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2007年 01月 31日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第85段)

人の心すなほならねば、僞なきにしもあらず。
されどもおのづから正直の人、などかなからん。
己すなほならねど、人の賢を見てうらやむは尋常なり。
至りておろかなる人は、たまたま賢なる人を見て、是を憎む。
「大きなる利を得んがために少しきの利をうけず、僞りかざりて名をたてんとす」
とそしる。
己が心に違へるによりて、此の嘲をなすにて知りぬ、
此の人は下愚の性うつるべからず、僞りて小利をも辭すべからず、
かりにも賢を學ぶべからず。

狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり。
惡人のまねとて人を殺さば、惡人なり。

驥を學ぶは驥の類、舜を學ぶは舜の徒なり。
僞りても賢を學ばんを賢といふべし。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第85段)

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人の心っていうものは素直じゃないからウソや偽りがないとはとても言えない。
言えないけれど、そうは言っても、たまには素直な人もいないとも言い切れない。
自分が素直じゃないから、他人の賢いところを見てうらやましく思うってよくある。
でもとても愚かな人はたまにしかいない賢い人を見て、かえってこれを憎んだりする。
「大きなな利益を手に入れようとして、少しの利益に手をつけていないだけだ。
うわべだけをとりつくろって人から評価してもらいたいだけだ」と悪口を言ったりする。
しかし、それは自分の悪い心と賢い人とが一致しないのでそういうことを言うので
あって、この種の愚か者は生まれつきの愚かさから脱することができず、
とりつくろっても小さな利益も拒否することができず、
また、かりそめであっても賢い人の真似さえもできないということがよく分かってしまう。
クレージーな人の真似だと言って、大通りをクレージーに走りまわるなら、
そんな人こそクレージーだ。
悪人の真似だといって殺人でもすれば、そのまま悪人だ。

ダービー馬を見習う馬はそのまま優駿(ゆうしゅん)であり、
ステイヤー(長距離を走るのに優れた馬)を見習う馬は自然にステイヤーとして
素晴らしい馬に育っていくのではないのかい?
人間も優れた人を見習いなさいよ。
たとえ偽りでも賢者を見習う人は賢い人だといってもいいでないかい?


超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-01-31 20:19 | 徒然草
2007年 01月 30日

タイ語の「ありがとう」について

タイ語の「ありがとう」ですが、マーヒーは昔の六カ国語辞典(携帯用)なんかで
ずっと「コップクン」と覚えてきました。

マーヒーの妻のシャラポアにもそう教えてきたのですが、
先のブログ記事に書いたクルーズダイナーというお店のタイ人の方から
「コップクン・カー」という言い方がよりいっそう素晴らしいですよ、ということで
教わって帰ってきました。

というわけで、マーヒーは「コップクン・カー」の「カー」は、丁寧な言葉だと
勝手に思ってきたのですが、メールやブログのコメント欄で
「カーというのは女性が語尾につける言葉で、
男性がありがとうをタイ語で言う場合は
コップクン・クラップと言うのですよ」
という趣旨のメールやブログでのコメントをいただきました。

マーヒーは意地っ張りなので、これからの人生、タイ語は女性言葉しか
話さないようにしようと心に決めた・・・というのは冗談で、
ありがたいご指摘をいただいて本当に感謝しております。
まあ今までも中途半端な知識や勘違いで書き散らしてきたものが
多いので、その他にもこういうことはあるのだろうなぁ・・・

こういう、女性か男性かによって表現が変わるというのは、
たとえばラテン語系ではポルトガル語がそうですね。「ありがとう」で言えば
オブリガード(男性)
オブリガーダ(女性)
でした。

まったくの勉強不足と勘違いであり、
ブログのなかの記事についての訂正としては
クルーズダイナーというお店に行ったら、

女性は「コップクン・カー」
男性は「コップクン・クラップ」


と言いましょう。きっといいことがありますよ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2007-01-30 18:16 | 草評
2007年 01月 29日

