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カテゴリ:草評( 730 )


2015年 11月 11日

MJB初飛行と遷宮

仏教寺院ではめったにないことだろうが、
神社では「遷宮」といって、本殿の大規模改修の時に
その場所を移して「ほぼ建て直す」という大事業をやる。
神社でも修復を重ねれば場所を移すことは滅多にない仏教寺院同様に
数百年その形態を保てるだけのしっかりした技術によって
建造されているのにも関わらず、なぜわざわざ遷宮ということをするかといえば
「そのしっかりした技術の継承を行うため」
というのが理由らしい。

今日の午前中、50年ぶりの国産ジェット旅客機として
三菱重工業と子会社の三菱航空機が開発した
MRJ(三菱リージョナルジェット)の初飛行(テスト)が行われた。

予定よりも国産部品の比率が少なかったり、
それを審査する国土交通省にしても久しぶりの新機種チェックであって
なかなか大変であったということが昨晩のニュースとして流れていた。

プロペラ機である日本航空機製造のYS−11は、2006年までは
現役の旅客機として活躍していたが、いつ最後に乗っただろうか?
ということが思い出せないほどである。
他にもHONDAのプライベートジェットなどはあるけれども
定員92名というほどの国産旅客機の登場は、本当に久しぶりである。

それ自体はとてもいいニュースであると感じるけれども、
やはり51年間も国産飛行機の開発がなかったという事実が
「以前から受け継がれてきたものがない」
ということで、ゼロから発想できるメリット面を勘案しても
航空機が実際に乗員をのせて運べるまでの段取りにスムーズさを欠く要因が
いくつもあるようだ。

一見、必要がないとも、場合によっては「寄付金の無駄遣い」とも思われる
遷宮は多くの有名な神社で「20年に1回」というスパンで行われているが、
これぐらいであると、一生で3回関わるとするならば
「若手宮大工時代」
「中堅宮大工時代」
「棟梁、もしくは大ベテラン宮大工時代」
として、それぞれ指導を受ける立場と指導をする立場で技術継承が
スムーズに行われるのだろうなぁと思う。

航空機もプロペラ機からジェット機となっているけれども、
その基本部品については中小企業のなかでそれぞれに伝承されてきた
細かい技術がその基盤になっているということもあるだろう。

2030年代において、また新しい国産旅客機が生まれてきた時に
「ああ、やっぱり2017年にMRJが飛んで良かった」
と心から言えるのかもしれない。

仏教寺院は、神社と違って直し直しその形態を保っていくしかないと実感している。

ただし、50年間、新しい寺院がひとつもできないような宗派は
その歴史が終わっても仕方ないとも思っている。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-11-11 14:17 | 草評
2015年 11月 07日

中国の一人っ子政策後の今後

私は三人兄弟で、シャラポア(妻・日本人)は三人姉妹である。
明確な家族計画などがあったわけではないけれども
お互いに三人目の子どもが生まれてくるまでは
「不完結感覚」
のようなものがあった。
三人目が生まれてきて、そして少し大きくなって
「おーい子どもたち!ご飯だぞ!」
などと呼んでいて満たされなかったものが充足された感覚になった。

中華人民共和国が1979年以降続けてきた一人っ子政策を
来るべき高齢化社会への対応を目的に廃止することにしたらしい。

私は1985年当時の中華人民共和国を訪れていたが
すでに実施後6年ほどを経ていた頃で、
二人の小さな子どもを連れて旅行する外国人夫婦への
群衆の羨望のまなざしがなぜか忘れられない。

実施後すでに36年が経っている。
あの頃に出会った中国人の幼い子どもの多くは今、一人っ子の親になっている。

一人っ子が圧倒的に多い社会では、たとえば親兄弟の子である「いとこ」という
関係もだんだんとなくなっていく。
私自身も私の子の世代でも多くの「いとこ」がいて親族という
人間関係を形成しているので、それはなかなか想像できない世界だ。

