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カテゴリ:草京都( 28 )


2012年 09月 13日

思案暮れる日々

b0061413_233547.jpg 京都市の荒神口にかつてあった「しあんくれーる」というお店について教えて欲しいというご依頼があった。その目的がちょっと面白くて、演劇に関わっておられる方が課題で「昔、京都にあって今はなくなったもの」をテーマに発表をするのだという。何だか積極的に協力したくなった。「野球チームの監督と映画の監督こそが男のロマンの究極」であると言われることがある。野球の監督の方の夢は、プロチームというわけにはいかず草野球であるが、正監督に用事がある時の臨時ながら何度かその夢は叶えた。しかも村山実氏ぐらいしか言えなかった「リリーフ、俺!」というセリフや野村克也氏か古田敦也氏ぐらいしか言えなかった「代打、俺!」なんていうセリフを審判に告げることができた。同じく、劇場映画というわけにはいかないが30分ぐらいの映像を編集してYouTube投稿を2分30秒づつ分割して投稿し、それを貼り付ける形での「ブログ上映」ということなら夢であっても夢ではない。もしかしたら、草野球と同じノリではあるけれども「俺は野球チームの監督もやったし映画監督もやった」と近い将来なのか遠い未来なのかはわからないけれども、やがて言えるようになるかもしれない。

b0061413_23371715.jpg 『大洗にも星はふるなり』という、回想シーンを除いてほとんどが舞台を真冬の海の家のなかに設定した映画を見て、それは低予算で作成された映画であるということもあるが、そんな夢もどこかで持つようになった。そして「舞台設定」ということに小さな関心を向けることになった。たとえばストーリーの骨子を古典落語から拝借するとして、江戸時代の長屋を再現することは予算的に非常に困難であっても「舞台をキャンプ場のテントのなかに置き換え、ご隠居役と与太郎役とそのおかみさん役をそろえたら、そんななんちゃって映画が撮れるのではないか?」なーんてことも実は密かに考えていたのだ。(今年の夏に4〜5人にそのプランを打ち明けたことがある)そんななか、演劇に携わっている方から「昔、京都にあって今はなくなったもの」について関心を持たれ、もしかしたら舞台設定というものについて私が知っていることがお役に立てるかもしれない。これも巡りあわせだと思った。先方は発表や稽古のスケジュールの関係でお急ぎになっているようだ。なので私も急いで記憶から取り出したものを急いでここに記していく。記憶違いというものがあれば昔の常連客さんなどでもしこれを読まれている方がいれば遠慮なくご指摘いただきたい。それから写真掲載の順序を間違ったが、これは1階のクラシック喫茶しあんくれーるのマッチである。2階建てで、ジャズ喫茶しあんくれーるは2階だった。外見は、今でも居酒屋の「ん」の外装がレンガ色であると思うが、何か申し合わせがあったのか、荒神口交差点付近のお店はレンガ色が並んでいた。

b0061413_2337793.jpg しあんくれーるの店内。 カウンターはあるが、カウンター席というものはない。キャパは最大で30人しか入らなかった。立命館大学が近くにあった頃は盛況だったらしいが、祇園祭や五山の送り火などのイベントがあって人通りが多い時以外はまず満席になることなどなかった。カウンターの前に60センチ×45センチほどの木製の机が4つくっつけられ、周囲に椅子が置かれて8人ぐらいが囲める「シマ」が形成されていたが、あとは鴨川側の壁の方に横並びで座れる備え付け長椅子が設置されていた。ただし、しあんくれーるに来るお客さんの7割ぐらいが「一人」であり、団体はもちろん、カップルが来るということさえ珍しかった。河原町通り側の窓(常にブラインドは降ろされ、ドライフラワーが飾られており、いつも店内はとても暗かった)の下には大きなホーンを付けた改造JBLの巨大スピーカー(その形状からアルテックの劇場用スピーカーだとよく勘違いされていた)が鎮座していた。それを操るのが黒いマッキントッシュ(パソコンのマッキントッシュとは綴りも違い別会社)のプリアンプ。(パワーアンプもマッキントッシュだった)管球式ではなくトランジスタ。ガーランドのアナログプレイヤーの上にレコード盤を乗せ、その大出力アンプを時計の短針でいえば10時から12時の間で再生する。そうするとほとんどの音が「生演奏の音よりも大きい」という異様な世界に入っていった。それを長時間耳にしていると、どうも異様を通り越す世界に入っていった。 

