カテゴリ:草韻( 4 )


2009年 12月 15日

霊媒 スタンバイ

霊媒 スタンバイ
一人芝居を人一倍
つくばいに腹這い


ドバイ ムンバイ 殿様商売 ヤバイ
売買 横ばい 狼狽
ケンカは両成敗


水商売 越乃寒梅 密売
松竹梅 購買 (完売!)
アリバイ かばい
可愛さ余って憎さ百倍
オートバイ 奪い 四つんばい
Good bye! ♪ Lullaby!


BY マーヒー
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by kaneniwa | 2009-12-15 16:24 | 草韻
2008年 11月 24日

ジョイマン風の韻をふむ (1)

子は鎹(かすがい)
ナイスガイ


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2008-11-24 23:23 | 草韻
2008年 02月 10日

第2回 「くろ」の巻き

この草韻のカテゴリーだが、もうひとつ試作を提示して、
あとは月に1回ほどの不定期連載というような形でいきたい。

さて、2回目だが、今月末には黒人演歌歌手もデビューするという。
「韻をふむ演歌」
というものに手をつけることにした。

ブラックコンテンポラリーならぬブラック演歌のようなものを
韻をふみつつ、山口洋子作詞の「横浜たそがれ」(五木ひろし)のような
世界を踏襲できないかと思った。

曲が付いて歌って欲しいのは、
「蕾」(つぼみ)でオフクロを歌ったコブクロか、
今月末にCDデビューの黒人演歌歌手のジェロである。

曲をはじめる前のDJは、クリス・ぺプラーや赤坂とかではなくて、
玉置宏さんに

「人生にはぁ大事なぁ袋がぁみっつあるとぉ~いわれます
それは福袋、紙袋、池袋」
という感じで、以下、イントロの間、韻をふみながらご紹介いただけたら
最高だ。

ユニクロの浮き袋
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by kaneniwa | 2008-02-10 20:54 | 草韻
2008年 02月 09日

草韻 初回 「いん」の巻 

法事の後、8人ぐらいでお茶を飲んでいたら、
そのなかの若い人(高校生か?とにかく20歳前みたいな感じだ)が
「お経ってラップみたいで何かカッコいいっすね」
と言った。
「何かカッコいいっすね」という、
たいへん漠然とした主観ながらフォローのような文言はあるものの、
彼の言葉に周囲の親世代には一瞬、凍りついたような空気が流れた。

その空気のなかで、マーヒーは、素直な気持ちで
「わしもそう思う」
と答えた。

それを周囲は、その場を柔らかくするため、
若い彼へのナイス・アシストのような思いやりだと、
偉大なる勘違いをしてくれたようだが、
マーヒーは正直なレスポンスとして
「わしもそう思う」
「実はずっと前からオレもそう思ってたんよ」
と答えた。

もちろん、いろんな形式があるので、すべてのお経や偈文が
ラップに似ているのではないが、具体的に、彼が「ラップみたいで」
と言ったのは、その日の法事のなかの仏説阿弥陀経という経典のことだろう。
音木(おんぎ・拍子木のようなもの)も入るので、
パーカッシヴというか、リズムをキープしたりテンポアップさせたりという
ことも入ってくるし、シンコペーションというのか、裏打ちリズムみたいなところもある。

マーヒーは、この仏説阿弥陀経というお経を、15分前後であげる。
いろんな場で他の僧侶といっしょに読経した経験から、だいたい標準時間だろう。
お経は、よむではなくてあげるというが、普通の「読書」の観念でいえば、
20分以内なんて時間で「仏説阿弥陀経」が読めるはずはない。
大学の仏教学だとすれば、この仏説阿弥陀経の講義があったとして、
週に1回、90分ひとコマを1年かけてやって、そして背景なり、言葉のひとつ
ひとつが示唆しているものなりを読むことができるかもしれないというような
ものを、20分以内であげているのだ。
「講読」という概念からいえば、ものすごい無茶なことだ。

しかも、インドの古語が中国の古語に訳されたものを日本人に
「聞かせている」
ということは、言葉(歌でいえば歌詞)のひとつひとつを情感こめて
などということは越えているというか、あきらめてるというか、
「仏の言葉の一端でもいいから潜在意識にとどけ」
「読み手も含めて、せめて聞く人の毛穴から仏の言葉が入れ」
ということになっているのだろう。

思い出すのは、京都市の大宮塩小路に竜岸寺という浄土宗の寺が
あり、ここの住職さんの江島高導さんは1985年頃からレゲエのミニFM局を
寺に設置して24時間放送していたので、
(現在は電波法の改正などでやっていないはず)
マーヒーもラジオをもってレゲエを聴きに行った。
竜岸寺さんの半径100メートルほどで受信でき、
お寺の近所の空き地でラジオを聴いていたら、子どもが
レゲエをBGMにキャッチボールなんかをしていた。

京都の三条木屋町のRUB A DUB というレゲエバーで、
ボブ・マーリーの命日に実際にこの江島さんと会ってお話したことも
あるのだが、(この江島さんは日本仏教史学界でも知る人ぞ知る存在だ)
江島住職さんの紹介してくれたレゲエは、今、ラップと呼ばれているものが
見本にしている、あるいは定型にしている、早い話が「リスペクト」している
というものの原型が多く、
そういうジャマイカのDJスタイルでのリズムにのせたラップ的な表現は、
「当時は」という但し書きも必要かもしれないが、
ものすごく政治的であり宗教的なメッセージ色の強い内容の歌詞を、
猛スピードでリズムにのせていくというものだった。

この、ものすごくメッセージ性の強い言葉を、
リズムにのせつつ、ものすごい早口で演じられると、
メロディラインのようなものは自然と平坦、もしくはシンプルになり、
耳に入った印象は、ものすごくお経に似てくる。

そして、ジャマイカのものもそうだし、英米の「ラップ」といわれるもの、
それから今、ラジオから聞こえてくる
湘南乃風とかファンキーモンキーベイビーズとかETキングなどに
至るまで、おおまかにくくってしまうと、それぞれのファンは不快かも
しれないが、
「歌詞の情報量が多い」
「メッセージ色が強い」
(あくまで他のジャンルとくらべてのお話、説教臭いという見解もある)
「韻をよくふむ」

というような共通点がある。

さて、ものすごく前置きが長くなってしまったが、
この
「韻をふむ」
という、お経とラップとの共通点をあらためて考えてみたい。

もっといえば、手段と目的をわざとはき違えながら、
「韻をふむ」ということを目的としながら、
いくつかの 「試作的思索」 を形にしてみたいと思った。

その第一弾がこちらだ
「韻をふむ」 ということから、
1回目にとえあげる音は
「いん」
にしてみた。

全員外交員
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by kaneniwa | 2008-02-09 01:09 | 草韻