カテゴリ:草評( 730 )


2015年 07月 29日

RINGOとRINGOSTARSと東山湯

b0061413_22594870.jpg 私の生まれたところの近くなのであるが、いつ以来なのか思い出せないぐらい実に久しぶりに京都市左京区の百万遍(ひゃくまんべん)の交差点に立った。「この路地を入るとビートルズ喫茶のRINGOがあったなぁ…」と百万遍から路地に入る。京都市内は呆れるほどに激変した場所も少ないないけれども、逆に車が入れないような路地は昔から呆れるほどに変わっていない場所も多い。後者であった。RINGOがあった場所に行ってみるとRINGOは健在であった。吸い込まれるように階段を降りてみた。ほぼ30年ぶり。お店の中の間取りはまったく変わっていなかった。途中でおトイレに行く時も実にスムーズに移動した。ただ椅子やテーブルは私の記憶とは違っていた。それから私の学生時代にはビートルズのアナログレコードが絶え間なく流れていたけれども先日のこの再訪時には大型プロジェクターにレット・イット・ビー録音時のドキュメンタリーとエド・サリバン・ショーに主演時のビートルズの映像が映し出されていて、その音声が流れていた。往年のビートルズ喫茶とはやや異なってスポーツバーのスポーツの部分がビートルズになっている感じ。でも悪くなかった。ちょっとだけ寄ってすぐに出ようと思っていたのだがけっこうこの場所でのその映像とサウンドに浸っているとその吸引力は強力だった。

b0061413_230719.jpg お店を出る時にドアの外にビートルズのメンバーのポスター等にまじって「リンゴスターズ」のポスターが貼ってあるのを発見して「あっ!」と思った。私はRINGOに関しては「一見さん以上で常連未満」という立場。通算で訪れた回数でいえば10回前後というところ。ただ、最初の頃の訪問の5回のうちの3回に「うちのリンゴスターズでアメフトをやってみないか?」と常連客さんからの勧誘を受けたことを思い出したのだ。私は大柄だし、なんせアメリカンフットボールはオーケストラ並に人員が必要だからこの時期にRINGOを訪れていた客でちょっと体格がいいと誘われた人は多いと思う。アルバイトと麻雀で忙しい時期だったので断っていたけれども「ビートルズ喫茶のスポーツチームがある、しかもアメフト」ということを相当な妙味として魅力的に思ったことは確かだった。私の学生時代はラグビーでは大八木淳史や平尾誠二がいた同志社大学が黄金期。名QBの東海辰弥を中心にギャングスターズ(京都大学)が最強チームとなっていく時期であった。「フットボールかぁ…」と何だか意識だけは向けつつ、RINGOのマッチの背面の余白にボールペンで記された練習日のメモなどを見つつ、見学に行こうか行くまいかを悩むところまでは行った。見学に行っていれば人生が変わっていたかもしれない。でも変わっていたら今現在の幸せの部分もなかったかもしれないので、その時の迷いを含めていい思い出のみを味わっていたい。

b0061413_2303370.jpg RINGOのすぐ近くに銭湯の「東山湯」がある。おお、ここも健在であった。この銭湯ジョン・レノンとオノヨーコ、そしてジュリー(沢田研二)のポスターが貼ってあった。確かに沢田研二は京都市の左京区のこの場所から徒歩範囲の生まれ育ちではあるけれど。(ちなみに女湯の方はどうなっているかは知らないよ) 京都から帰ってから、この「東山湯」と「リンゴスターズ」については検索をたどって調べてみることにした。何と東山湯にはまだジョン・レノンのポスターが貼ってあり、さらに「レトロな銭湯なのにBGMはなぜか洋楽」という記載を見つけてニンマリとしてしまった。RINGOと東山湯は京都の隠れた宝であるという気がしてきた。 一方、リンゴスターズの方は残念ながらチームは解散していた。しかしSNSの mixi には「リンゴスターズ同窓会のミュニティ」というものが存在していて実際に同窓会(飲み会)が持たれていたり「OBでの同窓会紅白戦をやりたいね」というような書き込みがあったりしている。ビートルズ同様に「解散後の活動」というものがあるようだ。そしてまたビートルズ同様に「リンゴは健在」であるようだ。


マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2015-07-29 00:39 | 草評
2015年 07月 27日