b0061413_23355147.jpg 書きながら思い出した。「店内に公衆電話ボックス」があった。アメリカンモダンな木枠が入った透明な電話ボックスである。それはまさに公衆電話がボックスごと店のなかにあると同時に、それがしあんくれーるの電話であり、お客さんが道を尋ねてくる他に経営者などからもたびたび電話がかかってきてボックスのドアを開けて電話に出るのである。ピアノ・トリオぐらいなら電話がかかってきたことがわかるのだが、ホーン・セクションの大音響が改造JBLから流れている時などは、なかなか電話が鳴っていること自体がわからなった。それぐらいの大音響。5000枚以上のレコード(LP)はボーカルものだけは鴨川側の、経営者とマイルス・ディビスがツーショットで写っている壁の棚に入っており、あとは巨大な棚に整理されていた。書きながら思い出したが「ボーカルものは昼間はかけない」というお店のルールがあった。その影響で、今でもジャズ・ボーカルを耳にすると「夜だなぁ」と感じるぐらいだ。巨大な棚の材質は木で、「使い込んだカリモク製」みたいな質感だった。5000枚以上のレコードがどのように整理されていたかというと、オリベッティのタイプライターで打たれた演奏家のアルファベット順に整理された非常に分厚いファイルが12冊以上あった。お客さんのリクエストには「定番」や「法則性」のようなものがあったので慣れたが、有名なジャズ演奏者の名演アルバムでも、必ずしもそのアルバムでリーダーを努めているわけではなく、正直、慣れるまでは大変だった。

b0061413_23354840.jpg メニューの主流はコーヒー。keycoffeeのオリジナルブレンド。これをペーパーフィルターでホーローのポットに落としておき、注文分をティーカップで測ってホーローの手つき鍋に入れ、カウンター内のガスコンロで温めて出すという、喫茶店としては乱暴なホットコーヒーの出し方。しかし、濃い目ではあった。そのコーヒーを「美味しい」というお客さんが、当時は信じられなかったが、今では「味があった」と言える。少なくともあの空間の異様さと呼応していたのだ。時々、このやり方でkeycoffeeのオリジナルブレンドを飲んでみれば、ちょっとあの大音量の異様な空間を懐かしく思い出せたりする。私が居た1982年〜85年あたりは、ホットコーヒー1杯が360円から380円の時代だったと思う。ただ、お店には大音量のジャズが流れている。話などをすることは隣の人とも容易ではないぐらいだ。コーヒー、紅茶、ココア、すべて「こ」の音から始まるから、注文をよく聞き違えた。そのうち自然と読唇術というか、唇の動きをよく確認するようにして間違いは少なくなった。いちばんの聞き間違いは「ジャム・セッションをたのむよ」(レコードのリクエスト)と言われてジャムトーストを作っちゃったことだろうか。結構な分量のバンホーテンココアを少しづつ熱した牛乳を入れて丁寧に溶いて砂糖を投入し、それを氷を山盛りにしたグラスに一気に注いでかき混ぜ、その上からフェレッシュミルクを渦巻状に注ぐアイスココアは、今でも時々作っていて、これは家族にも好評。それからシナモントーストも作った。その他、サンドイッチやカレーというメニューもあったが、この二つは、カウンターの内側に一階との「秘密のハシゴ通路」があり、注文が入った時には一階から手渡ししてもらっていた。

