カテゴリ:草音( 129 )


2015年 10月 03日

縁(ふち)との縁(えん)

b0061413_1212214.jpg なじみの楽器屋さんでローランドの電子ドラムを叩かせてもらった。撮影はシャラポア(妻・日本人)である。この次に店頭で試奏させてもらう際には、ちょっとでもマシなリズムを叩きたいと思ってリットー・ミュージック社から出ている『はじめてのドラム』というDVD付きの初心者用の教則本とスティックを買って帰った。DVDを再生してみると、最初は「もしもし亀よ」に合わせてビートを叩くことから始まって終盤ではかなり高度なリズムを叩いている。私のクセで最初から見ていけばいいのに、終わりの方の高度な技術の方から「観賞」をしていったのだが実に勉強になった。クローズド・リム・ショットというテクニックがある。スティックを逆さまに持ちスネアドラムの打面に手を置いてリム(縁)の部分を叩くというテクニック。とてもパーカッシヴでありながらも暖かみがあるボサノヴァなどで多様されるリズムの正体はこれだったのか!と自分の勉強不足と経験不足が原因だが驚いてしまった。さらにスネア本体とリムをスティックを(こちらは通常の持ち方)を振り下ろしてスネアの打面と縁を同時に叩くというオープン・リム・ショットという技に「ああ、長年好みだった音の正体はこれだったのか!」という、こちらも勉強不足だったが今さらながらに感動さえした。ブルース・スプリングスティーンの「Hungry Heart」のイントロの音であり、イーグルスの「Hotel California」でのフィルイン(メロディの隙間を埋めるオカズ)の音であり、レゲエのリズムで欠かせない音の正体がこれだった。 その他にも「私は今まで何を聴いてきたの?」と唸るものが教則本のDVDには詰まっていて、実に色んなジャンルのCDをこの機会に聴き直すことになった。やはりドラムの音を中心に「私は今まで何を聴いてきたんだろう…」とそのたびごとに思ってしまった。 メモ程度でしかないけれども「バンドの指揮者役はドラムである」という確信と「メロディはラインというように線であり、コードはTONEというように色であるとするならば、リズムはそれらを統括して浮き彫りにするものではないか?」というイメージがはたらいた。これはメモ程度としておいて、いずれこのブログでドラマーがボーカリストでもある楽曲をとりあげながら考察していきたい。 とにかく、リム・ショットのリムの縁(ふち)というのが縁(えん)とまったく同じ字であるなぁということにも今さらながら気がついたことであった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-10-03 18:57 | 草音
2015年 10月 01日

美しきロングヘアのピアノ調律師(5年ぶりの続編)

b0061413_8251087.jpg 5年前に書いた 美しきロングヘアのピアノ調律師 というブログ記事はノンフィクションの短編として大きな反響があった。今日書かせてもらうのはその続編である。前回は何と15年ぶりのピアノ調律であって「これからは少なくとも2年に1回は調律をしてもらおう」と自分で誓ったものの、そこはいい加減な私であって5年間調律をしてこなかった。その5年間に娘たちは無関心なのだが息子がピアノを始めていた。息子が「調律が必要ではないか」と言い出し、私はチューニングに鈍感でメロディラインでは違和感がなかったけれども和音、特に四音の和音の響き合いが言われてみれば美しくないなぁと感じるようになった。そこで自分のブログ記事を自分で参照して「いつ以来調律をしていないか」を確認すると「ありゃもう5年以上経過している!」と自分のズボラさに呆れることとなった。今回は「前回と同じ人でお願いします」という「ご指名」を入れさせてもらった。彼女に会いたくなったというのが第一だが「いやぁ~なんせA(ラ)の音を440HZではなくて442HZでやってもらったもので」なんていう実に万人が納得できうる理由もあった。 調律師の彼女が久しぶりにやってきてくれた。まず、彼女の苗字が変わっていた。3年前にご結婚されたそうだ。ピアノの前に案内して私は用事(法務)に行った。90分後に帰ってくると調律はほぼ仕上げの段階だった。メジャーセブンスコードなど四音の和音を押さえてみれば、実に統制のとれたハーモニーの響き合いが蘇っていた。ちょっとの時間、お茶を飲んでいってもらった。久しぶりに会う彼女は実に爽やかで、実に明るく、何だか私の琴線の方も調律してもらったような気分になった。彼女の髪はショートカットになっていて、軽く染められていた。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-10-01 14:26 | 草音
2014年 11月 29日

