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2005年 05月 31日

私の好きなホームランバッター ベスト7 (7)  

さて、ここまで列挙してきた私の好きなホームラン・バッター
ですが、ブライアント(元近鉄)、宇野勝(元中日)田淵幸一(元阪神)、
フォスター(元レッズ)、高井保弘(阪急)と名前があがってきましたが、
7人目は、これは草野球チームの仲間のモハメッド・ブリ選手です。

あ、ちょうど、メールでのヒーロー・インタビューがブリ選手より返ってきましたので
ここにそのまま引用いたします。(カット&コピーで)

Q1、 打ったボールは、どんなボールでしたか?
 (軟式ボールでした、とか丸かったとか、そういうボケはしなくていいです)

内角低めのストレートを思いっきり振りました。

Q2、奥さんや娘さんも観戦されているという状況のなかで打たれた
   わけですが、何か感想を言っておられましたでしょうか?
    
 娘は、「パパすごいね」っていってくれました。

Q3、この喜びをどなたに伝えたいですか?
 
 野球ファンの皆様へ(撃ちこんだぞぉ~)って

Q4、なんちゃてヤンキースでの今後の抱負を教えていただけますか?
  
 今年は、まず一勝よりチームワークで勝てる試合をする。
  (上手な人がたくさんいるので絶対2勝3勝出来るはず!)

Q5、最後に、モハメッド・ブリ選手は居酒屋店主でもあり、ブリをはじめと
   する活魚をさばくのも上手いし、野球ではゴロをさばくのも上手い
   のですが、運営されはじめたブログと、ここにリンクさせていただいて
   よろしいでしょうか?

 是非リンクしてください。


というわけで、次回か、もしくはその次の回の記事では、このモハメッド・ブリ選手の
ブログを紹介させていただこうかと思っております。リンクの方は、すでに本編の
ホームページの「選手の紹介」欄の背番号5の箇所の最後に貼らせてもらいました。
(近々、このブログでも改めて紹介します)

まあ、柵越え本塁打というビッグ・プレーの後なので当然ですが、
モハメッド・ブリ選手は最高の笑顔でホームベースに帰ってきました。その感動は
1週間以上経っても色あせないのですが、ホームランほどのビッグ・プレーでなくとも、
なんちゃってヤンキースの選手たちは高校以来、中学以来、あるいは小学校以来の
「野球をやっての笑顔」というものをグランドで見せてくれています。

それに接していられるだけで、草野球チームを40歳すぎてから立ち上げるという、
いささか無謀なことをやってみて、本当に良かったと思っているマーヒーでした。

マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-31 00:31 | 七草
2005年 05月 31日

私の好きなホームランバッター ベスト7 (6)

さて、私の好きなホームランバッターを列挙してきたが、
その6番目には、阪急ブレーブスの「代打の切り札」であった高井選手
を是非ともあげておきたい。

『ビッグコミックオリジナル』に、現在も何と連載中であり、これを見ればプロ野球の
歴史、特にパリーグの歴史の半分は網羅(もうら)できる水島新司の『あぶさん』と
いうマンガがあるが、この高井保弘選手は、通算で27本の代打ホームランを放った
代打男であった。

1974年のオールスターゲームをテレビで見ていて、場所は確か西宮球場、
9回の裏に代打高井が告げられ、投手の松岡弘(ひろむ)から代打逆転ホームランを
劇的に放った。私はその時小学生で、父親が、このホームランが出る直前に
「こいつはホームランを打つぞ!」とテレビの前で予言していた。

それまでも、父親の予言は、ドリフのギャグの展開を示したり、小学生の私には
「何でわかるんや!」という感じで、小学生当時は尊敬していた。この年、オールスター
までに5本の代打ホームランを放っていた実績、一発狙いのオールスターゲームの
雰囲気、それから、この場面と、この瞬間の(テレビを通してだが)の西宮球場の
雰囲気が父親にその予言をさせたのだろうが、それにしても、その劇的な一発は
その当時の父親と高井選手への尊敬の念に変わった。ちなみに、この試合では
同じ阪急の福本豊選手がフェンスによじ登ってホームランになる球をチャッチした
スーパープレイも出ていたように記憶する。

