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2011年 06月 23日

NIKEとmixiの コラボ企画への応募、惨敗

b0061413_231455.jpg スポーツ用具メーカーのNIKEと会員制SNSのミクシィとのコラボで「あなたのデザインしたスニーカーが5票以上集めたらコンテストにエントリーできるよ」という趣旨の企画をやっていた。デザインといっても配色を決めるだけなんですけれどね。やってみた。まず「うじきんとき3」をデザインした。「3」にあんまり意味はない。まあ「いろいろ試作してみました」というぐらいの意味。テニスシューズやバスケットシューズの方がデザインしやすいのだが、ここはやっぱり涼しげなメッシュのランニングシューズで行くことにした。票をくださった3名の方には心から感謝するが、その3票だけで本戦出場にはあと2票足りなかった。スウォッシュ(ナイキのシンボルマーク)の面積がランニングシューズの場合は少ないんだなぁ。抹茶をあらわす緑のグラデーションはメッシュ上の質感(ブログ写真はノートPCの画面をデジカメで撮ったものなのであんまりよく表現できていない)についてはまずまずであったものの、氷をあらわすソールの白と、小豆をあらわす茶の部分の面積が少なかったのが敗因だろうか?宇治金時っぽいメッシュのランニングシューズで涼しげにジョギングをするというのはブームさえ呼ぶと直感したスタジオ・マーヒーの自信作であったのだが、どこがダメだったのだろうか?シューズデザイナーとして今後の参考にしていきたいのでご意見お待ちしております。

b0061413_23144243.jpg 続いて世に問うたのは「クラシックのコンサートにも履いていけるバスケットシューズ」をコンセプトとして世に送り出す皮算用だった「ヨーヨーマチェロ」である。クラシックコンサートの会場に仕事の都合で遅れてしまい、ラルゲットかアダージョ指定の第2楽章のピアニシモの静寂のさなかに自分の席に向かう際、まさにスニーカーの語源である「スネークのような忍び歩き」をしなければならない。数多くの楽器の銘器を産出したイタリアのクレモナあたりの木をイメージさせる茶をベースとして、スウォッシュの黄色はそれを奏でる弓にはられ、演奏によって黄金の輝きを放つ馬の毛をモチーフにしている。もちろん、チェロ奏者のヨーヨーマ本人にこれを履いてもらってかまわんよ。このスニーカーが彼の大きな演奏動作の足下を支えると同時に、このバスケットシューズは名曲のバイブレーションをびんぼうゆすり鼓動でステージの上に刻む予定だった。これも、その私の意図を敏感に察知していただいた2名の方の熱狂的賛同を得られたものの、あと3票足りなかった。

b0061413_2315219.jpg 「ひんしゅくカウボーイ2」は、実は9才の私の息子の作品である。私がスタジオ・マーヒーにおいてノートPCでシューズの配色を決めていたら、こういうことが大好きな息子は「ボクにもひとつ作らせてよ!」と懇願した。そこで私は「ひんしゅくカウボーイ」というお題だけを彼に告げて彼に自由にデザインさせてみることにした。どうもお題とはまったく関係なく、彼が好きな青と黄色の組み合わせでデザインしたものをしばらく掲げてみたが、このシューズが0票であったことは誠に父親として痛かった。 昔、留守番電話というものが活躍していた頃、女性の声のふりをした合成音が「16件です」などと告げる時もうんざりしたが、あの無機質な声で「ゼロ件です」と言う日が三日以上続くと独りだけの部屋で寂しい気持ちになったものであったが、その時のことを何だか思い出しちゃった。0票だった。痛いなぁ。何だか自分の息子が世の中からダメだと言われているみたいで辛かった。ま、息子はこの草仏教ブログを読まないからいいか。 私と息子を喜ばすどころかかえって傷つけたNIKEとはもう今後決別しちゃおうと思ったが、つい先日特売コーナーに3000円で売っていたNIKEの28センチのトレッキングシューズの「タカオ」(これは高雄山へのトレッキングをモチーフにしたもので実在します)を買ったらこれが実にいいので困っちゃった。しかも、野球用品やアウトドア用品のポイントがけっこうたまっていて80円だけ出して買っちゃった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-06-23 23:07 | 草評
2011年 06月 21日