b0061413_23352615.jpg しあんくれーるはお酒も出した。キリンビールの小瓶。そしてウイスキーはサントリーのホワイトと角。ロック、ストレート(リクエストにこじつけてストレート・ノー・チェイサーと言う客がいた)、水割りの他、ハイボール、それからこれは時代を感じるけどコーク・ハイがメニューにあった。夜になるとカウンター内のスイッチを入れて店の外の大きな電飾に明かりをともした。これは電飾看板の縁取りが緑で平仮名で「しあんくれーる」の文字。河原町通りを走っていていい目印になっていたと思うし、今でも荒神口周辺の方々のなかには小さな店としては大きなこの電飾看板を覚えている方も少なくないと思う。それは私が学生生活を終え、しかしながら時々仕事などで京都を訪れた時に目にして「まだあるな」と思っていたが、いつの間にかその灯りは消え、しばらくあった店の跡もやがて駐車場となり、そしてまたそこには別な建物があった。閉店の経緯はよくわからないが、ジャズの文化そのものが、たとえばバブル期(ただ、私自身は日本がバブル期と言われた頃は外国に居たのだが)には生演奏があるライブハウスや、ジャズがBGMとして使われるデートに最適な小洒落たお店は随分ともてはやされたように思うが、文庫本を片手に独りでやってきてコーヒー一杯で長時間そこに居て、文庫本に読み疲れると目を閉じて大音量のなかで不思議な瞑想をしているような客が主流のジャズ喫茶は、文化の主流からどんどん外れていっていることだけは予感していた。

b0061413_23351359.jpg しあんくれーるというお店は1956年、私が生まれる7年前からそこにあった。オーナー(女性・故人)のお父さんは有名な数学者、数学教育者であり、数研(学習参考書出版社)の「チャート式」というものの創始者であった。その印税がしあんくれーる創設の資金にもなったのかなぁという穿った見方よりも、今思えば、女性オーナーが改造JBLをはじめ当時の最先端オーディオを導入していたことといい、アルバイト学生が打っていたり訂正していったりということはあったにしろタイプライターというものを使って非常にデジタル的に5000枚以上のレコードコレクションを整理していた手法といい、何だかアルバイトに入っていた当時は気がつかなかったが、亡くなられた女性オーナーの理系的センスをしみじみと感じることができる。ただ、それは経営の数字合わせにはあまりつながらず、1980年代は夜11時頃の閉店時間近くに伝票を整理しながら「きょうも思ったほど客が来なかったのね」とため息をついていたのであった。夜のしあんくれーるでは「ニューヨークのため息」と言われたヘレン・メリルのボーカルと、オーナーのため息とがクロスオーバーする。 私がしあんくれーるでバイトしていた1982年はフュージョン全盛期で、当時からジャズ喫茶の存在自体が自然とレトロなものになりつつあった。客も「たまには忙しい時がある」という感じで、まばらだった。ただ、レコード会社などから見本盤が郵送されて来て、特にCBS音源のマイルス・ディビスやウェザーリポートの新譜は日本でももっとも早く耳にできるという役得もあった。

b0061413_2335823.jpg お客さんについて書くとキリがないなぁ。今回は二つのエピソードだけ。一人は『スイングジャーナル(Swing Journal)』誌の執筆陣であったK氏。月に1回、しあんくれーるでレコードコンサートとカルトクイズを合わせたような集いをされていた。そのクイズに正解すると『スイングジャーナル』の最新号他の景品をもらえるのだが、そのマニアックなジャズクイズに正解して景品を勝ち取っていく人が毎回同じ人。その月に1回の集いの時以外には、店内でそのお客さんの姿を見かけたことはあんまりなく、何だか「オタクの独り占めだなぁ」と思っていた。 それから、近くの京都府立医大病院から抜けだしてジャズを聴きに来ていた強者のお客さんが居た。なぜ分かったかというと、パジャマに「京都府立医大」と印字されたスリッパを履いて来ていた。実に美味そうにコーヒーを飲み、どんなジャンルのジャズであろうと実に楽しそうに腕を組みつつ目を閉じて聞き入っていた。1ヶ月ぐらいしてその姿を見かけなくなった。病気(何だかわからない)が重くなったのではなくて無事に退院されていればいいな、と思った。