妙好人(みょうこうにん)はすぐ近くに居るのかもしれない

一昨日の出来事を記録という意味でも記しておきたいと思う。
先週ほどではないものの33℃を越える猛暑のなかを
一人の80歳過ぎの知り合いのおじいちゃんが
リヤカーを引いて寺院のために大量のお米をもってきた。
このおじいちゃんは視力などの衰えで自動車の運転免許証は最近になって返上された。
それで5キロほどの道のりをリヤカーを引いて
1時間30分以上をかけてやってきたのだ。
途中で汗だくになってシャツを2回、着替えたという。

新米の時期でもないけれども、
ふとシャラポア(妻・日本人)と家族の喜ぶ顔が見たかったからだという。
無条件に頭が下がった。
損か得か、合理的かそうではないか、ばかりを判断材料としている生活そのもを
無条件に反省させられた。

おじいちゃんのリヤカーは、ワゴン車(ホンダのエアウェーブ)に
何とかギリギリに積載することができたので、
シャラポアがご自宅まで送っていくことにした。
おじいちゃんとシャラポアが何度もお互いに御礼を言い合っているのは
とてもいい光景のように思えた。
途中でシャラポアはそのおじいちゃんの好きな銘柄のお酒を買って
ご自宅に送り届けたのだが、帰ってくるなり
「こういう人がいるからお寺に居ると出会いは無限だと思える」
と言いつつ感動しきりであった。

愛知県の豊田市塩ノ沢に七三郎さん(文化四年に80歳で亡くなっておられる)
という人が住んでいて、
ある大風の日に京都の東本願寺のことが心配になって
山の上に登って京都の方向に吹く風を少しでも弱めたいと
筵(むしろ)をはったそうだ。
その物理的な効果は微々たるもの、というよりはほとんどなかったはずだ。
しかし、心理的な効果はどうだっただろうか?
心理ということば自体が、失礼なのかもしれない。
信仰心ということにおいてはピュアなものが物理的な力や財力の大小の問題を
凌駕するということは当たり前のようにあるだろう。
心が動けば、やがてとてつもなく大きなものが動くことにつながってくる。

鈴木大拙(D・T・SUZUKIというバイクの製品名ような呼び名で日本より米国で有名)
という仏教学者も、その晩年は「妙好人」(みょうこうにん)という
主に浄土真宗の純朴きわまりない信仰をもつ人々に惹かれていった。

最近の私が心底驚いたことを二つあげるとすれば、
ひとつは「妙好人」と言われるような純朴な人が
善導大師や鈴木大拙の著作のなかだけにあるのではなく、
私の身近なところに確かに実在されていらっしゃるということ。

もうひとつは、戦後の日本において平和のもとに
明かりがさし始めた時代に流れた歌謡曲の名作である
笠置シズ子が歌った「東京ブギウギ」の作詞者の鈴木勝という人が
鈴木大拙の長男であったという事実を発見したことである。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2015-07-27 06:44 | 草評
2015年 07月 14日

本当は2年前に書くべきだった意見

b0061413_113248.jpg


新国立競技場建設の問題は、予想していた通りから予想以上の問題になってきた。
現在の状況でその是非を問う国民投票が行われたとしたならば、
おそらく圧倒的多数で否決されてしまう案で建設される。

本来ならば2年前に書いておけばよかったブログ記事で遅すぎるのだけれども、
今月を過ぎてしまってはなおさら遅すぎる気がして書く。

コンペ作品が出揃った時点で実は2年前にネット上でも色々な意見が交わされていた。
それは私のような素人から専門家筋に至るまで色々であったけれど、
現在の構想であるザハ・ハディド作品は私の印象のなかにはあまりなくて、
それこそ素人の「ぱっと見」で「いいんじゃないの」と思ったのは
ツヨシ・タネというフランス人(たぶん日系であると思う)のデザインした
作品番号(エントリーナンバーのようなものであると思う)26で、
最終候補の11作品のなかでの番号は「6番」の
「アーシテクト&アー+アーシテクチゥール」
というものである。

2年前のネット議論のなかでは「古墳っぽい」と言われたものであるが、
逆に古墳ぽいぐらいの感じがあってこそ聖地と呼ばれる存在になりうる気がする。
やはり甲子園球場が阪神電鉄の持ち物であって広告だらけなのに「聖地」であるのは
あの蔦の存在感が実に大きいと思うのだ。
国立競技場は陸上競技はもちろん、ラクビーやサッカーの選手が
目指すところであり聖地となるはずだ。
その目指す場所としての聖地のイメージは流線型か古墳かといえば、古墳がいい。