コッヘル143番 待婚(たいこん)

b0061413_22264240.jpg コッヘル142番は、いろんなものにトッピングされるカツオブシなのに、カツオのタタキにはトッピングされたことがほとんどないのではないか?ということからやってみたものである。そうであるならば、もっと身近なところに同じような例があるのではないかと考えた。あるある、あるなぁ。大根おろしというものは特に日本食ではありとあらゆるものに起用される。しかし、死角になっているのが「大根に大根おろしをトッピングする」ということである。たとえば鍋物に大根おろしということは当たり前のようにある。しかし、その鍋のなかの肉や魚、そして他の野菜に大根おろしをトッピングするということはあっても、鍋のなかの固形の大根に大根おろしをトッピングするということを何だか無意識的に避けてきたようなところがある。それで、やってみた。おでんの大根が色合いもきれいなのだろうが、コンソメで煮た大根。その上に大根おろしをのせてみる。やはり、大根おろしは大根とは相性がよくない。相性がよくないというよりも、相性ということそのものを前提にしていないようなところがある。頂点に柚子胡椒をのせてそれが薬味の役割を果たし、何とか「ちょっとおもしろいもの」ということになった。フランス語で、素材の組み合わせや料理とワインとの相性をマリアージュ(結婚)というが、カツオのタタキにカツオブシをかけたり、大根の煮物に大根おろしをのせてみたりするということは、兄妹結婚ぐらいの危険なインブリードであるためにみんな無意識の世界で避けてきたのだ。やはりマリアージュというものは、海の魚の刺身に山のワサビがこの上なく合うというような奇跡であるべきだと思う。夫婦という家族の最小単位が、他の家族の誰よりも血のつながりからいえば遠い存在なのだ。

※ しかし、大豆からできている豆腐には、やはり大豆からできている
  醤油や味噌が合うではないか? と反論されたら、この論旨はアウトだな

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2011-06-21 23:00 | 草外道
2011年 06月 19日

ムッシュ(Monsieur)になる方法

阪神タイガースの元遊撃手、元監督の
吉田義男は、現役時代は 「牛若丸」 と呼ばれていたが、
(「おーい!牛若丸」とは呼びにくいが・・・)
若くなくなってからは 「ムッシュ」 と呼ばれている。
1989年から1996年まで、
フランスの野球チームの代表監督を務めていたからだ。

ダイアナ妃が亡くなった時もテレビに出てきたムッシュ(吉田)は
「確かにあの道は見通しは悪くて危ないポイントですね」
とパリに詳しいところをご披露されていた。

ふと、「自分がムッシュと言われる場合はどんな場合?」
ということを考えてみた。
野球好きであっても、フランス代表監督の座はとても遠い。

独りで「ムッシュと呼ばれるようになるには・・・」ということを
考えても、考え自体がちょっとバカなので、なかなか答えはない。

というわけで、数日前ミクシィとツイッターに
「ムッシュと呼ばれるためには私は何をしたらいいですか」
という公開質問状(大げさな言い方だなぁ)を出してみた。
親切なみなさんからいろいろなアドバイスをいただいた。

(1) かまやつひろし に変装する

でも、完璧な変装ができてギターを持ったとしても、
「ムッシュ」 とは呼ばれずに 「かまやつ!」 と呼ばれる
だけだと思う。

(2) 立派なお髭をたくわえる

立派なお髭とは、おそらく東洋の長老風でもなく、西部の荒くれ男風でもなく、
ましてやチョビ髭なんかではなく、口髭で先端がカールしている「アレ」だと思う。
しかし、固いお髭の私には、あの立派な「アレ」は難しい。

(3) いかにもムッシュとマダムが住んでいそうな素敵な豪邸を建てる

これはてっとり早いようでいて、その実現のための財力を蓄えることを
考えたら、もっとも実現が遠い。

(4) 香水でムッシュの香りをかもし出す

香りの方面からのアプローチでムッシュに近づくというアドバイスは
なかなか有り難かったが、香水の知識に疎い私にはムッシュの香りなるものが
まったくイメージできなかった

