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2007年 04月 30日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第127段)

あらためて益なき事は、あらためぬをよしとするなり。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第127段)

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改めてもさほど「良かったぁ」と思えないものは、
改めない方がいいのよ。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-04-30 23:59 | 徒然草
2007年 04月 28日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第126段)

「ばくちの負極まりて、殘りなくうちいれんとせんにあひては、うつべからず。
たちかへり、續けて勝つべき時の至れると知るべし。其の時を知るを、よきばくちといふなり」
と、或者申しき。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第126段)

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「ギャンブルですっかり負けこんでしまい、有り金全部をつぎ込もうとしてる奴の
相手をしちゃいけないぜ。そういう時こそ、相手に連戦連勝の勢いがやってきたと
知るべきだ。そうした勝負の時の流れを読めるのが、上手なギャンブラーってもんだ」
って、ある人が言ってた。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-04-28 23:59 | 徒然草
2007年 04月 27日

草仏教掲示板(6)  ドラえもん名言集から

b0061413_14172342.jpgいじわるされるたびに しんせつにしてやったらどうだろう   この言葉は小学館の『心に響くドラえもん名言集』から。 常識では受け止められない言葉だ。いじわるされたならば、報復したり、仕返しをするというのが常識というもので、これは、一種の逆説だ。しかし、そういう逆説のなかに、常識的な考えでは糸口さえも見えないような問題に、ひと筋の光をくれるような言葉だと、ふと思って筆をとった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2007-04-27 14:16 | 草仏教
2007年 04月 24日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第125段)

人におくれて、四十九日の佛事に、或聖を請じ侍りしに、
説法いみじくして、皆人涙をながしけり。
導師歸りて後、聽聞の人ども、
「いつよりも、ことに今日はたふとく覺え侍りつる」
と感じあへりし返事に、或者の云はく、
「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなんうへは」
といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。
さる導師のほめやうやはあるべき。

又、
「人に酒すすむるとて、己まづたべて、人に強ひ奉らんとするは、
劔にて人を斬らんとするに似たる事なり。二方に、刀つきたるものなれば、
もたぐる時、先づ我が頸を斬る故に、人をばえ斬らぬなり。
己まづ醉ひてふしなば、人はよもめさじ」
と申しき。
劔にて斬り試みたりけるにや、いとをかしかりき。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第125段)

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人に先立たれ、中陰法要である四十九日の法事の時、
ある聖人をお招きしたところその説法がすごくよくて、聴いた人すべてが涙を流した。
法事の導師だったその聖人が帰った後、説法を聴いていた人たちが、
「いつもより今日の説法は有り難く感じました」と一同で感心していたところ、
ある人が
「なんと言っても、あれほど中国のコマ犬の顔に似た導師はいないですから」
と言ったのでズッコケつつ、みんなにバカウケしてしまった。
そんなほめ言葉ってアリなわけ?

それから、
「人にお酒を勧めようと、自分がまず飲み、それから人に無理矢理飲ませようとするのは、
刀で人を斬りつけようとしているようなもんだ。なんせその刀は両刃の剣だから、
大きくふりかぶったときにまず自分の頭を斬ってしまうので、人を斬れなくなっちゃう。
それと同じで、自分が先に酔っぱらっちゃって、しかも寝ちゃったりしたら、
相手はもう酒を飲む気分じゃなくなっちゃう」
と言う人がいた。実際に剣で人を斬る実験でもしたことがあるのだろうか?
実に可笑しくて笑っちゃうよ。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-04-24 20:22 | 徒然草
2007年 04月 23日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第124段)

是法法師は、淨土宗にはぢずといへども、學匠をたてず、
ただ明暮念佛して、やすらかに世を過ぐす有樣、いとあらまほし。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第124段)

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是法法師は、浄土宗のなかでも誰にも劣らない
人であるのに、学者であることを表面に出さず、
ナイト&ディ念仏する生活をして、安らかにお過ごしになっているのは、
この吉田もそうありたいことだと思う。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-04-23 23:25 | 徒然草
2007年 04月 22日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第123段)

無益のことをなして時を移すを、おろかなる人とも、僻事する人とも云ふべし。
國のため君のために、止むことを得ずしてなすべき事多し。
其の餘りの暇幾ばくならず。
思ふべし、人の身に止むことをえずして營む所、第一に食ふ物、
第二に著る物、第三に居る所なり。
人間の大事、此の三つには過ぎず。
饑ゑず、寒からず、風雨におかされずして、閑かに過ぐすを樂とす。
但し人皆病あり。病におかされぬれば、其の愁忍びがたし。
醫療を忘るべからず。藥を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。
此の四つ缺けざるを富めりとす。此の四つの外を求め營むを驕とす。
四つの事、儉約ならば、誰の人か足らずとせん。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第123段)

