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2006年 11月 29日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第63段)

後七日の阿闍梨、武者を集むること、いつとかや盗人にあひにけるより、
宿直人とて、かくことごとしくなりにけり。
一年の相は、此の修中の有樣にこそ見ゆなれば、兵を用ゐん事、
おだやかならぬことなり。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第63段)

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お正月の八日から七日間にわたって大きな法要が修められるのだが、
僧侶のリーダー格の修行僧がボディガードとかSPをかき集めた。
いつのことだったかなぁ、泥棒の被害に遭ってからだよなぁ、こんなに物々しい感じは。
「一年の計は元旦にあり」ちゅーぐらいで、とっても大切な仏事なんだけど、
警備員がいるから落ち着かないよ。
 
超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2006-11-29 00:42 | 徒然草
2006年 11月 28日

今日は親鸞聖人のご命日

旧暦であるが、今日11月28日は親鸞聖人のご命日である。
(新暦だと毎年1月の中旬あたりになる)

今年は行けなかったが、京都の東本願寺で毎年28日午前10時から
御満座〈ごまんざ〉の法要で坂東曲〈ばんどうぶし〉が勤められる。

初めてその法要に出会った人は、びっくりするだろう。
表現は、関係各位には語弊(ごへい)があると思うが、お許しいただきたい。
かなりの人数の僧侶(約60名)が左右上下にスィングしながらのお勤めである。

その声明(しょうみょう)の発声の仕方も独特で、初めてこの法要に接した時の
マーヒーの感想を素直に書くならば、それは仏教の声明というよりも、
イアン・ギランとかオジー・オズボーンとかのヘビィ・メタル系のボーカリストが
間奏の絶頂で声の限界にいどむような雄叫(おたけ)びをあげるのに似ている
ように思えた。

バカにして書いているのではない。素直に感動した。
それまで南無阿弥陀仏の声は、儀式でも静かに出すものだという
先入観がマーヒーにはたっぷりとあったのだ。
その先入観は打ち破ってくれる声だった。
実際、板東曲の声明は、どこか破壊的なものを内在している。

なぜ、板東曲という名称で、唯一今日11月28日だけ
スィングしながら声を張り上げるのか。

その由来は、たくさん聞きすぎて、よくわからない。

板東曲という名称も含めて、いちばん納得できうる説は、『歎異抄』の第二章の
光景が再現されているという説だ。関東の門弟たちが日本列島を横に歩きに
歩き、京都の親鸞聖人のもとを訪ねて「本当の教えとは?」を問い聞きに行った
という究極の聞法会である。その時、親鸞聖人と会うことのできた関東(板東)の
門弟たちの体中が打ち震えるほどの感動が板東曲に込められているという説だ。

いやいや、それは違うぞ、という説もたくさんある。
声明や儀式形態が整うのは親鸞聖人からずっと後のことで、
これは本願寺第八代の蓮如(れんにょ)上人とその仲間がゆれる船のなかで
お念仏をしたことに由来するのだという説などがあり、
それも福井県の方々は福井県吉崎の海説を支持し、滋賀県の方々は
琵琶湖説を支持する。

新潟県では、船説支持ではあるものの、やっぱり親鸞聖人の時代で流罪(るざい)の
時の越後の海だというご当地説を聞いたことがある。

しかし、いくら何でも越後でも板東というにはいささか大ざっぱ過ぎる地理感覚
なので、確かな発祥の由来としてはいささか無理があると思う。
福井や滋賀ならなおさらである。

大事なことは、この板東曲が、『歎異抄』の第2章も想起させるし、
船も連想させるということだと思う。

こういうことに好き嫌いでものを言うと怒られるかもしれないが、
マーヒーは船説が好きだ。確かな由来としては無理があるものの好きである。

だって、たとえば「光」などを救いの象徴とするのは、これはそうしない宗教の
ほうが少ないぐらいだが、「船」というものをその比喩(ひゆ)にするのは、
これはお念仏の教えの独自性だから。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-11-28 11:06 | 草仏教
2006年 11月 27日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第62段)