響きが呼び寄せてくれたもの

b0061413_2332998.jpg いよいよ明日の11月30日に第432回、真宗大谷派善良寺報恩講(親鸞聖人ご命日の衆会)のご法話担当の講師として北海道よりやって来てくださる阿知波一道先生。そして善良寺での弾き語りと当日の午後5時よりご近所の食彩酒房ぼだいじゅさんにてアコーステックライブも決定した。 阿知波一道先生と初めてお会いできたのは2012年の5月13日(日曜日)である。京都であったが本山である東本願寺ではなくその関係の寺院でもない。それを思い返すと、改めて不思議さのようなものが湧き上がってくる。当日も講師紹介をするのだが、少しでもそれをスムーズにできるように、あるいは「詳しくはブログで」と言えるようにここに記しておきたい。 2012年の2月に京都市左京区一乗寺の「いちなん」という焼肉屋さんに行って、1階と2階が焼肉屋さんで3階がライブハウスで屋上がビアガーデンにもなる大文字山を斜め45度で眺められるスペースであり、店主である恵文兄さんが「うちは出会い系焼肉店だ、がはははは」というその場所をいきなり好きになった。まだ知り合ったばかりだったのだが恵文兄さんは「おいマーヒー、5月にボーズライブというイベントをやるから来てくれよ!」と言われて、なぜか私は「行く!行く!」と即答していたのだった。それは「行けたら行く」よりはずっと積極的な参加表明だったが、それでもスケジュールが詰まったら断念せざるを得ないなぁとどこかで考えていた。なんせ5月の週末は法事を希望される方も少なくないので直前まで本当に行けるかどうかは不明確であった。ところが不思議なことにこの年はゴールデンウィーク期間中こそ多忙であったものの、その翌週末となったこの期間は前日の5月12日の土曜日の朝にひとつ要件があっただけで5月13日には何も予定が入ってこずに自家用車にギター等を詰んで新潟県の下越(北部)から自家用車で650キロと少し走って京都に駆けつけることができた。その「ボーズライブ」当日のちょっと前に、Facebookのイベント参加者欄を見て丁珍姉御(ちょうちんあねご)という淡路島在住の川柳作家から私のところに「なんで恵文さん(店主)とまひとさんが知り合いなの!?」という連絡をいただいた。丁珍姉御はキュートなレディにして面白すぎる川柳作家であり、1998年の毎日新聞東京本社で毎日新聞の「万能川柳」のパーティで知り合った。その頃の丁珍姉御さんは「ブルースを歌えば上手そ大仏さん」や「ゴスペルが似合う三十三間堂」という仏教&音楽シリーズで選者の仲畑貴志さんが秀逸(優秀作品賞)を連発していた。 逆に私は「何で恵文兄さんと丁珍ちゃんが知り合いなの?」と思ってしまった。そのつながりは柳名ヒヤケナスさんという大阪の川柳作家の存在であった。何といちなん店主の恵文兄さんと丁珍姉御は、そのヒヤケナスさんのお葬式で知り合ったというのだ。恵文兄さんはヒヤケナスさんに弟のように可愛がられ、焼肉店のオープンの日には大阪からタクシーで駆けつけ、タクシーで帰っていったという。私はボーズライブの直前に何だか夢中で ヒヤケナス先生のブルース というものを作った。当日の客席には、やはり天才川柳作家の坂口チロルも居てくれた。 2013年5月13日のライブ当日、音響チェックのリハーサルを終えた後、阿知波一道さんの隣の席でコーヒーを飲んでいると、リリックノートというのか阿知波一道さんが当日のライブで演じる曲の歌詞カードがふと目に入った。「にごり液」という曲だったのだが、その歌詞の出だしからのあまりの斬新さと抱腹絶倒のオモシロさに思わず私はそれを音読していた。「ダメだよー、これからやる曲なんだからネタばらしをしちゃ!」と笑いながらだったけれども怒られたのが最初の出会いだった。 私の出番が来て前述の「ヒヤケナス先生のブルース」を演る前に「アメリカ南部牛追い唄」という曲を私(マーヒー加藤)はやった。すると、1番を歌い終わったところで何と客席から、正確に言うと3階のライブハウスから屋上につながる階段に座りながら阿知波一道さんはブルースハープ(10穴ハーモニカ)でその曲に見事な間奏を付けたのだ。形から言えば「乱入」であるけれども、それにしてもお見事すぎた。いくらE→C♯m7→Fm7→B7→A7という、ブルースの定形に(やや変則とはいっても)あるといえばあるコード進行であるといっても、1番を聴いただけで間奏をまるで予定調和であるかのように即興で入れてこれるとはスゴいとステージ上で弾き語りをしていながら心底驚いた。ちなみに「アメリカ南部牛追い唄」は、その時が世界初発表、文字通りの初演であったのだが、それは阿知波一道さんとの初共演であった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-11-29 00:07 | 草音
2014年 11月 13日

