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2006年 10月 29日

白菜と大葉の漬け物

b0061413_5371442.jpg白菜の柔らかい葉っぱのところと大葉(シソの葉)を交互にはさみこんで、塩だけの簡単漬け物を作ってみた。漬け物界のミルフィーユやぁ~! このままでもシンプルながら味わいの深いものになったとは思っているが、これからの季節には柚子の皮をトッピングしてみたい。マーヒーがいつの日にかは編纂(へんさん)したいと思っているハッピー精進料理、あるいはパーティ精進料理というジャンルのメニュー候補のひとつである。マーヒーの宗派というか文化は肉食を禁じられているわけではないが、いつ、誰とでも、民族、宗教、戒律を問わずして食卓に出せるのも、これからの時代の精進料理の役割ではないか・・・と言うと仰々しいか。
ちなみに、この漬け物の仕上がりを眺めていて、なぜか根本有華さんの絵を思い浮かべた。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-29 06:02 | 雑草
2006年 10月 27日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第58段)

「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人にまじはるとも、
後世をねがはんに難かるべきかは」といふは、さらに後世知らぬ人なり。
げには、此の世をはかなみ、必ず生死を出でんと思はんに、なにの興ありてか、
朝夕君に仕へ、家をかへりみるいとなみのいさましからん。
心は縁にひかれてうつるものなれば、閑かならでは道は行じがたし。

そのうつはもの昔の人に及ばず、山林に入りても、
餓をたすけ嵐を防ぐよすがなくてはあられぬわざなれば、
おのづから世をむさぼるに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。
さればとて、
「そむけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」
などいはんは、無下の事なり。さすがに一度道に入りて世をいとはん人、
たとひ望ありとも、勢ある人の貪欲多きに似るべからず。
紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、あかざのあつ物、いくばくか人の費をなさん。
求むる所はやすく、其の心はやく足りぬべし。かたちにはづる所もあれば、
さはいへど、惡には疎く、善には近づく事のみぞ多き。

人と生れたらんしるしには、いかにもして世をのがれんことこそあらまほしけれ。
ひとへにむさぼる事をつとめて、菩提におもむかざらんは、萬の畜類にかはる
所あるまじくや。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第58段)

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「仏道を歩もうという心があるのならば、どこに住もうと関係ないね。
家族の住む家に住み、広く世間とつき合っていても、後生を願う気持ちに
何か支障がある?」と言うのは、極楽往生の何たるかを知らない
人だなぁ。この世をはかないと思い、生死の迷いを越えようと思っちょるのに、
何の目的で毎日毎晩、上司の命令を聞いたり家事手伝いに進んで打ち込む
なんてことがあるの? 
人の心なんてまわりの環境で簡単に変わっちゃうものだから、まず騒がしくない
静かな場所じゃないと修行できないよーん。

昔の人にくらべたら今はいいかげんな修行をしてるから、
山や林にこもっても、まず餓えをしのいで嵐を防ぐというアウトドアの知識みたいなものが
ないと生きていくこともできないわけで、時にはありきたりの欲望にふけってしまう
ことがないとは言えないのだよねぇ。
だからと言って
「それじゃ、世を捨てた意味ねーじゃん。そんなことなら、どうして世を捨てるのさ?」
などというのは、無茶な話。
何と言っても一度は俗世間を捨てて、山林でアウトドア生活するならば、
たとえ欲があると言っても、世間で権力をもった人の欲深さとは比較はできないよ。
紙で作った寝具や、麻で作った衣(ころも)、お鉢に一杯だけの食事に雑草の吸い物。
こんなのは極めて質素だから世間ではどれぐらいの出費になる? 
ほしいものは簡単に手に入るし、心もすぐに満たされてしまうだろう。
粗末な僧衣のルックスも恥ずかしいので、世間と同じ欲を起こそうと思っても、
チョイ悪からかなりワルに至るまでの悪事からは遠ざかり、いいことに関わることの
方が多くなる。

人間として生まれてきたからには、何がなんでも世間を捨てて
アウトドアライフに邁進するのが理想だね。
やたらに世間の名声を欲しがることに努力することにかまけて、
悟りの道を歩もうとしない生き方をするなら、人間も動物図鑑に載るがいいさ。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2006-10-27 00:13 | 徒然草
2006年 10月 26日