マーヒー加藤

※ JAZZの大音響ばかりを思い出し、その記憶のなかの大音響にかき消される形で、
  おそらく演劇にもっとも参考になるであろう、会話や言葉はさっぱりと
  思い出せません。
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by kaneniwa | 2012-09-13 00:24 | 草京都
2012年 06月 24日

これでイノダ

b0061413_21484315.jpg 写真はイノダコーヒー京都駅支店であり、ポルタと呼ばれる地下街のなかで地下鉄京都駅の近くのところにある。対面に見える緑の看板はSUBWAYであり、SUBWAY(地下鉄)の駅の近くにあるSUBWAY(サンドイッチチェーン店)ということになる。面白いのはこの対面同士で並んだお店に男女を問わず40歳代以上はイノダコーヒーに吸い込まれていき、30歳代から下はSUBWAYをチョイスしている気がした。どうもコーヒーだけを飲むお客さんにしても30歳代から下はSUBWAYの方に流れていっている気がしたなぁ。40歳代後半の私はちょっとだけ躊躇(ちゅうちょ)しつつもイノダコーヒーに入る。コーヒーを待つ間(SUBWAYではコーヒーを待つ時間などほとんどない)に置いてあるスポーツ紙を読む。6月下旬の関西のスポーツ紙は、阪神タイガースは低迷しているものの二軍の育成枠から中米出身の快速左腕選手がもうすぐ一軍に上がってくるだろうということをトップ記事として一面にデカデカと伝えていて、相変わらずだなぁ…と笑いたくなるほど感じた。SUBWAYには新聞なんか置いていない。やっぱ40歳代以上はよく新聞を読むなぁ。スポーツ紙に続いて一般紙を読む。コーヒーが席に置かれた。大飯原発再稼働問題の記事を読みながら久しぶりにイノダのコーヒーを飲む。

b0061413_2381253.jpg 今世紀に入ってすぐの2001年の9.11同時多発テロ事件の時に、こうして喫茶店で新聞を読んでいた感触を思い出した。あの時に感じた感触は、ひと言であらわすのなら「株価など言ってる場合じゃないだろう!」であった。2機の飛行機が貿易センタービルに、1機がペンタゴンに、1機が墜落して少なくとも5千人の人々が亡くなられている大惨事となっているさなか、確かに事実関係を確認しなければならないことが多すぎたにしても世界の株価の変動のことばかりがテレビでは何度もリフレインされる貿易センタービルの映像とともに報道され、その映像がないラジオと新聞ではなおさら株価の話が頻繁に語られることに何ともいえない違和感をもった。金は大事だ。経済は重要だ。しかし、それがもっと大事な問題の前に置かれた時にはアレルギーに近い違和感がやってくる。イノダという場所で新聞を読んでいて、なおさら思った。原子力発電が行われる前からイノダはあった。(京都駅店はなかったが)電気がなければ江戸時代や明治時代の初期ぐらいに戻る生活になってしまうと危惧し、それに半ば脅迫されるように原発再稼働に賛成する立場をとってしまう人もいるかもしれないが、それはちょっと違うのではないだろうか?原子力発電に10%も依存していない時代、それもほとんど余剰であり過剰であった1970年代あたりに戻るだけでいいのではないだろうか?70年代、あるいは60年代の良さに目覚めるという方向を目指していくべきなのではないだろうか?原発再稼働賛成派、あるいは推進派がおっしゃるように、使用済みか未使用かを問わずに核燃料というものがある限りは危険であることには変わりがない。でも「どうせなら使っちゃわないと」と家電やパソコンではあるまいし、稼働したり止めたり、また稼働したりというのが、精神的にも物理的にもいちばん危険極まりないだろう。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-06-24 23:07 | 草京都
2012年 06月 21日

