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2014年 10月 13日

奄美大島のあまみFM ディ!ウェイブ(77.7MHz)に感激した

昨日の夜からインターネットラジオで奄美大島のFM放送を聴いている。
土曜の夜と日曜の夜には
「島ラガ・レゲエ」というややマニアックながら非常に良質なレゲエ番組をやっているので
台風情報を聞くためではなかったのだが、
人口が約10万人の奄美大島で、私が聞いていた12日の夜半過ぎの時点で
約28%の世帯で停電しているようであった。

深夜もマイクをとったDJ役の女性は、言葉は標準語であるもののアクセントに独特の
奄美大島の雰囲気をもちながら、明らかに停電になっている世帯や避難所で
ラジオ(電池入り)や充電した携帯電話やスマートフォンで放送を聴いている人に向けての
暖かいメッセージに満ちていた。

「停電している地区は◯◯と◯◯」
「水道は破損していないのでお風呂に水を貯めておきましょう」
「倒れる電柱には要注意ですよ」
などときめ細かい情報とともに
新たな情報が入ってくるまでの合間は元ちとせをはじめとする
奄美大島や鹿児島出身のバラード系の音楽を励ますように流している。
そして、
「みなさん無事でいてくださいね、怪我をしないでくださいね、
 みんなで励まし合って、いつかこれもまたいい思い出になるようにしましょうね」
と、柔らかく、優しく、強く呼びかける女性DJの声に
胸が熱くなった。

今は大阪など近畿地方、明日はこちらか関東地方。
柔らかく優しくも強くもないけれども、
同じメッセージを呼びかけたいと思います。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-10-13 17:33 | 草評
2014年 10月 11日

末娘の仕事

b0061413_1254335.jpg 8歳の末娘と過ごす時間というのが、何だかこの上もなく貴重なもののように思えてきた。というのは今は15歳になる長女は3歳から10歳までの間は見事なくらいに父親になついてくれていたのが小学校の6年生になったあたりから反動ともいえるぐらいに急に父親から離れてまた再び母親一辺倒に傾いていった気がするからだ。3番目の子どもである末娘も3歳ぐらいになった時にパパっ子になってくれる気がしていたのだが、長女の時とは環境が違った。というのは、間に居るミミパパであるお兄ちゃんになつきまくって本来のパパである私とは「一緒に遊ぶ」という感覚はもうひとつであるようなのだ。 ただ、先々週の凧揚げはけっこう父親に対する信頼と尊敬の構築には寄与したようだった。先日は私がたまに行く岩盤浴について来るということになった。サウナよりは一緒に長く入れると思ったが、そこはまだ8歳なので末娘はかなり先にあがった。やっぱり私はあんまり面倒見はよくないのかもしれないなぁ。ただ、私を待っている間に岩盤浴のスタッフのオネエチャンから描いている絵をほめられたのか、調子にのって営業用のボードにぶどうと栗の絵を描かせてもらっていた。母親と父親だけでなく、ミニママ(長女)とミニパパ(長男)にも育まれた末娘は何だかたくましいなぁ。いつもよりもスカッとした岩盤浴だった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-10-11 23:49 | 草評
2014年 10月 09日

青色青光 赤色赤光 あり得ない方向の三日月がよかった

b0061413_10421753.jpg 新潟の紫竹山あたりでしこたま酒を飲んでいたオッサンが閉店になった店を出て、そしてすぐに店に引き返し「女将さん、大変だよ、俺は飲み過ぎだよ、真っ黄色の新幹線を見ちゃったんだ、そんで客は誰も乗っていない幽霊列車なんだ、恐いよ〜」と、言ったとか言わなかったとか。ドクターイエローのデビュー直後ならあり得る話だな。上越新幹線のドクターイエローでの線路点検は深夜のダイヤ終了後に行われていたわけだし、紫竹山あたりでは加速して間もないのでよく見えたりする。そして何といっても大きいのが乗客を乗せる新幹線の開通とは違ってドクターイエローは点検車であるのでその存在が宣伝されたり強く広報されたわけではなく、デビュー直後はかなりの鉄道ファンでなければその存在そのものを知らなかったということが大きい。なので「黄色い新幹線を見ちゃった!」ということになる。昨夜の素晴らしき天体ショーであった皆既月食、しかもブラッドムーンと呼ばれる赤い月となる現象。天体についての予備知識がない時代には「あり得ない!」と同時に「不吉!」と呼ばれてきた。 ある日の私が空を見上げたら何だかお月さんが三日月だったのだが花王のマークでお馴染みの形をしていなかった。あれれ?酔っ払っているのかな?確かに酔っ払っていた。ただしそれは南半球から月を見ていたからであった。ブラジルのサンパウロに着いた翌日の私の歓迎会だったのだ。さらに翌朝、酔を覚ますために洗面所にたくさん水を貯めて洗顔した後に栓を抜くと、渦巻きが自分が知っている方向と逆方向にトルネードしているのに心底驚いた。二日酔いでその渦巻きを見ているとトンボのように目がまわったのを覚えている。予備知識になかった現象との出会いは鮮烈だ。