家紋ベイビー (2) しずかちゃんの家の家紋

ちょっと前のことだが、家族で ドラえもん を見ていた。
娘と息子といっしょに見ていたのだが、そこに老住職(マーヒーの父)が
やってきて、ふと 
「何でこの家には源氏の家紋があるのだ?」
という質問をテレビを見ているマーヒーたちに投げかけた。
(と言っても娘や息子はキョトン顔だが)

住職が指さした この家というのが、ドラえもんの主要登場人物である 
しずかちゃんの家だったのだが・・・・・・

そういえば、しずかちゃんの名字は源(みなもと)だぁ
ということに気がついた。 

いったい世界中で何人が、この符号に気がついているのであろうか?
今、GoogleやYahoo!で検索しているが、それらしき資料は見つからない。
ドラえもん学会というものがあればうちの老住職はこの符号の発見者という
ことになり、イグ・ノーベル サブカルチャー文学賞にノミネートされるかもしれない。

ちなみに 「ドラえもん 家紋」 の検索で、新潟大学人文学部2004年度卒業論文概要
がヒットしてきた。
そうか、最初の学生さんの論文概要でまず「ドラえもん」がヒットし、次の学生さんの
ルイ・ヴィトンに関する(おお、ここでまた出てきた問題のルイ・ヴィトン)論文のなかに
「家紋」という言葉があったのだね。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-26 06:44 | 雑草
2006年 10月 25日

家紋ベイビー(1) ルイ・ヴィトンと家紋

ルイ・ヴィトンのバッグを今日はたくさん見た。マーヒーが久しぶりに通勤・通学の時間帯に電車に乗ったからだ。うーん、飛行機のファースト・クラスでこれをたくさん見かけるなら当たり前の話なのだろうが、電車のなかでは特に女子高校生で持っている人が多いなぁと感じた。サイズから推測して、マーヒーのお小遣い3ヶ月分相当(推定)ぐらいのバッグが多かった。東京で10年ぐらい前からチラホラと見られた光景がこの新潟にもやってきて、そしてかなりの数になっているのだということを遅ればせながら実感した。そりゃマーヒーは持っていないがルイ・ヴィトンはいいバックでしょうね。知り合いの質屋さんがヴィトンならどんなにボロボロでも一応値を付けて買い取ると言っていたのを思い出す。高校生とはいえ人様の趣味に文句を言う訳にはいかないし、もしかしたら夏休み中ずっとバイトかなんかして買った高校生もなかにはいるかもしれない。それにしても目にした数がスゴイ多くて、暗黙のうちの女子高校生の間での定番となっていることに違和感を覚えちゃったのだ。そんな高いバッグを定番にしないで、紺色のマディソンスクエアガーデンのスポーツバッグでも持ちなさい! (ここは40歳~45歳ぐらいの人でないと理解できない文章でしょう)

しかし、前記のルイ・ヴィトンのホームページを読むと、あのL・V・花・星マークは、日本の家紋に影響を受けてデザインされたという噂は本当だったのだなぁと実感した。マーヒーが葬儀や法事の際に着用している袈裟(けさ)には勝手な紋を入れてはいけないことになっている。ただし、家紋は別だ。家紋は入れていいことになっている。ということは加藤家の家紋をL・V・花・星マークに変更して宗派に申請すれば、ルイ・ヴィトンに袈裟を特別注文で作らせることは可能かなぁ・・・などというおバカなことを考えた。ついでにグローブやキャッチャーミットを作ってもらって、なんちゃってヤンキースをゴージャスなチームにしようかなぁなどというおバカも夢想した。

話は変わるけど、京都の同志社小学校の指定カバンは、いろんな意味で今話題の
一澤帆布のはずだが・・・どうなっている?