替え歌(2) 世界でひとつだけの肉(この身の好み)

肉屋の店先に並んだ  いろんな肉を見ていた  
ひとそれぞれ好みはあるけど  どれもみんな奇麗だね 
この中でどれが一番だなんて 争うこともしないで 
ケースの中 誇らしげに しゃんと胸肉をはっている 

それなのに僕ら人間は
どうしてこんなにも比べたがる
ナンバー・ワンにはなれないと
お得感が最優先

そうさ僕らは 東京湾に身投げなくていい
それぞれが奇跡のホールインワン

マーヒー加藤作
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by kaneniwa | 2014-11-13 20:19 | 草音
2014年 11月 11日

阿知波一道先生 11月30日ご登壇&ご出演

b0061413_14305198.jpg 11月30日の日曜日に、この草仏教ブログの主が住職を勤めている真宗大谷派善良寺にて報恩講(親鸞聖人ご命日の集い)の法要が厳修(ごんしゅう)され、法要の後のご法話の講師として北海道から阿知波一道(あちわ・いちどう)先生をお招きすることができました。お斎(とき)という伝統的な手作り報恩講料理の後、午後1時30分から2時30分終了予定でギターでの「弾き語り」の時間を本年度は予定させていただいております。さらに(現在チラシを鋭意作成中でありますが…)11月30日当日に善良寺から徒歩5分のところにある食彩酒房「ぼだいじゅ」(胎内市本町2-32熊野若宮神社鳥居正面)さんにて、午後5時から7時までの予定でアコーステックライブの実施が決まりました。ぼだいじゅさんでは特にチャージ料はありませんが、ドリンク&お食事をご注文ください。食彩酒房ぼだいじゅさんにはかつて楠木しんいち&宮本はつ菜さんもご出演されましたが、その楠木しんいちさん(from京都)が阿知波一道さんのファーストアルバム『器』のコーディネーターを務めておられます。阿知波先生と初めてお目にかかったのは京都ですが東本願寺ではなくその関係の寺院でも大学でもなく、一階と二階が焼き肉屋さんで三階がライブハウスという「いちなん」さんというお店です。抱腹絶倒の替え歌でお腹がよじれるほどに笑いつつ、気がついたらギターとブルースハープの魅力と、歌詞と歌声の力でお客さんたちがほとんど泣いていました。 先日も、いっしょに演奏したいというよりは「あの時の歌の歌詞が知りたいなぁ」ということでコード(和音)付きの歌詞をファクシミリで送信していただいた日に私も改めて感化して「寺中の輩」という替え歌を作ってある程度のウケはとれたけれども、この分野ひとつにしてもまだまだ阿知波先生の足元にも及ばないなぁ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-11-11 15:14 | 草音
2014年 10月 27日

寺中(てらんちゅー)ぬ輩

住職をしている この寺のことを
ボクはどれくらい 知っているんだろう
お正信偈も 阿弥陀経も
言葉の意味さえわからない

だけど誰より 誰よりも知っている
人が思っている修行と違う
俗っぽいけど過酷な 修行を

テレビにも映せない
ラジオでも流せない
おもしろい歌がきっと出来てくるはずさ

それが寺中(てらんちゅー)ぬ輩(やから)

(以上はBEGINのあの名曲にマーヒー加藤がかぶせてみた替え歌用の詩)
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by kaneniwa | 2014-10-27 06:44 | 草音
2014年 05月 26日

