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カテゴリ:草評( 730 )


2015年 02月 01日

名曲草鑑賞(47) 五十一(いそいち)の Chicken

飛行機往復での京都出張に行ってきた。
夕方の5時ちょうどに京都を出て、
1月30日金曜日で関西地方にも雪が降りそうな日の夕方で
「こりゃ京都駅からリムジンバスに乗ったら渋滞に巻き込まれるかも」
と、思い地下鉄で烏丸四条に出て、そこから阪急電車と
モノレールで新潟行きの最終便の午後7時15分の飛行機に乗るための目安としての
40分前には伊丹空港に到着していたのだが、
羽田行きの便などに積雪の影響が少なからずあったようで
ANAのカウンターには欠航や遅延のインフォメーションを見て
チケットの切り替えをする人々などの列ができていて
けっこう締め切りギリギリの時間に手荷物検査を受けて
飛んで行く飛行機に「飛び乗った」という感覚で間に合った。
冷や汗が出たなぁ。

そんな慌ただしい関西出張ではあったけれども、
その1月30日のお昼前に、私が関西にいる時はよく聞く
FM COCOLO(周波数76.5MHz)で
五十一(いそいち)という人の Chicken(チキン)という曲を聞いた。
そのメモをもとに自宅に帰ってから、
五十一 というミュージシャンのYouTube追いをしはじめて
これにハマりまくった。
サウスポーから繰り出されるスライド・ギターやブルーズギターのサウンドと
存在感にあふれたボーカル。
そしてラジオを聞いていた時から、息遣いからしてブルースハープ(10穴ハーモニカ)
ももしかして五十一さんご本人では?とは思っていたけれども、
その想像も当たっていたことも確認できて嬉しかった。

さらに番外編として、試聴回数が128回としか表示されていないのだが
muddyhattaさんという人がリゾネーター・ギターを使いつつ見事な
スライド奏法と素晴らしいボーカルで(顔は映っていないのだけれども)
五十一さんの「ありがとうママ」という曲をカヴァーしている投稿にも
かなり心を奪われてしまった。

今までにも私はラジオから素晴らしきミュージシャン、素晴らしき楽曲を
たくさん教えてもらってきていたのだけれども、
やっぱり FM COCOLO は素晴らしい!

素晴らしい!ばっかりではなかなかブログ文として多くの人に関心を寄せてもらえないだろうし、
評論としてもご紹介としても失格に近いかもしれないけれども、
ともかく、この耳からの出会いを精一杯喜んでいます。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-02-01 00:30 | 草評
2015年 01月 27日

オールドは新しい…かもしれない

b0061413_23594112.jpg 今年のお正月、何だか日本酒以外のものでおせちをおつまみにして一杯やりたくなって、そういう場合にはまず焼酎だよなぁと納戸に焼酎を取りに行こうと思ったところ、サントリーオールドのダルマ型ボトルが目に入って「この手があるなぁ」と妙にウキウキしだした。そこでサントリーオールドをCMのようないい音をさせてロックグラスに注ぎつつ芋棒、キンピラ、紅白なますといったあたりをおつまみにしながらチビチビとやっていた。まず、その時の正直な感想は「えっ、えっ?サントリーオールドってこんなに旨いものだったっけ?」というものであった。 ごくたまにしか観ていないけれども、現在放映中のNHKの朝の連続ドラマの『マッサン』はニッカの創業者である竹鶴政孝とリタ夫婦をモデルにしている。サントリーの前身の寿屋をモデルとした会社も出てくる。そのなかで本場のスコットランドのウィスキーを目指すマッサンと、あくまでも日本の風土と日本人の味覚に重きを置いた日本人に合うウイスキーを追求する寿屋(サントリー)との姿勢の違いもドラマ化されていたように思う。 素朴な感想だけれどもニッカの本格派志向もいいけれど、それならいっそのこと昔と違ってそんなには価格差もない本場のスコッチを選んで飲むという手がある。あくまでフランス料理が前提にあってそれに合うワインを選ぶというような考え方でいけば、目の前に日本料理があってそれに合うウイスキーとは何だろうか?と思った時に、サントリーオールド以上に説得力のある答えは、あくまで個人の感想だが「余人をもって代え難し」というフレーズが頭に浮かぶ。 もっともサントリーへのイメージの中心が学生時代のレッドやホワイトでの悪酔いであったことも「オールドってこんなに旨かったっけ?」という驚きの伏線としてある。当時から居酒屋にオールドのキープボトルがあってオヤジたちが美味そうに飲んでいた残像もたっぷり残っている。何となくだが「学生はホワイトまで」というような不文律がかつてはあった気がする。 デビュー年の1950年にはかなりの高級ウィスキーであったオールドを行きつけの和食店にキープしまくって流行らせたのは江戸川乱歩だったという説もあるようだ。 バカみたいだが、自分の文章に誘われてサントリーオールドを取り出してきて、小林亜星作曲の「夜がくる」(♪ダンダンデュビ、デュビドゥバ)を口づさみつつ飲みながら書き出して思い出した。私の実父がかつてはお正月にやはりおせちをツマミにしてとても旨そうにオールドを飲んでいた残像がよみがえった。私自身がホンモノのオヤジになったのだ。そういう私を今年のお正月には中学生の息子が見つめていた。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-01-27 00:47 | 草評
2015年 01月 24日

