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2009年 07月 14日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(8) 試訳編(1) Amazing

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

今年は、この1番の歌詞を日本語にしてみようと思う。
日本語で、意訳、もしくは超訳気味であったとしても
できればここにこもった 言霊(ことだま) のようなものを
少しでも拾いたい。

Amazing  という最初の言葉の言霊をひろうために
何度も Amazing Amazing と口にしてみる。
Amazing Amazing と、念仏のように称えてみる。
何度も歌ってみる

辞書的というか、常識的に、まず 「驚き」 の言霊が Amazing には含まれている。
どういう驚きかというと、これは文脈のなかの関係性もあり、 「賞賛すべき」 言霊が
たっぷりと成分として含まれている。

この Amazing というキーワードには 「不思議」 もしくは 「不可思議」  という
訳をあてはめてみたくなった。
「不思議」 とか 「不可思議」 という言葉は現代ではネガティブな意味でも
使われることが多くなってしまった言葉であるが、基本的には賞賛の言葉であった。

つまり、思議(頭での思考)ではわからないものに出会った驚きの言葉だ。
思議では不可なのだ。

くしくも、Wonderful ! という賞賛の言葉はwonder(不思議)の形容詞形だ。
この Wonderful という賞賛の言葉は、たとえば英語圏からの旅行者が
新幹線のなかで富士山を見て発する場合をたとえに出すとして、
旅行プラン通りに予定していた(思議)とおりに富士山を見た場合には
なかなか出てこない言葉のように思う。
プランには入っていなかったのに予想に反して富士山を見たということなら
Wonderful ! なのだろう。
もしくは、プラン通りなのだがその人にとって富士山の美しさが思議していた予想を
はるかに越えていた場合に Wonderful ! なのであろう。

出会いで言えば meet ではなく encounter なのであろう。
思議して想定していた出会いならば meet であろうが、
不可思議な、想像もしていなかった出会いは encounter  で、
森のなかで熊さんに出会ったというのは、英語バージョンでどう歌われているのか、
あるいは英語バージョンというものがあるのかどうか知らないが、
きっとmeet (met) ではなくて encounter (encountered )
だという気がする。

というわけで、 Amazing には、邪道かもしれないが、邪道でも
道の大まかな方向はそう間違っていないという言霊への霊感があったので、
「不思議」 もしくは 「不可思議」 という言葉を使いたい。

次回は、the sound というキーワードの言霊を感じてみたい。

霊媒師みたいだな。

マーヒー加藤
 
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by kaneniwa | 2009-07-14 03:22 | 草仏教
2009年 07月 13日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(7) ハーフ・タイム・ショー



harunireさんというスキレットつながりのブログ仲間に教えていただいた動画である。マット(Matt)くんの世界一周ダンスの動画である。 「南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス」 などという、重いタイトルでブログを書いている。いよいよ、徒然草以来の 「訳す」 という作業をして終わりたいと思っているが、その前にこの動画をアップした。 私の少年時代のニックネームは 「マットくん」 であり、シャラポア(妻・日本人)も時々、そう私のことを呼ぶ。藤崎マーケット(ブームのピークは2年ぐらい前なのに懐かしいなぁ)のラララライ体操に似ている気もするが、世界中でマット君が踊っている。 3人の子どもを育てるということができたら、シャラポアと二人で 「世界中で一つの歌を歌う」という長旅に出たいなぁという気持ちになった。 今の時点で、「アメイジング・グレイス」 はその最大の候補曲だ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-07-13 00:57 | 草仏教
2009年 07月 13日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(6) 由緒編(4) 越後七不思議

昨日言及したルドルフ・ブルトマンとその学派の
「非神話化」 もしくは 「非神話論化」 という考えを、
あまり門外漢が知ったように書き連ねてはと思うが、
私にとっては、要するにイエス・キリストの起こした奇跡をどう読むか、
処女降誕とか復活とかをどう読むかという具体的な問題に関与する。

それ(聖書)を文字どおり信じるのが信仰というものだ、ととらえる流れも昔からある。
ただ、「非神話化」 ではそういうことを 「象徴」 として解釈していこうという
ことのように私は思う。