私とポール・ニューマンとの関係

b0061413_225882.jpg もう20年とちょっと前になる。私の東京での勤め先にたどたどしい日本語でポール・ニューマンから電話があった時、最初はイタズラ電話であると思った。なんせポール・ニューマンといえばアカデミー賞を3回受賞した合衆国の俳優の名前であるからである。ただ話をしてみれば、それは同姓同名というだけのことでイタズラ電話ではなかった。「ワタシは、喜納昌吉&チャンプルーズのベーシストでありバンドのマネジメントも担当しているポール・ニューマンという者です。イギリス人です。私たちのリーダーの喜納昌吉が終戦の日である8月15日に親鸞聖人に関係のあるお寺で平和のために自分の曲を捧げたいと言っています。もちろんギャラは一円たりとも要りません。東京都内で親鸞聖人に関係のあるお寺をご紹介ください」という趣旨であった。私はとりあえずそのポール・ニューマンの電話番号を尋ね、当時のEさんという所長に相談した。所長に喜納昌吉の偉大さを説明することは簡単であった。なぜならば「ハイサイおじさん」でも「花」でも、歌詞カードなしでも歌えるほどの大ファンであったからだ。所長もその意義を感じてくれて「どうせならば東本願寺真宗会館(練馬区)をその場とした方がその御縁を感じて参拝してくださる方々もいるだろう」ということになった。私にとっても8月15日というのは大事な日で、その場に立ち会うことはできなかったのだが、喜納昌吉さんの楽曲を捧げるという形の平和祈念ということの段取りのほとんどを私とポール・ニューマン(アメリカ人ではなくイギリス人)さんとの日本語と英語のちゃんぷるーでの電話連絡でやったのだった。当日のスタッフも、半年ほど前に喜納昌吉のコンサートに同年代の住職さん副住職さんたちとともに新宿区の東京グローブ座に行ったばかりの頃でありスムーズに結集された。

b0061413_225829100.jpg ポール・ニューマンさんとの電話のやりとりのなかで、喜納昌吉ファンであった私も知らなかったがかつて喜納昌吉作品の「ジンジン」という曲がイギリスのダンスミュージックチャートで2位になったこともあり、イギリスにも熱狂的なファンが少なくないということだった。さて、8月15日当日の「そろそろ終わってしばらくした時間だなぁ」という頃合いに、つつがなく済んだかどうかを確認するために電話をかけた。真宗会館の管理人の金庭さんという人が電話に出た。(この管理人さんを私は慕っているので私はこのブログをはじめ色んなところにkaneniwaの記号を使っている)「あっ、加藤さん、ポール・ニューマンさんに代わります」としたが、そのポール・ニューマンさんは電話に出て「喜納昌吉に代わります」と言った。それまでの電話でのやりとりで、私もどれだけ喜納昌吉の楽曲を愛しているのかが伝わった結果の粋なはからいであったような気がする。「もしもし、喜納です。加藤さん、本当にありがとう」と、いきなり言われた。私の方から何らかの言葉での感謝を伝えようと考えていた矢先に、喜納さんの方から投げかけられた「ありがとう」に感じ入ってしばらく思考は完全に止まったままに数分間の会話をしたが、内容は全然覚えていない。 さて、ブログ記事上は20年以上の時を経て5日前の5月21日の夜、私は那覇市の国際通りのライブハウス「島唄」を訪ねる予定でいた。ネーネーズの出演の日ではないことは前もって知っていたのだが、お店そのものの定休日であることは気がつかなかった。「島唄」の前で「この近くに『島唄』以外のライブハウスはないでしょうか?」と街の人に尋ねれば、200メートルほど歩けば喜納昌吉さんの妹さんの喜納啓子さんが経営する「Ohana」というライブハウスがあるという。そういう巡りあわせやなりゆきのなかで、喜納昌吉さんの妹さんならきっとポール・ニューマンさんが今どうしているかきっとわかるだろうとそこへ行った。ライブの終了後に、出演もされていた緑色の衣装の喜納啓子さんに私は声をかけた。「あのお、ポール・ニューマンというイギリス人をご存知ですか?」と言うと、喜納啓子さんとバンドメンバーである二人の娘さんたちが「知ってるも何も…」と笑った。「あら、昨日来ればよかったのに!昨日、久しぶりにここに顔を出していたのに。ポール・ニューマンはバンドをやめて今は6社を経営するIT社長で大金持ちになっているよ。それからね、この二人の娘の父親は違う人なんだけど、何といっても私の元ダンナがポール・ニューマンだね。この写真の長男は私とポールとの子どもだよ」と言われてビックリしてしまった。私はその三線を持つ長男さんの写真と喜納啓子さんとの顔を見比べながら、映像の引き算やら足し算のようなことを繰り返しながら、電話では話したことは何度かあるけれどもまだ直接に対面したことがないポール・ニューマンという人の姿や顔を想像したのであった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-05-26 07:01 | 草音
2014年 05月 24日