福岡正信著 『わら一本の革命』

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今日、たまたま愛媛県出身の方がお客さんで来られた。
それで、その方が帰られてから急に28年前に1回だけ愛媛県を訪ねた経験を思い出した。
その時は日本仏教史を学ぶ大学院の先輩と二人旅で、
ともに中型のオートバイにまたがって四国と九州をまわった。
明確な目的地は香川県と宮崎県にそれぞれ住む、
私とその先輩との共通の後輩の実家に立ち寄っていくことだけだった。

四国の小歩危渓谷あたりでオートバイをとめた。
先輩はコーヒーと抹茶をこよなく愛する方で、
その旅もオートバイでの旅であるにも関わらずに
休憩先で本格的なコーヒータイムをとることができる道具などをフルセット積んでおられた。
先輩は現在は市役所職員をされているが、その下宿に遊びに行くと

「なんで10畳以下のスペースにこれだけたくさんの専門書を置けるんだ!」

と驚くほどの蔵書がスティール本棚を背中合わせにしつつ実にきれいに整理されていた。
もちろん博学であったが、それは専門分野のみの学識だけでなく
どんな話も興味をもって耳を傾けてくれる柔らかい豊かさをもった先輩であり、
私はこの先輩に対しては素直に何でも思ったことを投げかけてきた。

旅先の渓谷で汲水を使った実に美味しいコーヒーを飲みながら
伏線としては岡山県の宇野から香川県の高松市に渡るフェリーのなかでもしていたのだが
こういう話をしていた。
「私は最近、横浜税関を退職して愛媛県で自然農法をやっている人の本を読んだのですね、
 それは農法の本ではあるけれども私は思想の本として読んだのです」
「と、いうのは?」
「科学的な合理性や採算性のようなものを追求してどんどん不必要なものを取り入れ、
 結果として根本をスポイルしているということが、それは農業だけではなくて
 自分たちの頭のなかでも起こっているのではないかと…」
「…うーん、マヒトぉ、オモロイぞぉ、それはオモロイぞぉ、
 よし!フェリーで四国から九州に渡る前にその愛媛の農園を訪ねるぞぉ!」

と、いうことになった。先輩は実に行動する歴史学者(当時は卵であるがデッカイ卵)
であったのだ。 

愛媛県の伊予市の方々に道を尋ねつつ、私達二人は福岡正信先生の農園を突き止めて
オートバイを置いてその中を歩き始めた。
あちこちに福岡先生自身の手による書が記された看板があった。
その農園のなかを歩いていて、最初に出くわしたのが
作業をされていた福岡正信先生であった。

私の方から恐る恐る声をかけた。
「…あのぉ、先生の『わら一本の革命』を読ませてもらった者ですが…」
と。
「きみたち、農業はやったことがあるのか?」
と福岡先生は尋ねてきた。
「いいえ、私たちは学生で農業経験はありません」
と、私が言ったか先輩が言ったか忘れてしまったが、一喝された。
「ばっかもん!私の考えに賛同したアフリカや中東やアジアから欧米から
 自国の農業を何とかしたいとやってくる若者たちにはワシは惜しまずすべてを
 伝えてやっている!農業をしてみてからまた来い!」
と怒られた。ただし、これは私の感覚だが「また来い!」の部分には
何か暖かいものを少し感じたのだった。
それを裏打ちするかのようなやりとりが直後にあった。先輩が
「恐縮ですが、このみかんを数個いただいていっていいですか?」
と言った時だった。
私は怒られたばっかりで、先輩はホンマに何と恐縮すぎることを言うのか?と思ったら
「付近の鳥だって時々それを喰いに来るんだから、ワシは別にかまわん。持っていきなさい」
と言ったのだった。

そのみかん、いつ食べたのかは思い出せないのだが
その驚くべき甘さは印象に残っている。
「このみかんみたいに福岡先生は甘くなかったですね、私が甘かったですね」
とつぶやいたこともうっすらと覚えている。

