素粒子のなかのクオークのなかにも、絶対に 「何か」 あるね。
どこまで細かくできるのか?
これも無限なのだろうね。

すると、宇宙の無限に匹敵するほどのものが私たちの身のまわりに、
勝手に有限と感じている物質なり空間のなかにもあるのだな。

そうなると、ギリシャ哲学のタレスが、「万物の根元は水だ」 といったのを
高校時代の私は 「バカタレス」 とつぶやきながらバカにしながら覚えたが、
現に地球上に水分というものがあり、その影響はどんなに些細でも、またどんなに
ミクロ単位であったとしても万物が受けていることを考えると、
バカタレスと呼んだのはあまりにも失礼だった。
だいたいが、「万物の根元は何なのか」 という問い自体が、非常に尊かった。

その問いが根元となって、今回のノーベル物理学賞の研究につながったという
ことだけは言えるだろう。

益川氏は、お風呂を足でまたぐ瞬間に、そのクオーク6つ論の着想を得た
そうだ。

このマーヒーも、昨晩、お風呂のなかで
画期的な(とまだ決まったわけではないが)
インスピレーションを得ることができた。

そのインスピレーションがまだ新鮮なうちに、忘れてしまわない
うちにここに書きしるしてこの論文 (だったのか?) を終えたい。

すべての物質はダシを出す
ただし、美味しいか美味しくないか、
食べられるか食べられないか、
人間の五感で察知できるか、
そんなことは問題ではない。

すべての物質、万物はダシを出すのだ。
マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2008-10-10 01:41 | 草評


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