そうするとツヨシ・タネ案がいいと思う。
ただし、それもまた間に合わないとは思う。
ツヨシ・タネの古墳のような原型をラグビーのワールドカップに
間に合うように建立して、そこからオリンピックを経て
2030年頃には原案のような森の姿にしていくというのがいい。

そしてこの古墳状の森への「お植樹権」を建立の資金の一部とする。
少なくとも「ネーミングライツ」をあてにするよりはスマートだと思う。
しかも国立(くにたち)ではなく国立(こくりつ)であって、
その趣旨からも命名権は成り立ちにくく、
さらには建設計画段階でこれだけケチがついた物件の命名に大金を支出する
日本企業(さすがにグーグルスタジアムはないだろうと思う)
はなかなかないと思う。

この「お食事券」ならぬ「お植樹権」のプランは
400億円以上かかった東本願寺の大修復においての
「瓦懇志」(かわらこんし)を一応、ヒントにした。
大修復において古くなった瓦をお布施とともにひきとることで
その膨大な修復額の一部(といっても大きなものだ)にした。

このような大プロジェクトにおいては
「大金とともに、どれだけ人の想いを結集できるのか」
ということが必ず必要になってくると思う。

それから、これは東京オリンピック後もブログが続いているとして
予言をしておきたいけれども、
「屋根がつくことはないと思います!」

ちょっと前にNHKの「SONGS」という番組で、
ジミー・ペイジがレッド・ツェッペリンでの初来日でステージを踏んだ
日本武道館を感慨深く再訪するところを映していたけれども、
ミュージシャンとしても聖地は国立競技場ではなくて武道館だろうと思う。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2015-07-14 23:28 | 草評
2015年 07月 08日

精読か多読か 精聴か多聴か

読書について自分は精読派であったか多読派であったかを考える。
趣味としてというだけでなく「頭だけでなく自分の身に入ってくる」という意味では
やはり同じ本を何度も読むような精読の時間がいい。
趣味としての読書として愛せるのも情報処理としての多読よりは
気に入ったものの再読の方である。
しかし精読のための多読、というと矛盾するようだけれども
その本しかなかったからその本を何度も読んだというのではなくて
たくさんの本に目を通してきて自分の主体的な選びがあった上で
「やっぱりこれがいい」
という展開が好ましい。
つまり、やっぱり図書館には本がいっぱいあった方がいい。

ミステリーとか推理小説というような、犯人やトリックがわかった上での再読は
多くの場合は最初に飲む生ビール大ジョッキに比べれば2杯目の美味しさは
半減以下というになるけれども、
文芸の「芸」の部分が際立つ作品は
「もしかしてそういうことなのか」という最初に読んだ時の自分の心理まで
感じられたり、あるいはその心理状態での推測と合致した時の気持ちの高まりや
その推理を超えた展開やトリックがあった時の衝撃の再現性はけっこういいものだ。

そして本の場合にはたとえ学術書のような分野であったとしても
「詩的な要素」というものや「言語というもの自体の切れ味の良さ」や
文芸の「芸」の部分が感じられたものは、なおさら精読に値すると思う。
詩的な要素といってしまったが、ちょっと考ええたら詩そのものというジャンルがある。


今度は読書のことを食べることにたとえてみたい。
「食べ放題」
にはほぼ関心を失ってしまった。
20歳代までの私だったら「焼肉」とか「寿司」の食べ放題には
色めき立ったということもあったと思う。
でも、新発田市の「ぶどう畑」という野菜料理(肉料理、魚料理もちょっとだけある)
のお店以外でバイキングや食べ放題のお店以外にはほとんど行くことはない。
ぶどう畑では日本料理でなくとも季節や旬というものが随所に感じられ
(真冬もバリエーション豊かな根菜料理と湯豆腐が美味く、薪ストーブが設置されている)
その調理法などが実に参考になるし、後味がいい。

たとえば「焼肉」や「寿司」というのはずっと自分にとってご馳走であって欲しいので、
それを詰め込みすぎて感覚が麻痺してしまったり、後味が悪かったり、
「もう見たくない」なんて気持ちになることが嫌だからだ。
でも、20歳代までとは違って身の問題としての代謝能力がいちばん大きいかな。
でも、せっかく焼肉とか寿司とかのご馳走を食べる機会があるのならば、
ある程度の「厳選」をする方を選ぶ。

さて、Apple Music という音楽配信サービスが
つい最近の6月30日に日本を含め約100カ国で開始された。
3000万曲が月額980円で聴き放題であるという。
3000万曲ということは、たぶん私が持っている音源の99%は網羅されているはずだ。
これは巨大図書館として
「この曲はどんなものだろうか?」
「このアーティストの他の作品はどうなっているのかな?」
と利用するには実にありがたい存在である。