数年後、やはりフェリーに中型のオートバイで乗り込む旅をしていた先輩は
フェリーの甲板のベンチで『わら一本の革命』を読み込む人の姿を見かけ、
思わず
「私は福岡先生とお目にかかったことがあるのです」
と声をかけたことがあるそうだ。
「えっ!それは何時ですか?何処でですか?」
とものすごい熱意で問い返されたそうだ。

大蔵書家の先輩に比べたら蔵書はたぶん50分の1にも満たない私であるけれども、
世界中に翻訳され、やがて広く読まれるようになっていく本を発見する
根拠のない嗅覚のようなもの、あるいは有難すぎるぐらいの本とのご縁に私は恵まれていた。

その後、アジアやアフリカの国々のなかで自然農法に(研究も含めて)予算をつけるという
ニュースなどに接した時には
「あの農園で福岡先生の薫陶を受けた若者がたぶん関与しているのだろうなぁ」
と感じた。2008年に福岡先生の訃報を新聞記事で見た後もそう感じる。

一昨年に発表された映画『奇跡のリンゴ』のモデルとなった
青森のリンゴ農家の木村秋則さんも福岡正信先生の農法の信奉者である。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-01-24 23:37 | 草評
2015年 01月 09日

『美味しんぼ』第111巻(おそらく最終巻)を読んで

『美味しんぼ』という漫画はビッグコミックスピリッツに最初に掲載されてから
読んでいる。初期の頃は愛読者となった。
もっともその初期の頃のビッグコミックスピリッツには『めぞん一刻』をはじめとして
連載物が非常に充実していたということもある。

5人で麻雀をやっていて2抜け(2着だった者が1回麻雀を抜けて待つルール)の時などに
よく読んでいた思い出がある。
夜食が欲しくなるような時間帯に2抜けをしていてビッグコミックスピリッツを読んだら
『美味しんぼ』の京極さんというキャラクターが
「海原はん、あんたなんちゅうものを食わしてくれたんや〜!」などと感涙にむせぶ
一コマなどを読んでいたらお腹がギューッと鳴った思い出もある。

その後、結婚した後はビッグコミックスピリッツ自体を読むことをやめてしまったので
『美味しんぼ』もずっと継続して読んできたわけではないけれども、
床屋さんとか医院の待合室に置いてあるものなどで読んでいなかったところを補充して
きたりしていた。

このたびに出た111巻は、そのエンディングにさらに加えられるようなストーリー展開は
読者としても思い浮かばず、今後はスピンオフ作品が出る程度で、
おそらく『美味しんぼ』の最終巻となるだろうと感じられる。

社会的にも論争を巻き起こした「福島第一原発見学後の山岡士郎の鼻血」については
鼻血の描写はそのままにビックコミックスピリッツでは
「福島では同じ症状の人がたくさんいます」
というセリフが
「私が知るだけでも同じ症状の人が大勢いますよ」
と変更されている他に、原発と鼻血との関連については表現が緩和されていた。

ただ、全体を読んでいて
異論がある人もいるだろうが
「鼻血」というのは論争になる問題のほんの一部であった、
ということを感じずにはいられない。

あえてその問題の全体を総括するとすれならば、作品中にもコミックス112ページに
海原雄山のセリフとしてある
「原発安全神話が崩れたから、今度は放射線安全神話を作る気だ」
に集約される。

雁屋哲は印税をたっぷりと儲けつつオーストラリアで暮らして福島を語るとはけしからん!
と思っておられる人も、どうか110巻とこの111巻をご熟読の上で
ご批判して欲しいと思う。

鼻血と外部被曝との関係性を証明することは難しい。
でも、それがまったく関係ないと証明することはもっと難しい。

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マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-01-09 16:42 | 草評
2014年 12月 21日

古舘伊知郎 「トーキングブルース」を聴いて

私にとって古舘伊知郎はワールドプロレスリングの実況中継のイメージがまだ大きい。
「さあ猪木、さあ猪木、満を持して、満を持してタッチを受けました」
などと実況している最中にアントニオ猪木はとっくに満を持しておらずに
リング上で技を繰り出しているのだが、その実況はまことにプロレス的であった。

その古舘伊知郎がステージでたった一人マイク1本で語る「トーキングブルース」という
イベントは1988年から16年連続で上演されていた。
1998年にはニューヨーク公演を行い、
1999年には第7回スポニチ文化芸術大賞優秀賞を受賞している。

どの年だったか忘れたが、寺院で「トーキングブルース」が開催され、
古舘伊知郎は日蓮宗の偈文を完璧に暗記しながら、現在の寺院へのメッセージを
立て続けに叩き込んできたことがある。
記憶違いもあるとは思うけれども、私の耳底にはこういう言葉で残っている。

「開かれた寺を目指すとか、若い人に寺に来て欲しいなどと言って媚びることをやめろ。
 寺を閉鎖しろ、仏像は隠せ。そうすれば、その閉鎖された寺のスゲエ仏像を見たいと
 心ある若者はその塀を乗り越えて寺にやってくるであろう」





しかし2003年を最後に、2004年の古舘の「報道ステーション」のメインキャスターに就任して
10年以上封印され続けてきたのだが、たまたま2014年10月に一夜限りの復活を果たした。
その「トーキングブルース」のダイジェスト放送が先日あったのを録画していたものを見た。

芸のない芸人というものが増えすぎていると感じているのは私だけではないだろう。
特に、本来は話芸という芸のプロであるはずの芸人が古舘伊知郎の前で「芸人」と
名のれる者がどれぐらいいるだろうか?