b0061413_10443983.jpg 昨夜から今日の午前中にかけて、知り合いのブログやFacebookではそうそうたる赤い月の写真がアップされている。アマチュアでもプロとの機材の差がそんなになくなったということも確かにあるけれどもみんな見事な出来栄えであって、新聞や科学雑誌のものと比べても遜色がない。今朝の毎日新聞の一面ではスカイツリーのLEDライトの灯りの背後に赤い月を入れた写真が掲載されていた。「ぶぷぷ、青い光のLEDライトを実用化したのに赤崎さん…」と新聞片手につぶやいたが、誰も笑ってくれなかった。名は体を現すとはいっても、藪医院の院長さんの藪さんで名医である、という人もいるだろう。 私はこのブログのアップ用のCASIOのコンパクトデジカメで撮ってみた。せめて三脚を使えばもうちょっとよく撮れたとは思うけれども月食の進捗をゆるく見ながらの撮影。最初の青いのが19時32分で赤いのが19時45分である。この後に赤い満月のブラッドムーンが徐々に登場。それも感動的であったけれども自分の予備知識のなかではあり得ない方向に欠けていったこの青と赤の三日月形がよかった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-10-09 11:34 | 草評
2014年 10月 03日

名曲草鑑賞(46) ボブ・ディランの Blowin' in the Wind 風に吹かれて

b0061413_21391975.jpg というわけで、前回のブログ記事に続いてボブ・デュラン(Bob Dylan)の「風に吹かれて」(Blowin' in the Wind)という楽曲について書いてみたくなった。この曲がレコード(もちろんアナログ・レコード)としてリリースされたのが1963年。私が生まれてきた年でもある。実は、私は京都の左京区のある学生寮のなかで、その管理人もする両親とともに育ってきた。1968年、私が4歳から5歳になる一年間にNHKの大河ドラマは司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』が放映されていたのだが、自分の両親と学生さんたちと共に見ていたということもあって5歳の子どもには難しすぎる内容であると思いつつも、その北大路欣也主演のモノクロ作品(どっちみちその頃は白黒テレビであったので関係ないが)のシーンの多くをかなり鮮明に覚えているものだなぁと、2008年の福山雅治主演の『龍馬伝』を見ながら思った。後に大学生時代に司馬遼太郎の原作を読んだ時の記憶と混同しているのかもしれないとちょっと思ったものの、その時の読書経験自体が、子どもの頃のNHKの大河ドラマの記憶が鮮明に蘇りつつ私としてはスラスラと読めたのだ。 「耳年増」というとちょっと意味が違うけれども、テレビと同じようにその頃に耳にしてきた音楽というものもギターを弾いていた学生さんの部屋に幼稚園が終わると好んで遊びに行っていたために1960年代の音というものに接している。ビートルズの「アンド・アイ・ラヴ・ハー」という楽曲については、その曲をギターで奏でて鼻歌ながらも弾き語ることがオハコであった学生さんが居て、どうもリアルタイムに近い形で『竜馬がゆく』(大河ドラマ)の頃に接している。そんななかで「風に吹かれて」という楽曲のシンプルなメロディは何となくだけれども耳底にずっと残っていた。 時が経って中学生になり、たぶんこれまたNHKだったと思うがこのどこか耳底に残っていた曲がバックバンドを従えてギターを弾き語るボブ・ディランの映像とともに流れているのに聴き入った。(NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」の放送リストを参照してみたが、そのリストのなかに思い当たるものはなかった) その時に、初めてメロディだけには何となく馴染んでいた楽曲の歌詞の意味の断片を知った。耳底ではなく目の底に焼き付いているのは、その時にテロップ(字幕)としてあった「何人死ねばわかるのか?」という文字である。 その答えは「風のなかにある」あるいは「風に舞っている」のだから、いまだによくわからない。その答えが、朝日新聞的であろうと読売新聞的であろうと明確に歌い込まれていたならばこの楽曲に深みはなかったと思う。ただただ、問いの深さがしみてくる。 8歳の末娘と風に吹かれて凧揚げをしながら、いろんな話をしてみると、8歳のこの子が2年前のこと、3年前のこと、4年前のこと、5年前のことまでも実によく覚えているものだなぁと感心する。これから多くのことを得ていくとともに、多くのことを忘れていってしまうだろう。ただ、末娘との凧揚げというささやかながら確かな平和を感じつつ、英語の歌は英語で歌うのが本来とは思いつつも、無理してミネソタ訛らしきボブ・ディランのクセまでも真似して歌うよりは娘と凧揚げをする時だけでも自分自身の訳詞で口ずさんでみたいなぁと心から感じた。風に吹かれて。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-10-03 13:25 | 草評
2014年 09月 14日