従来から、中国では一人っ子同士が結婚すれば、子どもは複数いていい決まりらしいが
統計的にも一人っ子同士の結婚は子どもは一人っ子になることが多いようだ。
ここらへんが冒頭での「自然に考える家族像」というもので、
再来年あたりには中国で空前のベビーブームは起こるかもしれないけれども
国家が期待する計画のようには子ども人口は増えていかないという気がする。

もっとも中国の心配ばかりはしていられない。
過疎と過密の問題は社会構造問題でもあるが地域問題として矮小化して見ることも
可能ではあるが、少子化は根本問題であるといっていい。
だからと言って何ができるというわけではないが
「最近は長女ももう高校生だし、あんまり言わないけれど、
 複数の子どもに『おーい、子どもたち』と言えるのは幸せに近い感じがする」
というようなことを独身男性に語ることがあるぐらいか。

中華人民共和国に属しているチベット自治区や青海省のチベット人は
これはもう文化の大変に深いところで
「生まれ変わり」を信じていることであろう。
そうすると、チベット人はかなり根深いところで
一人っ子政策を恨んできたのではないかということに漠然とだが想像がつく。

インド人やチベット人の多くの人の間で信じられている「生まれ変わり」と、
漢民族の多くが漠然と信じている魂魄(こんぱく)の思想
(まぁ身は滅びても霊魂は不滅みたいな)
と、どっちが正しいのかは測る方法もないのだけれども
「生まれ変わり」を漠然と信じている人で日本が大好きな人は
少子化だと日本に生まれ変われる率が減る。

具体的な形を変えた自分の生まれ変わりでもある、孫という存在には会ってみたい。
特に複数の孫にむかって、再び
「おーい、子どもたち!」
と呼びかけてみたい。
まさにジジ臭い想いではあるけれど。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-11-07 01:36 | 草評
2015年 10月 29日

マニュアルとお笑い

落語でよくあるパターンとして
ご隠居など老賢人が指南してくれることを
現代でいうマニュアル(手引)として与太者が教わるのだが、
それを使いこなす際には教わったことを勘違いしたり間違えたりする。
要するにマニュアルにボケをかまして笑いをとる。

これは現代のお笑いにも受け継がれているところがあって、
コントの場面設定としてマニュアル化社会の象徴であるかのように
コンビニ、ハンバーガーショップなどが多く登場する。

15年ぐらい前の話であるけれども、
職場から野球場に直行して夕食をとる間もなくナイターで試合をしなかればならない
メンバーが多かった草野球チームのために、
野球のユニフォームの上からスタジアムジャンバーを羽織った服装で
ハンバーガーショップにて
「ハンバーガーを15個ください」
と注文したら
「こちらでお召し上がりですか?お持ち帰りですか?」
と真顔で訊かれた。
客のこちら側は、私ひとりである。
なんぼなんでも15個は店内で食べていくには多すぎる。
今の私であれば
「テイクオフ!あ、違ったテイクアウト!」
ぐらいのボケをかましておきたいぐらいだが、試合時間との兼ね合いもあって
「もち!持ち帰り」
と、くだらなさも大変に中途半端なことぐらいしか言えなかった。

つい先日、これに匹敵するようなマニュアル主義と対峙することになった。
場所は LOFT である。
ちょっとメモしておくものが必要だったのでメモ帳だけを買った。
ハロウィン本番が近いのでその関連グッズを求める人が多いのか
レジに並ぶ人の列が多いような感じだった。
私は189円という200円に満たないような買い物に
クレジットカードなどは普段は使わないのだが、
小銭の持ち合わせがなかったことと LOFT だと
セゾンカードを使えばノーサインで精算ができるので
レジに人が並んでいる場合ではその方が少しでもスムーズに
列を消化できるのではないかという気がした。
しかし、支払いで
「お支払いは一括でよろしいでしょうか?」
と尋ねられた。
これは、テレビドラマなどで捜査一課の刑事が
「奥さん、これはあくまでも形式上の質問ですが昨夜はどこで何をされていましたか?」
という時の「形式上尋ねなければならないマニュアル」であるとは理解するが、
15年ほど前のハンバーガーショップでのマニュアル対応同様のヘンテコを感じた。
「もちろん一括で」
と答えた時の「もちろん」に妙に力が入った自分にも自己嫌悪気味のヘンテコを感じた。
逆に、189円をリボルディング払いにして
手数料や利息はどれぐらい発生するものなのか確認をしてみたいぐらいだったが、
レジの列が長い時にわざわざそんな実験をするべきものではない。