とにかく、「代打の切り札」みたいな存在自体が魅力的である。また、そういう
選手を置いておけるチームも選手層がぶ厚いか、チームとして個性的で、これは
魅力がある。あの1985年の阪神フィーバーの年も、結局は「代打・川藤」が出て
きた時に甲子園はいちばん沸いた。個人的には阪神では「代打・切通(きりどうし)」と
コールされるのがしびれた。中日の大島選手も代打で登場するときがいちばん
凄みがあって良かった。巨人なら淡口の、あの腰を切る動きを記憶しているファン
も多いだろう。

とにかく、ホームランを打てるような打者が代打で出てくる、ということ自体がシビれる。
ケガから復帰したホームラン打者が代打をコールされる時も、これまたいい。

というわけで、『あぶさん』はマンガの世界ながら、その雰囲気にいちばん近かった
高井選手は、文句なしに私の好きなホームランバッターである。

 マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-31 00:05 | 七草
2005年 05月 31日

私の好きなホームランバッター ベスト7 (6)

さて、私の好きなホームランバッターを列挙してきたが、
その6番目には、阪急ブレーブスの「代打の切り札」であった高井選手
を是非ともあげておきたい。

『ビッグコミックオリジナル』に、現在も何と連載中であり、これを見ればプロ野球の
歴史、特にパリーグの歴史の半分は網羅(もうら)できる水島新司の『あぶさん』と
いうマンガがあるが、この高井選手は、通算で27本の代打ホームランを放った
代打男であった。

1974年のオールスターゲームをテレビで見ていて、場所は確か西宮球場、
9回の裏に代打高井が告げられ、投手の松岡弘(ひろむ)から代打逆転ホームランを
劇的に放った。私はその時小学生で、父親が、このホームランが出る直前に
「こいつはホームランを打つぞ!」とテレビの前で予言していた。

それまでも、父親の予言は、ドリフのギャグの展開を示したり、小学生の私には
「何でわかるんや!」という感じで、小学生当時は尊敬していた。この年、オールスター
までに5本の代打ホームランを放っていた実績、一発狙いのオールスターゲームの
雰囲気、それから、この場面と、この瞬間の(テレビを通してだが)の西宮球場の
雰囲気が父親にその予言をさせたのだろうが、それにしても、その劇的な一発は
その当時の父親と高井選手への尊敬の念に変わった。ちなみに、この試合では
同じ阪急の福本豊選手がフェンスによじ登ってホームランになる球をチャッチした
スーパープレイも出ていたように記憶する。

とにかく、「代打の切り札」みたいな存在自体が魅力的である。また、そういう
選手を置いておけるチームも選手層がぶ厚いか、チームとして個性的で、これは
魅力がある。あの1985年の阪神フィーバーの年も、結局は「代打・川藤」のコール
があれた時がいちばん沸いた。個人的には阪神では「代打・切通(きりどうし)」と
コールされるのがしびれた。中日の大島選手も代打で登場するときがいちばん
凄みがあって良かった。巨人なら淡口の、あの腰を切る動きを記憶しているファン
も多いだろう。

とにかく、ホームランを打てるような打者が代打で出てくる、ということ自体がシビれる。
ケガから復帰したホームラン打者が代打をコールされる時も、これまたいい。

というわけで、『あぶさん』はマンガの世界ながら、その雰囲気にいちばん近かった
高井選手は、文句なしに私の好きなホームランバッターである。

 マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-31 00:04 | 七草
2005年 05月 30日

私の好きなホームランバッター ベスト7 (5) 

さて、今週に入っても、最近、この話題ばかりであるが、モハメッド・ブリ選手の
大ホームランは、日本ダービーを5馬身差で圧勝したディープインパクト
と同じぐらいのディープなインパクトがあり、その余波はまだ続く。
ひきつづき私が好きなホームラン打者を列挙していきたい。