シャラポア(妻・日本人)のイラストの新作 

b0061413_143273.jpg もう6年以上前のことであるけれどもシャラポア(妻・日本人)の描いたイラストがこの草仏教ブログの読者の間で反響を呼んだ。それは「ちょっと森永のチョコボールの鳥を描いてみてくれ」などと私がリクエストした時の勘違いイメージ描写によるイラスト連作の数作であった。シャラポアの書の方は草仏教掲示板にたびたび登場するのであるが「あの脱力した後に何ともいえないピースフルなフィーリングで包み込んでくれるシャラポア画伯の絵かイラストの掲載を!」というラブコールはもう何度もいただいていた。しかし、当人のシャラポアは自分に絵心のようなものがあるとはまったく思っていないフシがある。で、みかんを食べようとした時に奇妙な絵が描かれているものがあったので笑ったのだが、最近は高校一年生の長女の描くものがとても似てきているので(やっぱり母娘だなぁ)ちょっと区別がつきにくかったのであるがシャラポアが8歳の末娘に「いーじゃぁないの〜のオジサンを描いてみて」と言われてのものであることが判明した。 日本エレキテル連合がコントとして演じる「未亡人朱美ちゃんシリーズ」の「ダメよ~ダメダメ」のネタが生まれたきっかけは、2012年のある日の深夜にファミレスで中野と橋本の二人がネタを考えていたところ、隣の席に居たおじさんとおばさんが強烈だと感じて観察し続けた結果、生まれてきたキャラであったという。そして「ダメよ~ダメダメ」を繰り返す「未亡人朱美ちゃん3号」に「いーじゃぁないの」と言う「小平市の細貝さん」というオジサンのメイクというか扮装のモチーフは、どうも「ぴんからトリオの宮史郎」であるそうだ。今回、シャラポアは末娘の要望にしたがって何も見ずに自分の頭のなかのイメージでサッと描いているのであるけれども、それは日本エレキテル連合の中野聡子が扮する小平市の細貝さんに似ているというよりは、モチーフとした宮史郎を彷彿とさせてくれる。私と違ってお笑いマニアとは言えないシャラポアは、宮史郎を題材としながら日本エレキテル連合がコントを繰り広げていることは知識としては持っていなかったと思う。それを感覚的なところで浮き上がらせているシャラポア、恐るべしと私は思う。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-14 06:38 | 草評
2014年 09月 12日

電子マネー ようやく気がついたnanacoの真実

新潟空港最寄りのセブン-イレブン。
そこのレジに
「nanaco(ナナコ)カードは財布から取り出さなくてもそのまま財布をかざすだけで使えます」
という張り紙があった。

空港に近くて他の店舗と比べても、レジでの長い行列がなおさら気になる上での張り紙だろう。
他の店舗でそういう張り紙を見たことがないが、
日本国内の他の12000店舗も同じシステムである。

今まで私が他の店舗でそういう張り紙を見かけなかったのは、
JRの駅の周辺ではSuicaを定期入れや財布に入れたままで改札を通ることが
利用者の常識であり、わざわざ張り紙などしなくても
nanacoも同じ要領で使うことが慣習としてすでに定着しているからであろう。

