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2011年 07月 28日

みうらじゅん著 『マイ仏教』 (新潮新書) を読んで (2)

みうらじゅん著『マイ仏教』(新潮新書)を読んでの感想を
時々、思い出したように時々書いていきたい。
この新書に対して真剣に読解していくという態度も
ヘンだといえばヘンなのだが、
素通りすることもできないのだ。

まえがきで、いきなり
「少年時代の夢をこじらせて」
という表現が出てくる。

「こじらせる」という言葉の吟味がいい。
この本にはその表現が出てこないが、
以前、みうらじゅん氏がラジオで
「私は学生時代に童貞をこじらせてしまいまして」
と言ったのを聞いて、車のなかで笑ったことがある。

「こじらせる」という表現を使う時にもっとも適切な言葉は
何といっても 「風邪をこじらせる」 だろう。

風邪と信仰は似ているところがある。
うつるんです。
伝染するんです。

最近、文芸春秋から出た本で
短歌作家の枡野浩一氏の『くじけな』という本がある。
この、ほんのひと文字を変えたレトリック集のなかに
「夢をあきらめな」という言葉があった。

夢教(とでも言うべきもの)に対する痛烈なメッセージに、
結果的になっていると感じる。

「くじけない」「夢をあきらめない」という、
時として大変大事なことがらであるがゆえに
宗教の意図的布教のごとく、その言葉に毎日のように接するような
文化のなかにいると 「ああ、伝染していたなぁ」 と感じる。

もちろん、夢を無益なものとは言えない。
夢がない人生はコーヒーのないクリープである。
ただ自分の夢で自分を呪縛している人が増えてきている風潮を
ヒシヒシと感じる機会が増えてきている。

身近な例でいえば私の娘である。
小学校の卒業間際に
「自分の夢を作文にしなさい」
という命題を与えられた。それは自分は何が好きなのかということを
文章化して客観視することにおいてはいい作業である。
ただ、そこで娘は
「物語も書けるイラストレーターになりたい」
と書いた。
それはそれで素晴らしいことであり、そのきっかけには
この草仏教ブログにときおり自分のイラストを掲載した際に
かなりの方々にほめてもらった嬉しさがきっかけとなっているので
私にもブログの主宰者として大いに関係がある。

問題は、中学生になった時に
「自分はイラストレーターになるのだから美術部に入らなきゃ」
と、クラブ活動を修養の義務のように思い込んでいることだった。

「おいおい、自分の夢で自分を縛るって何だかヘンだぞ」
と、ポツンとアドバイスを贈った。
結果的には吹奏楽部に入った。
自分の夢の予定どおりに美術部に入ってもいい出会いがあったかもしれない。
それはわからない。
ただ、自分の夢への現段階での固執が強すぎたら
夢をこじらせていた可能性は大きかったのではないかと感じる。
こじらせてもオモシロイといえばオモシロイのだが・・・
とにかく、大勢の仲間とともにブラスバンドというバンドの魅力に目覚めて
今は活き活きと演奏活動に没頭している。
没頭は頭さえ没にしちゃうので、
頭で考える夢よりもさらに素晴らしいことのように思える。
イラストを描くことも別に辞めたわけでも断念したわけでもなく
好きで暇を見つけては描いているので吹奏楽部の先輩から
「来年の新入部員募集のポスターは君が描いたらいいね」
と言われてとても喜んでいる。
良かったと思う。

ただ、 「音大に進学する」
なんてことを言われた時には
「おいおい、クラシック以外のプロミュージシャンは
 音大出身よりも美大や美術専門学校出身の人の方が多いぜ」
なんていうアドバイスをするかもしれない。

けっこう娘や息子の存在自体が私の夢であるので、
私も知らず知らずのうちに父親として夢をこじらせているのだろうとは思う。

とにかく 『マイ仏教』 で語られるみうらじゅん氏が
こじらせてしまった少年時代の夢というのが
「地方の寺院の住職になって大好きな仏像を拝む生活をしたい」
という夢をもち、そのためのエリートコースとして
中高一貫のシャクソン(釈尊)系の私立男子校に入学する。
入試の面接でそれまでやってきた仏像研究の成果を述べ、
学長から「私は君のような学生を待っていたのだ!」と言わせた。

作家の京極夏彦氏も少年時代から寺の住職になりたくて仕方なかったと
言っていたが、みうらじゅん氏はかなり珍しい夢をこじらせたのだな。


マーヒー加藤


※ 追記

たまたま、『マイ仏教』のなかでもひと文字だけで意味がまったく変わる
「人間けだもの」
という言葉がある。
解説はヤボだとは思うが、
相田みつをさんの「人間だもの」という言葉が背景にある。

まったく、われわれはインゲンとひと文字違いの存在なんだよなぁ。
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by kaneniwa | 2011-07-28 05:42 | 草評
2011年 07月 26日

