<   2008年 05月 ( 29 )   > この月の画像一覧


2008年 05月 30日

妻のイメージのなかのプリングルスおじさん(ポテトチップス)

私の家での爆笑が全世界にブログを通じて波及しているようで
嬉しいかぎりであります。
それでは、妻(日本人・シャラポア)のイラストの衝撃度を高めるため、
エキサイトブログのMORE機能を使ってこのシリーズの第3弾を
お届けいたします。



妻のイメージのなかのプリングルスおじさん
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-30 14:35 | 草評
2008年 05月 29日

妻のイメージのなかの森永のチョコボールのキャラ

b0061413_19185633.jpg なかなかの反響がありましたので、シャラポア(妻・日本人)の「偉大なる勘違いイラスト」を引き続き掲載してまいりたいと存じます。 「おい、森永のチョコボールのキャラの、あの可愛いチョロちゃんを描いてみろ」 (なぜかこの命令をする時のマーヒーはものすごく亭主関白) と言った時のことです。 本当は、チョロちゃんではなくてキョロちゃんでした。 基本を誤っているのはマーヒーも深く自覚しなきゃいけないですね。 ともかく、シャラポアと同じくキョロちゃんがすぐに思い浮かんでこない方は、 「森永 キョロ」 などのキーワードで検索すれば、すぐにわかりますからね。さらにこれをネタに楽しみたい方はネットなどで確認する前に自分でキョロちゃんを描いてみるといいですよ。  というわけで、いくつかあるパターンのうちの 「いきなり独自キャラを描き出すシャラポア」 が顕著(けんちょ)に見ることができる例です。 このイラストから森永のチョコボールを連想することができる人の方がスゴいぐらいのキャラを描き上げましたね。  シャラポアの頭のなかのキョロちゃんは、もはや鳥ですらありません。 あえて本家・森永のキョロちゃんとの共通点をさがすならば、「本体の形状が何となくラグビーボールのような楕円形」 ということだけと言ってもいいと思います。この記事にもある程度の反響があったら、次は最近のマーヒーがいちばん大爆笑した、シャラポア作の 「プリングルスのおじさん」 を掲載します。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-29 19:19 | 草評
2008年 05月 27日

せんとくん と 妻と娘のイメージのなかのせんとくん

b0061413_229344.jpg平城遷都1300年記念事業協会は選定委員が東京芸術大大学院教授で彫刻家の籔内佐斗司氏が描いたキャラクターをマスコットとして選び、500万円で著作権の譲渡を受けた。(このキャラクター創出のための費用はその著作権譲渡の500万円を含む1018万円だと言われている) このキャラに対する賛否(否が多い)両論は激しく、仏教関係者からは2008年3月27日に奈良市と周辺の寺院の僧侶などが参加する親睦団体である「南都二六会」が、このマスコットの再考を求める要望書を提出した。 2008年4月15日、キャラクターの愛称が「せんとくん」となる。 直後の4月26日に長野市で行なわれたオリンピックの聖火リレーでは、なぜか中国政府のチベットへの弾圧を訴える団体がそのシンボルとしてこの「せんとくん」を掲げていたのをテレビで見た。 それを見て、逆に(そういう意図があったとすれば確かに) 「私は中国政府が言うような悪魔じゃありませんよ、私の頭に角がありますか?」 と、お茶目に両手で角をつくってみせたダライ・ラマの顔を思い浮かべた。 せんとくんはお釈迦さまや仏像ではないという作者の声明もあるものの、額(ひたい)の中心にあるのは、やっぱりどう見てもお釈迦さまのシンボルである白毫(びゃくごう)ではないかと感じるし、千昌夫でもモデルにしたのでなければ、やはり釈尊像から取り入れたシンボルではないかと思うのである。 このキャラクターを使用するにはファクシミリなどで許可を得なければならないのであるが、「報道」として引用されている場合はその限りではないようなので、いくつかあるせんとくんのポーズのなかで、「まさに仏の死を予感させる涅槃(ねはん)図ではないか」という意見の多い寝ころぶせんとくんのポーズを「報道として」引用する。 マーヒーの感覚としては、お金の話だが、素直に 「500万円というのはどうかな?」 と感じた。ドラゴンクエストの鳥山明先生に複数のキャラを推考させて描かせてやっとそれぐらいなのじゃないかなぁ? そして、やっぱり素直な感想として、この涅槃の図は抵抗があるなぁ。