クルーズダイナーが再開するようです

b0061413_15115558.jpgちょっと前にクルーズダイナーという素晴らしいアジアンカフェが、その箱になっていたポートセンターという建物が閉館になったことにともなってしばらく休止しているということをブログで書いたのだが、嬉しいことにこのクルーズダイナーのファンは多くいるらしく、このブログのコメント欄に情報を寄せていただいた方々や、メールで情報を提供してくださる方々が現れた。そのなかで、循環山の下さんという方は、用事のついでとはいえ新装開店準備中の場所をお教えいただいたとともに、その場所の写真までメールに添付して送ってくださった。というわけで写真の掲載許可を循環山の下さんにいただき、現在まででわかっていることをインフォメーションしたい。まず、この移転先の場所は新発田市の舟入の念仏塚(いい地名だなぁ)である。新発田市近郊の方にわかりやすい表現で言えば「コモタウンの近くのパチンコ玉三郎の近く」となる。このコモタウンのスポーツALPENでなんちゃってヤンキースが使用しているMBLのレプリカ・ユニフォームも発注したので、身近であり親しみのある場所だ。新装開店の予定日は循環山の下さんが張り紙をみてくれた情報によれば2月5日。バイト募集の張り紙もしてあったらしい。営業時間などは未詳。港からも海からもはるかに遠くなってしまったので(でも近くなってマーヒーには嬉しい)クルーズダイナーという名前は継承するのかどうかもわからないが、とりあえずその張り紙はクルーズダイナーの名前で出ていたそうだ。

行かれた方でここが気に入った方は、手を合わせて コップクン・カーと言ってみましょう。いいことがあります。

※ タイ語の「ありがとう」の表現については訂正と補足があります。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2007-01-29 17:12 | 雑草
2007年 01月 28日

納豆騒動から得た予期せぬ副産物

マーヒーの日常生活にも波及した納豆騒動であった。

この納豆騒動は、納豆不足にはじまってフジテレビの「発掘あるある大辞典Ⅱ」の
データ捏造(ねつぞう)→番組中止→逆に納豆の生産過剰というような事態になり、
人々を納豆のようにかき回した。その騒動の影響は、まだ糸をひいている。

この納豆騒動で、得をした人はほとんどいない。
今現在、何軒かのスーパーの納豆コーナーでは納豆がうずたかく積まれている。
この数週間で生産過剰になった納豆は、破格の安値で買えるかというとそうでもない。
少し安くなっているとは思うが、値崩れを抑えるためか激安というほどではない。

納豆のメーカーも、流通関係の方々も、ふりまわされてかき混ぜられたような状態だ。

しいて得をした人を探すならば、この騒動で今まで納豆をまったく口にしなかった人が
納豆を食べてみて、めでたくも「これは美味しいものだったのか」という発見をして
食わず嫌いを克服し、ライフスタイルに納豆が欠かせないものとして定着した人ぐらいか。

あとは「テレビで紹介されたことを過信しちゃダメ」みたいな、ごくごく当たり前の
ご教訓のようなものを今さらながら再確認したことぐらいが、この納豆騒動で得たこと
だと思っていた。しかし、思わぬ副産物を得ることになった。

(ここからは、これまた今さらながらブログのMore機能の練習)

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by kaneniwa | 2007-01-28 01:33 | 雑草
2007年 01月 27日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第84段)

法顯三藏の、天竺にわたりて、故郷の扇を見ては悲しび、
病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、
「さばかりの人の、無下にこそ心弱き氣色を、人の國にてみえ給ひけれ」
と人のいひしに、弘融僧都、
「優に情有りける三藏かな」
といひたりしこそ、法師のやうにもあらず心にくく覺えしか。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第84段)

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あの法顕三蔵法師が中国から天竺(インド)に赴き、
中国製の扇子を見ては感傷的になっちゃって、
病気で寝込んだ時にはソウルフードである中華料理を
食べてぇなぁとばかり欲しがったというエピソードを聞いて
「あれほどのお方が外国でそんな弱気な態度をよく見せられたもんよのぉ」
とある人が言ったところ、この徒然草の82段でもおなじみの弘融僧都は
「心が優しくて細やかな三蔵法師だね」
と言ったのは、いい意味でお坊さんらしくなくて、深みがあるように感じた。


超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-01-27 23:13 | 徒然草
2007年 01月 26日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第83段)

竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに
何の滯りかおはせんなれども、
「珍しげなし、一上にてやみなん」
とて、出家し給ひにけり。
洞院左大臣殿、此の事を甘心し給ひて、相國の望おはせざりけり。

「亢龍の悔あり」とかやいふ事侍るなり。
月滿ちては缺け、物盛りにしては衰ふ。
萬の事、さきのつまりたるは、破に近き道なり。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第83段)

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竹林の入道こと西園寺さんは官房長官あたりになろうという時、
それまで出世街まっしぐらだったのに、
「そんなの当たり前すぎて珍しくないや、やめちゃおーっと」と言って出家した。
洞院の大臣がこのことに感動してそれ以上の出世を望まなかった。