沖縄県庁前パレットくもじにて内田勘太郎ストリートライブ

b0061413_9155075.jpg 沖縄に滞在している間に学生時代には何度もライブに接した憂歌団の内田勘太郎先生(ギター教本ビデオも出していてそれを何度も見たので先生だ)のTOWER RECORD主催でのストリートライブが、ゆいレール県庁前駅のパレットくもじ(複合商業施設)の広場で行われていた。2泊3日の短い沖縄滞在中に何たる巡りあわせか。主催のTOWER RECORDさんからは録音と動画撮影は禁じられたが「写真はOKです」というご案内があった。(ブログ掲載まではOKなのかどうかまでは確認していないのですが、写真がOKということはそこに文章を添えて日記を書くのもOKということと判断します)

b0061413_9161059.jpg Gのオープンチューニングでのボトルネック奏法でのブルーズでライブは行われる。そのサウンドが夕暮れ時の県庁などのビルの谷間に響き渡り、時々振り返ると道行くたくさんの人たちの多くが足を止める。老若男女だ。そりゃ止まるだろう。内田勘太郎先生の出す音なのだから。 かつて内田勘太郎先生はこう言った。「色んなボトルで試してみたけれどもボトルネック奏法に使うボトルネックはカルピスの瓶の先端を切るのがいちばんやね」と。カルピスがあのガラス瓶でのカルピスの生産をやめてしまい、ボトルネックが作れないペットボトルというボトルばかりになった時に、私は内田勘太郎先生がこの先どうしていくかということがとっても気になっていた。どうやらこの日のボトルネックはカルピスではないように思えた。

b0061413_9162762.jpg 内田勘太郎先生のこの日のギターはヤイリだった。ファンなのでわかるけれども、このヤイリは内田勘太郎先生が杉山清貴(オメガトライブ)に「ちょっと貸してね」と言ってから四半世紀を経過しているはずのヤイリである。そういえばライブやスタジオ録音に長期間使ってこられた憂歌団のギタリストととしての内田勘太郎先生のシンボル的存在であるChakiのギターも元々はボーカルの木村充揮さんの所有物であったはずだ。もしも内田勘太郎先生が私に「加藤くん、それ、ちょっと貸してね」と言われるとたいへんに困ったことになってしまう。困ったことにはなってしまうものの、何だか内田勘太郎先生のサングラス(お眼鏡)にかなったものを持ちたいというのか、何だか内田勘太郎先生に「ちょっと貸してね」と言われたくてしょうがない気持ちというものも禁じ得ない。私は今後、そんな屈折した物欲をもっていくことになるだろう。

b0061413_9164465.jpg オープンGチューニングから先生はレギュラーチューニングに戻されて、この日は内田勘太郎先生が弾き語る曲も3曲ほど披露された。「この曲の作詞者とは絶交してからそのままになってもう10年です」などというMCもサラリと入れながらストリートライブは繰り広げられていった。写真を撮りつつも夢中になってその世界に入っていき、そして那覇の街中でのブルーズに酔いしれた。