b0061413_229589.jpgせんとくんを論じていて何だが私は平城遷都1300年よりも普段の奈良の方によっぽど関心がある。 ところで唐突に私は妻のシャラポア(日本人)に「せんとくんを描いてみろ」と命じた。実は私はイラストレーターとしてのシャラポアを昔から非常に高く評価している。家のゴミ箱に、いろんな意味でビックリするイラストが丸めて捨ててある。ドヴォルザークの部屋のゴミ箱を見たブラームスの心境になってしまう。本人は、その才能をまったく知らないでいるようだ。既成のキャラを描いているつもりでそれを曲解(きょっかい)し、いつの間にか独自のキャラを育て上げるという恐るべき才能だ。それはよく言えば黒人霊歌やアメリカ先住民のメロディに着想を得て独自のメロディを作り上げたドヴォルザークの才能にも近いのかもしれない。 マーヒーは、突如、 「おい、せんとくんを描いてみろ」 とノートを差し出した。 「あ、せんとくんは特徴だらけだから完璧!完璧!」 とササッと描きだしたのがこの図である。
シャラポアのイメージのなかのせんとくんは、とにかくツルっとしているイメージがあるらしく、顔の光沢を強調している。さらに、大きな二重まぶたは合っているとして、睫毛(まつげ)が大きく描き加えられていた。「えっーとね、着ていたのは確かタンクトップみたいなものだった」 と言いながらタンクトップ状の服を着せ、小学生が名札を付けているように「せんと」と書き加えた。そして偉大な勘違いというべきか、念珠をもってお参りしている姿を描いた。 白毫を忘れなかったのはサスガというべきだろうか。書き込みすぎて千昌夫のホクロと区別がつかなくなっているが、ちゃんと右巻きでグルグルと描き加えていた。 これを本人が何度も、「あれっ、こんなんじゃなかったな!」 と言いながら何度も書き直しをしていくと、最後には洗練という言葉が合っているかはわからないが、まったく独自のキャラクターが育っていくのがシャラポアの特徴だ。 その他、シャラポアの描いたプリングルスおじさんのイメージや森永チョコボールの鳥ではないキョロちゃん、NHK英会話の犬のチャロなどは傑作である。マーヒーのノートに描いてくれたものが数点ある。

b0061413_22102235.jpg同じ時に、9歳の娘も 「私もやってみる!」 と言いながらB5のコピー用紙に左の絵を描き出した。娘は、5歳ぐらいの頃からか、あるいはもっと前からか、いわゆる 「ゆるキャラ」 というものが大好きで、マーヒーはある意味で 「キャラクターの評論家」 としての娘の意見を信頼しているようなところがある。娘の「せんとくん」への評価は、「キモい。キモ可愛いというのではなくてキモい。せっかくシカの角が生えているのだから、可愛いシカのキャラになったらよかったのに」 ということだが、奈良の東大寺に行ったこともないしその存在すら認識していない娘の意見なのに、これが案外、非常に的確な評論のように思えてならない。 さて、絵の方だが、睫毛でなくて大きな二重まぶたは正解。ただ、母娘とも、あの細い眉毛は忘れていたね。 娘のイメージの場合は両手にミサンガっぽい念珠を身につけいていた。裸足というのは合っている。サスガだ。白毫も、ホクロとは区別がつかないが、とにかく忘れずに書き加えている。服の方は、インドのサリーともソクラテスの着用していたターガとも、どっちとも判断できないようなものを着用している。まあ、せんとくんの服装も何とも言えないのであるが・・・ただ、その服に入っているラインはデザインではなくてシワを表現しているようにも思え、そこはなかなか当っている。ただし、娘の場合もさすが母の娘であって、ほとんどの人がこの絵をみて、この文脈でのブログ記事でなければせんとくんを描いたというよりも独自のキャラを描いたとみてくれるだろう。マーヒーとしても、上のシャラポアの絵を 「ルイスくん」 と名づけ、娘の絵を 「オマイリーちゃん」 と名づけ、今後はせんとくんとはまったく別な独自のキャラとして育てていって欲しいと願っている。  