落語は
「マニュアル至上主義ではどんどんヘンテコになっていくよ」
ということを教えてくれている。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-10-29 00:19 | 草評
2015年 10月 15日

名曲草観賞(49) Bob Marley の Buffalo Soldier

全日本のラグビーチームがワールドカップのイングランド大会で。
予選リーグを敗退して帰ってきたのであるが、
3勝1敗という好内容と好成績であって「凱旋帰国」という感じだった。

福山雅治の結婚にともなって福山ロス症候群に陥った女性が100万人いたとすれば、
そのうちの10万人は、全日本のスタンドオフの五郎丸歩選手に流れたのではないか。
あの忍者ニンニンのポーズによるルーティーンから繰り出されるキックは、
かなりの高確率でゴールをとらえたと同時に、かなりの数の女性のハートを射止めたはずだ。

キャプテンのリーチ・マイケル選手は日本人女性と結婚していて国籍は日本なのだが、
その国や地域に36ヶ月以上継続して居住していれば代表選手資格があるという
ラグビーの国際戦でのルール(国際ラグビーボードがそう定めている)により、
刺身が好物である関西弁のトンプソン・ルーク選手がいたり、
二人がかりでタックルされてもその二人をひきずって前進しちゃうという
快速の「フィジカルモンスター」であるマフィ選手がいたり、
南アフリカ戦の伝説的なトライを決めたカーン・ヘスケス選手がいたり、
グローバル企業では当たり前からもしれないけれども欠かせない外国人が何人もいた。

そんな選手たちが、最終戦の米国戦の後には勝って3勝1敗としながらも
次のステージは進めないという悔しい思いも重なりつつ涙しつつも、
精一杯やった仲間として全員で腕を組み、あげた「勝どき」に近いコールが

Woy, yoy, yoy, woy, yoy, yoy, yoy. Woy, yoy, yoy, yoy, yoy, yoy, yoy, yo.

であったのだ。間違いなく「Buffalo Soldier バッファロー・ソルジャー」のなかの掛け声。
しかも、キャプテン(マイケル選手)の発声から寸分のズレもなく声を合わせる様子に、
そのキャプテンに
「エディ(監督)はもうイヤ…きつすぎる」
と言わしめたほどの世界一厳しいトレーニングの合間にも、
この掛け声を合わせてきたことを感じ取れた。
そして、Bob Marleyが歌ったバッファロー・ソルジャーは南北戦争時代からすでに
駆りだされて戦わされていた黒人傭兵のことだけれども、
日本代表の外国人に対して
「誰も君らを傭兵だとは思わないよ」
と思った。

大相撲の方は、八百長事件から人気はV字回復しているけれども
この十数年間屋台骨を支えてきた白鵬ほどの大横綱であっても
日本人に帰化しなくては親方になって部屋をもつ権利がない。

バカな考えかもしれないけれども
ジャパンラグビートップリーグのなかに
トヨタ自動車、リコー、キャノン、ヤマハ発動機、
サントリー、Panasonic、近鉄、神戸製鋼などにまじって
「大相撲選抜」というものがあれば面白すぎるのではないかと考える。
プレシーズンマッチでいいので実現しないだろうか。

いかにタックル力で際立った大相撲選抜であろうと、ラグビーでは勝てないと思う。
それでも俊足で機敏なモンゴル出身力士数名をバックスに置けば
「あわや!」
という場面は続出するのではなかろうか。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-10-15 14:52 | 草評
2015年 10月 09日