「THE MANZAI 2014」では圧倒的な大差で博多華丸・大吉が優勝したが、
話芸といえる芸の完成度が他を完全に凌駕(りょうが)していた。

さて、そんな古舘伊知郎が今回の「トーキングブルース」では
前半は笑わせてくれて、最後には泣かせてくれた。
病気で亡くなっていった姉と二人の友人を最後に見舞った経験を語りながら
「これだけ言葉を職業としてきた自分が、いちばん大事な時に語るべき言葉がなかった」
ということを恥じながら
「しゃべりまくることを続けるのは沈黙するのが嫌だから」
とのポリシーをもって語り続ける。
その、涙をこらえながらのプロの語りにも、いちばん最後には沈黙がやってくる。

私が本当に聴きたかったのは、その沈黙の方だったのかもしれない。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-12-21 01:19 | 草評
2014年 11月 22日

来年は「第433回報恩講法要開催」と、案内に書いてみようかな

b0061413_6302242.jpg 次のNHK紅白歌合戦が第66回となるそうだ。長い歴史があるなぁ。でも、考えたら第25回あたりを夢中になって見ていたわけだなぁ。甲子園で行われた夏の全国高校野球選手権大会が第96回だった。これも100年近い伝統があるけれども56回大会あたりから夢中になって見ていたかな?ちなみに写真はちょうど7年前の今日(11月22日)の本堂改築工事中の様子である。スピルバーグという馬が勝ったこの前の中央競馬の天皇賞は「第150回」と書いてあった。えっ?150年も続いてるの?とも思ったが、第1回は1937年で、天皇賞は春の天皇賞(京都競馬場3200メートル)と秋の天皇賞(東京競馬場2000メートル)の年に2回の開催となっているので第150回ということだが、それにしても伝統あるレースということだ。 さて、実は今日の午後は、43名の建築士の方々が学習のためにうちの寺にお越しになる。寺院の歴史などを解説するための資料を何とかA4の紙一枚にまとめた。善良寺という浄土真宗の寺院は関が原の合戦前の天正10(1582)年という中世の時代に「加賀国より移る」ということになったらしい。なぜか開基の道西という方は、その加賀の国から一休さんの師匠にして「一休」という号の名付け親でもある華痩(かそう)禅師の書をもってきた。漢の武帝が作った漢詩「秋風の辞」なのだが、なぜかそれが前半部分だけ。歴史ロマンを含んだ願望的な見解でもあるけれども、どうも後半の半分は今でも加賀の国のどこかの寺院に現存しているのではないか?そして、一休さんの師であり名付け親である華痩宗雲禅師の書が真宗寺院の当山善良寺にあるということは、本願寺第八代の蓮如上人と一休禅師が宗派をこえてたいへんに親しい友人であった史実と関係しているのではないか? などと思っている。近い将来、この謎の解明につながるのであれば私はテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」に出て石坂浩二にツッコまれ、今田耕司にいじられてもいいと思っている。 さて、形の上では初代から引き継がれる血脈ではなく養子であることもあって「子孫として開基を仰ぐ」という感覚には正直いって遠いのだけれども、430年以上の歴史ということの重みは感じる機縁は多い。そのなかで今月の末に厳修(ごんしゅう)される報恩講(親鸞聖人ご命日を機縁とする衆会)は、戦争中も含むどのような大変な時期でも勤めてこられたはずである。それが「面々と受け継がれてきて続いているのですよ」という思いもこめて、来年の案内状には「第433回報恩講」という文字を入れてもいいかもしれないと、そのA4の板書代わりの資料を用意していてふと思った。 写真はちょうど7年前の11月22日の本堂修復の時の様子。

マーヒー加藤(善良寺第17代目住職)
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by kaneniwa | 2014-11-22 07:45 | 草評
2014年 11月 04日