マーヒー加藤 

[PR]

by kaneniwa | 2008-05-27 22:59 | 草評
2008年 05月 26日

原子力より原始力

b0061413_050797.jpg マーヒー加藤は東本願寺の屋根をソーラ(太陽光)発電の屋根にしようという運動のグループに入っていたことがある。個人的に、ただ署名だけで賛同したのではなく、その関連の研究会や発起集会的なところにもけっこう足を運んだのは、東本願寺をソーラ屋根にしようということだけでなく、構想のなかに「本願寺の森」というものを創設して世代を越えた護持活動をしていこうというものが盛り込まれていたからだ。 グループは、ソーラ屋根計画が採用されないということが決定的になった時点で解散した。マーヒーは「本願寺の森計画というものがあるので解散するのに反対」という意見をしぶとく述べたが、グループはいさぎよく解散した。 同じ京都の清水寺は、何と700年後(西暦で2700年代)の大修復のために京都府の美山町に清水寺のための森を幼木を植えて作りはじめ、信徒さんたちの手によって育てられているというニュースを聞いた。けやきの森が作られて、1000本のなかの選び抜かれた7本ほどの大木が清水寺の700年後の「新しい柱」になるのだという。 森の手入れをする信徒さんたちは、ほとんど無報酬であるのに 「700年後のことを考えて手入れをするのは喜びだ」 という。バルセロナのガウディ設計のサクラタファミリアという大聖堂をガウディの遺言どおりにコツコツと積み上げ造っている人たちの喜びのようなものにも共通するものがあるかもしれない。

青森県の六ヶ所村の核施設の所員の人のうちの何人かが、「われわれは核の再処理の仕事というのを10年先や20年先のこととは考えておりません、100年先、200年先を展望してやっております」という言葉をテレビカメラに向かって堂々と言っていた。清水寺を連想し、対比してみた。似たようなことを言っているようで、何という違いがあるのだろうか。

リサイクルという言葉は美しく、その美しさゆえに政治や経済にもかなり利用される。環境団体のトップや政治家がCO2(二酸化炭素)を削減するために原子力発電を容認したり、むしろ推進したりするような発言をしたりするが納得できない。核廃棄物という最悪のゴミのリサイクルが確立されていない。六ヶ所村の核施設は何千億円を投じたかは知らないが 「とりあえず」 の発想なのだ。 「とりあえずビールね」と言いながら、「とりあえず」のビールを飲み、「次は何を食べて何を飲もうか?」 と考えるのは楽しい「とりあえず」 だが、この 「とりあえず」 は苦しい。われわれの子どもや孫たちが、この廃棄物の利用を考えてくれるまでの「とりあえず」だ。核廃棄物処理施設の維持経費はどんどんと想定範囲を越えた金額が計上され、つい2,3日前にはこの施設の真下に活断層が発見された。これは注目すべき大きな意味をもったニュースだと思う。その後の調査によっては、「とりあえず」 の思想に大きな転換を迫ることになる。

マーヒーは、このブログをはじめパソコンのヘビィ・ユーザーである。電気のおかげでこうやっていろいろな人とつながっている。ナイターで野球もやる。セコではあるがエコな生き方などはしていない。 さらにセコの方でも、節約は大事だが節約をするために生きているのではないといつもどこかで思っている。でも、最近感じる感動は、電気を使わずに体のなかの方に電気が走るような「原始人の感動」だと思うようになってきちゃった。野球で野手に追われて逃げて全力疾走している時に、思わず原始人に返って笑っちゃった。

発電そのものも含め、これほど維持や安全対策にお金がかかって、私のところのパソコンがフリーズするぐらいの頻度で各地で原因不明の事故が起こって人類を背負って慌ててヒヤヒヤで手動でストップさせることが頻発する原子力の方は、もうやめた方がいいのではないかなぁ。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-26 00:01 | 草評
2008年 05月 25日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第212段)