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-25 22:39 | 雑草
2006年 10月 22日

新庄剛志のニヤケた顔

阪神に、打率が2割5分前後なのに、やたらに脚光を浴びる外野手(いちばん最初は
遊撃手なんかもやっていた記憶がある)で、確かにド派手に見えた阪神の新庄選手が
レギュラーになりかけていた頃があったが、それから15年後ぐらい経った今に至って、
この新庄選手にこれだけ注目させられるとは思わなかったなぁ。

まず、北海道に住んでいない限りは、プレー中の日本ハムファイターズの新庄選手を
テレビでよく観るということが少ない。

オールスターゲーム中継での新庄選手は、とてもニヤけて見えたものだが、
それはオールスターゲームというものが野球選手にとってもお祭りであるから
あんなにニヤケているのだろうと思っていた。ニューヨーク・メッツ時代は、
試合の中継で新庄の表情などは滅多にクローズアップされないのでわからなかったが、
阪神時代なんかはかなり苦渋の表情や、硬い感じの表情が印象に残っている。

今回、日本シリーズの第1戦の後半と今日の第2戦をテレビ観戦したが、新庄剛志は
常にニヤケている。オールスターゲームで観る時とほとんど同じ表情だ。
日本シリーズで試合に負けた第1戦での表情も、常にニヤケていた感じがする。

プロがそんなにニヤニヤするな、ということを言いたいのか、といえば全く逆である。
スゴイ集中力だなぁと感じる。もっとも、新庄選手が元々スター選手であるのに
突然の引退宣言をして注目度はもっとも高く、彼の表情が大きく変わればテレビカメラが
すぐに向くという、今回特有の事象はある。しかし、その変わる顔の表情が、
ピッチャーの投げたコーナーギリギリを狙う球が外れた時にはニヤけた顔のままに
とても残念そうな心を現わしている。逆に三振にうちとった時などはグラブで拍手しながら
心から喜んでいる様子だ。心の底から無邪気に一球一球に集中している。

ジェスチャーや表情に現れないというだけで、プロの野球選手であれば、これぐらいの
一球一球に対する集中力は、それぞれに持っているのだろう。しかし、新庄は、
この集中力を悲壮感漂うようなシリアスな顔でなく、
ニヤケた顔のままにずっと持続している。

どうも顔を中心として体は最高にリラックスした状態で、最高の集中力をもった選手が
日本ハムファイターズの外野の中心にいる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-22 23:49 | 草野球
2006年 10月 21日

ばーさんがじーさんに作る食卓

ばーさんがじーさんに作る食卓というブログを知ることができた。
エキサイトブログである。

このブログを知ったのは、青年海外協力隊(コンピュータ技術)で
モンゴル国立科学技術大学に派遣されている方のブログ(こちら
のご紹介で知ることになった。ここで書かれている
「良い事だけを伝えるニュース番組」というのができないものか、というご提言にも
かなり賛同してしまうのだが、それはまた別な機会に語りたい。

ブログを読んでいて、減塩と低カロリーを心がけつつ、この豊かさはいったい何だろうと
思う。もちろん、68歳同士のご夫婦とは思えない料理やブログ作成のセンスの良さ、
発想の豊かさがその要因であることはすぐにわかるのだが、もう一ついえば、
この食卓の写真や文章から、ご夫婦の会話が聞こえてくるのだ。

たとえば、京都(このご夫婦も京都にご在住だが)の和菓子が、季節感をともなって
卓上に出された瞬間に「もうこんな季節になりました」というような会話をはずませるように、
ひとつひとつの卓上の写真に物語りがあり、会話が聞こえてきそうなのだ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-21 23:52 | 草類(ブログ紹介)
2006年 10月 20日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第57段)

人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそほいなけれ。
少し其の道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。

すべていとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第57段)

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誰かがラブソングのことを話し出して、そのラブソングがあんまりいい歌じゃない場合、
がっかりだよ。
ラブソングというものの何たるかをわきまえている人なら、
そんな歌は語るに値しないものとするはずだ。

どんなことでもそうだけど、よくわかりもしないことを話しているのを
そばで聞いていると、片腹痛くて悶絶してしまう。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2006-10-20 00:24 | 徒然草
2006年 10月 19日

子守唄について(1)

松永伍一という方をご存じだろうか。親鸞研究の分野でも有名であるが、子守唄の研究について第一人者といってもいいのではないだろうか。

この人が2003年の5月頃に毎日新聞に寄稿した「子守唄についての考察」の文章が、実に目からウロコだった。(痛恨の切り抜きのし忘れのまま紙ゴミ集配の日を何気なく過ごしてしまった)

一つには、子守唄というものは、赤ちゃん(または幼児)を癒す役割を担っていると考えられているが、赤ちゃんを癒す以前に、実は子守唄を歌っている本人を癒す役割が大きいというのだ。言語は理解しないものの、雰囲気の察知などの感覚だけは信じられないほど敏感な赤ちゃんは、その歌い手の安らぎを感覚的に察知して安心して眠ることができると松永氏は言う。