つまり、イエス・キリストが歩けないものを歩かせたいう奇跡は、
「非神話化」 で読めば、自立できないものを自立させたという事実の神話化であり、
(これはアメイジング・グレイス試訳編の大事なキーワードのひとつになるが)
キリストが目が見えない者を治したという奇跡は、
狭い視野で生きてきた者に、その眼で見ようとしなかった世界を見せたということの
象徴が新約聖書には記されているということであると思う。

この考え方をもとに、親鸞聖人の 「越後七不思議」 のうち、
私にとっては 「非神話化」 する意義があるように強く感じられる
黒埼町(現新潟市西区)山田の 焼鮒(やきふな)の伝承を
とりあげてみたい。

ただ、ずっと、いつかは書こうと思っていたことなのだが、ここから先の記述には
若干の躊躇(ちゅうちょ)がある。
なぜかというと、この伝承を純朴に大事にする
地元の住職さん、副住職さん、ご門徒さんたちに
知り合いが多いということが正直言っていちばんの理由である。

聖書にしてもこの伝承にしても
「そのまま信じるべきである」 という純朴な気持ちを
決して否定するようなつもりはないということだけは記しておきたいと思う。

越後七不思議の焼鮒の伝承を非神話化してみる
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by kaneniwa | 2009-07-13 00:46 | 草仏教
2009年 07月 12日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(5) 由緒編(3) 聖書の非神話化

ルドルフ・カール・ブルトマン
(Rudolf Karl Bultmann, 1884年8月20日 - 1976年7月30日)
という、ドイツの新約聖書の非神話論化という聖書解釈の方法論を
提唱した学者の名前を知ったのは、このマーヒー加藤にとっては
ほとんど偶然、もしくはハプニングに近いことからだった。

西谷啓治という、京都学派四天王の一人である哲学者がいる。
自慢になるのかならないのかわからないが、
このマーヒー加藤はこの西谷啓治という人から直接講義を
受けた者のなかで最年少かもしれない。
いや、正確にいえば
「このおじいちゃんスゲエぜ、他の授業なんかいいから
聴きに行こうぜ」
という私の誘いにのってきた、当時大学生になりたての18歳だった
岩崎くん (このブログにも時々コメントをくれる) が、おそらく
直接講義を聴いた者のなかの最年少だ。

1900年生まれのこの哲学者の授業のなかで、ある偶然によって
ブルトマンの名前は私に刻まれることになった。

西谷啓治先生の哲学の講義
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by kaneniwa | 2009-07-12 00:59 | 草仏教
2009年 07月 11日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(4) 由緒編(2) オリビアのトリビア

オリビアを聴きながら、この文章を書いている。

尾崎亜美が作った 「オリビアを聴きながら」 のモチーフになっている曲は
歌詞のなかにも出てくる 「Making Good Things better」 というバラード曲らしいが、
「フィジカル」 とか 「ザナドゥ」 のような、ディスコでフィーバーするための
曲を想像しながら尾崎亜美ワールドに入っていくと、ちょっとおもろい。
ぎゃはははは、ジャスミンティーが似合わねぇ~ 幻が愛せねぇ~

さて、私にとって、ニュートンといえば、今は 「アメイジング・グレイス」 の作者の
ジョン・ニュートンを思い浮かべてしまうが、普通は、ニュートンといえば
万有引力の発見をはじめ数々の偉業を残した物理学者のアイザック・ニュートンで
あろう。

さて、中学生時代にオリビア・ニュートン=ジョン(Olivia Newton-John )という
歌手が 「あの物理学者のニュートンの末裔だ」 というガセネタを信じたことがある。
「えっ?」 と思った。 私がそのガセネタをつかんで信じこんでしまった理由に、
1970年代のオリビア・ニュートン=ジョンに 「キレイなお姉ちゃん」 の幻影を感じ、
その奥に流れる知性のようなものに何らかの 「裏付け」 のようなものが入れば
より偶像崇拝ができるように思えた心理があったのだろう。
私にそのガセネタを植え付けたのは中学時代の同級生でオリビア・ファンのM君だった。
M君がどこからそのガセネタをつかんできたかは不明だが、今、なぜそのようなガセが
生まれたのか、その理由がわかる。