実を言うと、私は1年前に空港の最寄り店でその張り紙を見かけるまでは
わざわざ財布のなかからnanacoカードを探して出してから使っていた。
鉄道はたまにしか利用しないのでSuicaを持たない私にはわからなかった。
しかも、ローカル的な事情に言及すれば
nanacoカードは「ひらせいホームセンターポイントカード」と
配色がソックリであり、時々、間違えて出しては恥をかいてきた。
そんな時、セブン-イレブンの店員さんが
(被害妄想に近いことかもしれないけれど)
何かを私に告げたいそぶりをしていたような気がする。
「そんなに手間をかけて財布からnanacoを探さなくとも、そのままのあなたでいいんですよ」
というようなことを言いたかったのではないだろうか? あるいは
「探しものは何ですか?
 見つけにくいものですか?
 かばんのなかも財布のなかも探したけれども見つからないのに…
 それより財布をカザしませんか?さぁ!」
ということを言いたかったのであろう。
ああ、なぜ教えてくれなかったのだろうか、とも思いつつ、
教えることで財布からわざわざnanacoを探し当てて出した客のプライドを
傷つけてはいけないという配慮か、はたまた単に後ろに別な客が並んでいて
教える時間がなかったのであろう。

今までセブン-イレブンのレジで、他のお客さんの払い方もまったく観察していなかった。
財布を置く人もいれば、かつての私のように財布からカードを探す動作をする人も居る。
やはり、その人のプライドを傷つけちゃいけないと思って教えてあげることはできない。

どうか、かつての私のようにnanacoを財布のなかから探していた人は、
このブログ記事を読んで密かにnanacoの真実を知って活用していただきたい。

ただ、nanacoの使い方を悔い改めた後、最寄りのコンビニはローソンとなってしまった。
ローソンのPontaカードは電子マネーではなくポイントカードであり、
その機能も考え方もnanacoとはまるで違う。
コンビニごとにカードが違うと、
財布のなかは何だか通貨の単位が違う昔のヨーロッパの数か国をめぐる旅をするような
混雑ぶりの様相を呈してくる。

ポイント、マイル、電子マネー、カード等の「一元化法案」が国会で提出される日を待つ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-12 10:19 | 草評
2014年 09月 08日

錦織圭選手の決勝戦、WOWOWに加入していないので見れないか…

WOWOWに加入していないので、錦織圭選手の全米オープンでの活躍は
日刊スポーツのサイトに次々と書き込まれてくる試合経過を見ながら、その試合展開を想像し、
ダイジェストのところだけを後からスポーツニュースで後追いをするという
ちょっともどかしい見つめ方になっている。

テニス鑑賞歴は35年以上となる。

何と言っても最初の頃のその鑑賞の中心はビヨン・ボルグであった。
ビヨン・ボルグvsジョミー・コナーズ(1977年と78年の全英決勝)
ビヨン・ボルグvsロスコー・タナー(伝説の1979年全英決勝)
ビヨン・ボルグvsジョン・マッケンロー(さらに伝説の1980年全英決勝)
というようにテレビ中継をしてくれる全英での決勝が中心だったが
ボールゲームの個人競技として、実に面白いものでひきこまれた。
ロスコー・タナー選手はサウスポーで、今でいうビッグサーバーの先駆者のような存在で、
1979年の全英オープン(ウィンブルドン)ではそのサーブが絶好調で、
決勝ではさらに絶好調だったがとうとうボルグは攻略できなかった。
1980年の決勝はさらに激烈なものとなり「もう寝よう」と思いつつも
完全徹夜の夏の日になった。

ボルグ引退後に
1980年の全英解説者(神和住純か?)が「きっとジョン・マッケンローの時代が来ます」
と言った通りジョン・マッケンローの時代がやってきた。
その時代にはイワン・レンドルなどがライバルであった。
全英ではなぜか勝てずに応援する人々は「イワンのバカ」と言ったとか言わなかったとか。

その時代の後に若きビッグサーバーであるボリス・ベッカーの時代がやってきた。
ライバルはボルグと同じスウェーデン出身のステファン・エドベリ。
その合間に1987年はパット・キャッシュというオーストラリアの選手が全英を制覇した。
パッと現金(キャッシュ)で払っていきそうな景気が良さそうな名前と
小気味いいプレーぶりが良かった。

その後、すぐれた総合力をもつピート・サンプラスの時代がやって来て、
そのライバルにはアンドレ・アガシなどがいた。
全英を7回も制覇したピート・サンプラスの後の時代には
今につながるロジャー・フェデラーとラファエル・ナダル時代が到来する。