秋の月はかぎりなくめでたきものなり。
いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、
無下に心憂かるべき事なり。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第212段)

b0061413_23122036.jpg


秋の月って、信じらんないほど素晴らしい。
「月なんていつでも見れるじゃなの、つまんない」 
なんて言っちゃって、他の季節との違いがわからない人は
・・・つまんない。

BYマーヒー
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-25 23:03 | 徒然草
2008年 05月 25日

蕎麦しょっちゅう

b0061413_1341211.jpg 蕎麦(ソバ)は大好物だ。だから蕎麦屋さんに行くことはもちろん、しょっちゅう食卓にもあがる。朝食に蕎麦というのは年に1回あるかないかだが、昼食にはしょっちゅう。夕食になるということもよくある。その、夕食に蕎麦という場合の話。 外食で蕎麦屋さんに入った時には、蕎麦屋さんの具や薬味を流用したような軽いおつまみで日本酒を飲み、最後にせいろ蕎麦なんかを食べるというのは黄金コースだ。ところが、これは好みだから好きずきでいいのだが、「蕎麦そのものと日本酒は合わない」という意見がある。 この意見はかなり昔からあるみたいで、もともと江戸時代の蕎麦屋さんは 「日本酒の飲処」という役割もあった。(池波正太郎などの時代小説からの知識) だから伝統のある蕎麦屋さんではメニューか、もしくは隠れメニューに 「ヌキ」 というものを用意している。つまり、「天ぷら蕎麦のヌキ」 と言えば、暖かい天ぷら蕎麦から蕎麦が抜かれていて、おつゆに天ぷらとネギが浮いているだけのものが来る。 「鴨南蛮のヌキ」 と言えばかも汁がやってくることになる。これをおつまみにして日本酒を楽しもうという魂胆(こんたん)だ。その魂胆にのっかってヌキを注文したい思いがこみ上げてきたことも何度もあったが、何だか通人ぶっているようで恥じらってしまい実行には至らなかった。 せめて家庭内ではそういうコンタンをやっつけてみたいという思いがある。 

そこで、「ヌキ抜きで蕎麦に合う酒をさがせ」 という脳内指令に従った冒険が遂行された。 その探求の大いなる旅の道程を記すのは割愛し、結果だけを発表したい。 考えたら答え(解答は人によるが・・・)は意外とソバにあった感はぬぐえないが、家に常駐していた蕎麦焼酎の 「雲海」 がいちばんピッタリときた。 ロックで飲めば日本酒の冷酒よりもピッタリシックリくる。おまけに、マーヒーも温かい日本酒は冷たい蕎麦には合わないという感覚はずっともっていたのだが、蕎麦焼酎をそば湯(またはゆで汁)で変則のお湯割りにすると・・・これ最高! 蕎麦に合うことはもちろん、蕎麦抜きでこの蕎麦焼酎のそば湯割りだけを楽しんでもいいぐらいだ・・・・・・アレ?

マーヒー加藤

2005年4月のちょっと関連した記事
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-25 00:06 | 草料理長
2008年 05月 23日

粒焼(30) オヤジギャグ

これからの季節、
オヤジギャクには
「寒い!」
じゃなくて
「Cool!」
と言って欲しい


マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-23 21:24 | 雑草
2008年 05月 22日

超訳徒然草・吉田くんのブログ(第211段)

萬の事はたのむべからず。
おろかなる人は、深く物を頼む故に、恨み怒る事あり。

勢ありとて頼むべからず。
強きもの先づ亡ぶ。
財多しとて頼むべからず、時の間に失ひやすし。
才ありとて頼むべからず、孔子も時にあはず。
徳ありとて頼むべからず、顏囘も不幸なりき。
君の寵をも頼むべからず、誅を受くる事速なり。
奴從へりとて頼むべからず、背きはしる事あり。
人の志をも頼むべからず、必ず變ず。約をも頼むべからず、信ある事少し。
身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。