延政門院いときなくおはしましける時、
院へ參る人に御言づてとて申させ給ひける御歌、

ふたつ文字牛の角文字直ぐな文字

ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる

こひしく思ひ參らせ給ふとなり。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第62段)

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後嵯峨上皇の娘、延政門院(内親王)の幼い少女時代のお話。
父である上皇の御所へ参上する者に、秘密の伝言として詠んだという歌がある。

ふたつもじ 牛の角もじ すぐなもじ ゆがみもじとぞ 君はおぼゆる

秘密の伝言の暗号を解読するならば

二つ文字 (こ)
牛の角文字 (い)
直ぐな文字 (し)
ゆがみ文字 (く)

であり、パパのことを 「恋しく」 思うということだろうか。
なかなか解読しにくい暗号だったぞ。


超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2006-11-27 11:44 | 徒然草
2006年 11月 25日

のだめカンタービレのCDを買う(発売日に・・・)

この草仏教のブログ部分のリンクだけをとっても、イタリアご在住の方、
イギリスご在住の方、中国とパキスタンを長期間旅行中の方、アメリカ合衆国は
カリフォルニアとミネアポリスにそれぞれご在住の方がいらっしゃるというのに、
またまた日本のテレビドラマの話題で恐縮だが、今回も抱腹絶倒のTVドラマで、
マーヒーの家では7歳と4歳の子どもたちと妻ともども毎週月曜日の夜に
楽しみにして見ている「のだめカンタービレ」について書いておきたい。

フジテレビの策略にハマリ過ぎなのかもしれないが、
『のだめオーケストラLIVE!』という2枚組CDを買った。しかも、ジャンルを問わず
発売日(11月15日)にCDを買うというのは、ものすごく久しぶりだ。
発売日に買ったので、ポスターが付いてきた。何だかこういうのはなつかしい。
上野樹里ちゃんの実写ポスターだと思って家に帰って開いたら、原作漫画からの
イラストで、原作に接していないマーヒーには残念だった。いづれ原作も読んでみたいが・・・

フジテレビのドラマということで、原作の漫画もきっと集英社などのフジサンケイグループの
出版社から出ているのだろうと思ったが、原作の漫画の『のだめカンタービレ』は、
講談社から出ているようだ。そして、CDの発売元はEpic Records だった。

一応だが、この2枚組CDは、ジャンルで言えばクラシックに属するのだろう。
しかし、TVドラマや原作漫画に接していない人がこのCDを普通にクラシックの
CDだと思って聴いたらビックリするだろう。

ベートーベンの交響曲第7番は、第一楽章と第四楽章しか収録されていない。
まあ、逆に言えば、ドラマのなかで、Sオケがあの荘厳で谷底の暗闇のような
印象がある第二楽章をどのように演奏したかを想像すると、ちょっと笑える。

JAZZの世界でも巨匠であるガーシュインのクラシック分野での金字塔である
『ラプソディ・イン・ブルー』は、ピアニカで始まってオーケストラの大円団になる。
その冒頭のピアニカの部分を聴いて7歳の娘は「かわいい」とつぶやく。
そう、オヤジのマーヒーでも、マングースの着ぐるみがピアニカで演奏する
光景はかわいいと思う。ああ、しっかりハマッているぞ。

モーツアルトのオーボエ協奏曲(第一楽章のみ)は、正統派の演奏であるが、
これはたぶん次回かその次の放送分に関係しているのだろう。
15秒の予告編で「オーボエの黒木くんが云々」と言っていたし。

オーケストラ編のDISC1から、器楽編のDISC2にいくと、「何じゃこりゃ」感は
さらに増す。

最初は、ゴミだらけの部屋でのだめが演奏していたベートーベンのピアノソナタ
第8番「悲愴」の第二楽章。(のだめバージョン)

その次が最初の2小節で音がはずれてしまう、のだめバージョンの
モーツアルトの「2台のピアノのためのソナタ」である。
ただ、その次のトラックに正統派の同曲が収録されている。