ああ、大雑把にテニスのここ35年の歴史を27行程度で振り返った。
どうも昔のオッサンが大相撲の力士の名前を次々とあげてくるのにも似ているかもしれない。

私が持っている最新のテニスラケットはピート・サンプラスが君臨した時代の
好敵手であったマイケル・チャンのシグニチャーモデル(プリンス製)である。
(そう書いていて実際に自分がプレーする硬式テニスというものからは
10年以上遠ざかっていることに気がついた。)
選手時代のマイケル・チャンの試合はサーブ&ボレー全盛時代のなかでストロークが中心で
そのラリーの応酬は実に見応えがあった。
錦織圭選手は大事な時期に実にいいコーチと出会った。
マイケル・チャンは全仏オープンは優勝しているけれども
全米オープンではピート・サンプラスに屈しているので、
もしも錦織圭が今年の全米オープンを優勝するとしたら、自分のことのように大喜びするだろう。

決勝戦での錦織圭選手の相手であるクロアチア出身のマリン・チリッチという選手のことを
私はほとんど知らない。
ただ、M・チリッチ選手のコーチがゴラン・イワニセビッチであるということを知って
「こいつは手強い」
と思った。
ボリス・ベッカー時代からピート・サンプラス時代にかけてのしぶとい好敵手であった。

ともかく手強くない相手など決勝に残っているわけはないので、
この好敵手を破って錦織圭時代の到来を望む。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-08 00:20 | 草評
2014年 08月 29日

道草仏教(2)

というわけで
続編である。
今回はなかなか適当な写真がなくて文章だけなのだけれども、
今週は久しぶりに新潟県の三条市に泊まりこみで飲み歩いた。
それも料亭→きれいなお姉さんたちがいるお店→JAZZ BARというなかなかいいバリエーション。
三条市は今から16年ほど前から12ほど前までの4年間住んでいた。
長女と長男はその期間の間に三条市で生まれたこともあって思い入れがある。

久しぶりに深夜まで飲み歩いて改めて思ったのは、
この三条市という街の中心に東本願寺三条別院という寺があるのだなぁという実感である。
それは前回のブログ記事での実感のとおり
「日本の街はジャスコが中心となっている」
という流れには今後逆らえないような運命にあるのかもしれない。
しかしながら、元禄時代に建立されたこの寺院から放射線状にのびる
今では自動車がやっと通れるぐらいの一方通行の道は市内の要所に通じている。

本寺小路という小路という名称ながら参道の役割をしている道がある。
明治時代の初期の頃の貴重な写真もいくつか残っているが、
昔はこの参道沿いにぎっしりと旅籠が立ち並んでいた。
公共交通機関も自動車もない時代には、
大勢の人たちが泊まりがけでお参りをしていたということがわかる。
やがてその旅籠群は各種の飲食店に転職するか、
もしくは雑居ビルのオーナーになる道を選んだ。
もともと金物をはじめとする職人の街である三条市は、
食器・調理器具で有名な隣の三条市とともに大中小のさまざまな会社があり、
忘年会シーズンの本寺小路で
「社長さーん!」
という声が聴こえると数十人の人が振り向くほどである。
ディズニーランドで
「パパ!」
という子どもの声に世のお父さんたちが振り返る人数に似ている。

とにかく、三条市は400件に1件が飲食店(スナック、BARを含む)であるという、
かなりの大都市にもない大歓楽街が形成されていたということがある。

それほど伝統がある歓楽街も「何だかジャスコが日本の中心になっていく」という
時代の流れには逆らえず、必ずしも潰れたわけではなく移転した例も少なくないけれど、
ともかくお店の数は徐々に減り続けている印象がある。
30年前の最盛期の活況にも少しは接していたので寂しいことではある。
特に2008年にその本寺小路の中心部で大火災があり、
その箇所にあったお店は再建されておらずに寂しかった。

ユーミンが松任谷由実ではなく荒井由実だった時代の曲に
「中央フリーウェイ」
がある。
東京都内から中央高速で八王子方面(ユーミンの実家は八王子だなぁ)に走ると、
在日米軍の調布基地(1974年に全面返還)、サントリー武蔵野ビール工場、府中の東京競馬場
など歌詞にある風景が次々とシンクロしていく。
その風景を見ながら楽曲を思い浮かべている人もいるし、
ユーミンが好きな人のなかには中央高速を走りながらカーオーディオで
その楽曲を流したという方々は少ないないと思う。