頂点に上りきったドラゴンは、あとは下っていくだけで、そこには
ただ後悔だけが残るってことを昔から言っている。
月は満月になればそれからは欠けるだけだし、
旬のものは盛りの季節が過ぎれば突然不人気になっちゃう。
だから何でもそうだけど未来がまったく見えないか、あるいは
見えすぎて行き詰まってしまうとすぐに破綻(はたん)しちゃうの。


超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-01-26 00:33 | 徒然草
2007年 01月 25日

今さらながらおせちを語る (2)

b0061413_21383031.jpg今までは一つの記事に一枚の写真しか使わなかった。もしくは写真抜きの記事だ。理由はタグを使うのがめんどうだったからだ。タグを使って写真を整列させてブログを書く練習に今年の(といってもいつもの)おせち料理を使う。ひと皿目(お重ではないのだ)は、キンピラとこんにゃくとワラビの塩漬けを水でもどしたものの煮物である。これは日常食でもまったくけっこうなのだが、なぜかお正月には必ず出てくるのである。どうもお正月のおせちの特徴は「ビールよりもおとそ(日本酒)に合うもの」という基準があるようである。最近はどうかわからないが・・・
b0061413_21392629.jpg二つ目は「いも棒」である。写真のピントが合っていないようだが・・・ドンマイ。「いも棒」は、京都の人には「おばんさい」の代表的なものとしておなじみであろう。全国的な知名度やおせちへの浸透度はよくわからない。里芋の大きなものと乾物の棒鱈(たら)をもどしたものを昆布出汁のきいた醤油で煮込んだものである。そしてどうせ昆布出汁をきかせるのだからというわけで煮込んだ昆布もここに入る。江戸時代後期から続くオヤジギャグで「よろコブ」というわけだ。
b0061413_21395080.jpg三つ目は紅白のカマボコに、うちでは「タタキゴボウ」と呼んでいるものとカツオブシをのせたカズノコである。 そういえば最近はカマボコっていうのはお正月以外にはあまり食べないなぁ。チクワはけっこう食べているんだけれどね。タタキゴボウは削り取ったゴボウを叩いて茹でて、酢で締めてゴマをかけたもの。うちはゴボウをよく使うなぁ。「よろコブ」とか「マメに働く」とか、そういうおせちのオヤジギャグ風に言えば、「これで今年はごぼう抜きだぁ」ってところだろうか。 カズノコというのは代表的なおせちの材料ですね。
b0061413_2140710.jpg漬け物もお正月は紅白ということになっている。赤は赤カブの酢漬け。白は冬の(今は通年作っていますが)京都名物の千枚漬け。そしてなぜか奈良漬けが付く。日本酒を飲んでいる時は、こういう漬け物が嬉しい。箸休めなんて言わずに漬け物にガンガン箸をすすめたいところだが・・・
b0061413_21403815.jpgお次は大根と人参の「なます」にゆずをトッピングしたもの。こういう「なます」(呼び方は方言というか地方色がある)という純和風サラダは、日本全国のかなり広域な範囲で食べられているとおもうけれど、うちの「なます」の特色は米酢をそのまま使うのではなくてマーヒーの母親がラッキョウの漬け物に使ったつけ汁を流用している。であるから酸っぱいのだけれどもムセるような酸っぱさではない。
b0061413_21405748.jpgさて、ようやく新潟県の郷土色が少し感じられるものだ出てきたが、これは「いずし」。漢字だと飯寿司と書くようだ。(今調べた・・・) ご飯と魚・野菜・麹を混ぜて桶に入れ漬け込み、乳酸発酵させて作る。主に北陸と東北、それから北海道ではメジャーで、その他の地域ではマイナーな料理のようだ。魚は秋田なんかではハタハタだし、北陸では「かぶらずし」といって「いずし」に似たなれずし系のもので鰤(ブリ)を使うようだけれども、うちではお正月高級バージョンでカズノコとイクラだ。普段は鮭だ。
b0061413_21411817.jpg最後は煮豆である。おせち界のオヤジギャクの「マメに働く」のマメだ。マーヒーは好き嫌いの嫌いはかなり少ない方だと思うし、食べ物を残すことはほとんどないのだが、どうも甘く煮た豆が苦手のようだ。甘く味付けされた豆は日本食のデザートとして扱ったらいいのか、どうも対処の仕方がわからないのである。