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無益なことをして時間を浪費しちゃうのを愚か者とか無茶な人という。
だいたい人は、国のためとか上司のためとか、やむを得ずやらなくちゃいけないことが
たくさんある。
そういう義務に追われていると自分のための余暇なんてほんの少ししかない。
だから、次のことをよく考えなければいけない。
つまり、人としてまずやむを得ずしなけりゃいけないことは、
第一に食物のこと。第二に衣服のこと。第三に住居のこと。
世の中で、文句なく必要なことは以上の三つで、実はその他はたいして大事ではない。
食べ物があって飢え死にせず、衣服があって寒くなく、雨風にさらされずに心静かに
日々を送れることが幸せなんだ。
ただし、人には病気というものがある。
病気になってしまうと、その苦しさは耐えられない。
だから、治療ということも忘れてはいけない。
したがって、衣食住に薬をプラスしての四つが手に入らないのを貧乏という。
この四つがあれば裕福だといってもいいんじゃないかなぁ。
この四つ以外を求めるというのが高飛車じゃないかな。
四つがつつましやかにでも守られているのなら、生活に不足を感じない。
誰が文句を言っているんだい?

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-04-22 13:59 | 徒然草
2007年 04月 20日

100円ショップミュージック

b0061413_0384438.jpg100円ショップで音楽や落語のCDを買うということがある。あのCD群の著作権といういうものはどうなっているのだろうか?芥川龍之介の短編集などの本を100円ショップで買ったことがあり、こちらは芥川先生の著作権はすでに切れているだろうし、紙の質は悪いものの字も大きくて読みやすい。 CDの方も録音物の著作権の問題は気にはなるものの、なんせ税込みで105円なら録音用のCDRなら100円ショップでは同じ値段で置いてあることだし、何というかジュークボックスに100円を入れる感覚で、他のものを買ったついでにカゴになかに入れてしまう(策略にハマってしまっているとも言えるが・・・)ということがある。前に100円ショップに行った時に買ったまま積んでいて、ずっと聴いていなかった(こういう買い方のCDはそんなもんだよね)クラシックのCDを再生しながら「あれ?」と思った。クラシックのCDというのはシューマンのピアノ協奏曲で、ピアニストはミケランジェリという人で、何だか録音物が少ない「幻のピアニスト」とかきいたことがある。わははは、少ない録音物の一部が100円ショップにあったぞ! 録音の良さや鮮明さなどは最初から期待なんかしていない。マーヒーはクラシック音楽ならひととおり知っているというような通人ではない。シューマンという人のピアノ協奏曲というものを意識して聞いたことがなく「もしかしたら自分がものすごく好きになる曲なのかもしれない」という軽い気持ちで買ったし、105円だから軽く買ったのだ。だから、初めて耳にするのに等しいのだが、「あれっ?こんな始まり方ってアリ?」というような、そんな軽い疑問を感じてしまった。 そしてCDを見てみると、写真のようなお詫びのシールが貼ってあった。何とこのシューマンのピアノ協奏曲は第二楽章からはじまり、次に第三楽章が続き(さすがに第二楽章から第三楽章のつなぎはスムーズだ)、その後に第一楽章が来るのだ。 

クラシック音楽のファン、特にシューマン好きの人には怒られるかもしれないが、100円ショップではどうせ(確か)返品というものはできないのだから、むしろ「新たなシューマン解釈を模索した結果、あえて第二楽章から再生されるようにしました」という、開き直った文面のシールを貼って欲しかった気さえする。 それにしても、100円ショップの録音物の著作権の扱いがどうなっているかは気にかかるなぁ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2007-04-20 00:35 | 草音
2007年 04月 19日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第122段)

人の才能は、文あきらかにして、聖の教を知れるを第一とす。
次には手書く事、むねとする事はなくとも、是を習ふべし。
學問に便あらんためなり。次に、醫術を習ふべし。
身を養ひ、人を助け、忠孝のつとめも、醫にあらずは有るべからず。
次に弓射、馬に乘る事、六藝に出せり。必ず是をうかがふべし。
文武醫の道、誠に缺けてはあるべからず。
これを學ばんをば、徒らなる人といふべからず。
次に食は人の天なり。よく味を調へ知れる人、大きなる徳とすべし。
次に細工、萬に要おほし。

此の外の事ども、多能は君子のはづる所なり。
詩歌に巧に、絲竹に妙なるは幽玄の道、君臣これを重くすといへども、
今の世には、これをもちて世を治むる事、漸くおろかなるに似たり。
金はすぐれたれども、鐵の益多きにしかざるが如し。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第122段)