しかしこの音楽配信サービスが喜ばれるのは
本の読者のたとえでいえば多読派であり
飲食でいえば定額制ということもあって「食べ放題」的である気がする。

たとえばインターネットラジオなどはすでに聴き放題
(現実のラジオも音楽中心の番組が減っただけで聴き放題だ)
なので、それは愛聴しているけれども、
やっぱりそうやって新しく知ったものからCDを購入して
愛聴するという
「多読が嫌なわけではないけれども精読派」
というようなあり方をしたいと思う。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2015-07-08 15:34 | 草評
2015年 07月 04日

集客力より「観客力」

今週に入ってからテレビでウインブルドンでの
錦織圭選手の2回戦を観戦しようと思ったら、
「錦織選手の負傷棄権のため、マリア・シャラポア選手の試合を生中継します」
というテロップが出て
「ま、それもいいか」
と久しぶりにマリア・シャラポアの試合をテレビ観戦しつつ、
彼女の2回戦の快勝を見届けた。
妻を「シャラポア!」と呼んでみたら喜んだのでそう呼びつづけて
もうすでに12年が経過するけれども、
相変わらず第一線で活躍し続けるマリア・シャラポアは偉大だと思った。

昨日の朝にはカナダでのサッカー女子ワールドカップ準決勝の
日本の対イングランド戦をこれまたテレビ観戦。
男子のイングランド代表の戦術と同じくタテの大きなパスを入れてくる力技的攻撃を
見ながら「いっしょに我慢する」という感じでストレスのようなものも感じる
試合ではあったけれども後半ロスタイムにオウンゴールを誘っての決着で
日本が決勝戦に進んだ。

エドモントのスタジアムは二階席より上には空席も目立ったけれども
さすがに準決勝ともなると大きなスタジアムの7割以上は埋まった感じで
盛り上がりを見せてきたのだが、それ以上にオーディエンス(観戦者)たちの
反応を非常に快く思った。
トーナメントの準決勝であるから日本もイングランドも
「負けられない」という意識がプレーの全域に感じられた。
たぶんスポーツニュースの編集者としては
「ハイライトシーンは限られる」
というような展開にどうしてもなった。
しかし、そのわずかなハイライトシーンでの湧き上がるどよめきとか拍手などの反応に、
男子とは違って熱狂のようなものとはほど遠いけれども
「ああ、みんなサッカーの見どころを心得ているのだなぁ」
というような気持ちになった。
これはイングランドファンも地元ファンも日本からの応援団もみんな含めてである。
これが日本時間で7月6日(月)の朝の決勝戦ともなれば、
地元カナダの人たちが隣国でもあるアメリカびいきが多いのか
あるいは隣国であるがゆえのライバル意識もあって日本びいきの傾向のなるのか
どちらかはわからないけれども、
どちらにしたっていいプレーにはいい間でのどよめきや歓声が湧き上がると思う。

ウインブルドンでの観客も、当然ながらテニスをよく知っている。
地元スーパースターであるマリー選手がセンターコートに登場したり、
決勝戦で白熱する攻防があった時には審判員のクィーンズイングリッシュでの
「お静かに」
の声にたしなめられるということもあるけれども、概して静かな盛り上がりと
選手のいいプレーへの賞賛と
「COME ON!」
などの激励の声が実にいいタイミングでかかる。

歌舞伎での「◯◯屋!」と屋号を大向うからいいタイミングでかける声に
多くの俳優が育てられてきたように、ファンの反応が
スーパースターの台頭を祝福しつつ育て上げてきた。

話は前回のブログ記事
の続きのようなものになるけれども、
建造物も確かに大事には違いないけれども
スポーツをよく知っている、楽しんでいる、勝負どころを心得ている観衆の声援が
最大の「お・も・て・な・し」となることを
もっともっと意識した方がいいのではないかとつくづく思うのだ。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2015-07-04 21:59 | 草評
2015年 07月 01日

僭越ながら新国立競技場計画に対して意見を述べる

b0061413_23273685.jpg


2020年の東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる
新国立競技場の建設が、整備費2520億円で「正式」に決定したという。