旭のようにさわやかに

b0061413_23311716.jpg 京都に滞在中、つくづくいかに私の好きな京都のお店のなかで水曜日定休のところが多いかを認識した。現在、ブログで不定期連載をしながら紹介させていただいている焼肉屋さんの いちなん は年中無休なので助かった。(遅くまで店を開けてくださってありがとうございます!)何度かこのブログに書いた アップルハウス に「これから行くよ」と電話をかけると「今日は定休日やで」と言われる。「あれ、定休日は木曜日じゃなかったっけ?」「あんたいつの時代の話してんの?(笑)せっかくやから自宅のリビングでお茶飲んでいく?」と言われて、そのご好意だけはとても嬉しかった。錦市場の 大安(漬物の大安ではなく貝類を中心にした鮮魚の大安)もまた定休日。おまけに法蔵館という仏教書を中心にした本屋さんで伊藤比呂美の『たどたどしく声に出して読む歎異抄』(ぷねうま社)を買おうとしたら定休日(ここは日曜日が定休日)ではないのだが、前日の火曜日の話であるが台風4号が来ていて従業員さんたちを早く帰宅させるためにシャッターを閉めていた。法蔵館の人を見つけて頼み込んでシャッターを開けてもらったのだが、何とその本が前日の朝日新聞の書評にとりあげられたらしく、10冊以上を平積みにしていたものが売り切れた直後だという。さらにこの困ったウェンズデーの呪縛は続き、名古屋に移動してコメ兵のカメラ・楽器館というところでじっくりと中古楽器の掘り出し物を鑑賞しようと思えば、この天下のコメ兵は水曜日が休みだった!(でもコメ兵の本館がある大須界隈が風情のある街だったので散歩としてはとても良かった) 

b0061413_23313526.jpg 普通、これだけアンラッキーが重なったならメゲちゃうのであるが、今回、それを上回るいいことがいくつもあったのでアンラッキーをアンラッキーとはそんなに感じることもなく、アンラッキーな自分を笑えるような余裕がもてた。そうなるとこういうアンラッキーもラッキーとのコントラストが強い対比となってラッキーな部分をいっそう輝かせてくれるので、なかなか味わいが深いものである。そうなると、それぐらいの余裕さえもてればアンラッキーもなかなかいいものである。さて、名古屋に移動する前にラーメンでもと思うと、これまた偏愛する新福菜館の本店が水曜日を定休日としていた。これだけのことが重なる水曜日だが、お隣がこれまた好きなラーメン屋さんである第一旭の本店であるということでさほど肩を落とさずに済んだ。京都駅の近くであるこの界隈(高倉塩小路下)は、昔から二軒だけで激戦区。ここで「ラーメン、ネギだく」と注文する。この日の夜もかなりのビールを飲むような予定だったのでビールの注文まではやめておこうと思っていたら、メニューにビールの小瓶がある。小瓶の瓶ビールを飲むなんちゅーことはいったいどれぐらい久しぶりのことなんだ?と反射的に注文しちゃった。缶ビールの350ml缶よりもわずかに少ない334mlという分量が、何だか絶妙!と感じた。そして、サイズ比較用のウニ(食品サンプル)を置いたのであるが、キリンラガーの小瓶のシェイプの実に美しいこと!割と最近、どうもビールの大瓶が大きく見えるなぁ、とふと感じたことも、この小瓶と出会うための伏線だったのか?

b0061413_2331507.jpg ラーメンを語りたいのか、ビールの小瓶を語りたいのか、京都を語りたいのか、名古屋を語りたいのか、ラッキーを語りたいのかわからんようなブログ記事で、まだ読了していない『たどたどしく声に出して読む歎異抄』(結局、名古屋のジュンク堂書店で手に入れた、宗教・哲学・思想ではなく著者の関係で現代文学のコーナーにあったけれど…)の書評のようなものを書けばますます混沌としてくるが「親鸞の声」という音に思い入れをもっての歎異抄の訳出という詩人ならではの視点は斬新だ。その訳文から私に聞こえてくる声(音)はズバリ、立川談志である。わはは、だって江戸弁でべらんめぇ調も入っているんだもん。「親鸞(おれ)は〜」という表記の仕方をしているし。本の題名は読み始めるまではどちらかといえば嫌なタイトルの本だと感じていたが、訳文を読み始めると実にいいタイトルであると思った。なぜかといえば、親鸞に疑問を投げかける弟子の唯円(ゆいえん)坊のただたどしさが浮き彫りになっている。同時に『歎異抄』という書物はイコール「親鸞聖人語録」としてとらえられるし、それは間違っていることではないものの、声(音)とすればそれは唯円坊の耳底に残った言葉の記録の書物であるという本質を掘り出してくれている面がある。その訳文を通じて聞こえてくる親鸞聖人の声(音)があるとすれば、それは読者である私の仮想ディスクであるたどたどしい唯円坊の耳を通して聞こえてくるものだからだ。「ぼ、僕は、第一旭がいいか、や、やっぱり新福菜館がいいか、い、いつも迷うんだなぁ」「ぼ、僕はビールの小瓶って、と、とてもいいと思うんだなぁ」…無理やり力づくでまとめに入ったが、たどたどしさというものが感じさせてくれるリアリティ、そこに今まで敏感ではなかった自分を少し発見できたラッキーがそこにあった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-06-21 23:39 | 草京都
2009年 11月 11日