かつて三条市に住んでいた時代の最後半に、
本町2丁目の本寺小路の入り口である交差点から
東本願寺の門の前までを歩いてタイムを測ってみれば
早足で4分、ゆっくり歩いて6分という、ちょうどポップス1曲分だなぁと思った。
その間に、いちばん目に入るのはスナック等の看板である。
何語であるのか由来は何なのか、よくわからない店の名前もある。
脱力系のふざけた感じの名前の店もある。
しかし、全国寺院名簿も眺めれば、それが場に対しての願いがこめられた
『すばらしき仏語集』でもあるように、
脱力系の名前のスナックはそれなりに
「お客さんには心からリラックスして欲しい場である」
というメッセージも願いもこもっているはずだ。

そんでもって、そんな店の名前からのインスピレーションを中心にした歌詞で、
「本寺小路」
という曲を仕上げようか?とふと思ったことがあった。
別にご当地ソングとして一発当てようなどとは思わずに、
ただ「中央フリーウェイ方式」によって、
自動車でのカーオーディオではなくて徒歩中に携帯オーディオで聴く形をとって、
目に見えるものと耳に聞こえるものとがシンクロするオモシロさには
作成意義のようなものがあるように思えたのだ。

当時は長女はイタズラ盛りで長男も生まれたばかりで、
どうもギターを取り出すこと自体が何だか億劫であったけれども、
歌詞になる前のキーワードの羅列のメモぐらいはとった気がする。

久しぶりにその本寺小路を歩いてみれば、
歌詞のなかのキーワードとなるはずだった店の看板で見当たらなくなったものもあり
完成間近だったわけではないけれども
「こりゃゼロから作り直しだ」
と思ってしまった。

ただ、手前味噌ながらも
「道を題材にして、実際に歩く時間を基準に詩や楽曲を作る」
という発想自体は悪くないと今でも思った。

できれば、いつそんなことができるのかわからないけれども、
俳句の吟行(合同で散歩やハイキングをしながら自作の俳句をひねり出す会)の手法で
シンガーソングライターやなんちゃってシンガーソングライターたちを集めての
ワークショップなどをやってみたいなぁなどと密かに思った。
ブログに記すると全然密かではないけれども。

マーヒー加藤
 
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by kaneniwa | 2014-08-29 13:58 | 草評
2014年 08月 27日

道草仏教(1)

b0061413_23482565.jpg 法事の後でお茶を飲みながら「神社仏閣が街の中心だった時代からすると、何だか今の日本はジャスコが中心になっている気がするなぁ」という私の生活実感を口にするとその場の一同に大笑いされた。同じ実感をもっておられたからかと思いきや、その場にいらっしゃった方のなかにイオンショッピングモールのペットショプ専属の獣医さんが居たからだ。実際にはそのような大規模小売店舗というのは厳しいマーケティング調査を事前にやりつつ商業活動に有利な立地を選び抜いて決断していると思うのだが、実際に人が多く集まる場所ができると新駅や新しいバス停ができる時にはその乗降率調査に大いに影響を与えることとなるし、地方都市で多くの車がそこを目指すということになれば、行政の道路計画そのものにも大きな影響を与えるということになる。そこで「ジャスコのための道ではないか?」とおぼしき新しい道路にも出会うこととなり、冒頭の私の実感となったわけである。 「あんたのところの本山の東本願寺は京都駅が近くて便利だね」というようなことを言われることがあるけれど、京都駅の開業は開業は1877(明治10)年2月6日ということであり、考えたら当たり前であるけれども順序としては「東本願寺のお参りが便利になるように京都駅をあの場所に作った」と言っていいぐらいである。本当は当時からしても四条や三条や御池あたりのもっと中心部に作りたかったけれど買収が難しかったという事情はあったと推測されるけれども、それでも明治時代なりの駅を作る時の事前調査はあったはずである。 さて、話はようやく写真に関係してくるけれども昨年、大坂城の周辺を歩きまわる機会があったのだけれど、歩いてみて大阪城を含む大坂城公園の全体がゴルフでいう「高台グリーン」のようになっているということに気がついた。織田信長や豊臣秀吉の視点からすれば「天下取りのためにここが欲しい」ということになる。ただ、大坂城を訪れる人は多いけれどもそこが石山本願寺という寺であったということを意識する人は少ないような気がする。是非とも大坂城を訪れる方には「いきなり天守閣に」という気持ちもわからなくはないけれども、じっくりと資料展示などにも目を通していただきたい。まず「大坂」(廃藩置県以降は大阪)という地名の名付け親が、蓮如上人である。これは私もそれに関する文書も読んだことがあるし、たとえばウィキペディアなどにもちゃんとそう書いてある。 大坂という坂はどこにある?というのは昔から関西人のなかで議論の的となっていることであるけれども、私としてはその場所の「高台グリーン」的な地形のことではないかと直感した。長くなりそうなので、いったんここで切って続編に道は続く。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-08-27 00:41 | 草評
2014年 08月 21日