マーヒー加藤


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by kaneniwa | 2007-01-25 21:38 | 雑草
2007年 01月 24日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第82段)

「うすものの表紙は、とく損ずるがわびしき」と人のいひしに、
頓阿が、
「羅は上下はづれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそいみじけれ」
と申し侍りしこそ、心まさりて覺えしか。
一部とある草子などの、おなじやうにもあらぬを見にくしといへど、弘融僧都が、
「物を必ず一具にととのへんとするは、つたなき者のする事なり。
不具なるこそよけれ」
といひしも、いみじく覺えしなり。

すべて何も皆、ことの整ほりたるはあしき事なり。
し殘したるを、さて打置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。
「内裏造らるるにも、必ず作りはてぬ所を殘す事なり」
と或人申し侍りし也。
先賢のつくれる内外の文にも、章段の缺けたる事のみこそ侍れ。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第82段)

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「本や巻物の表紙は薄くできているから、すぐにボロボロになるから困る」
と誰かが言ったら、吉田のマブダチの頓阿(とんな)が、
「薄い表紙は上下がぼろぼろになって、巻物は軸の
貝の装飾品もとれちゃって落ちていたぐらいが味がある」
と言ったので、偉いなぁ、見上げたもんだなぁと思っちゃった。
「全集なんかは外見上みんなそろってないのはみっともないよ」
と誰かが言えば、弘融僧都が
「品物をなんでもワンセットでそろえようなんていうのはバカモノのすることです。
不ぞろいのようがかえってナイスです」
という発言こそたいへんナイスだった。

「だいたい完成していることは悪いことなんです。
やり残したことがそのままあるという方が、面白くて可能性があるのです。
それが、いろんなものの生命が未来まで生き延びていく一つの方法なんです。
天皇の住まいだって必ず作り残しの部分を置いてあるのですから」
と誰かが言った。

そういえば昔の偉い人が書いた仏教や儒教の本にも
未完成のものがずいぶん多くあるなぁ。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-01-24 13:32 | 徒然草
2007年 01月 24日

今さらながらおせちを語る 

b0061413_6433361.jpg1月ももうすぐ終わってしまうので、今さらながらお雑煮に続いておせちについても書いておきたい。 1月1日、おせち料理を目の前にすると、日本文化というものは「オヤジギャグでできているのか?」と思う。「よろコブ」とか「マメに働く」とか・・・何だかオヤジギャグそのもので、しかもギャグとしてのレベルが低い。まあ、そういうオヤジギャクそのものの源流を探求していけば、これは言葉に言霊(ことだま)が宿るといわれた太古の昔までさかのぼるのだろうが、おせち料理のメニューへのオヤジギャクは、オヤジギャク(ダジャレ)が非常に盛んだったオヤジギャク黄金期の江戸時代後期ということになるのだろう。なかなか変わらないおせち料理のラインナップであり、お正月に関しては、この「変わらない」というところに価値があるのだろうが、マーヒーとしては新しいメニューに新しいオヤジギャク与えてみたいと毎年思うのだが、毎年不発に終わるのである。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2007-01-24 06:44 | 雑草
2007年 01月 24日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第81段)

屏風、障子などの繪も文字も、かたくななる筆やうして書きたるが見にくきよりも、
宿の主のつたなく覺ゆるなり。

大方持てる調度にても、心劣りせらるる事は有りぬべし。
さのみよき物を持つべしとにもあらず。
損ぜざらんためとてしななく見にくきさまにしなし、
珍しからんとて用なきことどもし添へ、わづらはしく好みなせるをいふなり。
古めかしきやうにて、いたくことごとしからず、費もなくて、物がらのよきがよきなり。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第81段)

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絵や文字が見苦しい筆使いで描かれている屏風(びょうぶ)や障子戸など、
みっともないというよりもその家のご主人の品性が下がってしまうよ。

だいたい持っている道具類によって持ち主が「思ったよりもくだらない人だぞ」と
思われちゃうことがあるに違いない。
むやみに高級品やブランドものを持っていた方がよいというのではないよ。
破損しないようにという大義名分でわざとみっともない飾り方をしたり、
ちょっと珍しく見せるために不用な飾りをつけたりしてうるさく見えちゃっているような
ことについて苦言を呈しているのだ。
喜んでしまうことを言っているのだ。

やっぱどこか古風で大げさにならず、しっかりとした造りで上質なものがいい。


超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-01-24 06:14 | 徒然草