それから、けれん味たっぷりのベートーベンのバイオリンソナタ「春」がきて、
その直後に正統派の演奏で同曲が収録されている。

その直後に、ベートーベンの交響曲第7番のピアノ演奏版が入っている。
これはドラマのなかでも非常に重要なシーンに使われていたが、これが実に
素晴らしい。現実世界のなかでも天才グレン・グールドがベートーベンの交響曲を
ピアノ一台で演奏していたアナログレコードを、かなり昔に見かけたことがあった。
そのCD化されたものがあるのかどうか知らないが、改めて探し求めたくなった。
この曲の躍動がピアノ一台で伝わってくる。
『のだめオーケストラLIVE!』ではフェードアウトされているのが実に残念だった。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を、二台のピアノで片方がオーケストラ部分を
担当して弾くというテイクも入っている。試みはおもしろいのに、何でまたいきなり
フォルテシモで始まるのか?何でこんなに速い演奏なのか?
何でこんなにハイテンションなのか?「何じゃこりゃ?」が全開だったが、
今週の月曜日のドラマの放送分を見て意味が分かった。

という具合に、このCDはTVドラマの復習と予習もさせてくれるものらしい。

何はともあれ、一枚のCDを家族全員で聴いているというのは、
平井堅の「大きな古時計」以来のことであり、けれん味たっぷりのクラシックを
楽しんでいる。


マーヒー加藤

※ ネットで知りましたが、このドラマは全11回ということは・・・
  来年の3月まで楽しめると思ったら、今年いっぱいですか・・・
  
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by kaneniwa | 2006-11-25 01:32 | 草音
2006年 11月 24日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第61段)

御産の時、甑落す事は、定まれる事にはあらず、御胞衣とどこほる時のまじなひなり。
とどこほらせ給はねば此の事なし。

下ざまより事起りて、させる本説なし。大原の里のこしきを召すなり。
ふるき寶藏の繪に、賤き人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第61段)

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出産するときにご飯を炊く時に使う蒸篭(せいろう)を屋根の端から転がして落とすという
ことはローカルルールであって、やらなきゃいけないことではない。
世の中みんな安産ばかりならこんなことはしない。

庶民の風習から始まったローカルルールで、ちゃんとした根拠もない。
しいて言えば「大原」と「大腹」というオヤジギャグというか、
ダジャレで京都の大原あたりにそのローカルルールの発祥があるようだ。

私((吉田)の世代から見ても古い蔵にあったイラストに
庶民が子供を産んでいる最中に蒸篭を落としている様子が書いてあった。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2006-11-24 23:49 | 徒然草
2006年 11月 16日

草仏教掲示板(3)  緊急提言というような趣旨の言葉

b0061413_23404261.jpgちょっと異例かもしれないが、実際の掲示板に掲げる前に、さっき書いたばかりの言葉をブログで紹介させていただきたい。これは妻の提言を受けて書いた言葉だ。この「世界」は、読む人によって、どんな世界に置き換えていただいてもいいと思う。こんな当たり前のことを書くのも何だけど、絶対に死んだらダメだよ。私たちが過ごした今日一日は、昨日「死にたくない」と思いながら死んでいった人々が生きたかった一日なんだよ。死ぬことは未来には必ず誰にでもやって来るけれども、死んだらダメだ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-11-16 23:40 | 草仏教
2006年 11月 11日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第60段)

眞乘院に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。
いもがしらといふ物を好みて、多く食ひけり。
談義の座にても、大きなる鉢にうづだかく盛りて、
膝元におきつつ、食ひながら文をも讀みけり。
患ふことあるには、七日、二七日など、療治とて籠り居て、
思ふやうによきいもがしらをえらびて、殊に多く食ひて、萬の病を癒やしけり。
人に食はする事なし。ただひとりのみぞ食ひける。
きはめて貧しかりけるに、師匠死にざまに、
錢二百貫と坊ひとつを讓りたりけるを、坊を百貫に賣りて、
彼是三萬疋をいもがしらの錢と定めて、京なる人に預けおきて、
十貫づつとりよせて、芋頭を乏しからずめしけるほどに、
又他用にもちふることなくて、其の錢皆になりにけり。
「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく計ひける、
誠に有り難き道心者なり」とぞ、人申しける。