しかし専門家筋からの
「まず果たしてこの工事が可能なのか?間に合うのか?」
という声まで聞くと「それが正式でいいのか?」と思ってしまう。
結果的に東京オリンピックがいろんな面で大成功をおさめて
あらゆる年代層にスポーツ文化が根付いて医療費が大幅に浮くというような、
シドニーオリンピックでの効果のようなことがあればいいのだが、
一説には選手育成の費用も大幅に削ることになるのではないかという話を聞けば
何だか手段と目的が逆になっている気がしてくる。

旧国立競技場は神宮外苑ロードレース(マラソン)の10キロの部に出場した経験があり、
その時のスタート地点とゴール地点が旧国立競技場であった。
12月という時期だったが来るべき当時のトヨタカップ(サッカー)の決勝戦と
ラグビーシーズンのために素晴らしい状態で手入れをされた芝生が印象に残っている。
新しい国立競技場に屋根を付けるにしても、開閉式でなくては天然芝は死んでしまう。
オリンピック後に開閉式の屋根を付けるというのは、どうも現実的ではない気がする。

横浜国際総合競技場、いわゆる「日産スタジアム」は
2002 FIFAワールドカップの会場とするために1994年(平成6年)1月に建設に着手し、
1997年(平成9年)10月に完成した。3年半かかっている。
それを思えば建築のプロでもないし犬小屋さえも作った経験もないけれども
「間に合わないのではないの?」
と思ってしまう。

開閉式の屋根を最初から付けるのであれば日本で最大のドーム球場である
福岡ドーム(ヤフオクドーム)をモデルとして8万人収容で陸上競技も可能な
さらに大きなものを建てるか、
新潟スタジアム(デンカビッグスワンスタジアム)の
さらに大きなものを建てることにして何とか間に合うのではないだろうか。

それにしても開閉式の屋根ということ自体にしても
福岡ドームで屋根の開閉に100万円以上がかかることはもちろん、
その開閉に騒音が発生することからしばらく屋根が開けられていない。
(人工芝であるから芝の育成には問題ない)
KinKi Kidsがコンサートを行なう際に
「予算は自分たちがもつので、演出として公演中に屋根を開けて欲しい」
と要望したがこの騒音問題で実現しなかった。
(ただ、2011年6月21日に迷い込んだカラスを追い払うためだけに開閉が行われたという。)

新国立競技場の計画を
「実現が難しすぎる」
といって突然にボツ企画としてしまっては
設計者のザハ・ハティドさんに申し訳ないし、
コンペで彼女の案を強く推した有識者も立場がない。

私は設計どおりに、ただしスケールを小さくして2000人規模の
絵画、彫刻、文学、建築、音楽の殿堂としての国立の聖地として
メインスタジアムとは別に建設すればいいのではないだろうかと思う。
それは古代オリンピックからの歴史をみてもパラリンピックの実施の現代の流れからも
正しい判断ではないだろうか。

B.B.キングもボブ・マーリーも東京でのライブは収容2000人規模の
中野サンプラザであった。
厚生年金会館がなくなった今は、やっぱりそれぐらいの会場のなかで
ホンモノにはふれたい気がしている。

5月30日(土)にフジテレビ系の『ENGEIグランドスラム』というお笑い番組を見て、
200人ぐらいの観客がバカ受けするライブ感のなかで
お笑い芸人(確かに一流どころを揃えていた)もノリノリでありつつ
隙のない話芸を活き活きと披露しているところを見てから、
何だかそういうことを思っている。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2015-07-01 00:51 | 草評
2015年 06月 21日

風の万国旗

b0061413_205534.jpg 先月の末娘の運動会(小学校)ではなかなかいい写真が撮れたのだがブログに投稿する写真となると、なかなか難しい。暑かったけれども風があって気持ちよかった。その風を記憶にとどめておくのに、はためく万国旗のアップがなかなかいいと思って撮っておいたものがあった。これはアップ写真であるがかなりの国の数がそろっていて壮観であった。依然として年代物の旧ソ連邦の国旗が掲げられているという時代もあったが、現在はさすがに見当たらなかった。(見落としていた可能性もちょっとある)そして、昔から万国旗に北朝鮮は見当たらないなぁ。 今まで万国旗を自分で買おうと思ったことはなかったけれど Amazonで 布製 万国旗 100ヶ国 (ランダム) 25m THK ¥ 3,450 というのを見つけた。何だか国旗カードとか国旗パズルよりも、国の名前を覚えるにはいい教材という気がしてきた。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2015-06-21 06:57 | 草評
2015年 05月 31日