(5) インドに行けばマダムと声をかけられることが多い

問題はマダムではなくてムッシュだからなぁ。それにこの目的だけのためなら
インドではなくてフランスに行くのが筋だ。

(6) 思い切って改名する。ムッシュ、夢愁、夢終などの名前にする。

なかなかネット上のハンドルネームとしても、気恥ずかしいものがあります。
もともと、「ムッシュと呼ばれたい」ということ自体が恥ずかしい希望で
あるということに気がつきました。

などの、貴重なアドバイスを次々といただいた。
ありがたい。

しかし、私はある方法で 今日、「ムッシュ」と自然に呼んでもらえることに
成功している。


はいはいとうなずくばかり百合の花 (俳句、臨済宗の高僧の最後の句らしい)
上燗屋 へいへいへいと 逆らわず(西田當百という人の古川柳)

というように、もともと私の家では、
主にシャラポア(妻・母・日本人)を司令塔とする
家事のお手伝いのご依頼に対しては、
某ファミリー・レストランの店員のように
「よろこんで!」
と答えなければならない鉄の掟(おきて)がある。
娘や息子などは、ブーたれたふてくされ顔をしつつも
「よろこんで!」
と答えている。
私も時には精気のない顔で
「よろこんで、あとで」
などと答えることもある。

そして、シャラポアや私から
「ごくろうさん」や「でかした」や「ありがとう」などの、
ねぎらいの言葉や御礼の言葉があった時には
大きな声で
「マイ・プレジャー!(my pleasure)」
と答えなければならない家風になっている。
命令されたからやったのではなく、私が好きでお手伝いさせて
いただいたことでございます、ということを態度と言葉で
示さなければならない掟なのだ。
この習慣は定着してからけっこう長い家風、
永井荷風なのである。

二日前から、私はシャラポア(妻・日本人)の度重なる
家事手伝いなどのご依頼に対して
「ウィ、マダム!」
とうなずきながら、いつもより迅速に作業をこなした。
「まぁ、メルシー・ボクちゃん!ボクちゃんいい子!」
とシャラポアに言われ続け、
今朝になって初めて
「メルシー・ムッシュ!」
と言われた。

強要することなしにムッシュと言われることができた。
かまやつに変装することなく、
カールした口髭を生やすことなく、
エスプリの利いた豪邸を設計することなく、
一滴の香水も使わず、
言葉の力だけで実現することができた。

ムッシュと呼ばれるためには、マダムと呼べばいい。
簡単なことだった。
阿弥陀仏の存在を認めるには、まず南無することだった。

自分はまったく変わることなしに、
世界(社会)を変えようとしてきた人々は暗い。
賢い消費者、上手なクレーマー、辛口評論家になれることが限度である。

いくら税制、財政に密接なつながりがあるとはいっても
消費者感覚で民主主義の主体である一票を投じてはいかんな、と思った。

たとえば原発に対して、単なるクレーマーではいかんと思った。
ずっと前から原発に反対していたとしても、2011年3月までに、
あの大惨事が起こる前に原発を止める力が足りなかった事実を自覚しながら
自分が変わっていかなきゃいけない。

どう変わっていくべきか、模索さえ難しい問題は数多くある。
でも、世界が変われば自分が変わるように、
自分が変われば世界は違った光を放つ。


ムッシュ・マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-06-19 13:03 | 雑草
2011年 06月 16日

コッヘル142番 兄弟船 (鰹のタタキに鰹節)