コッヘル147番 バルサの御子 黒ごまサラダ編

b0061413_1282290.jpg バルサミコ酢、という調味料の使い方は、長いことあんまりよく解らなかった。普通の酢としてそのまま使っている時には「何だかクセがある酢だなぁ、これは何が合うのかなぁ?」という印象だった。そのうちオリーブオイルをちょっとでも混ぜれば、そのままのバルサミコがいきなり使いやすいバルサミコドレッシングになるということが解った。そしてそれを煮詰めちゃえば黒いバルサミコソースとなり、イタリアンで(フレンチでも)白い皿にのせてある黒いソースの正体はたいがいソレかぁ、ということも解った。 さて、バルサミコとポン酢(普通のミツカンポン酢)を半々ぐらいで混ぜてみる。和洋折衷ではあるものの、和と洋はもうひとつなじまない。ところが、インゲンとトマトのサラダにバルサミコとポン酢を混ぜたものをドレッシングとしてかけ、そのままでは何だかしっくりこないのにその上から黒ごまをかけたとたん、不思議なことにバルサミコとポン酢という、上手くいかなかったイタリア人と日本人の国際結婚は素晴らしき仲人を得ていい仲になる。この「黒ごま仲人」の法則を発見したのはタモリである。2年前の真夏に「タモリ倶楽部」の「台所で飲む」という放送回でそう言っていた。実際にやってみて、本当にその通りだと感じた。タモリは「チューボーですよ!」で堺正章の代わりにホストとなり、昔の「今夜は最高!」のようなトークをキッチンドリンクをしながらくりひろげて欲しいなぁ。

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2011-07-26 01:57 | 草外道
2011年 07月 24日

今日の正午でアナログ放送は終了(東北の3県は除く)

5年前から言われていたことではあるけれども、
今日の正午をもってテレビのアナログ放送が終了する。
(岩手、宮城、福島の三県は除く)

5年前から予告されていたこととはいえ、
沖縄などは地上波デジタル放送が始まったのが
確か2~3年前のことで、
お年寄りが暮らすご家庭に訪問する機会も多い私の実感からすると、
案外とまだ準備をしていない家庭も多く、
案外と 
「アンテナというのはわかるけれどもUHFって何?
 それからチューナーって何?」
という方も、総務省の想像する以上に多い気がする。

そして、案外と
今日の正午を過ぎて、予告はされていたものの
その警告に近い予告の意味を初めて認識する人もけっこう居るという気がする。

テレビが映らない状態になって、
今まで見てきたものがただの箱になっちゃったことを確認して
初めて怒りが沸いてくる人々がけっこう居るということに
気がつくという人も多いと思う。
それをマスコミがどう報道するかはけっこう関心がある。

最初は、映らないテレビを前に呆然としていた人は
月曜日の朝にまず自治体の総務課とか生活課、福祉課のようなところに
電話をすると思う。
私の予測ではそれがけっこう居るような気がしている。

そして8月からNHKの受信料を払わない人が、
(どうもこれはNHKもある程度予測しているみたいだ)
けっこう増える気がする。

考えたらうちの車載テレビがアナログで、今日は音声だけで
野球のオールスターゲームを聴きながら移動をしていたけれども、
今日の仙台でのオールスターゲームは、ちょうど正午過ぎからなので
それができないのだなぁ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-07-24 01:16 | 草評
2011年 07月 20日

なでしこにバラの花

また、なでしこJAPAN(サッカー日本女子代表)
の話題になってしまうが
やっぱりこれが嬉しくて仕方ない。

自分はテレビから声援をおくっていただけなのだが
「なでしこ世界一」
などの見出しが踊る新聞の一面トップを見ていると
やっぱりじんわりと感激する。

今年の3月11日以降、
新聞の一面トップの大きな文字の見出しは
I read the news today oh, boy.
(A Day In The Life : The Beatles )
という感じの
「これが現実のことなのか?」
と深くうなだれることになるものがほとんどだった。

まだ彼女(なでしこ)たちが帰国の直前、
ドイツのフランクフルトに居る時に
次々と祝福のビデオレターが届き、
それを喜びの表情で見るなでしこたちの姿がテレビに
映っていた。

もちろん、あの試合を制してW杯をとったばかりなので
どのビデオレターにも満面の笑みが満開だった。

しかしそのなかでも特別だったものが三浦和良のビデオレターだ。
モニターに三浦和良の姿が映ったとたんに
澤穂希キャプテンをはじめ、ほとんどのなでしこたちが

きゃああああー!

という嬌声をあげた。

W杯のピッチには現在までに一度も立っていない三浦知良が、
キングと呼ばれる所以を知ることになった。
ほとんどのなでしこたちが今回のキャプテン澤穂希選手の背中を追ってきた。

そして、そのキャプテン自身を含め、三浦知良が切り開いてきた道を
最大限リスペクトしてきているということが感じられる声だった。
W杯の制覇者となったクィーンたちが

きゃああああー!