b0061413_91738.jpg ブログ掲載許可を口頭でいただいたが、実は私を沖縄に招集した熊本のご住職さんは内田勘太郎先生と旧知の間柄であった。内田勘太郎先生を中央に3ショットである。撮影はTOWER RECORDの社員の方にお願いした。 私が結婚してからも自宅でよく内田勘太郎先生のギター教則ビデオ(VHS)を自宅で流していた。それを傍らで見ていたシャラポア(妻・日本人)が「この人、マヒにゃん(マーヒー加藤)に何だか似ている、姿も語り口もギターも」と言っていたことがある。シャラポア、全然わかっていないな。姿と語り口はモノマネぐらいならできるかもしれないけれどギターはモノマネですらできないのだ。同じフレーズでも内田勘太郎先生がギターを鳴らせば大きな黒人が道をノッシノッシと歩いていくような絵が浮かんでくる。この日もそうだった。ただ、沖縄に拠点を移されてからはや20年。沖縄で聞いているということもあり、ましてやストリートライブということもあり、その黒人が歩いていくイメージは変わらないものの、沖縄を踏みしめながら歩んでいくイメージをそのサウンドから感じてきた。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-05-24 10:24 | 草音
2013年 09月 15日

秋の夜長の“あまちゃん”ライブ ~大友良英と仲間たち大音楽会~を見て

ライブに行って、複数のキーボードが並んでいて
Macノートなんかとつなげてあったら、
演奏を聞いてみてもどこからどんな音が出ているのか、わからない。
その音を出るまでのプロセスでものすごい労力を蓄えてきたのだろうが、
そのスゴさがもうひとつわからなくて、感動できない。

エレクトーン(YAMAHAの登録商標ですね)というものも、
ものすごい進化をずっとし続けて、インストラクターがデモ演奏というものをやっていると
リズムボックスから出るリズムもそうだし、プリセット伴奏モードというのだろうか、
フルオーケストラのピアノ協奏曲の伴奏部分なんかをシンクロさせつつ演じていたりする。
ただ、ここまでスゴいとたいへんに恐縮ながら
実際に演奏者の手が活躍している範疇というものがわからなくなってしまい、
「録音物を聞いているだけとどこが違うか?」
なんてことを思ってしまうのだ。
たぶん、そういうストレスのようなものを感じる人は少なくなく、
コンピュータ打ち込みサウンドが広まれば広まるほどに
1990年代にMTVの「アンプラグド」という企画が大いに盛り上がったのではないかと思う。
さらに桑田佳祐はその「アンプラグド」のブームが来る直前の時期ぐらいに
Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26
というものを作っているが、ここにも桑田佳祐の先見性のようなものを感じる。

そんなことを思うようになってもう10余年。
今やアナログ・レコード・プレイヤーなどは家電店でなく楽器屋さんで売っていて、
まさにプレイヤーがプレイするためにあるといっても過言ではない。
それもまた文化と思いつつ、金曜日の夜にテレビで見た
「秋の夜長の“あまちゃん”ライブ ~大友良英と仲間たち大音楽会~」
は17名編成のバンドの誰がどんな音を出しているのかが見てとれて
たいへん楽しかったのだ。

まず、大友良英を含め17人編成のバンドのなかに7名の女性が居て
それがみんな可愛くてハツラツとしていて素晴らしかった。
最後に出てきたクレジットに名前があった。
ピアノの江藤直子さん
エレキベースのかわいしのぶさん
クラリネットの井上梨江さん
サックスの江川良子さん
パーカッションの三沢泉さんと上原なな江さんのコンビ
の6名であった。
みんなこのバンドに欠かせない重要な役割を担いつつ、
ヒロイン能年玲奈の表情に輝きをサウンドで飾る仕事をしていた裏舞台に
こうした才能あふれる女性たちが居たのだなぁと感じた。

「あまちゃんのメインテーマ」
での猫の鳴き声のような音は、江川良子さんがソプラノ・サックスで絞りだしていた。

「行動のマーチ」
主人公が何か新しい一歩を踏み出す時に流れる曲。
リコーダーの音に何だかちょっと陽性のアンデス民謡のような雰囲気も感じる。
ちなみに、「あまちゃんのメインテーマ」のところで
大友良英さんが
「高級なリコーダーはバロック音楽になってしまうが北三陸はバロックじゃないよね」
と、中学生が学校の授業で使うようなリコーダーを演奏してもらったという。
逆に、そのいいリコーダーの音の方も聴けて改めて納得した。