青空文庫で恐怖体験

iPadで読書をした時の恐怖体験。

今までも著作権切れの作品などが所収されたインターネットの
「青空文庫」でiPadでの読書をしてきた。
まず紙の本よりも優れているのは字の大きさや画面の明るさを
自分の意志で調整できることだ。

北大路魯山人の書いた文章などは128も「青空文庫」に入っている。
北大路魯山人などは一つづつ、ちょっと読み切るのにちょうどいいし、
名文でもあるので読みきれる。
読みきった後にiPadの電源を切るか、スリープ状態にしてしばらく時間が経つと
「青空文庫」のインデックスに自動的に戻っていた。
つまり、いつも読みきっていたので
「画面をタップしてメニューを呼び出し、閉じるを選ぶ」
というiPadで作品を閉じて自分の意志でインデックスに戻る方法は
知らずにいた。

岡本綺堂の作品群などは、やはりさすがの風格がこもった卓抜した文章での怪談であり、
それを寝床でiPadで読んで人差し指でシュシュッとページをめくるという行為自体に
シュールなものは感じたけれども、分量でいえば選んだ作品は読みきって電源を切って寝た。

問題は、昭和10年に発表された夢野久作の『ドグラ・マグラ』のiPad読書体験の恐怖。
探偵小説の奇書、異端文学史上の偉業、怪奇小説の奇跡など、色々な評価はあるが
学生時代以来聞いてきた評判は
「読み通したら正常な精神状態ではいられない」
というものだ。

噂どうりのさすがの迫力で『ドグラ・マグラ』の文章は迫ってきた。
これは深夜に寝る前に読むものではないなぁ…と思いつつ
作品を閉じようと思ったが、前述のとおりに私は「青空文庫」の閉じ方というものを
今ひとつ把握していなかった。
何となく、巻末までいけば閉じるメニューが出てくるような気がして、
ものすごい勢いでシュシュっとページをめくりまくっていたのだが、
そこでやはりさすがの名文にして奇文の極地のような言葉群が
人差し指の指先にねっとりと絡みついてくるような感触があり、
そこで必然的に目に入る奇妙な言葉のかけらが脳に刷り込まれてくるような、
とっても怖い思いをしてしまった。
何だか再び開くことをためらったままになってしまった。
最初の方しか読んでいないけれども『ドグラ・マグラ』恐るべし。

というわけで「青空文庫」を読むのをやめて、
今度は「青空文庫」に入っている作品を読み上げてくれるという
「音声文庫」というアプリを入れて、
そのお試し用の無料サンプルのなかの先頭にあった
太宰治の『人間失格』を選んでタップして
眠りに入ったのだが、
これまたカーナビの案内音声のような合成音の女性の声で朗読される
『人間失格』というものは、出だしから
「この文章は、こんなに怖かったか?」
と思わせてくれるほどにシュール過ぎて怖かった。

情けないことに電源を切ろうと思ったがわずかに手が届かない場所に置いてあり、
眠気の方が勝ってしまって、そのまま眠った。

音声の方は、無料サンプルだと15分間で自動的に朗読をやめたようなのだが、
夢の世界の方は、明け方に
「大都市のビルの谷間に竜巻がやってきて大勢の人々が巻き込まれる」
という、正夢には絶対になって欲しくない種類の悪夢を見て目が覚めた。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-10-09 12:49 | 草評
2015年 10月 07日

大村智先生にはノーベル経済学賞もあげたい

ノーベル生理学・医学賞を受賞された北里大学特別栄誉教授の大村智先生は
寄生虫病に対する治療法と薬を確立したということだけでも
すでに大きな功績があるけれども、受賞を機に次々と紹介されるエピソードが
とても素晴らしい。

特に定時制高校の教員時代にテストを受けるためにギリギリに教室に入ってきた
生徒の手が油まみれになっていたのを見て「俺は何をやっているのか」と
奮起できる感受性と「金は貯めるより使う方が大事で難しい」という感覚が
とても素晴らしい。
実際に資金難である後輩の研究にポンと9億円を出したり、
コレクションの美術品を「若い人のために」と故郷の韮崎市に寄付をする。
教え子のなかから30人以上の博士を輩出した。