オリビア・ニュートン=ジョンは、オーストラリア出身のイメージが強いが、
イギリスのケンブリッジ生まれである。お父さんはケンブリッジ大学の教授だ。
ただし、物理学ではなくドイツ語の先生だ。
オリビアが5歳の時にそのお父さんがオーストラリアの大学で教えることになって
家族で移住したのだ。
そして、「オリビアのニュートン末裔説」 というガセネタの出所になったのは、
おそらくケンブリッジ大学教授であったお父さんのせいではなく、
オリビアのお母さんのお父ちゃんがドイツのノーベル賞受賞物理学者である
マックス・ボルン (Max Born)であることに起因すると思われる。
1926年量子力学の確率解釈(統計的解釈)を発表し、
量子力学、特に波動関数の確率解釈の提唱によって
1954年にノーベル物理学賞を受賞している。
♪ Physical! あぁ~フィジカル、フィジカルぅ~

オリビアはこのマックス・ボルンに 「おじいちゃ~ん」 と言って抱きついて
いたのだろう。 顔は、似ているところを探す方が困難なくらいだ。


サッと書くつもりだったが、なんせオリビアを聴きながらなのでマクラが
長くなってしまった。

さて、アイザック・ニュートンの 「リンゴが木から落ちるのを見て引力を発見した」
というエピソードはガセネタであるというのが通説だ。
「ワシントンが桜の木を切ったのは私ですと言った」 とか、
「豊臣秀吉が織田信長のワラジをフトコロで暖めた」 など、
イギリスに 「江戸時代や明治時代の講談師」 がいたのかどうかは別にして、
偉人に関するショート・ストーリー・テラーがいたというように思われる。

ただ、アイザック・ニュートンの家(今も保存されているそうだ)にリンゴの木が
あったのは事実であり、アイザック・ニュートンが 
「鋭い観察を日常生活のなかでする」 という気質であったのも事実のようだ。
その気質を5歳の子ども相手でもひと言で語り継がせるために、そして
引力という概念を子ども相手にでも教えてやるために
「ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て引力を発見した」
という短いストーリーが生まれたのだろう。

昨日のジョン・ニュートンという人の話から 「何ちゅう脱線をしておるの?」
と言われていそうだが、今日のブログ記事は伏線として大事なのだ。
「5歳の子どもにもわかる」 という世界も大事なのだ。

「南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス」 のお話を、
次は なるべく 「聖書の非神話化」 「越後の親鸞聖人伝説」(七不思議)という
方面にもっていきたいと考えている。

あ~、お腹空いたなぁ と思って冷蔵庫の野菜室を引くと、
リンゴを発見した。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-07-11 06:36 | 草仏教
2009年 07月 10日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(3) 由緒編(1) ジョン・ニュートン

アメイジング・グレイスという歌の歌詞は、
ジョン・ニュートン(John Newton 1725-1807) という人に
よって書かれている。

ジョン・ニュートンは元奴隷商人(といっていいと思う)の顔ももちつつ、
牧師へと転身し、最終的には18世紀の時代にあって
奴隷解放運動の先駆者的存在になっていく。

たった数行で何となく書いてしまったが、
万有引力の発見者(アイザック)と同姓のこの人は、
「私ごときの愚か者を救う存在」 を発見した。


実は、アメイジング・グレイス については4年以上前にも書いたことがあり
本田美奈子ちゃんの訃報に接した際にも少しだけふれたことがある

その時には、ネット上に限れば東京経済大学教授の渡辺潤教授の書いたものぐらいしか
この歌について日本語でその由緒が語られていた文章にはなかなかお目にかかれなかった。

今はアメイジング・グレイスに関する数多くの貴重な資料をネットから得ることができる。
特に 世界の民謡・童謡 worldfolksong.com というホームページの
ドナドナ研究室のアメイジング・グレイスの項目は、いくつか所有している文献でもまったく
わからなかったことが詳細に、かつ非常に整理されて記述されていた。