さて、今回は、投手の打撃王という観点から一人、選んでみたい。
星野仙一や、堀内(現巨人監督)、阪神時代の江夏のバッティングは
なかなかすごいものがありました。

私は現役時代を知りませんが、金田正一は通算で34本のホームランを放っています。

メジャー・リーグではブレーブスの黄金期の左腕の大黒柱、トム・グラビンの
打力の良さは有名である。今はメッツにいるが、なるほどDH制のあるアメリカン
リーグではなく、投手も打席に立つナショナル・リーグにいるね。確か、松井稼頭央も
出ていた試合で、7回に代打出場したこともあったはず・・・

もっとも、歴代最強の投手の打撃王は、これは反則ギリギリで言えば、文句なく
ヤンキースに入団する前にレッドソックスで投手をやっていた時代のベーブ・ルース
に間違いないでしょう。

さて、私が好きな投手のホームラン・バッターは、伝統的に投手の打撃が強い
巨人の選手のなかにいます。現役では上原のバッティングもいいです。
江川、水野など、なかなかの打撃をみせる選手がいました。広島から移籍して
きた川口投手(左腕)が打席に立つとスイッチ・ヒッターだったのにはビックリ!
何といっても巨人投手は、打撃でもTVに写る頻度が断トツなのですが、
投手としての打撃が光るのは、やはり桑田真澄でしょう!

甲子園(高校野球)で春・夏の大会通算の本塁打数は清原和博の13本が抜けた
記録ですが、(ラッキーゾーンはあったけど・・・) それに次ぐ2位の記録は
桑田真澄の6本のはず。

桑田真澄投手の打者としての通算成績は1031打席、191安打、7本塁打、
通算打率0.219 ということ(2005年5月現在)ですが、そのプロでの7本塁打
のなかで印象に残るのが、巨人相手に初登板でノーヒット・ノーランを記録した
中日の近藤真一投手から、その年に桑田が打ったホームランで、これが巨人の
対近藤投手からの初得点だったはずです。

桑田真澄投手は体も大きくなく、バットも短く持ちます。ホームランなど打ちそうに
見えないのですが、球のとらえ方の上手さと、体の回転でスタンドまでもっていく
感じですね。投げる方からすれば、桑田は打者としても「憎たらしい奴」という
感じじゃないでしょうか。と、いうわけで、私の好きなホームランバッターの5人目
に選ぶのは、何と打者・桑田真澄です。

今、セパ交流戦の最中で、普段は打席に立たない西口(西武)やJP(オリックス)が
スタンドに打球を放り込んでいますが、こういうのは、データ重視の今の野球を
打ち砕くようで痛快です。

今の現役投手で、おそらく最強打者である可能性のある松坂大輔(西武)は、
メジャー・リーグの球団に入る場合には、是非とも投手も打席に入るナショナル・
リーグのチームに行って欲しいと思っているのは、私だけではないはず。

 マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-30 09:58 | 七草
2005年 05月 27日

私の好きなホームランバッター ベスト7 (4) 

さて、金曜日になったというのに、われらなんちゃってヤンキースの
チームメイト、モハメッド・ブリ選手(背番号5)の放った大ホームランの
余韻はまだ残っており、引き続き、今回は「私の好きなホームランバッター」と
いうタイトルでブログを書いております。

さて、私がテレビを見ていて、もっとも驚いたホームランはいつ、誰が打ったもの
であったか? 思い出して見ると、1978年(私が中学3年生あたりだな)に、当時、
メジャーリーグで黄金期を作り、「ビッグ・レッド・マシーン」と呼ばれたシンシナティ・
レッズが来日して行われた日米野球でのジョージ・フォスターが堀内(ご存じの通り、
今は巨人の監督ですね)投手から打った、後楽園球場の照明灯の柱部分に当て、
しかも凹ましたという特大にして破壊力抜群の一発だった。天候は小雨で、フォスター
が凹ました照明灯の部分が、30秒ほどだろうか、アップで写されていた。

ネット上で色々調べてみたが、私が記憶しているこの超特大にして最強のホームランは、
日米野球という親善試合のためか、なかなか資料が出てこない。

わずかに、ジャイアンツのホームページ中、『月刊GO GO ジャイアンツ』からの
抜粋記事で、中畑清選手(現解説者)の鮮烈デビュー
(確かに、中畑選手はこの試合で名前を売って、翌年からポスト長嶋候補になった)
について書かれているもののなかに、ジョージ・フォスターが堀内投手から先制の
ホームランを打ったことだけがかすかに書かれている。