此の僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。
「とは何物ぞ」と人の問ひければ、
「さる物を我も知らず。若しあらましかば、此の僧の顏に似てん」
とぞいひける。

この僧都、みめよく力つよく、大食にて、能書、學匠、辯説人にすぐれて、
宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世をかろく思ひたる曲者にて、
萬づ自由にして、大方、人にしたがふといふ事なし。
出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、
我が前に据ゑぬれば、やがてひとり打食ひて、歸りたければ、
ひとりついたちて行きけり。
とき、非時も、人にひとしく定めて食はず、わが食ひたき時、
夜なかにも曉にも食ひて、睡たければ、晝もかけこもりて、
いかなる大事あれども、人のいふ事聞き入れず。
目さめぬれば幾夜もいねず、心をすましてうそぶき歩きなど、
尋常ならぬさまなれども、人にいとはれず、萬づゆるされけり。
徳のいたれりけるにや。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第60段)

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仁和寺の真乗院に盛親僧都という、かなり頭脳明晰なお方がいた。
元祖ポテチ中毒者で、ポテト(里芋系)をたんまり食べていた。
仏典の講義をされる際にも、大きい鉢に里芋ポテチのてんこ盛りを常に
手の届くところに置いて食べながら仏典を読み、なおかつ解説もおこなった。

病気にかかった時には一週間か二週間を自室にこもってカウチの上で
ポテトを厳選して、いつもよりさらにたくさんポテトを食べてどんな病気でも直してしまった。
人には芋をあげたり勧めたりということはなく、いつも独占してなおかつ「お一人様」の
食事風景だった。
極めて貧乏であったが、師匠が死んだ時に寺と二百貫の財産を相続した。
しかしその後、百貫で寺を売り払い、三百貫の財産を手にした。
そのうちのいくらかをポテチ代と決めて、京都の人に預けておいた。
十貫づつお金をおろし、満足するまでポテチを食べ、他の用途にはほとんど
金をかけなかったので財産全部をポテチ代にしたと言ってもいいだろう。
「三百貫という財産を、貧しいのにもかかわらずすべてポテチ代として使う生き方は、
もしかして超大物で、たぐいまれな求道者じゃないの?」と人々は言った。

この僧都(盛親)は、ある坊さんをみて「しろるうり」とネーミングをした。
盛親は、ある人に「しろるうりとは、何のことですか」と聞かれると
「ワシも自分で名づけておいて何のこっちゃよくわからないの。でも、もしも
そのようなものが存在するならば、きっとこのお坊さんの顔にそっくりだよ」と言った。

この僧都(盛親)はルックスもよく、パワーもあり、大食漢であり書道の達人である。
勉強の方も博識として知られ、しかも有数の能弁家としてたちまわるので
宗門内でも重きを置かれる仁和寺のナンバーワンだった。
しかし、世間のことを何とも思っていないクセモノで、自由奔放で
人の言うことに従うというところがなかった。
大きな仏事に出仕した後の打ち上げの席でも自分の目の前にお膳が来ると、
列席の人の配膳がまだ終わらないうちに「お一人様」で食事を済ませ、
帰りたくなると一人立ち上がりプイと帰ったそうだ。
寺の決められている食事の時間やサプリメントのときも、
他の人のように時間通りには食べない。
自分の食べたいときは夜中であろうと、明け方であろうとその時に食事をした。
眠たい時には昼間でも部屋にこもって寝てしまう。
どんな大事な用事も緊急事態でも人の言うことは耳にいれず、目が覚めると
何日でも徹夜をしながら無心に口をすぼめながらゴスペルやブルースを口ずさむ。
これほど普通ではないクセモノぶりを発揮しつつ、
人に嫌われるということがなく、全部が許容されていた。
人徳という言葉があてはまるのならば、そうなのだろうか。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2006-11-11 11:31 | 徒然草
2006年 11月 10日