ニセ沖縄県人会の企画

b0061413_1452140.jpg 「僕は春は夏を待ち、夏は秋を待ち、秋は冬を待って冬は春を待つ生活をずっとしてる」とは、確かアンドレ・ジイド(André Paul Guillaume Gide)の言葉だったと思う。小説ではなくて手紙文だったかもしれないけれど、ヘタクソな検索ではわからないのでどなたか教えていただければ幸いだ。そんなジイドの本なんかもどこかに眠っている倉庫の整理をしなければ…と思いつつ春が過ぎ夏が過ぎ、秋も過ぎようとしている。ジイドほど深い文学的感情はなくても、誰しもふと真夏に真冬の温泉の露天風呂に浸かることを夢想したり真冬に真夏の海水浴が恋しくなるというようなことはあると思う。特に昨今のように一年の気候変動が激烈だとなおさらだ。夏に秋を待っていたということではなく、秋になってから夏を惜しむということもあった。考えようによっては秋にすでに冬と春を飛び越えて夏を待っているのかもしれない。 mixiというSNS(ショーシャルネットシステム)があって、人によっては「オワコン」(終わったコンテンツ)と呼ぶ人もいるけれども私はしぶとく活用をしている。そこで3年ほど前から「粒焼質問千本ノック」というコーナーをやっている。くだらない質問がほとんどであるが、読者に質問を投げかけてコメントを頂戴する。ごくたまに盛り上がる。文字通りに1000本の質問を投げかけたらやめようと思っていたが、私は本当にいいかげんな人間なのですでに1324本のノックを放っている。みんな難しいノックを見事に補給し、鋭い送球を返してくるのだ。 そのなかの1297本目のノックは過ぎ去ってしまった夏を惜しむ意味で9月18日に 粒焼質問千本ノック(1297) 来年の夏、近くの浜辺で「ニセ沖縄県人会バーベキューパーティー」を開催したいと思っております。(半分は本気)周囲の人を沖縄県人の集会であると勘違いさせることができるテクニック、小細工、演技指導などをよろしくお願いいたします という質問ノックを放った。すると、私も沖縄には4回行っているのだが「わははは、みんなスゴい観察力をもっているなぁ」と感心し敬服する返球が来た。それらをまとめつつ、来年の夏の 「第1回ニセ沖縄県人会バーベキューパーティ」の実際の開催までこぎつけたい。それではどなたからの投稿であるかということは失礼ながら割礼、いや違った、割愛させていただくことにして、ホンモノの沖縄県人と周囲の目に映り、耳に聞こえるポイントを箇条書きにしていきたい。 (1)バーベキュー開催の集合予定時刻には誰も集まらない。 シンプルながらしょっぱなから実に見事なポイントを突かれた。矛盾点としてどういう案内をしたらいいのか?とは思っちゃうけれども、確かにパンクチュアリティ(時間厳守)を重視しているようだと、最初っからニセモノであることがバレてしまう。(2)男はアロハを着用 これも実によく見ているなぁと感じた。かりゆしウエアというイメージもあろうが、それだと知事を筆頭に沖縄県庁の職員のクールビズか、鳩山由紀夫さんになってしまう。実際に法事など夏の正装として着用もされるけれども、この場合はニセ沖縄県人会のバーベキューパーティであるから、男性はアロハ。実に鋭いポイントだ。 (3)指笛を鳴らす 口笛のようには手軽にいい音を鳴らせないので冬の間に練習しておかなくちゃね。 (4)具志堅さん、喜屋武さん、喜納さん、山城さん、新垣さんなどの名前を呼び合い、たまにヤンバルさんなどのアダ名のメンバーも入れておく。 まさにプレイ(演劇)であるけれども実に大事なポイントを指摘してくれた。これで周囲の人はニセではない沖縄県人会のバーベキューパーティと思ってくれるはずだ。そして数時間の間、選手登録名ならぬ「沖縄バーベキューネーム」で呼び合うというところも何だか新鮮でパーティー気分が高まる。何と、ここまでアロハを持っていない男性を除いて小道具なし、経費ゼロのポイントばかりであところも素晴らしい。 (5)乾杯は延々と永久のように続く これもいいポイントだ。沖縄の居酒屋に入るとしょっちゅう「乾杯!」の声が耳に入る。私が考えたポイントを加えると、高校野球好きが多いので夏の甲子園大会の沖縄県代表の登場試合に合わせて(午前8時プレイボールだときついなぁ)バーベキューを開き、点が入るたびことはもちろんのこと、守備機会では1アウトごとに「乾杯!」つまりは、勝ち試合ならば最低でも27回は「乾杯!」 そして、ダミーの日本酒や洋酒も用意しておいてただ「酒!」と言われた時には迷わずに泡盛を出すのだ。 (6)三線(さんしん)を弾く時に正式な爪(ピック)は使わずにつまようじなどを使う  これは三線という小道具登場と併せてダメ押し的に沖縄県人感を醸し出す。このロコ感覚いっぱいのカジュアルさにニセ沖縄県人と疑う人はいなくなるだろう。ちなみに、誰が気付いてくれるのか?というポイントではあるけれども、おじいやおばあから三線の奏法を伝承されたかのように、弦を押さえる左手は「薬指をまったく使わない」という古来からの弾き方でいきたい。 これを書いていると、また沖縄に行きたくもなり、そして来夏の近くの浜辺で実際にニセ県人会を開催したくなってしまった。写真は、最近はiPadなどの待受け画面に使っているのだけれども満潮時には沈んでしまう浜島というところでお母さんとお姉ちゃんお兄ちゃんを必死で追いかける末娘の背中。私が用意する最後の演出は (7)バーベキューパーティにもついてくる3人以上の自分の子どもたち である。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-11-04 15:14 | 草評
2014年 10月 21日