b0061413_0282524.jpg 初がつお上陸中!鳴かぬなら鳴くまで待とう初鰹 という季節がやってきた。鰹のタタキというものを食べる時、ツマというか付け合わせというか、鰹の下に敷くものにタマネギを選ぶことが多い。一種、サラダ感覚というものでもある。ちょいとタマネギを多く切りすぎた。もう一品、鰹節をかけただけのオニオンスライスを食卓にのせるか・・・・・・その時、マーヒーの頭のなかの富士山頂に雷鳴が響いた。マーヒーの頭のなかの真冬の釧路湿原のまんなかで丹頂鶴がひと声鳴き、頭のなかの琵琶湖から無数の水鳥たちが大空に向かって羽ばたいていった。鰹節の鰹も、限りなく刺身に近いレア焼きの鰹も、同じ鰹ではないか。鰹節というものがあまりに身近なものであったために見落としていた。富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も同じ雪であったことを世に問うた「お座敷小唄」に匹敵するような大発見ではないだろうかと色めきたった。取り急ぎ、ネット検索というものをしてみた。「鰹、かつを、かつお、初ガツオ」と「鰹節、かつおぶし、カツオブシ」など、表記の違いとかその組み合わせとかめんどうで丹念にやったわけではないので自信をもっては言えないが、「どうも鰹のタタキにカツオブシを合わせるという料理を今まで考えた人はいないぞ!」ということになった。これは親子丼のような親子ではなく、兄弟であろう。姉妹かもしれないが。というわけで鰹節をのせたオニオンスライスの上に鰹のタタキを切ったものをのせ、さらにその上から鰹節をふりかけてみた。 「絶妙の組み合わせ」というわけにはいかなかった。しかし、それではダメかというとそうではなく、これは「不思議さを味わう料理」というセンでいける。タタキと鰹節が同じ魚であるという不思議さ。改めて気がつく鰹節というものの存在感。舌で味わう味も悪くないが、脳内で味わう味わいが深い。その脳内でも左脳部分に訴えかけてくる料理である。酒は日本酒よりも焼酎が合い、焼酎よりもウイスキーが合うような気がした。でもそれはオニオンスライスだけで高い値段を取る3次会あたりのお店のイメージからかもしれない。右脳だけでなく左脳も刺激され、何となく「こうしちゃおれん!」という気持ちになって、作詩作曲中の「アメリカ南部牛追い歌」の製作を中断して「かつお節」の作詩作曲にとりかかりたい、という気合いで全身が満ちた。ただ、こっちの発想はすでに加藤清史郎/アンクル☆させ 作詞:高田ひろお 作曲:佐瀬寿一による「かつおぶしだよ人生は」が世に問われており、NHKの「みんなの歌」でもとりあげられていたのは残念だった。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2011-06-16 01:03 | 草外道
2011年 06月 12日

バカリズムの強さに感嘆する

昨日の晩、子どもたちが寝てから久しぶりにシャラポア(妻・日本人)と
テレビのお笑い番組を観るという機会があった。

フジテレビ系列の土曜プレミアムIPPONグランプリというもので、
子どもたちが寝てからテレビをつけたので、もう最後の方の30分だけ。
どうも大喜利形式でチャンピオンを決める大会のようだ。

決勝進出者がバカリズムと千原ジュニアであった。
なるほど、この二人ならば大喜利は強いだろう。
実際に、バカリズムはこの大会の王者で3度目の優勝を狙っているとか。

「ナルシストの漁師はどんなことをする?」

というようなお題に対して
バカリズムは
「自分の顔も魚と一緒に魚拓にする」
というフリップを出した。
ウケはもうひとつだったようだが、私はなかなかの答えだと思った。
バカリズムはイラストが上手いというのも、
このフリップで答える大喜利形式で強い要素のひとつだろう。
殴り書きなのであるが、それでも絵心が伝わってくる。

しかし、それに対する千原ジュニアの答えが
「キャッチ&キス&リリース」
であって、これは実に優れた解答だった。
昨晩から24時間かかってこれ以上の答えをひねり出そうと
考え抜いてみたが(何を真剣に考えているんでしょうねぇ私は・・・)
私の頭ではこれ以上の解は導き出せなかった。

というわけで、千原ジュニアの優勢で対決方式大喜利の決勝は進む。
途中の詳細は忘れてバカリズムが並び、

「だらしない男日本一を決める大会の種目は?」

というようなお題(このお題は公募かららしい)に対して
バカリズムが
「まだ決まっていない」

というフリップを出した瞬間、私はバカリズムの優勝が決定したと確信した。
だらしない者を決める大会であるから、主催者の運営委員会も
きっと、だらしない者たちの集団であるからまだ種目が決まっていないのだ。
何という深みのある解答だろうか。
これも24時間考えて私はこれより優れた解はひねり出せなかった。
ところが、私の確信は外れてしまう。
このお題に対しては有効回答なしのドローというようなことになった。
納得できないが、おかげで久しぶりにこれから先も時々思い出し笑いを
するような瞬間に接することができた。