この記事のなかには、さりげなくしか書かれていないが、このホームランのパワフル
さといったら凄かった。今流の表現でいうなら、まさに「鳥肌が立った」ということだ。

赤い帽子は広島カープとそっくり(というか広島のルーツ監督が似せて広島に採用した)
で、この時のメンバーは311勝したトム・シーバー投手や4256安打のピート・ローズ3塁手、
MVPを2度受賞し、強肩・強打で時代を築き、メジャーの歴史の中でも最高の捕手と
呼ばれるジョニー・ベンチ、それから90年代最高の選手であるケングリフィー・ジュニアの父、
その名もケン・グリフィー・シニアらが来日したが、もっとも印象に残ったのは、この
ホームランを見たおかげで、当時、メジャー・リーグの3年連続打点王だった、この
4番バッター、ジョージ・フォスター選手になった。

その当時の解説者(誰だったかは忘れた)かアナウンサーが言っていたコメントまで
覚えているのだが、無名時代のフォスター選手は、当時阪急ブレーブスの外国人補強候補
選手だったらしい。阪急は迷った末、俊足のウイリアム外野手の方を補強したのだが、
この選手はあまり活躍しなかった。もしも、1970年代にフォスターが阪急に入っていたら、
日本の野球は大きく変わっていたかもしれないと思う。


マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-27 20:03 | 七草
2005年 05月 25日

私の好きなホームランバッター ベスト7 (3)

さて、われらがなんちゃってヤンキースのチームメイト、モハメッド・ブリ選手が
放った特大3ラン・ホームランの余韻をもって書いている「私の好きなホームランバッター」
のベスト7であるが、ラルフ・ブライアント、宇野勝選手に続いて3人目のランク・インは、
これは多くの野球ファンにとって異存のないところであろう 田淵幸一 選手である。

私は、小学校時代、関西から巨人ファンの多い土地にやってきた転校生であったので、
大きく口には出さなかったが、アンチ巨人であった。アンチ巨人としうのは、しかし、
アンチ楽天とか、アンチ広島なんて人が珍しいように、巨人が特別な存在でない限りは
成り立たない。今の巨人は、チーム成績といい、特別な存在ではないので、5年ぐらい前から
すでにアンチ巨人という立場は卒業した。

しかし、巨人が特別な存在、というよりも絶対的な存在と言ってもよかった、あのV9時代、
同時に、その最後半は初めて野球というスポーツに強い関心をもって見はじめ、やがて
やりはじめた少年時代とその時期は重なるが、その連続優勝を阻止するチームはどこか?
という観点から阪神、中日には強いひいき目をもっており、その時代の広島、大洋、ヤクルト
にも好意をもっていた。結局、アンチ巨人というのは、つまり巨人を除くセリーグの5球団の
ファンであり、日本シリーズを巨人相手に戦うパリーグを代表するチームのファンだった
ということなのか、と思う。

そんななか、1975年はホームラン王の代名詞のような存在だった、王貞治選手の連続
ホームラン王の座を果たして阪神の強打の捕手、田淵幸一選手が奪うのか、という
ことに夢中になりながらテレビの巨人VS阪神(後楽園)、あるいは阪神VS巨人(甲子園)
のテレビ中継を見ていた。

これは多くの野球ファンが言うことだが、田淵選手のホームランは実に美しかった。
大きなフォロー・スルーでバットは3塁コーチボックス方面に1回転半して落ち、
空間に放たれたボールは孤の大きな虹のような放物線を描き、
飛んでいくボール自体が嬉しそうな表情を見せ、その多くはレフトスタンドの
中段に静かに着地した。

1975年、田淵選手は43本のホームランを打ち、王貞治選手の14年連続ホームラン王
のタイトル獲得の野望を打ち砕き、見事に新しいホームラン王になった。(ただし、ホームラン
王になったのはこの1回だけ)

その翌年、私は自分のお小遣いで初めて書店で本を買った。
それから今日に至るまで、数多くの書籍を購入していく人生を送ることになる私だが、
私が初めて自分でお金を出して購入した書籍の名は