大概の人は宝くじで数億円を当てたりすると人生がブレると思うが、
「自分は食べていけるぶんだけ余ればいい」
とおっしゃる大村智先生のようになってはじめて数百億円あってもブレないのだろう。
是非ともノーベル経済学賞も併せて受賞していただきたいと思う。

私もブレない決意をしたので、今年の年末は宝くじが当たってほしい。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-10-07 10:59 | 草評
2015年 09月 19日

安全保障関連法案

ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。
けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。
そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。

反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩(丸山眞男訳)



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by kaneniwa | 2015-09-19 23:53 | 草評
2015年 09月 11日

マイナンバーによる定率減税還付制度よりも台湾式宝くじ付きレシート(統一發票)の導入を望む

突然だが
「お得です、お得です」
と言われたものに喜びや幸せを感じた経験は、まずない。
むしろ、それに飛び付いた己への挫折感でいっぱいになることが多い。

大型ショッピングモールで複数の専門店をまわる人なら
必ずや似た経験をみんなしていると思うが
たとえばフードコートでたこ焼きと餃子と長崎ちゃんぽんを食べる場合でも、
その3店舗で「うちの店のポイントカードはお持ちですか?」と尋ねられると
何だか消費すること自体が面倒くさくなってくる。
そのうち食欲もなくなる。
しかもそのフードコートの食事の後にTOWER RECORDでCDを買い、
本屋で本を買い、サンダルを買ってジーンズを買って台所用品を買って帰るまでに
「あと何度それを聞かれるのか?」
と、買い物という本来はウキウキとワクワクが伴うはずの行為が、楽しくない。


「お得」のためには、それぐらい(何枚ものカード類を持ち歩く)
は我慢しなくてはいけないと言われそうだが
私は人間の「面倒くささに対する感覚」をなめてはいけないと思う。
先日も、椅子を10脚ほど寺の本堂に運ばねばならない機会に、
普通なら2脚づつ5回の往復で運ぶべきところを
「めんどくさいパワー」が沸き起こってきて2往復で運んだ。
自分にそんなめんどくさいパワーが秘められていることに驚いた。
人間て、そんなものではないか。

しかもショッピングや外食というのは念仏と同じく
「ふと思いがけずに沸き起こった気持ち」
というものが運んできてくれる縁を喜べるところに感動というものがある。
予定していて、その予定どおりにことが運んだら
「ああ、それは良かったですね」止まりで、感動までは行かない。

実際にポイントカードを導入してから行かなくなった外食店がある。
それまでたまに試作品を一品付けてくれたり、
宴会などの時に席の便宜をはかってくれていたことが充分に感動のサービスだったのだが、
私は感動するものに出会うために生きているとはいえても
ポイントを稼ぐために生きているわけではないので、何だか自然と行かなくなってしまった。

むしろ外食などはクレジットカードもポイントカードもないところが
「効率よく原材料の良さに重きを置いた画期的な在り方」
と思うようになった。
覚えがめでたく財布を忘れてもツケがきく関係などになれば、
これはゴールドカードやブラックカードを所有している以上のステイタスだ。

「よし、クレジットカードから電子マネー、ひいてはすべての店舗のポイントを統一しよう!」
などという戦国大名のような政治家が現れたとしても、それは難しすぎる。
航空会社のクレジットカードが買い物のポイントを
「マイルに換算する」
というのは距離感でもって訴えてくる優れたアイデアであったが、
全国統一などまず無理だ。

マイナンバー制度の導入で脱税の防止に役立つことはいいとして
「上限を4000円として定率減税は消費の後の還付とする、
面倒くさいだろうけれど、食料品と外食はマイナンバーカードを持ってね。」
というのは、めんどくさいパワーが沸き起こってくると同時に
「そんな運転免許証や保険証ぐらい大事なカードを日常の買い物で持ち歩いてどうする?」
という感触をもつ。