その記述にかなり寄りかかりつつ、ジョン・ニュートンの人生をあえて
箇条書きにしてみたい。

ジョン・ニュートンの生涯 箇条書き
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by kaneniwa | 2009-07-10 00:21 | 草仏教
2009年 07月 09日

COME ON IN MY KITCHEN (4) 台所で流し (3) アメイジング・グレイス



真夏に暑苦しいカッコで恐縮ですが、
これは ジョージア・オン・マイ・マインド(前歌付き) を収録した日と
同じ日に、試しにアメイジング・グレイスをやってみたテイクです。

撮り直しもして、言訳ですが撮り直しをしたものの方が整っているのですが、
ギターを上手に弾かなきゃ、英語圏の愛読者もいてくださるので正しい発音をしなきゃ等を
考えながら弾いているのが自分で見えて、整っているバージョンの方が、何だかとても
恥ずかしくなってしまい、 「あんまり考えてないバージョン」 の方をアップします。
あんまり考えていないので、ギターのチューニングもやや高めで、書いてきた
コード進行の音も若干キンキンしています。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-07-09 00:01 | 草音
2009年 07月 08日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(2) 演奏編(2)

b0061413_234339.jpg というわけで、同じ写真が再登場。 仮に 「ジョン・レノンのG」 と呼ばせていただいたコードの押さえ方である。3D的にもなると思って斜めから撮った写真が中指の陰になって見にくかったかもしれないが、要するに(下から)2弦目の3フレット目も押さえ込んじゃうコードだ。この 「ジョンG」 (さらに略称にする) からどういうコードに行くとおもしろいかというと、下の Cadd9 というコードにチェンジすると簡単であり、なおかつおもしろい。専門的にCadd9とC9(シーナインス)はどう違うの?と尋ねられると私は答えに窮してしまう。ともかく、Cadd9というコードはよくあるギターコード表やコード辞典にはまずほとんど登場しないコードなのである。プロの将棋の棋譜を見て「こんな手があったのか!」 と思うように、 「こんなコードがあったのか!」 と思った。

b0061413_23434288.jpg これがそのCadd9である。まあ名前(コードネーム)なんかはどうでもいいかぁ。 要するに 「ジョンG」 の押さえ方から中指と人差し指だけをそれぞれ一つづつ下へスライドしただけのものだ。 ジョンG→Cadd9 のコードチェンジをして何が起こるかというと、少なくとも、これを初めてやってみた時の私には革命が起こった。イーグルスの Take it easy なんて曲はいくら G→C でやってみても雰囲気が出なかったのに、ジョンG→Cadd9 だと昔聴いていたアナログレコードから出てきたものと同じ音がした。何と言うか、専門店の味を家庭で再現したような喜びを感じてこればっかりくり返した。 クラシック音楽の方では 「通奏低音」 という、こちらはれっきとした音楽用語がある。(※私は書いた後で、この言葉の本来の意味を知らずにいましたがこのまま書き進めます) たまに小説などの論評などにも使われる言葉だ。高音部のメロディはどんどん展開していくのにコントラバスのような低音部はずっと同じ音を出し続けるという作曲手法だ。それに対して 「通奏高音」 という言葉があるのかどうかは知らないが、(下から)1弦と2弦は、ずっと同じ高音を出し続けることになるコード進行なのだ。

b0061413_2344998.jpg アメイジング・グレイスをギターの3コードで演奏する際の 「キメ」 になるコードも、このいわば 「通奏高音」 を使ったDsus4というコードを使う。このDsus4というコードはコード表のようなものやコード辞典には載っているものの、ほとんどD→Dsus4→D というパターンでしか使われないコードだ。たとえばQeenの「愛という名の欲望」(CRAZY LITTLE THING CALLED LOVE) という曲のイントロはこのパターンのくり返しのみでできている。sus4というコードは、Dsus4ならDと、元の基本コードに戻りたがる特性が極めて強い響きのようだ。 ところが、ジョンG → Cadd9 → Dsus4 の流れだと豊かな響きでありながら案外とすんなりつながってしまい、元のジョンGに違和感なく戻っていける。 常に流れている「通奏高音」 のおかげ様かもしれない。 アクの強い素材同士を 「通奏高音」 という名の醤油ですんなりと料理としてまとめあげることができたような気分になる。