実際に録音にも使用したNHKの509スタジオ(CRー509)に
「スナック梨明日」のセットを搬入してお客さんも入れての収録。
いい雰囲気だった。

勉さんのテーマである
「琥珀色のブルース」
これがいちばん好きな曲だったなぁ。
いつもスナック・リアスで琥珀を磨いている勉さん(塩見三省)の
テーマ曲であるが、聴いているうちに
見事に原石を掘り出して磨き抜く男の情熱が静かに盛り上がってくる曲で、
しかもウイスキーの琥珀色もクロスして浮かび上がってくる曲だ。
NHKとは関係ないところで宮藤官九郎が言っていたが
ユイちゃんのお母さんが行方不明となってしまいスレてスナック梨明日に来るシーンで
脚本には「周囲の客たちはユイちゃんに気をつかう」としか書いていなかったというが、
アドリブで塩見三省はユイちゃんのスパゲッティナポリタンに粉チーズをかけている。
そんな名アドリブが、大友良英さんが弾くペンタトニックスケールのギターのアドリブでも
再現されているかのようだった。
そして次第にアクセルを踏み込むように静かに盛り上がってくるこの曲は
17名のビッグバンドで演奏されるにふさわしい曲だった。

「芸能界」
という曲では冒頭にタブラ(インド音楽のパーカッション)が使われていて、
弦が内包されていてチューニングが必要なたいへん繊細なこの楽器を
Zhaanさん
と最初書いちゃったけどこれは演奏メンバーのメモを写しまちがえて
U-zhaan(ユザーン)さんというバンドメンバーが演奏しており、
太巻(古田新太)というクセのあるプロデューサーのテーマ曲であるとともに
北三陸から芸能界に入ってきた時の主人公の違和感が表現されていた。
私は横浜市の高明寺という、インド音楽活動では有名な寺院のバンドのコンサートの司会者を
つとめさせていただいたこともあり、タブラの音を知っていたので
妻(シャラポア・日本人)がテレビを見ている横で
「おっ!この朝の連続テレビ小説にはタブラの音が出てくるぞ!」
と言ったことがあるのだが、その時の妻はピンとこなかったが
ようやく視覚もシンクロさせてやることができた。

「希求」
という曲のなかでの近藤達郎さんというバンドメンバーが演奏する
クロマチックハーモニカの音も実に良かった。

その他、劇中劇、フィクションのなかのフィクションであったはずなのに、
現実の世界のなかで売れはじめて有線などでよく耳にする
「潮騒のメモリー」

「地元に帰ろう」
なども演奏されたが、
17名のバンドで演奏されて、あらためて
これはダン池田とニューブリードや
原信夫とシャープス&フラッツ(JAZZをやるとものすごいテクニックをもっていた)
などコンピュータの打込みもリズムボックスもない時代のバンドの良さというものを
今さらだけれども再認識したのである。

本当はこの趣旨のブログ記事は
「タモリ倶楽部」
のなかで、駅メロの作曲者が自分のメロディ(わずか10秒)を
クラシックギターで弾いたものを耳にした時に、その感動を伝えようと思ったが、
それはまた別な機会に書こうと思う。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-09-15 23:59 | 草音
2013年 08月 03日