しかし、代案も出さずに批判ばかりはいけないので
私は内閣や財務省をはじめ税金を聴取しなければならない方の立場も考慮して、
プランを建てたい。

(1) そもそも国産の食料品とその素材を使っての国産加工品は無税とする。
    理由は国産の食料品がなければそもそもこの国は成り立たなくなるし、
    国民の生命と財産も維持できなくなる。
    それに、後から税金で生産者に細かい補助を出したりするよりも
    「そもそも無税」というシンプルさでその産業を後押しするのが
    めんどくさくなくていい。
    寿司屋さんなどで「米は国産だがネタの魚は外国産」などという場合は
    どうしたらいいか?という場合、困っちゃうと思うけれども、
    ここはひとつ「全体で純国産であること」と限定しておきたい。

(2) 台湾ですでに導入されている「統一發票」という宝くじ付きのレシートを
    日本でも導入して普及させ、消費することへの感動を復活させて
    細々したポイント計算によって萎縮している景気を活性化させる。
    無論、その活性化によって配当金を差し引いても余分に得られた利益は
    消費税導入の本来の目的であった高齢化社会を支えるための公共福祉を中心に
    使うこととする。

(2)の方について、宝くじ付きであることで台湾の場合は2ヶ月に1回の
   一等4000万円(1000万台湾元)を中心とした当選番号の発表まで
   保存しておくということがめんどくさいといえばめんどくさいが、
   「お得感」なんか超えちゃうぐらいの「夢」があれば全然めんどうくさくない。

これによって「オンラインによって営業主がレシートを発券する」ということになり、
財務省としては脱税の防止という目的は達成できる。
実際に台湾でもそれを目的として「統一發票」の制度を導入して成功しているようだ。


カード自体を持つことの喜びは、アウドドアメーカーの
チタン素材でできたカードを持った時を最後にもうないなぁ。
しかしこのカードも、飛行機に乗る時は凶器にもなる危険なものと判断されて
取り上げられてはかなわないので持ち歩けない。



マーヒー加藤



   

    
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by kaneniwa | 2015-09-11 00:10 | 草評
2015年 09月 02日

オリジナルってなんだっけ?

オリジナルっていったい何だろう?
という根本的な問題がある。
いろんなアートがあるなかで世界最小の短詩系文学である
「俳句」とか「川柳」のような、音にすればわずか17音の文芸がある。
しかも俳句の方には季語が必ず入ることになり、
川柳の方も季語はなくてもその時代や時期の旬(時事用語、流行語など)はある。
しかも両方ともに句会や大会や新聞や雑誌の公募などで「テーマ」が設定されることもある。
そうすると似た発想の作品はもちろん、まったく同一の作品というのもあるのではないか?
それは実際に時々あることのようだ。
新聞などでは
「同一の作品がある場合は先に到着した方を優先」
と選者などが明記する場合があるから、実際にそういうケースもあるのだろう。
また、すでに世に出ている作品と一字一句違わぬ同一作品を掲載してしまった場合は
俳句などでは「選者の勉強不足」という扱いとなる伝統があるようだ。
しかし、実際に大賞とか特選とか秀逸の称号を与えられる作品は
この17音の限定世界のなかで
「こんな世界があったのか」「何で今まで気がつかなかったのか」
「どうやったらこんな発想ができるのか」
というような驚きを感じるものが必ず選ばれてくるような気がしている。
オリジナリティとは何か?定義は難しすぎるけれども、
そこには大なり小なり、驚きのようなものが備わって成り立つ気がする。
Wonder(不思議)がWonderful(スンバラシイ)となるような感じ。

音楽の世界も似ている。
普通の人が無理をせずに歌唱可能な音域は「個人差あるけど1オクターブ半程度」とすれば
1オクターブが黒鍵を含めて12音であるから、この17音に近い。
そのなかで最初の音からの流れはある程度人の耳に心地よい組み合わせのようなものは
けっこう限定的であるような気もしているし、ジャンルによって形式や定石もしっかりある。
そのなかで○○風というのではなくて
「こんな世界があったのか」
などと感じてもらう音楽の創作にプロのミュージシャンは日々勤しんでいるのであろう。