特定商取引法の16条と17条は知っていていいと思う(3)

というわけで
私のところの場合はまずは勧誘電話がすすめる商品をキッパリと断った上で
「特定商取引法の第17条をご存知でございますか?」
(こういう場合は丁寧語の方が威圧できるみたいだ)
と言うことにより、同じ業者からは再度電話がかかってくることはほぼなくなった。
ほぼ、というのは例外も少しはあるということで、そのなかのひとつが
「三菱電機を名乗る太陽光発電、ソーラーパネルの会社」
である。
「以前にお断りをして、なおかつ特定商取引法の第17条について言及しましたが」
と言っても相当に面の皮が厚い態度であったので
「どのような名簿をお使いになっておられますか?」
と問うたところ、嘘か真か
「すべての電話番号にかけております」
という仰天する答えが返ってきた。

その答えを聞いて岩崎弥太郎を創始者とする三菱グループが、
本当にそのような商法をしているのか?
という疑念がこみ上げてきた。
あのSONYだって輝かしい黄金時代からすれば落ちぶれたといってもそんなことはしないだろう。

そうして三菱電機のホームページのお客様相談コーナーの記述を見れば

質問 三菱電機を名乗った太陽光発電システムやオール電化商品の販売勧誘電話や
   訪問販売を受けたのですが?


という質問が掲載されていて

回答  三菱電機もしくは当社販売会社と誤認をさせて、
    電話勧誘したりお客様の意志に反して強引に販売をする訪問販売業者には
    十分にご注意いただきたくお願いいたします。


という記述があった。
ああ、やっぱりそうかと思った。
たぶん、三菱の部品をちょっと使っているぐらいで、
おそらく岩崎弥太郎の三菱グループとは関係ないグループが電話をかけてきている。

太陽光発電やソーラパネルに人並みの関心は寄せているつもりだ。
でも、そんな高額になるものを電話での勧誘で買うわけはない。しかし
「私は三菱とたいへんに縁が深い者でございますが、
 三菱のどこの部門のどの営業所の方でございましょうか?」
と、やんわりと、しかしながらジワジワと詰将棋のように相手に電話を切らせぬようにしつつ
「詰んでみたい」
と思っている。
私としては珍しく三菱を名乗る太陽光発電の会社からは
「またかかってこないかなぁ?」
と思っていたりする。

ちなみに、当方が三菱と関わりが深いというのは嘘ではない。
ボールペンは三菱鉛筆のパワータンクJETSTREAMの熱狂的愛用者なのだ。
そして三菱鉛筆は昔から三菱グループと同じく3つの菱型マークであるが、
岩崎弥太郎とはまったく関係がない会社である。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-10-21 00:30 | 草評
2014年 10月 19日

特定商取引法の16条と17条は知っていていいと思う(2)

というわけで
今年の春、特に5月にはかなりの数の学習塾、進学予備校、家庭教師業からの勧誘電話があった。
緊急出動要請の趣旨の電話も少なくない私のところではとても迷惑なことである。
そしてベネッセコーポレーションにあった名簿が名簿会社に売られていたという
個人情報大量流出事件が報道されてからは、その方面からの勧誘電話はピタッと止んだ。

この名簿流出事件をきっかけにSNS(主にFacebook)では
「郵便物でダイレクトメールを迷惑に感じている方は、
 郵便物に赤マジックで『受取拒否』か『受取拒絶』と書いて、
 シャチハタでもいいので浸透印を押して最寄りのポストに投函すれば
 相手先に戻ることとなり、ダイレクトメールが来なくなる」

という豆知識が拡散されてきた。
私なりに確認してみると、郵便局が配達を担当した郵便物のみではあるが、
この方法で何と国際郵便も含めてほとんどの郵便物を本当に拒否できるようだ。
「代金引換」「料金着払」「料金不足」などの郵便の場合には担当者が
料金支払の有無などの確認をするらしいのだが、まずいくつかの例外を除いて
ダイレクトメールを迷惑に思う人にとって、この方法は有効であるようだ。