居酒屋 「ん」

b0061413_1711082.jpg 京都市内に何軒かの店舗をもつ 居酒屋チェーンの 「ん」 である。 (写真は荒神口店の提灯) 学生時代からお世話になっている居酒屋だが、最近はJAZZが流れるオシャレな創作和食中心になった店舗もあるようで、隔世の感がある。 ふと、電話帳で 「ん」 はどこに載っているのか? 「ん」 ではじまるページというものがないのなら、どんな別な名前で載っているのか突然気になってしまって調べてみたがわからなかった。インターネット全盛時代には電話帳はあまり参照されないのかな。 電話帳のどこにあるのか、ご存じの方は教えてください。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-11-11 17:05 | 草京都
2008年 04月 30日

娘と京都(23) 帰りの新幹線

b0061413_11164221.jpg 娘との京都旅行を記してきた4月の草仏教ブログだが、一週間ぐらいで終えるつもりが4月の最終日までひぱってきてしまった。明日からは5月だし、娘のこと、京都のことは折々これからもブログに登場することとして、いちおうこの記事で一区切りをつけておきたい。  さて、京都駅を発車した新幹線のなかで、娘は私が買っておいた (有)京滋茶月 百花撰 京都(駅)伊勢丹店(デパ地下)の「花彩てまり」 (924円) を開いて、 「うわぁー!」 という声をあげた。 さて、ブログをご覧のみなさんなら、何をいちばん最初に食べて、何をいちばん最後に残しますか? 食べ物の好みはもちろん、好きなものを最初に食べる方と、いちばん好きなものを最後にする方で順序はかなり違ってくるでしょうね。


サイドメニューなど
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by kaneniwa | 2008-04-30 12:43 | 草京都
2008年 04月 29日

娘と京都(22) 京都駅前アパヴィラホテル

b0061413_0381356.jpg 円山公園の夜桜見物からホテルに戻り、嬉しそうにかんざしをさした姿を娘は鏡に映し出す。部屋のユニットバスにも交代で入り、さて寝るか・・・というところで、9才の娘を突然、ホームシックが襲ったようだ。いつもケンカばかりしている3才年下の弟に会いたいと言い出し、もうすぐ2才になる妹に会いたいと言い出した。そしてもちろん、母親に会いたいと言い出した。そして、「やっぱり家族全員で京都に来たかった」ということを今さらながら言い出した。  どうもこの旅は私も昔の色々なことを思い出してしまって感傷的になることが多かったのだが、その娘が会いたがる3才年下の弟が生まれた時、母親とともに一週間産院に入院していた時のことを思い出した。三条市の瑞雲橋のたもとの広い芝生の公園で当時3才だった娘とボール遊びをしている時、それまで「キャーキャー」言いながらはしゃいでいた娘が急に泣き出した。「どうしたの?」と声をかけたら、そこで言ったことがなかなか深かった。 「こんなに楽しいのに、お母さんがここにいないというだけで、楽しいはずのことが楽しくない! お母さんがいてほしい、離れているところから見ているだけでいいからお母さんにいてほしい」 というようなことを全身で泣きながら精一杯私に訴えたのだ。 「楽しいはずのことが楽しくない」 というところが深かった。 『歎異抄』の第9章で、唯円が 「喜ぶべき念仏が心から喜べないのはどういうことか?」 と親鸞に質問している。 