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人の備えるべき能力は、まず読書だね。儒学など四書・五経などの古典に
精通することがまずいちばんだね。
次は文字を書くこと。習字の先生にならなくていいから、これは習熟しておくべきだね。
勉強の世界がとても広がるからね。
その次には家庭の医学。自分の健康のためであり、人を助けることにもなり、
社会的貢献ということにも医学ではなくてはできないことがあるからね。
そしてアーチェリーや乗馬は、、中国でも古代からの必須科目だから
まずは一通りは心得ておく方がいいね。
以上の読書、武術、医学の世界は三つのうちどれもおろそかにしちゃいけない。
これらを身につけようとする人をバカにしちゃいけないよね。
その次には食育だよ。
食べ物は人にとっちゃ太陽と同じように大切だよ。
すぐれた調理ができる人というのは、みんな大したもんだと思わなきゃ。
そして次は手作業などの細工仕事だけど、この応用範囲はものすごく広いね。

以上あげた以外にもいろいろあるけど、それについては何でもできるのは
いい大人にとってはむしろ恥ずかしいことだと思うよ。
詩や歌を作るのが上手で、和楽器の超絶技巧の妙技は高尚で意味深いとは
思っていて、政治家や権力者もこれを重んじるけれども、
現代(鎌倉時代)においては、そういうことに重きをおいて治世や政治をやるなんて
考えは、ちょいとバカらしくなってきたよね。

純金の市場価値は高いけれども、
鉄の利用価値にはかなわないと思うのだよ。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-04-19 23:37 | 徒然草
2007年 04月 18日

銃を捨て街に出よう

イギリスの理論物理学者のホーキング博士が1980年代の中盤頃に来日した際に、
いつのまにかずいぶんと前の話になってしまったので記憶もさだかではなく、
ネットを使っていろいろと検索もしたが、このエピソードに関する記載はなかなか
見あたらなかったのだが、ホーキング博士に

「この銀河系内に地球人以上の知能をもった生物が住む天体がある可能性」
について質問した少年(青年だったかもしれない)がいた。

それについて、ホーキング博士は

「大いにありえる」

という解答をして、まあここまでならよくありそうな質疑応答なのだが、
(テレビを観ていて)思わず身を乗り出してしまうほどいい再質問が、

「それでは、そのすぐれた生物が、この地球を征服しにやって来ないのはなぜか?」

という素朴な疑問をかたむけたことだった。
それに対してのホーキング博士の回答が、
ちょっとカリスマ教祖様的ではあったものの、

「他を破壊し、占領しようというような性質をもった文明は、そこに到達する前に、
自らを破滅させてしまうという法則がはたらいているのでしょう」

という、深い含蓄(がんちく)のあるものだったのだ。

何について言いたいか、自分(マーヒー)自身もよく考えないでブログを書いているが、
そのきっかけは
合衆国のバージニア工科大学キャンパス内拳銃乱射無差別殺人事件と、
日本の暴力団による長崎市長銃撃暗殺事件
である。
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by kaneniwa | 2007-04-18 12:32 | 草仏教
2007年 04月 17日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第121段)

養ひ飼ふものには馬、牛。
つなぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬ物なれば、いかがはせん。
犬は、まもりふせぐつとめ、人にもまさりたれば、必ず有るべし。
されど家毎にある物なれば、殊更に求め飼はずともありなん。
其の外の鳥獸、すべて用なきものなり。
走る獸は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翅をきり、籠に入れられて、
雲を戀ひ、野山をおもふ愁止む時なし。
其の思、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、是を樂しまんや。
生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀紂が心なり。
王子猷が鳥を愛せし、林に樂しぶを見て、逍遙の友としき。
捕へ苦しめたるにあらず。

「凡そ珍しき禽、あやしき獸、國に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第121段)

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家畜として飼育する動物は馬や牛がいいね。
つないで苦しめているのは可哀想だけど、いないと困るから仕方ないね。
犬は盗難防止に関しては人よりも勝れているから
これは絶対に飼うのがよい。
もう犬を飼っているのは世の中の常識だから、
わざわざ犬を探してきて飼えなんて言う必要もないか。

鳥や他の動物は、みんな飼うことは無用だね。
実際に飼うことを考えると、走る獣は檻に閉じこめられて施錠をされちゃう。
飛ぶ鳥は翼を切られてカゴに入れられちゃう。
鳥が空を飛びたい、獣が森を走りたいと思う気持ちは無限大で悲しい。
その気持ちを「もしも自分だったら」なんて考えちゃうと、ちょっとでも情愛のある
人だったら、飼っていて楽しいと思うはずがないね。
生き物を苦しませて目の保養なんかにしちゃうのは、残虐な暴君のような
心の持ち主なんだろう。
中国の晋のの時代の風流で有名だった王子が鳥を愛していたのは、
林のなかで鳥が楽しそうに遊んでいるのをみて散歩の友としたからで、
けっして捕獲して監禁したのではないよ。

だいたい、古文書にも
「珍しい鳥や珍獣は自国内で飼うべきではない」
と書いてあるのだ。

超訳BYマーヒー
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by kaneniwa | 2007-04-17 06:07 | 徒然草