和田一郎著 『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』

b0061413_23483282.jpg


和田一郎さんのことは
京都市の一乗寺で三階部分はライブハウスでもある焼肉店を経営されている
「焼肉いちなん」の店主の孫恵文さんから初めて教わった。
ただ、孫さんも和田さんとは直接には会ったことは一度もなかったという。
しかし
「こんなに深い文章が毎日のように更新されるブログはまずない、毎日感服している」
という孫さんの言葉に、私は「和田一郎」という名前だけをメモしていった。
後日、すっかりと私も
 ICHIROUYAのブログ
という毎日更新されてくるその文章にひかれていったのである。
それにしても2012年の3月から
毎日クオリティの高い文章を更新されている和田さんもすごいけれど、
それを2013年中という割合と早い時期に私に教えてくれた孫さんもすごい。
さすが先鋭的でディープな人が集まる「出会い系焼肉店」の店主だ。

今年の2月10日に和田一郎さんが世に出されたこの
『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』
(バジリコ株式会社 1300円プラス税)
という本を私はAmazonで購入したので、
Amazonの書評の方にコメントを寄せた方がその流布に寄与できる気もするのだが、
私としてはブログでふれたくなった。

和田一郎さんは超一流大学(京都大学)を卒業後に
大手百貨店に勤務され、42歳の時に退職された後は
海外向けのアンティーク着物の販売を始められる。

和田さんが書かれるからには「ただのビジネス書ではない」とは思っていたが、
サクセスストーリーが自慢気に語られたり、
高みに立っての教訓が延々と述べられる本とはまるで違って
「ここまで自分というものを見つめられる人がいるのか」
という驚きのようなものを感じることになった。
実際に情報をとって役立てようという種のビジネス書や啓発書とは違い、
何度も再読したい思想書に近いものだと感じた。

実は私も40歳になる間際まで組織というものに属しながら、
組織から給料をもらって、お陰で借金に追われる心配はなかったけれど
様々な締め切りと仕事に追われる日々をずっと送ってきた。
けれど、私には当時から今に至るまでここまで深く自分をみつめることはできない。

「組織」という言葉自体が、
おそらく「organization」からの翻訳的に編み出された言葉であると思う。
明治時代の古書でこの「組織」に「からくり」とルビがふられているのを見たことがある。
(悔しいなぁ、典拠がなかなかネット検索では出てこないなぁ…)
たとえば人体なども含めて「組織」というものの不思議さも言い当てた
絶妙の読みであると感じた。
心臓や肝臓がどんなに大事であるとしても、
それだけがいかに張り切っても
全体としての「からくり」を阻害してしまうということがあるのだと、
この本を読んでますます感じることになった。
「自分は心臓部にいて休まず働いている」
という思いあがりはあっても、自分を見つめつつ体全体を俯瞰する眼をもてなかった。

これは今日、週刊誌を読んでいたら書いてあったことだが
野村克也氏が初めてホームラン王をとった翌年に
猛練習は欠かさなかったのに大スランプに陥ったという。
その時に南海ホークスのある先輩から
「野村よ、ぶん殴った方は忘れても、殴られた方は忘れないぞ。
 勝負は相手から自分を見ることも大事なんだ」
というアドバイスを受けたことで
(週刊文春2015年6月4日号106ページ)
データというものに目を向けることがはじまったという。

『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』には、
組織のなかで仕事に没頭しつつ成功を収めていた時期に
周囲はどのように自分を見ていたのか、ということが
とても深いところからまさに後悔という内省から語られている。
和田さんは殴られた方のことを決して忘れていないのだ。

僕の後悔9 信念なんてゴミ箱に捨てればよかった
僕の後悔10 クリエイティブであるよりも堅実であればよかった
僕の後悔11 周りからの評価を得るために長時間働かなければよかった

などの後半の章段のタイトルは一種の「逆説」になっている。
心の真実というものは
「汝の敵を愛せ」(新約聖書)
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)
という逆説的な形をとらなくては私たちには気がつきにくいのかもしれない。
そんな逆説を出せるほどに和田さんは自分を見つめたのだと感じた。

書評としても推薦文としても非常に中途半端なブログ文となってしまったが、
ブログをお手軽にまとめた本ではなく内容も重複するところはほとんどなく、
(しかしその名文の書き手は紛れも無く和田一郎さんであることに間違いない)
引用文も少ない本書のなかで、珍しく引用されたこの言葉に
今の世の中の大事な変わり目が照らされているということを強く感じた。
それをご紹介させていただいて終わりたい。
なお、原文が英語であるということもあるがマーヒー加藤流超訳にて、
近日中に法語掲示バージョンにてここに記すことをどうかご了承いただきたい。