マーヒー加藤

 ※ これを書いた後で 「通奏高音」 という音楽用語があるのかどうか、
   検索をしてみました。あるみたいですね。クラシック音楽のなかでも
   バロック時代からあるみたいです。
   ただ、 「通奏低音」 に比べると、「通奏高音」 で語られている
   ネット上の情報がクラシック、いろんな国の民族音楽、ポップス、
   笙(しょう)などの邦楽と実に多岐にわたっていておもしろかったです。

 ※ ※ さらに 「通奏低音」 を調べてみたら、僕ちゃんの考えてたことと
      けっこう違う意味だった。バロック音楽での本来の意味を初めて
      知って、ビックリしたなぁ。
      何と、楽譜に示された低音部のメロディに即興的に和音を付けて
      演奏するスタイルのことが本来の 「通奏低音」 の意味だった。
      「この小説には不気味な通奏低音が流れている」 などと新聞の
      書評を記述している人は本来の意味を知っていたのかなぁ?
      音楽の知識が中途半端なことがバレバレではあるけれども、
      「通奏低音」 のところの記述も、ブログ本文もそのままにしておきます。
      しかし、言訳になるけれども、この言葉、勘違いしている人はすごく多いと
      思うなぁ。
      
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by kaneniwa | 2009-07-08 00:20 | 草音
2009年 07月 07日

南無阿弥陀仏とアメイジング・グレイス(1) 演奏編(1)

b0061413_14181774.jpg 7月7日は七夕である。毎年のこのあたりにテニスの全英オープン(ウインブルドン)の決勝がある。今年の男子シングルス決勝のフェディラーVSロディックのファイナルセットはタイブレークなしの無制限で延々30ゲーム目までもつれ込んだ激戦(最後まで見ちゃった)は記憶に残る。そして、ウインブルドンの決勝は、今年からセンターコートに開閉式の屋根ができたものの天候には左右されるが、7月4日にアメリカの独立記念日があってそのすぐ後ということが多い。何だか脈絡がないけれどもブログで 「アメイジング・グレイス」 という歌に焦点を当ててみたい。まずはそれを歌ってみようということで最初のギターのコードを G にしてみたい。 なぜ G かというと、やっぱAmaizing Grace なんでAかGかな、と。そんでもってAではなくてGなのは、Gコードでの演奏で ウクレレに続いての 「簡単コード進行」 を発見したからである。

b0061413_14185752.jpg 上は普通のギターのGのコードの手の形である。ギターを誰かから習った人は上の形で覚えたと思う。そしてそれは正しい。しかし、あえてギターでアメイジング・グレイスをやる時には、左の写真の 「ジョン・レノンのG」 で始めたい。「ジョン・レノンのG」 で始めると、あとは人差し指と中指をずらすだけでアメイジング・グレイスが完奏できてしまうからだ。 「ジョン・レノンのG」 というのは、私の勝手な命名であり正式には何と言うのかわからない。ビートルズのビデオを見た時にジョンがこの押さえ方でGコードを鳴らしていたのでそう呼んでいる。 イーグルスのグレン・フライも、桑田佳祐も、村上市のライブでの真季ちゃんもこのGで押さえていた。 なぜか、私も数冊もっているが 「このジョン・レノンのG、または真季ちゃんのG」 に言及しているギター教本はほとんどない。 私は音楽を専門的に勉強したことがないのでまどろっこしい説明になるが、要するにGの和音の構成音は同じなのに構成する音の高さと重なり具合が違うために響きが違ってくる。特に下から2弦目3フレット目のD(レ)の音が(ここだけが上の通常のGと違う)開放弦になっている下から4弦目のレの音と共鳴して強烈な 「倍音」 のようなものを呼び覚ますみたいだ。 (続く・・・アメイジング・グレイスと南無阿弥陀仏の関係は、徐々に言及していこうと思っています) 


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2009-07-07 15:11 | 草音
2009年 07月 06日

マイケル・ジャクソンのスリラーを指で踊っている人がいた


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by kaneniwa | 2009-07-06 20:40 | 草評