(YMOの「ライディーン」のAメロ冒頭の4小節が流れ)
「このメロディに歌詞を付けよ」


というお題に対して、バカリズムが放った特大の一発が
「♪人の親がにぎるご飯」
であった。
知性といっても反射神経にまかせた即興であるからとはいえ、
いったい、どのような意識下において、このフレーズがフリップに
すらすらと書けるのだろうか?
童心を忘れず、なおかつどうやったらこんな整ったでまかせが出るのか?
そしてそれを堂々と出す勇気と優勝もそれで確定させてしまった高らかな歌声!

私とシャラポアは腹をかかえて笑いながら共に倒れ込んでしまった。

これもまた、ライディーンのAメロ冒頭4小節にいろんな言葉をあてはめながら
24時間以上が経過してしまったが、どんな言葉の組み合わせを考えてみても、
まったくこの言葉の足下にも及ばない。

バカリズムの、この形式による
大喜利勝負(ホントは大喜利は笑点スタイルで勝負じゃないんでしょうけど)
での強さを(過去の放映を知らない私は)知るとともに、
この世にあるすべてのキャッチーなメロディのインスト曲に
バカリズムは即興で歌詞を書いていって欲しいと本気で思ってしまった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-06-12 23:42 | 草評
2011年 06月 09日

コッヘル141番 水無月(みなづき)

b0061413_013445.jpg 自分で作ったものではなく、栄太郎さん作の和菓子をコッヘルにのせただけ。水無月である。右側は氷室(ひむろ)と呼ばれる天然冷蔵庫のなかの氷をイメージした、かなり昔からの原型(レシピ)を保ったままで現代にも存在しているもの。左側の抹茶バージョンは伝統を背負ったような顔つきはしているけれども案外と新参者というか右の息の長さに比べればけっこうニューウェーブ。「宇治金時」というかき氷デザートは私が子どもの頃からあったけれども、ハーゲンダッツあたりのアイスクリームが「グリーンティー」のバージョンを出す以前は、生八ッ橋(バリエーションとしてのおたべ、聖なども含む)なんかでも抹茶バージョンというものはそんなになかったと思う。「こいつは正統派ではないな」と言いつつも、食べてみれば美味いので困る。 とにかく京都では、この水無月を6月30日に食べることになっている。昔はこういう数多くある京都ルールが好きではなかった。んなもん、アイスクリームのような冷たいものを食べるのならわかるけど氷室の氷をイメージしているったってベタベタしているし、眺めていたってちっとも涼しくならん、と思っていた。でも最近はちょっと考え方が変わった。

b0061413_013576.jpg 京都の夏は過酷である。冬も過酷であるが、夏は湿度の高さと盆地特有の風通しの悪さで体感温度や不快指数が非常に高い。実際にインドやタイやスリランカなどの国からの留学生も「あっつい、あっつい」(形容詞を連続して言うのは京都の言葉の特徴である)と言っていた。鎌倉時代の京都の詳しい気象などはわからないが、元祖ブロガー(だと私は思っている)吉田兼好法師も「家を建てるなら夏を基準にすべきだよ」と、けっこう強く主張している。京都は、昔から「暑くてたまらん街」だったし、今でもあの埼玉県熊谷市にだって(体感では)決してひけをとらない灼熱の街である。そのたまらん暑さがはじまる頃に水無月を食べる。 日本料理全般がだいたいそうだが、特に和菓子から季節感をとったらつまらないものになってしまうだろう。たとえるならば、フォーシーズンズホテルがただのビジネスホテルになっちゃうようなものだろう。来日したイ・ムジチ合奏団の演奏プログラムからビバルディの「四季」を取っちゃうようなものだろう。(ただ、イ・ムジチのメンバーは来日すると必ずプログラムに「四季」を入れることをリクエストされ、難曲であることもあってけっこう嫌がっているという話も耳にしたことがある) 和菓子は、その味が魅力的であることと同時に「季節の話題を提供して場を和ませる」という役割が大きいと思う。水無月を6月30日に食べるということは、ちょうど一年の折り返し点の時の会話の場を提供するという意味があると思った。めんどうな遺言で遺族を泣かせる人も少なからずいるなか、「6月30日には水無月を食べよう」というぐらいの家訓というか家風は、罪がなくていいものかもしれない。うちでは、6月30日に限定したら縛りというか制約がきつくなってしまうので「6月中のどこかで水無月を食べながら一年の上半期をふり返ろう」というぐらいの家風にしたい。ただ、今年の上半期というのはとてつもなく重い。重いけれども、折り返していかなきゃ。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2011-06-09 01:14 | 草外道
2011年 06月 05日