  『田淵幸一打撃教室』

 マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-25 22:59 | 七草
2005年 05月 24日

私の好きなホームランバッター ベスト7 (2)

さて、本来、今月は「百円ショップで買ってよかったものベスト7」をやろうと
思っていたのですが、草野球のチームメイトであるモハメッド・ブリ選手の
5月22日の大ホームランの余韻はまだまだ消えず、私の好きなホームラン打者を
7人、選出します。

さてさて、まず、私の頭の中の回想シーンは、高校生だった頃、自宅でナイターを
観ていた時のことです・・・・・

1981年8月26日、後楽園球場での巨人戦、先発は当時エースの星野仙一です。
昔の野球をあまり知らない方でも、のちの中日・阪神の監督としてご存じでしょう。
当時の巨人は、前年から159試合連続得点を記録。情熱家で知られる星野投手は、
その記録を止めてみせると鼻息を荒くしていました。

星野は、気合いの入った投球で好投し、6回まで巨人打線を2安打無失点に抑えていました。
しかし、7回裏2死1塁の場面で、巨人の山本功児が放った打球は、ショート後方
の平凡なフライとなり、マウンドの星野は3アウトを確信してベンチに戻りかけていました。

しかし、ショートの宇野勝は、打球をおでこに当ててしまい、球はカバーに来ていた
レフト大島康徳の横を転がり続け、ボールが左翼ポール際まで転々とする間に、
1塁走者は楽々とホームインして、巨人は連続得点記録を更新したのです。星野は、
ベンチに帰ろうとして戻り、ホームベース付近でグラブを叩き付けて怒りをあらわしました。

この場面は、今でも『珍プレー好プレー』などの特集があると、必ずといっていいほど
番組最後半ハイライト場面で、何度観ても面白いシーンとして登場しています。

実は続きもあって、ヘディングで失意のまま駐車場の自分の車のエンジンをかけた宇野勝選手
は、急発進して前の車の後部に車をぶつけてしまいます。前の車を運転していたのが、
出来過ぎの話みたいですが、こともあろうに星野仙一投手でした・・・・・・

まあ、このあまりにも有名なヘディング事件や「ユニフォームを忘れて球場に来た」という
ような事件を経て、宇野勝選手の「球界のうっかり八兵衛」ぶりは定着したのですが、
その、打撃の素晴らしさは、やはり印象に残っております。37本のホームランを打って
ホームラン王になったこともありますが、素晴らしいかったのは1985年で、この
年は阪神の優勝騒ぎとその年に54本もホームランを打った阪神のバースの陰になって
目立ちませんが、日本の遊撃手としては過去最高の41本のホームランを打って2位と
なっています。

遊撃手としての宇野選手の草野球並のエラーは、ヘディング以外にも何度も
目撃しています。でも、その一方、同一人物か?と思えるほどの超ファインプレーも
何度もテレビで観たものでした。

打撃に関しても、「何であんなど真ん中のストレートを空振りするんだ?」と思った
ら、次ぎの瞬間、外角低めギリギリに決まるはずのスライダーなんかを見事に
レフトスタンドに運ぶというようなシーンを、何度も見せてくれました。
ですので、まさに宇野勝選手は記録よりも記憶に残るホームラン打者です。

宇野勝さんがゴルフをやるのかどうかはわかりませんが、やるとしたら、
まるでタイガー・ウッズ並のドライバーショットを打ったり、難しいバンカーショット
を見事にピンに寄せたりする一方で、何でこんな広いホールでOB打つの?
とか、何でこんなに短いパットが入らないの?というようなプレーぶりではないか
と想像します。野球人生でよかったね、そして中日ファン以外の人も楽しませて
くれたね、ありがとう、と言いたいです。


マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-24 23:43 | 七草
2005年 05月 24日

私の好きなホームランバッター ベスト7 (1)

今月のベスト7(七草)は、本当は違う話題でいこうと思ったのですが、何といっても
モハメッド・ブリ選手の特大ホームランの余韻は火曜日になっても消えることがなく、
私の好きなホームラン・バッターを7名選ばしていただいて語りたいと思います。