何の業績もないように見えるあなたの親が
あなたを愛することで
幸せになっている姿をよく見てほしい


作家ジョージ・サンダース
2013年シラキュース大学卒業式でのスピーチより


マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2015-05-31 06:47 | 草評
2015年 05月 23日

スポーツ吹き矢(競技)を一晩で知ったかぶり

昨日、ある住職さんと日程の打ち合わせをしていて
「ごめんなさい、その日はある競技の県大会に出場しなくちゃいけなくて…」
と言われ、それは何気ない会話であったのだが
「それはどんなスポーツのの大会なのですか?」
と尋ねると
「吹き矢なんです」
「えっ?FUKIYAっていうと?」
「そうです、筒状のものから発射して的に当てる吹き矢のスポーツ競技です」
というやりとりがあって、矢継ぎ早に20ぐらいの質問をたてつづけにしてしまった。
以下、箇条書きにするのは、その質問の結果で知ることができた知識の羅列である。

(1) 吹き矢( blowgun)に相当するものは世界各地に古代からあるが、
    スポーツ競技として確立した上で全世界への普及を目指しているのは
    日本である。すでに短期間のうちに海外の支部も多数できている。

(2) 1988年頃に新潟県長岡市の開業医・樋口裕乗氏が創始者となって
    スポーツとしての吹き矢のルールやレギュレーション(規格)などの
    整備が行われている。

(3) 筒の規格は全長120cmである。100cm(ジュニア用)もある。
    内径13mmで材質は釣り竿と同じくカーボン、グラスファイバー等が用いられる。

(4) 老若男女を問わずに楽しめ、その交流やストレス解消や
    シューティングゲームとしての娯楽性も競技の目的であるが、
    同時に高い精神性を求道するメンタル面の鍛錬も大切にしており、
    従って武道のような段位制、昇級制度を用いている。
    
(5) 的は半径3cm、6cm、9cm、12cmの同心円で内側から7点、5点、3点、1点となる。
    的までの距離は前述の段位制に基いて6m、8m、10mの3段階に分かれる。

(6) 1ラウンドにつき5本の矢を吹き、4ラウンド(140点満点)、
    あるいは6ラウンド(210点満点)を1ゲームとする。

(6) タレントでは上地雄輔が愛好者であり、すでに2009年に2級に昇格している。

(7) 吹き矢が発射された時の初速はトップ選手で約150㌔。
    これは、上地雄輔が横浜高校野球部で捕手だった時代に受けていた
    エースの松阪大輔の投球の初速とほぼ同じである。

(8) AKB48の天然娘・小森美果が愛好者であり、今後の総選挙では
    吹き矢愛好者の支援を受けて伸びてくるとかこないとか。

(9) 2007年には日本スポーツ吹矢協会が
    文部科学省より社団法人として認可されている。

(10) オープン競技ながらすでに和歌山開催や東京開催での
     国体(国民体育大会)で競技の実施がされている。

(11) 日本スポーツ吹矢協会は、国体の正式種目入りを目指していると同時に
     将来的にはパラリンピック、オリンピックの正式種目入りを志している。

(12) その社団法人でもある日本スポーツ吹矢協会の本部は
     東京都中央区銀座3-10-9 共同ビル9F という場所にある。

(13) そんな銀座3丁目では、筒をケースに入れていても裸で持っていても
     警察官から職務質問されてしまうというのが
     「スポーツ吹矢競技者あるある」であるという。

(14) 大会や海外支部での講習など飛行機に乗らねばならない時には
     なかなか手荷物で機内に筒を持ち込むのは難しいらしい。
     手荷物でなくても検査時、特に海外の税関で筒の用途を説明するのに
     苦心しているという。

(15) ちなみにケースはDAIWAやSHIMANOの釣り竿用のものを流用する人が
     主流であるが、複数を野球のバットケースに収納する人もいるという。
     さらに全長120cmの筒は3つに分解可能なため、フルートのケースに入れる
     という人もいるとかいないとか。

(16) 銀座3丁目の本部は事務所の他に試合や講習のための競技場も兼ね備えている。

(17) 試合や練習の後で、銀座のキャバクラにちょっと寄ると
     競技用の筒の入ったケースを見て「それは何ですか?」
     というキャバ嬢の最初のツカミ(関心)の高さは
     最大級であるとかないとか。