名曲草鑑賞(45) ノラ・ジョーンズの『Don't Know Why』 

広島市北部に20日の未明に降った豪雨のために
土砂崩れが起きて、39人の方々がお亡くなりになっており
行方不明の方々も7名という惨事が起こっている。

10年前、2004年7月13日を中心に新潟県と福島県で起こった豪雨災害である
7.13水害が起こった。
亡くなられた方が16人。
全壊70棟。半壊5,354棟。床上浸水2,149棟という惨状であった。

私の長女と長男はともに被害が大きかった新潟県の三条市で生まれでもあり、
思い入れがあったため70キロ離れた三条市に何度か往復をした。

その行き帰りのなかで、ラジオを聞いていると、何度も
ノラ・ジョーンズ(Norah Jones)の『Don't Know Why』を聞いた記憶がある。
この曲が収録されたアルバムの『Come Away With Me』(日本名『ノラ・ジョーンズ』)は
前年2003年のグラミー賞の
最優秀アルバム賞(Album of the Year)
最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞(Best Pop Vocal Album)
最優秀録音賞、ノン・クラシカル(Best Engineered Recording, Non-Classical)
最優秀新人賞(Best New Artist)
を受賞し、さらに
曲目『Don't Know Why』について
最優秀レコード賞(Record of the Year)
最優秀楽曲賞(Song of the Year )
最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞(Best Female Pop Vocal Performance)
を受賞し、
プロデューサーのアリフ・マーディンに対して最優秀プロデューサー賞(Producer of the Year)
と、何と8部門もの受賞をしつつ売上も驚異的であったことから、
その時期に車のラジオから何度も耳にしていてもまったく不思議ではない。
単なる必然的な巡りあわせだったのかもしれない。

ただ、POPでありながらも哀愁を含んだこの歌声を
リクエストであったのかディレクターやパーソナリティの選曲であったのかさえうろ覚えだが
その時の地元ラジオ局から流れるところを何度か耳にしたということは
どこかに「癒やし」というよりはレクイエム(鎮魂)という意味があったのではないかと、
ふと今になってからふと思ったりする。

今月に入ったあたりの時期に、
渋谷陽一がパーソナリティをつとめる番組で
「最近のノラ・ジョーンズはどうも正体を隠しながらパンクのガールズバンドをやっているそうだ」
という最新情報を聞いた。
ブルー・ノートレーベルからデビューした関係で彼女のCDはJAZZのコーナーに分類されて
いることもあるし、カントリーの分野でのヒットもあるので
いろんなところに分類されているようだけれども、
キャロル・キングよりもジャニス・ジョプリンよりもジャンル分けが難しい気がする。

グラミー賞の8部門を受賞してスーパースターのようになる前年の
2002年に、彼女は来日をしていることをついさっき、知った。
9月10日に福岡市のイル・パラッツォというホテルの地下1階のクロッシングホールと
いう場所でライブをしている。
翌日の9月11日に、収容人数が最大で800人の
広島市の広島クラブクアトロでライブをやっている。
その翌日の9月12日はもっと小さな(最大550人)同系列の名古屋クワトロでライブをした。

2005年に来日している時には日本武道館など大きなところでのコンサートという形だが、
2002年の時期のようにブレイク直前というか、その魅力を知る人が知るといった時代では
あるのだろうけれども、そんな大きくない場所こそが彼女の歌声に接するには
幸せな場所である気がしていた。

そんな広島市(の特に北部)が大きな災害が起こった時に、
何だか無意識的にノラ・ジョーンズの『Don't Know Why』をなるべく全身で聴いた。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-08-21 14:52 | 草評