もはや月末になってしまいましたので、7日間連続というわけにはいかず、一日に
複数の記事を投稿することになるでしょう。

まず1回目に選ぶのは、元近鉄バッファローズのラルフ・ブライアント選手です。

東京ドームに行かれたら、天井のど真ん中に付いているスピーカーをしみじみ
見上げて下さい。あのスピーカーは、コンサートなんかで調整することはあるでしょうが、
付けられた位置は東京ドームが完成してから変わっていないはずです。
「あそこに打球をぶつけた選手がいる」と言っても、信じられないという人もいるでしょう。

ブライアント選手は、第三の外国人選手として中日ドラゴンズに登録されましたが、
当時は外国人枠が2名だけで、ブライアント選手はシーズン途中で近鉄に移籍しました。
中日での一軍試合出場はなかったはずですが、近鉄に移籍した後驚異の大活躍で、
当時中日の星野監督は、カクテルの話をしていても「俺の前で外国人選手の話を
するな!」と怒鳴り散らしたそうです。(スポーツライターの玉木正之さんの書いたもの
で読んだ記憶があります)

ブライアント選手は、私が東京勤務時代、ドームでの日ハム戦などを観にいきましたが、
ホームランの打球の暴力的スピードには驚かされました。場内アナウンスは、
「ファールボールとブライアント選手のホームランボールには充分お気をつけ下さい」
と常に放送しておいた方がいいよ、と思うぐらい強力な打球を放っていました。

圧巻は、大阪森ノ宮の日生球場に近鉄VSロッテ戦を観に行った時、ブライアント選手は
超特大のホームランを放ち、ライトの守備(珍しくDHではなく外野を守っていた)では
これまた超A級の肩の良さを見せてくれました。こういうシーンはテレビではまず映して
くれないので、生で観た甲斐ががありました。そして、さらにその試合はホームランを警戒して
インコースを狙ったロッテ投手(新人時代の小宮山だったかな?)のボールがブライアント選手への死球となり、すさまじい乱闘シーンがあってブライアント選手は退場していっちゃった
のですが、こんなスゴイ選手に出会えた幸せをスタンドでしみじみ感じました。
ああ、まったくあの夜はブライアントのワンマン・ショーだったなぁ。

あの仰木監督時代の奇跡の近鉄優勝の演出をしたブライアントはその後、
「元祖いてまえ打線」の中核となり、そのブライアントを野球人生の師と仰ぐ
中村紀洋選手は、今、アメリカに渡ってから大変苦労していますが、
ホームランバッターといえば、まず思い出にあるのはラルフ・ブライアント選手です。

マーヒー加藤  http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-24 13:54 | 七草
2005年 05月 23日

ものすごいホームランを見ちゃったぞ!

2005年5月22日(日)午後4時47分、なんちゃってヤンキースの
モハメッド・ブリ選手(背番号5)が、超特大のフェンス越えホームランを
放った。高く上がった打球は全く失速しないまま胎内球場の高いフェンス
を越え、球場に隣接するビール園の庭の芝生の上に美しい放物線を描いて
落ちた。(推定飛距離100メートル) 

この超特大アーチの目撃者は相手チーム(エラーズさん)の関係者
を含め、推定60人。そのなかには元々パパが大好きなブリ選手の6歳の
娘さんと、旦那の雄姿に惚れ直し見とれる美しい奥さんもいた。

このホームランから一夜空けた今日、新潟県下越地方の草野球界は
この話題で沸騰の模様。
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試合の方は、そのブリ選手の特大3ランホームランがあったにもかかわらず
13-4で、なんちゃってヤンキースは残念ながら負けた。しかし、試合後の
エラーズさんとの懇親会は、このホームランへの話題沸騰で、勝利の美酒
というわけにはいかなかったが、参加者全員がビールを大量追加注文。

私(マーヒー)は、全治三日の二日酔いのままで、これから新潟市(新潟市と
いっても合併で広くなりすぎちゃったなぁ)に仕事で向かわねばならないので、
詳しい試合経過や続報は本編ホームページのNヤンキースコーナーに後日
記すことにしたい。近日、モハメッド・ブリ選手が運営するブログも紹介したい
と思っているが、モハメッド・ブリ選手をはじめ、Nヤンキースの選手への
ファン・レターは、とりあえずこの記事のコメント欄にいただければと存じます。

マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-23 05:47 | 草野球
2005年 05月 21日

ヤンキースの一日監督しませんか?