左右ひろければさはらず、前後遠ければ塞がらず。
狹き時はひしげくだく。
心を用ゐる事少しきにしてきびしき時は、物にさかひ、爭ひてやぶる。
ゆるくしてやはらかなる時は、一毛も損せず。
人は天地の靈なり。
天地は限る所なし。
人の性、何ぞ異ならん。
寛大にして極らざる時は、喜怒是にさはらずして、物のためにわづらはず。

(吉田兼好法師 『徒然草』 第211段)

b0061413_23521086.gif


何だって思うようにはいかないよ。
力のない人はどうしても人に頼りすぎるから人を恨んだり、怒ったりする。
では強い者はいいと思ってそこに依存しちゃいけない。
強くて波にのってる奴が、まず真っ先に脱落しやすいのさ。
金持ちだって頼りにできない。
そのうち貧乏になっちゃう。
こいつは天才かも!と期待しちゃいけない。
あの孔子だって生まれた時代が悪かった。
徳のある人だからと頼っちゃいけない。
孔子の一番弟子で人格者として知られた顔回(がんくわい)だって
不遇で短命(31歳)の人生だった。
最高権力者に愛されているからといって油断しちゃいけない。
最高権力者によって殺されちゃうことだってあるのだから。
従順な部下がいるからといって安心できない。
裏切って逃げちゃう。
他人の好意もあてにはならない。
すぐに心変わりしちゃう。
人との約束も信じちゃいけない。
それが守られることの方が少ないから。

自分のことも人のことも、あてにするということがなければ、
うまくいった時は素直に喜ぶことができ、うまくいかない時でも
人を恨まないですむ。
自分の道が右左に広ければぶつからず、前後に広がっていれば
行き詰まりがない。
自分の進む道が狭ければつぶされて壊されちゃう。
心をくばるほどの余裕さえないようなシビアな道を歩む人は、
人に反抗的になりながら争って、最後には自分自身を傷つける。
心に余裕があり、柔軟性がある時には脱毛症もないから
自らの毛の一本さえも傷つけることがない。

人間は天と地との間に放浪するスピリットだ。
天と地には際限がない。
だから、人間のスピリットも天と地のように果てがないものだと思う。
限りがないのがわれわれのスピリットなら、喜んだり怒ったりするような
人間の一時の感情なんてスピリットの根幹を揺るがすものではなく、
人によって苦しめられるということはないのだ。

超訳BYマーヒー
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-22 23:14 | 徒然草
2008年 05月 22日

粒焼(29) 原油価格高騰

アラブの大富豪は
アブラの大富豪


マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-22 00:44 | 雑草
2008年 05月 21日

ちゃぶ台、どうだい?  スノーピーク(snowpeak)のちゃぶ台

b0061413_6253673.jpg 4月に新潟県三条市にあるスノーピーク(snowpeak)本社にふらっと遊びに行ったら、写真の折りたたみ(真ん中から二つ折)ができて専用バックに収納できる竹製のちゃぶ台があって、「これ、今日が発売日なんです」 とスノーピークのSさんが言った。 「てことは、今、これを買ったら、マーヒーが世界で最初の購入者?」と尋ねたら 「まだ午前中だし、ここのショールームも今開けたばかりなので、そういうことになりますね」 という。 「じゃ、これをちゃぶだい(頂戴)」 と、ホントにその場で買っちゃった。 というわけで、ちゃぶ台を収めたバックを小脇に抱えて 「ただいまぁ」 と帰宅した。 1万円以上のもの、かさばるものは相談しあって購入しようという家庭内の第一井戸端会議室で締結されたシャラポア条約違反をしてしまったので、やや緊張の面持ちで帰宅したが、シャラポア(妻・日本人)はこのちゃぶ台をいたくお気に召された。 子どもたちがこのちゃぶ台の周りを取り囲むと、何だか団欒(だんらん)という言葉が彷彿(ほうふつ)とされるのだ。テントの中やタープの下での使用も想定されているのだが、もっと気楽に、野外にシートを敷いてこのちゃぶ台を広げるだけで、目線が大地と近くなり、不思議にくつろげる空間が生まれる。

マーヒー加藤
[PR]

by kaneniwa | 2008-05-21 06:56 | 草評