東本願寺のゆるキャラを総評する

b0061413_23323983.jpg 仏教系のゆるキャラで物議をかもし出したのが奈良の平城遷都1300年のマスコットキャラであったせんとくんだった。仏のシンボル(仏教美術としても如来と菩薩にしかつかない)ともいえる白毫(びゃくごう)を眉間にもちつつ、同時に鹿の角も生えているというせんとくんのデザインには奈良の仏教会からの反発も大きかった。千昌夫のようにもともと眉間のその位置にホクロか何かある人を除いて、おいそれと白毫をつけることはできない。(千昌夫は手術で白毫にも見えたホクロを除去してからオーラのようなものが消えちゃった) しかし、たとえば真宗大谷派大阪教区の公式ゆるキャラであるブットンくんなんてどういう評価になっちゃうのだろうか?仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)という言葉にその名の由来があるとはいえ、豚キャラに白毫がついて真宗大谷派僧侶が決して着用しないタイプの僧衣を着ている。 ま、ともかく東本願寺に行った時に知っている職員を見つけたので「おい、あのゆるキャラたちは何処にいるんだ?ひと目会わせろや」と声をかけたら、ホントに勢揃いして挨拶に来てくれた。この三キャラ勢揃いは珍しいことだという。まず左が鸞恩(らんおん)くんだ。何と大阪に住んでいるブットンくんの叔父さんだという。好きな食べ物はあんこと豚肉を除く肉らしい。豚肉以外の肉、というところに親戚であるブットンくんへの配慮が感じられた。趣味は旅行と御香の収集だと言っていた。『大無量寿経』に「説法獅子吼」(獅子がほえるごとくに説法する)というフレーズがあり、「鸞恩(らんおん)は、それと関係ありますか?」とインタビューすると「わかりません」と、洞穴のなかから聞こえてくるような声で本人は言っていた。写真の中央はあかほんくん。好きな食べ物はお仏飯とリンゴで趣味は海辺の散歩だそうだ。右側が蓮(れん)ちゃん。好きな食べ物は甘茶と甘露煮。趣味はガーデニングと生け花と池の畔での読書だという。

b0061413_233394.jpg 実物のゆるキャラに合ってみて、「あかほんくんが開く」というのはサプライズであった。まさか開いて読めるキャラだとは思わなかった。記されていたのは三帰依文(原文はパーリ語)であった。あかほんくんは、これは構造上の難点であるといえばそれまでだが、キャラとしての目はついているものの視界がすこぶる悪く、独りでは歩けずに職員などの介添えが必須であるようだった。これは動くキャラとしては欠点だったはずなのだが、それが転じていい効果を生んでいた。独りでは歩けないあかほんくんが赤ちゃんのように可愛いのだ。これは驚きだった。実際、この時はその介添え役を蓮ちゃんがしており、あかほんくんの表紙を開いたのもその蓮ちゃんだったのであるが、その二体の動作がそれぞれに可愛い。写真ではなく動画で撮っておけば良かったと悔やむぐらいである。「どんなにいい本があっても、それを手にとって読む人がいなければ何も生まれませんよ」というメッセージを無言のゆるキャラがくれたような気がする。私の推測では三体のなかに入っているのは新任の東本願寺職員であるという気がしているのだが、一説(都市伝説)によれば宗務総長や大学教授がなかに入っていて参拝者をじっくりと観察しているとかいないとか。 このゆるキャラたちは「公募」で生まれた。いいことだ。ゆるキャラのみならず、東本願寺はいろんなことを公募していくべきだと思う。法語そのものなど、教化テーマそのものなども公募すべきだ。公募していろんな人たちと接点をもち、その公募から選び出すプロセスを公開しながら徹底討論できるところに、同朋公議(どうぼうこうぎ)を旨とする教団のアイディンティティを見いだすべきである。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-06-05 23:37 | 草評
2011年 06月 02日