まさに、赤ちゃんを抱いているつもりが、実は抱かれていたのかもしれない、ということを考えさせてくれた卓見だった。そういえば、子守唄というものは強い方言などでわかりにくいものが多いが、歌詞は日本のブルーズというか、嘆きや悲しみや、少なくとも哀愁に満ちていたり、時には「泣きやまねぇと耳を食いちぎってやっど」的な過激かつ残酷な歌詞内容も多いのだ。

もう一つの松永氏の提言が、21世紀に入った時代の新しい子守唄が担う役割への提言で、寝たきりになった老人たちに、その老人が子どもの頃に聞いてきた子守唄を唄ってあげるということができないだろうか、というこちらもマーヒーには考えもつかなかったことだった。

うーん、子守唄というか、私は究極のお別れの時には「お休みなさい」と言いたいと思う。

生後もうすぐ六ヶ月の娘(三番目)であるが、男の私の役割としては、子守唄よりも、もう少し大きくなってから、寝かしつけのためのかなりバカ話の部分が強調された勝手にその場で脚色して語る落語を話してやるような役割の方が大きいとは感じつつ、たまに必要に応じて子守唄のようなものを歌う時がある。眠ってくれる率が高いのが、超スローテンポでちょっとブルーズっぽく歌うキャンディーズの「年下の男の子」と、ボブ・マーリィのNO WOMAN NO CRY だ。

この2曲に込めるマーヒーの哀愁の感情が、6ヶ月の赤ん坊にはわかりやすいようだ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-19 00:20 | 草仏教
2006年 10月 18日

なんちゃってヤンキース速報

今日は、久しぶりに なんちゃってヤンキースの試合がありました。
写真は、初心者ながら今日いちばん美しい弾道の2点タイムリーヒットを
放った背番号24の草野球名をトム・コリンズという選手の後ろ姿の勇姿です。
(なんヤンホームページの選手紹介にも間もなく掲載)

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場所は素晴らしく整備されている美しい新発田市五十公野野球場。
相手は新潟市の若僧さんでスコアは8-9での惜敗。前回も4-4のまま最終回、
あと一打でサヨナラというところまで若僧さんを追いつめたのですが、今回も
最終回に猛反撃を仕掛けましたが、ランナーをためたところでの相手投手、
守備陣がしぶとかった。初試合以来、若僧さんにはなかなか勝たせてもらえませんが、
一方的に負けてしまうということもなくなりました。

そして、なんちゃってヤンキースの面々は、何だかナヨナヨしたところがなくなって、
次の塁を積極的に狙う姿勢が定着してきた。いいぞ!
やっぱ若い奴らも中年も、全力疾走している姿は美しいぞ!

次の試合は10月24日(火)で、相手は新潟市のテラノサウルス。
(若僧といい、やっぱ寺院関係ばっかりだなぁ)
夜6時30分からやはり新発田五十公野野球場です。
(プレイボールは午後7時15分から)

もしも観戦に来てくださる方がいたら、「ブログを見たよ」の一声をマーヒーに
かけてくだされば、何かプレゼントを用意しておきます。
あ、マーヒーの背番号は15番です。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-18 23:44 | 草野球
2006年 10月 16日

草仏教掲示板(2)  毎日新聞万能川柳より

b0061413_124035.jpg 毎日新聞を購読しているのですが、そのなかの万能川柳のコーナーで目にした言葉を法語として掲示させていただくことがあります。これは2004年の2月22日付け朝刊に掲載された句で、作者は兵庫県洲本市の にゃんこ(柳名)さんです。この句は2004年の年間大賞作品でもあります。マーヒーは、その朝刊を読んだ2月22日の時点で、まだ9ヶ月以上も一日に18句づつを見ていくにもかかわらず、この作品がたった一句の年間大賞に選ばれるのではないかと、ふと予感しました。その通りになり、そして今は三人目の子どもとなる赤ちゃんが家にいて、非常に感慨い川柳であり言葉です。癒してあげるつもりが実は癒されていたというような呼応の関係がエコーしてくる言葉です。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-10-16 01:03 | 草仏教