ちょうどパソコン画面上でのGoogleのマークが変更された。
Googleであれば様々なOSのコンピュータから、あるいは端末から操作される
ものであるし
「小さな端末からもしっかりとGoogleであることが認識される」
ということを主眼としてデザインされたようだ。

Googleであれば当然「G」の文字がモチーフとなり、
親しまれてきた赤、黄、青、緑と白という配色を使うこととなる。
したがって
「スマートフォン上でもわかりやすいように変わったなぁ」
というだけの感想しかありえない。
たとえ素人の私がGoogleという大きなグループから依頼されたとして、
(そういうことはありえないとしても…)
素人なりに真面目であればあるほどにおそらく似たデザインを提出するだろう。

東京オリンピックで、TOKYOの「T」の文字をモチーフとしてデザインする限りは
どこかのロゴやシンボルやエンブレムや商標で似たものはあると考えていた。
ベルギーの美術館のロゴと似ているとはいっても、
東京オリンピックと間違えてベルギーの美術館に駆けつける人はいないと思うし
そんな大きな問題にはならないと思っていた。

その後、いろいろな過去作品についての指摘が相次いで、
サントリーの景品のトートバックのデザイン盗用と
羽田空港とフランスパンの写真の個人ブログ写真からの無断拝借が
明らかになって、
これは羽田空港やフランスパンの写真を撮ってくる自身の意欲や撮影スタッフもいないという、
そういうことになっちゃうので、やはりプロとしてお粗末であるなぁと感じた。
(それにしても最初に指摘した人はよく見つけたなぁ)

ただひとつ思うのは、これは佐野研二郎氏を擁護するわけではないけれども、
オリンピックのエンブレム問題としてばかりマスコミでも取り上げられていて
「パラリンピックのエンブレムデザインもセットである」
という視点が最初からどうも弱い気がしている。

パラリンピックのエンブレムの方もデザインは同じで配色が異なるために
違うデザインに見えてくるというものであるけれども、
これがもしも隙間なくオリンピックとパラリンピックのエンブレムを並べて
両方を併せたもので一つのデザインであることを強調しつつ
「これがまさしくオリンピックとパラリンピックが両輪となったエンブレムでございござい」
とプレゼンテーションをしていたならば、結果は違っていたようにも思える。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-09-02 16:57 | 草評
2015年 08月 04日

限りないもの それは容量

つい20年前、Windows95というマイクロソフトのOSが出てから
パソコンというものが急に普及しはじめた。
20年前にメインで使っていたのは
ワープロ専用機であるSHARPの「書院」と
マッキントッシュの「初代MacBook」であり、
ともにそのデータの保存には「フロッピーディスク」を活用していた。
その容量は2HDディスクで1.44MB 2DDディスクで720KB というもの。
これは文書データだけであれば文庫本1冊分は入る容量だが、
ポスターなどの見本のために写真などの画像データを入れるとなると
「2HDディスクにギリギリ入るか入らないか」
というものであった。

その頃にNECとか富士通などの大手のメーカーから
だいたい30万円前後で発売されていたディスクトップパソコンの
内蔵ハードディスクの容量がギガバイト(以下GBと表記)という単位になった。
データ保存用のハードディスクどころか
CPUが情報処理をする際にデータを一時的に貯めておく場所としてのメモリでも
8GB以上ではないと宣伝文句にもならない現在からは考えられないほどの容量だ。
それでもこの1GBの内蔵ハードディスクの登場に
「すんげぇフロッピーディスクに換算して1000枚以上が入るのか!」
と妙に感動した覚えがある。
パソコンの方のマックではなくてハンバーガーの方のマックでも
ギガとかメガという単位は「とてつもなくデカイ」という形容詞的用法をもって
使われることになる。

パソコンのギガ時代の到来に「ひとボーナスをかけて購入するか?」とも思ったが、
その時点で購入せずに正解であったとは言える。
今現在、パソコン本体に30万円を投入することができるならば
ハイエンド機どころか(グラフィックなど分野は色々だとしても)プロが使っている
ものと同じものを購入することができるだろう。