小布施の甘精堂・泉石亭で昼食

b0061413_22323125.jpg 友人の結婚式の帰り道に小布施の北斎館に寄り、さらに蕎麦を食べて帰ることにした。北斎館のすぐ前に甘精堂(創業200年以上の和菓子の老舗で栗ようかんなどが有名)の大きな店舗があり、その店舗内の食事処でも蕎麦を食べることができるのだが、せっかくならそこから信号3つ分ほどを歩いて泉石亭に向かうことにした。15年ほど前だと記憶しているのだが、甘精堂が小布施の古民家(お屋敷)で蕎麦をはじめたばかりの頃に前を通りかかって昼食をとったことがあったのだ。その時の好感度が大きかった。先入観なしに、ただ「せいろ蕎麦」を注文したら、お皿(白い洋風の皿だったと記憶している)に入った濃厚なそば湯スープが最初に出てきた。和風のスプーンで飲んだと記憶している。濃厚そば湯に、若干洋風のテイストも入った鶏だし系の味が加えてあり「そば湯のポタージュスープ」と言えるようなものであった。スープ仕立てとはいえ、この「いきなりそば湯」という先制攻撃に最大のインパクトがあった。そして、このなかなかに美味いスープを飲み終わってなかなかに美味い蕎麦が到着し、それを食べ終わると「最小の蕎麦コース」を堪能した気分になり、当然のことながら甘精堂の得意分野というか本業である「メニュー豊富な和風スィーツ」のなかから何か注文しようか?という気にさせてくれた。なかなか良かった記憶があったので約15年ぶりに再訪したのだった。

b0061413_22331372.jpg しかし、泉石亭の前でちょっと躊躇した。見た感じ、商業的には大成功をしているようだった。15年前に感じた「ここはいいなぁ」という直感は間違っていなかったのだ。ただ、大名とか豪農の隠れ家的だった外観はドライブイン的に変貌している気がしたし、スィーツ以外は蕎麦が数種類しかなかったメニューは、てんぷらや鴨南蛮などの「金が取れるメニュー」が増えていたのはもちろん、うどんや天ぷら懐石などの「ごはんもの」のメニューも加わって、これは明らかにドライブイン化していた。「これは失敗だったかもなぁ・・・」と思ったが、泉石亭さんと甘精堂さんの名誉のために言っておくと蕎麦の味はまったく落ちていないと思う。香り豊かな美味しい手打ち蕎麦だし、写真はせいろ蕎麦680円をプラス150円で830円の大盛りせいろ蕎麦としたものだが、例の蕎麦スープも付いてお値打ちものであると今でも感じる。ただし、おそらく好評だったので残してあるのだろうが、蕎麦スープ(写真)はせいろ蕎麦のみに付いてきて陶器の蕎麦ちょこのような器に入って蕎麦と同時にサーブされた。 味は落ちていなかったと思う。だから消費者として苦言を呈すると、とんでもなくワガママなことを言ってしまうことになる。似た感覚はインディーズ時代に好きだったミュージシャンがメジャーデビューして売れた時に「こいつ、ちょっと日和ったな」と、ふと思うようなことだろうか。15年前の「うちは和菓子屋ですけれども蕎麦もうち流でやってみました」というところが、ものすごくインパクトがあったのだろうと思う。今は(うどんも定食もある)ものすごく立派な大人気の蕎麦屋さんである。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-06-02 23:33 | 草評