(18) 最初からキャバ嬢の(話題としての)関心が高く、
     競技者はスポーツ吹矢で培った柔軟かつ健全で崇高な人格により
     モテモテであるとかないとか。

(19) たとえばドラムやサックスを演奏する「ちょいワルおやじ」というものは
     モテる要素であるが「吹き矢を嗜むちょいワルおやじ」という
     その「ちょいワル」の具合のインパクトは絶大であるとかないとか。

(20) 「ちょいワル」とは言ってもそこは段位制度も取り入れている武道精神と
     健全な娯楽精神によって成立するスポーツであるから
     たとえば戦争を頂点とするケンカや動物虐待に培った技術を使うことは
     とんでもないことで、競技者は楽しく素晴らしい人格者が多い。

などと、私が繰り出した20の質問に実に丁寧に住職さんは答えてくださった。
つい30時間前に私はスポーツ吹き矢という世界のことを知ったばかりである。
しかし、今の時代であるからさっそくにYouTube等で
「パーフェクトゲーム達成の瞬間」の動画などでその緊張感などを味わい、
何だか一度も道具に触ったこともないし実際の競技を見たわけでもないのに
ハマってしまっている感じがある。

銀座のキャバ嬢ではないけれども「えっ?吹き矢?」ということで私が
これほど喰いついて質問を連発してしまったのである。
話題性の大きさではこれほどのものはないような気がする。

この盛り上がり方は私の人生経験のなかの「何かに似ている」と感じた。
思い出してみればこの草仏教ブログの愛読者でいてくれる「えみぞうちゃん」から
「マトリョーミン演奏」という世界を教えてもらった時の感覚に似ている。
「ロシア人形にテルミンを内蔵した楽器?何だそれは?」
「竹内正実さんって誰だ?」
「すでに協会が設立されているのか?」
など、その意外性に驚きまくったものであった。
その後に「どんどん調べることができる」という今の時代の特性を活かして
知れば知るほどにその意外なほどの演奏人口の幅広さや深さに驚きまくった。
そして、1回だけ、それもアフターライブながらもマトリョーミンと共演させてもらって
その周囲の空気感さえも変えてしまう世界を知ってしまった。
私はマトリョーミン自体はまだ演奏したことがないけれども
知って体感しただけで豊かになれた気がした。

もしも、私の娘たちや息子が将来に就職のため提出する履歴書に
「趣味は吹き矢競技とマトリョーミン演奏」
などと書き込めば、私と同年代ぐらいであろう人事課長に与えるインパクトは最大級だろう。
しかし、これは
「発想や動機がちょいワルおやじ」
と反省しなければならない。

マーヒー加藤
     
    
    
[PR]

by kaneniwa | 2015-05-23 23:10 | 草評
2015年 05月 18日

追悼記事(32) B.B.キング(B. B. King)

B.B.キングの訃報を聞いた時から、
それまでにも親しみあるミュージシャンが亡くなった時には感じたフィーリングだけれども、
つい先週あたりにも耳にしていたB.B.キングのギターの音が
「あの世から響いてくる感じ」
となった。

B.B.キングという人の名前自体がニックネームを元にしているけれど
愛用のギターにまでニックネームが付いているのは珍しい。
それは物品の名前としてはギブソンのES-355TDSVを改造したものであるが、
やはり「ルシール」という名前でなくては何だかピンとこない。

B.B.キングがアーカンソー州トゥイストのクラブに出演した時に
二人の男が喧嘩を始め、ストーブが倒れてクラブは大火事になった。
いったん店の外に避難したB.B.キングであったが、愛器のギターを忘れていたことを思い出し、
再び火災が起こっているクラブに飛び込んでギターを持ち帰った。

翌日、その男たちの喧嘩が「ルシール」という名の女性をめぐっての争いであることを
知ったB.B.キングは、魔除け的な意味もあったのか
愛用のギターを「ルシール」と呼ぶようになったという。

その「ルシール」で、特に得意のチョーキングを多様しているときの音色は、
B.B.キングのボーカル時の声質にそっくりに聞こえてしまう。
逆にいうと「ルシール」がB.B.キングの声を代弁するかのように歌って唸っている。

YouTubeなどで映像を見ているとよくわかるが、B.B.キングが声を出している時は
彼はギターを弾かずに、まったく一音も出していない。
まるで、サッチモ(ルイ・アームストロング)がその声質そっくりなトランペットを演奏し、
歌い出したらそのトランペットそっくりな歌声であることを連想する。


[PR]

by kaneniwa | 2015-05-18 23:55 | 草評