さて5年ほど前からデータ保存用ハードディスクは
GBからTB(テラバイト)の時代へと突入しはじめた。
「寺、寺、寺、テラバイト!」
と、フロッピーディスクの容量を知る世代としては大いに驚いたものだ。

4年ほど前にディスクトップのパソコンはiMacの1TBものに、
テレビ番組等の録画機も1TBのテラバイトものにした。
「これでデータ管理としては一生モノに近いのではないか?」
などとチラッと思ったりもしたが、限りないものは欲望である。
まずは録画機の方は
「見たらすぐ消す生活をしていればこれで充分」
とまで思っていたけれども、やはり2年もしないうちに満杯となった。
1枚25GBのブルーレイディスクに整理していくということになった。
たとえばNHKのクラシック音楽番組などは、音声の劣化などは5倍録画でも
ほとんどわからないのでそのモードで録画していったけれども
1枚のディスクに5倍録画だと11時間分が収録できる。
したがってヘルベルト・ブロムシュテッド指揮で
チャイコフスキーの交響曲の4番、5番、6番「悲愴」と
ズービン・メーター指揮でのシューベルトの交響曲第6番、
マーラーの交響曲第5番、
ヤニック・ネゼ=セガン指揮のフィラデルフィア管弦楽団の
モーツアルトの交響曲第41番「ジュピター」と
マーラーの交響曲第1番「巨人」。
ネヴェル・マリナー指揮のドヴォルザークの交響曲7番と8番、
それからN響定期演奏会でのブラームスの交響曲の2番、3番、4番
(これで今後1番が放映時にエアチェックでブラームスの交響曲全集が完成する)
という交響曲を11曲入れて交響曲のブルーレイディスクが1枚できた。

そういうものを番組のジャンル別にいくつか作っていった。
編集の手間の割に上記の音楽ものを除いたらそんなに録画したものを見直すということは
実際にはほとんどないのだけれども、それでもブルーレイディスクへの
編集を1回でもやってみたら、
もうDVDディスクというものには戻れなくなっていることに気がつく。
ちょっと前まではブルーレイディスクという存在自体が不要で
DVDで充分であると思っていたのに。
そして録画機の1TBという容量も、一時期は「下手すりゃ一生モン」とさえ
思っていたものが、いつの間にか「ため込んで編集するには必要最低限」ぐらいにさえ
感じていることに我ながらあきれてしまう。

パソコンの方は「クラウドというものもあるし、動画編集さえしなければ1TBで充分」
と思ってきた。
「1TBで足るを知る」としてきた。
ところが、最近のデジタル一眼レフではPanasonicのものなどで
4Kでの動画撮影が可能なものが出てきた。
画像としての4Kにはその価値や凄みはわかっていないところがあるが、
「動画で撮ったものが瞬間瞬間で800万画素相当の写真にできるらしい」
というようなことを知ってみると
昔の銀塩フィルム時代にプロカメラマンが決定的瞬間を撮りそこねないように
モータードライブで連写していたに等しい効果があるのでは?
なんて思ってしまって気になってしまう。
スポーツなどを撮るのはもちろん、
人物だって動画で撮っていい瞬間を切り取っちゃえばいいし、
たとえ風景写真だって滝の飛沫がいい感じの瞬間やら植物から雫が落ちるような
「いい瞬間」
というものがある。

そうなってくると、もしかしたらテラバイトの上の単位、つまりは
1000(1024)TB=1PB(ペタバイト)
1000(1024)PB=1EB(エクサバイト)
1000(1024)EB=1ZB(ゼタバイト)
1000(1024)ZB=1YB(ヨタバイト)
というものを使う時代がけっこう早く来るのかもしれない。
記録する媒体もHDDやSDDよりも優れた何かになるのかもしれないが、
どこの段階で「足るを知る」となるのかは自分の欲望の大きさ同様にわからない。

このペースだとYB(ヨタバイト)の時代が来るというのも
あながちヨタ話ではない気がする。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-08-04 16:10 | 草評