ただ、個人的には勧誘電話に比べればダイレクトメールはそんなに迷惑には思っていない。
それで購入するということは少ないが、暇な時があれば目を通したりもするし
4年前に多燃料式のクラシカル薪ストーブを導入してからは
むしろ新聞紙とともに薪木への焚きつけに使えていい。

問題は勧誘電話の撃退方法である。
「マーヒーの法則」であるが、郵便受けから取り出すことは自分で時を選ぶことに比べ、
勧誘電話はスパゲッティ・カルボナーラの絶妙のアルデンテの瞬間でも
法事がはじまる直前の着替えの最中にも、深刻な相談をされているさなかにも
昨年の日本シリーズで田中将大の投じる一球によって巨人との激戦の帰趨を左右する
場面を息を飲んでテレビ観戦しているさなかにもかかってくる。
こっちの都合は考えずに掛かってくる。
「今、ちょっといいですか?」
と言われたって、その間に絶妙のアルデンテの状態は去っているのだ。
もちろん、大事な連絡や知り合いからの電話なら仕方がないが
勧誘電話というものはそうではない。
こちらの都合はお構いなしに掛かってくる。
電話機のナンバーディスプレイにたとえ「非通知」の文字が出たとしても、
うちは病院の公衆電話からの緊急な連絡、急を要する相談を受けることがあるので
電話には必ず出なければならない。

「ガチャン」と電話を切ってしまう
「必要ありません!」とハッキリ断って電話を切る
電話を受けてもずっと無言のままでいる
などなどの撃退法が知られているけれども
ダイレクトメールにおける「受取拒否」のように
この勧誘電話をシャットアウトする方法はないのだろうか?と考えた。
電話機の「受信拒否」というメカの上での方法がまずあった。
しかし、説明書を読むと「30件まで設定できる」と書いてあって、
まず面倒な設定をこっち側からすることはシャクではあるが、その方法がある。
ただ「マーヒーの法則」によると、30件をシャットアウトした後に
「本当に嫌な勧誘電話がかかってきそうな予感」がやって来そうな気がした。
そして、できるならばメカ設定で個人的に締め出すのではなくて
大勢の人によって社会的に勧誘電話そのものをなくしていく方向はないか?と考えた。

私なりに考えて、こういう場合にこそ
「法的根拠」というものに基づいて対処すべきではないかなぁ?と思った。
そんでもって、その法的根拠となり得るのではないかと思うのが
16条と17条は関連した法律だから両方をここに記載するべきだが、すでに長いブログ文なので
ここでは印字して電話口に貼ってある特定商取引法の17条のみを引用しておきたい。

(第十七条 ) 販売業者又は役務提供事業者は、電話勧誘販売に係る
       売買契約又は役務提供契約を締結しない旨の意思を表示した者に対し、
       当該売買契約又は当該役務提供契約の締結について勧誘をしてはならない。


これがキッパリと勧誘電話に対して「もう二度と電話をかけて来てほしくない」という
趣旨を伝える法的な根拠として引用するのに適切なものであると考えられる。
16条をはじめとしてその前後の条文を読んでもその罰則規定は明確ではないが、
「特定商取引法の17条をご存知ですか?」と尋ねて、電話口に貼ってあるこの3行を
読み上げるだけで、電話口の相手がたとえアルバイトであろうと相当な威圧になるようだ。
何度かそれをやっているうちに私は第十七条を丸暗記してしまった。
憲法第9条さえ丸暗記できていないのに「三帰依文」と「末代無智のお文」に続いての
人生三つ目の丸暗記した文章となった。
丸暗記してスラスラと条文を言い、この条文をもとにもう勧誘をしないで欲しいという
意向を伝えると「ほんの数社を除いて」勧誘電話は激減した。
罰則規定こそ明確ではないものの、これをもとに意向を伝えてさらに勧誘電話がかかってくれば
「法治社会における放置しておけない挑戦」
と受け取ることができ、たとえば国民生活センター等へ相談する時でも
「たいへんに悪質である」
「特定商取引法に違反しているんです」
と言っていいことになると思っている。

もともと私は、仏法ならともかく六法全書などは開かなくてもいい生活がしたい。
最近、出席する各種の委員会やPTAなどさまざまな会合で、
いきなり印刷された「規則」などを配布されることがあるけれども
そういうものは参照せずに済めば気にせずに活き活きと懇談したり議論する方がいいので
好ましいとは思っていない。
さらに言えば極めつけは裁判に関わる裁判官、検事、弁護士、司法書士などの
法律に関わる仕事をしている方々でも家庭生活では
法律や規則のことなどを忘れてのびのび活き活きとしたいはずだ。