この時も、二人で騒いで楽しかった夜桜見物と
京都の夜の静寂とのギャップが大きかったのだろう。 

楽しいはずのことが、ケンカばかりしていて実は大好きな弟、
しゃべりはじめて可愛い妹、お母さんといっしょではなかったことで、
急に楽しくなくなってしまったのだ。

気晴らしにテレビのスイッチを入れ、いっしょにテレビをみることにした。

『サラリーマンNEO』 という番組をみた。 season3の初回だった。
マーヒーも、そしてもちろん娘も、この番組を見るのは初めてだった。
マーヒーは、てっきり 神戸サンテレビ あたりが製作する、関西独自の
シュールな深夜のお笑い番組だと思っていたが、エンディングまで
娘といっしょにゲラゲラ笑いながらみていると、何と、これはNHK総合の
全国放送ではないか! 

後で、NHKでは5日後の深夜(早朝)の3時10分から再放送があったので、
録画していまだに何度も見ているが、このお笑い番組はNHKとは思えない。
NHKのお笑い番組でこんなに笑ったのは永六輔とタモリがやっていた
『テレビファソラシド』以来だなぁ。

調べて、『サラリーマンNEO』 の脚本スタッフに
大宮エリーの名前を見つけ、なるほど!と思った。

しかし、何度みても、このseason3の初回は傑作ぞろいだ。
80年代喫茶も、セクシィ部長も、寿司屋のコントもいいが、
何といっても何度も見てしまうのが、「サラリーマン体操 VOL13」 で、
この体操での中越典子の 「なんば歩き」 の可愛さはいったい何だろう?

と、話はかなり横道に過剰にそれてしまったが、
この番組が終わってからも2回目のホームシックの波がやってきた
娘をなだめ、午前1時頃になって、ようやく娘は深い眠りについた。

やれやれ、と思ったマーヒーは、謎の人物と出会うことになる。


その人物
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by kaneniwa | 2008-04-29 01:16 | 草京都
2008年 04月 28日

娘と京都(21) 夜桜編(2)  坊さん夜店でかんざしを買う

b0061413_2353071.jpg夜桜見物で、娘は数多く出ている夜店に夢中になる。 6才の弟やもうすぐ2才になる妹へのお土産になるものもさがしているので、ちょっとカワイイ。 この写真のアクセサリーや根付などが置いてある隣にあった800円のかんざしをじっと見ている娘の目を見て、ディスプレイしてあったたくさんのかんざしのなかからその一本を手にとって買ってやる。 この時は、早く夜店を離れてライトアップされたしだれ桜を見に行こうという買収心ではなく、なぜか心から買ってやりたくなったのだ。 「なんで私が欲しいものがわかったの?」 と訊ねられ、 「わっかるさぁ」と答えながら夜道を歩く。


夜桜の円山公園を歩く
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by kaneniwa | 2008-04-28 23:53 | 草京都
2008年 04月 28日

娘と京都(20) 夜桜編(1) 

b0061413_10254676.jpg 日が暮れてから、マーヒーは円山公園の夜桜を観にいくことを娘に提案したのだが、さんざん「桜を観るぞ」と歩きまわった娘は 「もう桜はいい」 とぶ然とした表情で言った。 「じゃあ、八坂神社の夜桜祭に行こうか?」 と言うと、「行く!行く!行く!連れてって!」 ということになった。 これは円山公園の夜桜を観に行くということとほぼ同義なのだが、子どもをのせるのは言葉一つ、言い方ひとつだなぁと実感した。 円山公園の各所にかがり火が焚かれ、いい感じだった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2008-04-28 10:35 | 草京都
2008年 04月 26日