うちの子どもたちが「のだめカンタービレ」を好きな理由のひとつが・・・

フジテレビのドラマ「のだめカンタービレ」に、うちの子どもたちが夢中に
なっているのであるが、最初にこのドラマに親しみをもっていくきっかけが、

主人公の のだめ がいつも持っているバックが、
マーヒーの妻手製のマーヒーのウクレレ専用バックに、とても似ていたことだった。

ああ、この頃はマーヒーは妻のことをシャラポアではなくてにゃおと呼んでいた。
恥ずかしいことである。
(どちらにしろ恥ずかしいが・・・)


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-11-10 06:40 | 草音
2006年 11月 08日

ベートーベン交響曲第7番を歌う

うちの7歳の娘と4歳の息子は、お風呂のなかでベートーベンを口ずさんでいる。
これが「エリーゼのために」だとか、交響曲第五番「運命」の冒頭部分だとか、
第九の「歓喜の歌」の部分などなら分かるのだが、口ずさんでいる曲は何と
交響曲第7番の第一楽章と第四楽章(フィナーレ部分)なのだ。

なんじゃこりゃー、と思いながらもいっしょに口ずさんでしまった。

これは撮っておいてもらったビデオを子どもたちといっしょに何度も観たが、
のだめカンタービレというフジテレビのドラマの影響なのだなぁ。

しかし、この交響曲第7番は、学生時代に友人の下宿で
カルロス・クライバー指揮アムステルダムコンセントへボウオーケストラの
演奏をアナログレコードで聴いて以来、
へぇーベートーベンにノリノリの交響曲があるのかぁ・・・
と思ったものだった。

混沌とした音のかたまりの中から、殻を破ってメロディが地中からわき上がるような
グルーヴ感のある曲だ。

原語ではどんな言葉か知らないが、ワーグナーはこのベートーベンの交響曲第7番を
「舞踏の権化」と呼んだ。まあ、つまりダンサブルってことだろ?

テレビドラマでは、ギャク漫画(原作の漫画もかなりのギャグタッチなのだろう)的な
味付けでストーリーが流れているのであるが、まさにベートーベンの交響曲第7番が
「舞踊の権化」であったということを、主人公ののだめが自由奔放に千秋の部屋で
弾いたピアノと本番でのオーケストラが見事に表現していた。

しかしこの のだめカンタービレ、原作の漫画は一切読んだことがないが、
竹中直人、西村雅彦、伊武雅刀らをぜいたくに配し、オーケストラやエキストラも
含めて、かなり力の入ったドラマであるなぁ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-11-08 23:16 | 草音
2006年 11月 06日

マーヒーの紅茶革命 (2) ミルクティ編

b0061413_1241286.jpg今月の最初にはレモンティのことを書いたけど、紅茶はミルクティの方が断然好きだ。10年以上前だけど、キリンから「午後の紅茶」が発売された時は、あの「午後の紅茶」のミルクティにハマッた。考えたら、あれ以来市販のソフトドリンクにハマッたことはない。(アルコール系は別ね) しかしマーヒーはひねくれ者なので「午後の紅茶」は午前中にしか飲まないという厳しい掟(おきて)を自分に課した。これは砂糖もけっこう入っているので、まあ体重抑制のための措置である。 さてさて、前回のレモンティ革命の時にはシカゴのあんなさんから「インドではミルクティに生姜やスパイスを入れますよね。アレは初めて飲んだ時ショックな味でした」というコメントをいただいた。 実は、ミルクティの方の革命はほとんどこのコメントそのままなのである。紅茶は、東インド会社あたりがインドやスリランカから紅茶をもってきて、それからイギリス経由で世界各地に広まったという変遷(へんせん)をたどっているのだろうから、革命というよりは原点帰りなのであろうが、原点帰りもまた革命には違いない。 牛乳を温め、そこに紅茶のパックを入れて煮立てる。そこにスパイスを入れる。まあ無難なのはシナモン、クローブ、カルダモン、オールスパイスあたりか。スパイスの調合に熟達しているわけではないので適当であり、かつまたいい加減である。しかし、このいい加減が何回か試行錯誤するうちにグッドな加減になることもある。再現は難しいが・・・ 

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2006-11-06 00:25 | 雑草