楠木しんいちさんと私のサウンド・オブ・サイレンス

b0061413_21521547.jpg 楠木しんいちさんが村上市の米弥旅館(よねや)さんという旅館に泊まっているというので、10日ほど前に会いに行った。米弥さんはオールシーズン3000円であり若女将さんはブラジルのパラナ州出身の金髪美人。近くであるけれども今度、泊まりたいと思った。とにかく会いに行ってそのすぐ近くのバーでありライブハウスである「楽屋」さんに楠木さんをご案内することにした。楽屋のマスターの青山さんは京都の四条木屋町の「ろくでなし」というお店で働いていたことがあり楠木さんはそこをよく知っているので一度引きあわせたかったのである。 ブログに記することが遅れてしまって当日券のご紹介ということになってしまうけれども本日!8月3日の午後6時30分開場、午後7時開演で金沢市の湯涌温泉入り口にある金沢湯涌創作の森内の築90年の古民家を会場に「第3回 金沢 湯涌創作の森夕暮れ時コンサート」が開催され、京都の至宝・ロマンチックフォークの天才シンガーであるこの楠木しんいちさんも日本一のオートハープ奏者であり弾き語りをされる木崎豊さん、小松のマイク・シガーと称される西出慎治さんと共にご出演される。当日料金は  大人 2000円 中・高校生 1500円 小学生以下無料となっている。飲み物などの持ち込みは自由らしく、さらにビールの自販機があるというのも素晴らしい!同日のほぼ同時刻に本多の森ホール(旧金沢厚生年金会館)では郷ひろみのコンサートが催されるが、草仏教ブログの読者の方で金沢市周辺の方は是非とも「湯涌創作の森」の方に聴きに行かれていただきたい。 さてさて、10日前の「楽屋」さんでは深夜0時の閉店時間まで真面目なんだかふざけているのかどうも分からない音楽談義を楽しくさせていただいた。そのなかで楠木しんいちさんが「長年かけてサイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)のサウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)にようやく歌える訳詞を付けることができた」と嬉しそうに語ってくださった。サウンド・オブ・サイレンス、つまり「沈黙の音」というようなポール・サイモンの詩的矛盾表現がたまらなく好きだと語られた。この楠木しんいちさんに出会うまで、私は「和訳の歌詞で歌う洋楽」というものは好きではなかった。古くは「東京ビートルズ」であり最近(といっても10年前)では王様の訳によるハードロックや女王様(パッパラー河合)によるQUEENの曲のように、ツッコミどころ満載で笑うために聴く世界は別格として、それ以外では上々颱風の「Let It Be」が良かったなぁと思ったぐらいだ。平井堅の「大きな古時計」は1876年にできた曲で、保富 康午(ほとみ こうご)訳詞のバージョンが1962年に発表されてから年月を数えてもすでにスタンダードのなかのスタンダードとなっていてこれも例外的だ。しかし、楠木さんの訳詞による洋楽を何曲か聴いたら「洋楽に独自の日本語詩がつくのもいいなぁ」と思うようになった。そして楠木さんのギターはポール・サイモンのようにさり気なくて上手く、そして味があると常々思っていたが、詩の世界でもまたその音楽的本質のところで関わっていたのだと感じた。

私は、まだ楠木しんいちバージョンの「サウンド・オブ・サイレンス」を聴いていない。
聴きたいと思うが、聴いてしまったら自分の発想というものはしなびてしまう。
その前に自分の「サウンド・オブ・サイレンス」を書いておきたいと思った。

「沈黙の音」というほど詩的ではないが、
昔から関西人はよく使う
「琵琶湖で海水浴をしてきた」
という表現は、確かに和邇浜などには砂浜もあるけれども
淡水の琵琶湖には一種の矛盾表現であるとずっと思っていたので
それをタイトルとした。

私一人の発想だけでも難しいと思ったので
mixiとTwitter上で
「矛盾した日本語表現を求む!」
というちょっとおバカな公開質問をしたところ、
たくさんのご意見を頂戴した。
採択しなかった表現も発想を助けてくださったものとして
意見を寄せてくださった方々全員に感謝したい。

同級生の夢吉からは
「有給休暇って何だかヘンだ」
という意見をいただいた。
琵琶湖のお膝元、滋賀県の那由多さんからは
「海ではないのに海パンというのも矛盾だ」
「古書店、古本屋に置かれた新書というのも何だかヘンだ」
というご意見をいただき、
奈良のマシマロちゃんは
「点線」
という、わずか二文字にして、それをよく凝視しつつ
よくよく考えるならば、頭のなかに???と、
クエスチョンマークがいくつも並ぶ言葉を見つけて寄せてくれた。

それらの力を借りても、天才・楠木しんいちさんが長年かかったものを
私が一週間で書けるわけはないのであるが
現時点での詩的(ではないものもある)矛盾表現を集めた
「私のサウンド・オブ・サイレンス」
といえるものを書いてみた。

最初は『The Sound of Silence』のメロディに載せられることも念頭に作詞したが、
「どうも、かなりのムリをしなければ歌えない」
ということになって、改作して原曲の方は無視をすることになってしまった。
バカ歌ということになるが、近い将来に、このエッセンスのうちの何かを
何かのために使いたいとは思っている。

私のサウンド・オブ・サイレンス(琵琶湖で海水浴)
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by kaneniwa | 2013-08-03 00:02 | 草音