一日警察署長の小泉今日子が、誘拐事件の陣頭指揮をとることがあるだろうか?
ありえまへん、ありえまへん。
では、一般のメジャーリーグのファンがトーリ監督の代役としてジータにバントを
命じるということがあるだろうか?ジアンビーの胸ぐらをつかんで
「今シーズンはなっとらん」と激をとばせるか?
ありえまへん、ありえません。

しかし、レプリカながらほとんど同じユニフォームのヤンキース選手を、実際に
試合で陣頭指揮する道は、「なんちゃってヤンキース一日監督」として6月5日に開かれた。

ジータではないが、あのライス大森に、松井ではないがあのジュリアーニ師匠に、
ツー・フー、スコッティ・クリネックス、モハメッド・ブリたちに作戦を命じ、打順を組み、
降板を嫌がるケアレ・スミスやボーンヘッドマンに対しては、「お前が投げなきゃ勝てる!」
というような毒舌をマウンド上で吐いて交代させることも可能である。

阪神時代の星野監督のように、打席に向かうバッターの胸ぐらをつかんで
「お前、結婚したんだろぉ!?嫁さんの前でいいとこ見せてこい!」と言ってもいい。
バッターは、「はぁ、結婚したのは7年前ですが、そこに子ども連れて見に来てるし、
一応がんばって見ますわ」と、少しはあなたの期待に応えてくれるだろう。
私のでよければ、ヤンキースのスタジャンも一日貸します。

さて、われらが なんちゃってヤンキースは、いよいよ5月22日(日)に
今シーズンの開幕戦を迎える。

相手は私が小学生の頃にはあったチームだから、かれこれ30年以上の伝統を誇る
エラーズさんだ。30年以上あるチームだから年配の方々が主戦力のチームかと思った
が、それは大きな勘違い!モーニング娘。でいえば20回ぐらいの世代交代を重ね、
町の草野球チームとしては堂々たる名門チームである。
そのチームに昨年の秋に発足したわれらがNヤンキースが挑むのは、
何となく草野球界の「巨人対楽天」の交流試合の様相も少しある。

伝統ではかなわないが、勝ち目はある。18日の早朝に偵察と挨拶でエラーズさんの
早朝野球の試合を観にいった時、エラーズの監督さんに

「エースピッチャーのTさんは大事なリーグ戦を控えているので、うちとの試合では
投げさせない方がいいですねぇ」

と、相手のことを気遣って心からのアドバイスをしてきたからだ。

さてさて、グランドの確保は都会にくらべれば楽勝だと思っていたが、そうではなかった。
苦労している。しかし、キャンセル待ちのような形で6月5日(日)の胎内球場をナイターで
確保できた!(7時~9時) やっとの思いで確保できた日曜日のナイターなので、
喜んでケーシー与那嶺監督に電話すると、その日は不在で駄目だという。
ただ、自分抜きでもいいという了解をいただいたので、監督代行を誰かに決めなければ
いけない。22日の試合後に、選手間で公募してみる。いなければ、私が指名するか、
もしくは私がやることになるが、ここに新しい道を選択肢として開いてみる。
「6月5日になんちゃってヤンキースの一日監督をやってみたい人はいませんか?」

ただし、一つだけ条件がある。5月22日の試合を観ていただいて、オーダー決めなどに
必要なチームの打撃力、守備力、投手力などを把握していただくということである。

と、いうわけで、世界に発信しているブログながら、巧妙に近隣の人々への宣伝をして
いるわけである。ただ、私自身、本業の方の急用で22日は途中出場しかできなくなった。
こういうことがあるので、選手はもちろん、サポートスタッフの層も厚くしておきたいなぁ。
見ず知らずの本家ヤンキースや、数少ないながらなんちゃってヤンキースファンの
方々からの応援のメールやブログコメントも、本当に励みになります。

マーヒー加藤 http://www.iplus.jp/~naoko/index.html
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by kaneniwa | 2005-05-21 01:13 | 草野球