私だって日常生活のなかで杓子定規に特定商取引法なんて法律を持ち出したくない。
でも、勧誘電話は普通に日常の生活を送るなかで
スパゲッティが見事なアルデンテになったような
そんなプチハッピーの瞬間を阻害してしまうのだから、
「特定商取引法16条と17条を知っているか?」
と言っていいと思っている。

マーヒー加藤

※ なお、関係者よりご指摘があり、私もブログ本文に書き忘れてしまいましたが
  「受取拒否」「受取拒絶」は開封前の封書に限られますのでご注意ください
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by kaneniwa | 2014-10-19 00:02 | 草評
2014年 10月 17日

特定商取引法の16条と17条は知っていていいと思う(1)

今年7月に発覚した出版・通信教育大手のベネッセコーポレーションの顧客情報漏洩事件だが
流出数は9月10日の同社発表によると約3504万件となっている。
捜査関係者によると流出した情報は重複分を含め2億件超 という膨大な数となる。
そして、対象者へ流出を知らせるダイレクトメールの発送が開始された。

そのダイレクトメールはやはりうちにも届いた。
高校生、中学生、小学生という3人の子がいるうちの家庭は
「きっと流出しているだろうなぁ」
とは思っていた。
実はかなり早い時点から
「何かおかしい、重要な情報が流出している」
とは気がついていたのだが、それについては後の方に書く。

ダイレクトメールの主文は個人情報流出についての謝罪であり、
お詫びの金券の種類は電子マネー(楽天Edy、Amazonギフト券、nanaco)、
図書カードと、それから財団法人ベネッセこども基金への寄付と選べることになっている。
資料によると
「子どもたちへの支援や子どもたちが安心して学習に取り組める環境の確保」
となっていて、その財団の目的に異存はないけれども、やはり
「この場合に寄付を募るかよ!?」
という感想は持たずにはおれなかった。
火事見舞いのようにミスをしたところへの懇志というものは古来からあるにはある。
しかし、たいへんに穿った見方をしちゃうけれども
「被害を被ったにも関わらず寄付をしてくださったお人好しに近い善意ある人」
としてデータ化されてしまうような気がしてしまう。
そんなことを言えば電子マネーの500円分をチョイスして
楽天やAmazonやセブン-イレブンを利用する人と位置づけられたり、
(まぁ今はこのうちのどれも利用していない人の方が圧倒的に少数だけれども…)
最後に残った選択肢の図書カードを選んだとしても
「古典的な読書家」
と記されたりするのかなぁなんて思っちゃったりして、どうも二の足を踏む。

高校生時代の昔からベネッセの前身の福武書店の進研模試には大変にお世話になって、
最初はとっても酷い成績からスタートして、それが
「志望校の傾向と対策ではなく、次の進研模試の問題予想をしつつその戦略を練る」
という完全に手段と目的を混同した受験勉強をしていたのだが、
それでもデータ化された数値でもって底辺からグイグイと上がっていくことは快感であって
進研模試はかつての私にとってたいへんに有難い存在であった。
今回の流出事件にしても、悪いのは名簿会社にデータを売ったヤツであり
大半のベネッセの社員は善良で熱心な方々であるとは思っている。

それでも寺の過去帳をデータ化してEvernoteなどに入れて
その優れた検索機能でもって活用すればどんなに楽だろうかといつも思いつつ、
そのデータ化が面倒くさいと思っていることが第一の理由ではあるが
第二の理由として「クラウドソフトのデータ流出」という万が一の事態のことに
思いを馳せると面倒くささも後押ししてデジタル化を躊躇している私としては腹立たしい。

さらに実際の被害としては今年の春、特に5月の学習塾、進学塾、家庭教師からの
勧誘電話がかなりあった。
もともと5月にはそういう勧誘電話は少なくない。
私の子ども世代はゆとり教育期間の薄い教科書から進級、進学をして急に分厚い教科書に
戻った世代でもあって最初の方でいきなりつまづいて先行きが不安になることが少なくない。

ただ、今年の数多くの勧誘電話を受けていて妙に思ったことは
勧誘する側が長女と長男の性別と年齢をきちんと把握していることだった。
というのは、名前というデータだけを見るならば
「私の長女はかなりの確率で男に間違われ、私の長男は99%女に間違われる名前」
というものを私とシャラポア(妻・日本人)によって命名されているからだ。
そのことを私は不気味に思って
「こちらから質問しますが、どのような名簿をもって電話しているか教えてください」
というと、何社かは(たぶん)アルバイトから上司に電話を代わって
「名簿会社から購入いたしました」
と正直に告白した。

(続く)

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-10-17 00:01 | 草評