娘と京都(19) 錦市場編(2) 錦市場でジェロくんに遭遇する

b0061413_08277.jpg 前の記事の4月6日の夕刻の錦市場の「大安」さんに向かう途中、混雑している錦市場の雑踏のなか、ひときわラグビーのモール状態になっている人混みのなかを抜けた。それは、後に4月11日と18日に放映された『金スマ』という番組のロケだとわかったのだが、黒人演歌歌手のジェロくんが京都の錦市場を訪ねる撮影現場だった。 テレビクルーとギャラリーを引き連れて移動中の人混みのなか、私は娘のSPとなりながら、「大安」へと向かっているなか、ジェロくんは私の娘に注意を向けたせいもあって、目が合った。 草仏教ブログでも、いちおうデビュー前から注目して記事にしていたジェロくんと、京都の錦市場という場所でご対面できるとは思わなかった。 目が合った時に、ジェロくんが日本語が堪能であることは知っていたが、「グッドラック、ジェロ!」 と言うと、「サンキュー!」と返ってきた。 「がんばれ」よりも、「グッドラック」の方が気楽でいい。 彼のデビュー曲の 「海雪」 の歌詞は新潟県を舞台にしたもので 「出雲崎」 という地名も歌いこまれている。 マーヒーが聞きたかったのは、 「君はヤンキースの帽子をよくかぶっているけれど、オークランドアスレチックスの帽子をかぶっていることもあるし、ピッツバーグ出身ならパイレーツファンなのが自然だと思うけれど、本当はどこのチームのファンなの?」 ということを質問したかったのだが、とてもそれを聞く余裕はないままに、わずかな時間のジェロくんとの遭遇の時間は終わった。 もしもジェロくんが生粋のヤンキースファンということなら、新潟県の なんちゃってヤンキースもよろしく! 

ほんの数秒なのだけど、ジェロくんの顔を見ていたら、
20年以上前の忘れかけていた記憶がよみがってきた。

その忘れそうな記憶
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by kaneniwa | 2008-04-26 23:21 | 草京都
2008年 04月 24日

娘と京都(18) 錦市場編(1) 錦市場で娘とディナー

b0061413_0494655.jpg 「旅行は墓場と市場を見るのがいい」 と誰かが言った。 墓場(過去)を見て、市場(現在)を見れば、漠然とながら未来が見える気がする。 東京の兜町なんて場所もちょっと特別な市場(マーケット)だが、昨年の夏、築地を訪れたのもなかなか良かった。 というわけで、朝は金戒光明寺などでたっぷりと墓場を見たので、バランスをとるために錦市場を娘と訪れた。 ついでに、錦市場のなかのカウンターの串カツ屋さんで夕食をとろうと思っていたが、ふと、アップルハウスの項目で書いたとおり、娘は柑橘類が大好きで、おまけに貝類が大好物だったことに気がついて 大安(だいやす) に向かう。 京都で大安(だいやす)といえば、千枚漬け(漬け物)の大安が全国的に有名だと思うが、マーヒーにとっては錦市場の貝を中心とした魚介の大安だ。 何気なく見えて、錦市場は伝統のあるお店が多い。古ければいいというものではないが、市場のなかに何気なくある酒屋さんが創業200年で今の店主が八代目だったという話を聞いてビックリしたことがある。 この魚介の大安さんも、創業から75年だ。マーヒーの学生時代は、昼間酒を楽しむオヤジたちが立ち飲みでたむろす比較的ディープな場所だったのだが、店を覗くと、立ち飲みではなくて狭いながらもカウンター席があり、若者たちが盛り上がっている。マーヒーは店の人に「このカウンター席はいつできたのですか?」と尋ねると、「つい最近ですよ」 と店の人が忙しそうに答えた。 「最近」 っていつ頃なのか知らないが、座る場所があるというのはこの上ないラッキー! しかも、土曜日以外は夕方6時頃にラスト・オーダーの店に5時20分頃に行ったせいもあって、並ばずに入れる。もう、これは入るしかない!と思って娘とカウンターに座った。


大安(だいやす)のカウンター席に座る
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by kaneniwa | 2008-04-24 00:11 | 草京都