なのである。
やっぱキングなのである。

そしてその三浦知良がお祝いのメッセージを述べた後、

「バラの花をもって祝福に駆けつけようかな」

と言った瞬間、また再びひときわ大きく

きゃああああああああー!

という嬌声が響いた。
サッカーに恋してきた少女たちの顔だ。
みんな、本当に可愛いなぁと思った。
可愛かった。

テレビ画面が安藤梢選手のアップになったので
可愛くてたまらん感じになって
思わずテレビ画面にほおずりをしたら
瞬間に画面がビデオレターの三浦知良に切り替わって、
キング・カズとほおずりをしてしまった。

ま、いいか。

私も純粋にリスペクトできる人に出会い、
可愛くならねばと思った。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-07-20 23:59 | 草評
2011年 07月 17日

苦しい時には私の背中を見なさい 澤穂希 SAWA 背番号10

今回のサッカー女子ワールドカップドイツ大会の
なでしこJAPANのメンバーには入っていないが、
私は通称ガンちゃん・荒川恵理子選手のファンだ。

ガンちゃんがサッカーでのプレーでも
言動でも男っぽくふるまえばふるまうほどに
彼女が女性であるという事実が見えてきて
この私にはグッときちゃうのである。
私のこのグッとくる気持ちは表現しにくいのだが、
「萌え」の概念とは異なるものにして、
しかし、もしかしたら根は同じくして
別方向に枝分かれしてしまったような感情なのかもしれない。

ま、いっか。
本題に入ろう。

そのガンちゃんが
「彼女は男だねぇ」
と心底ほれているのが、
今回のなでしこJAPANでもキャプテンを務める
日本女子サッカー界の第一人者である澤穂希選手だ。

あと10時間ちょっとで米国との決勝のキック・オフだ。
大激戦になることは充分に予感できる。
もともとのひいき目(まあこれは当然)と、
「がんばっているけどどうせベスト8ぐらいまでかな・・・」
と、相手チームの研究もしたことがないくせに
妙に評論家的な考えで見てきた懺悔をこめてその頂上決戦を見つめたい。

どっちが勝ってもまったくおかしくない決戦。
互いに頂上近くまで登りつめてきたプロセスをもって
その集大成を最後の1秒までしようとする時に、
その帰趨(きすう)を分けるのは、ほんのわずかな力の差。
そのわずかな力の差の要素のなかに
「言葉の力」 というべきものをくわえてみたい。

世界の第4位となった北京五輪の時に、
MFの宮間あや選手(今回もなでしこメンバーで背番号8)


苦しい時には私の背中を見なさい

と声をかけ、宮間選手は素直にその言葉に夢中で従い、
SAWA 10
の背中を見つめ、最後の1分1秒までボールを追って走り抜いたのだ。

「苦しい時には」ではなくて「辛い時には」だったかもしれないし、
「苦しい時は」と言ったのかもしれないし、その両方が
スポーツ紙などに掲載されていたのかもしれない。

とにかく、これがこの数年のスポーツ界の言葉のなかで
いちばんグッときた言葉であった。
これこそキャプテン、これこそリーダー、これこそ主将!

リーダーシップの欠如というものが、特に政治の世界で言われるのだが、
何だか命令系統の合理性を最優先して語られすぎている気がする。
こういう言葉を言えるのが、本物のリーダーでありキャプテンだ。
もっともどこの国の元首であろうが首相(特になでしこの国?)であろうが、
「私の背中を見なさい」
なんて言えないだろうし、背中を見たって
「うーん、クールビズにしているんですね」
ぐらいのことしか出てこないだろう。
やっぱ首相ではなくて主将の言葉。
澤選手と同じ言葉を言ったとして、グッとくる政治家は
マハトマ・ガンジーぐらいだろうか。
ねぇガンちゃん。
でも、私の背中だって恥ずかしいものだ。
家族に 「背中を見ろ」 と言ったら
「かゆいの?」
と言われるだけなんだろう。

今回、その宮間あや選手も出ているし、
これは譬喩も含めて現なでしこJAPANの選手たちのほぼ全員が
澤穂希という人の背中をずっと追い続けて育ってきた選手だと言える。

最後の最後、そのSAWA10の背中を見つめて戦い抜いた選手のなかから、
瞬間、その背中を追い越して駆け込んだ選手がゴールを決める気がするのだ。
これで涙チョチョ切れずして、いったいどんなテレビ観戦で泣くというのか。

それは、なでしこのなかの「穂」のつく選手である予感がする。
福元美穂選手はGKなのでまずあり得ないとして、
新潟アルビレディースのMF、阪口夢穂選手か?
そして大活躍している川澄奈穂美選手か?
とにかく、観戦ポイントは澤選手の背中だ。

ヤンキー娘もセニョリタもマドモワゼルも好きな私であるが、
やっぱ私は真の素晴らしき現場リーダーに率いられた
強いなでしこがいちばん好きだぁ!

マーヒー加藤 背番号15
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by kaneniwa | 2011-07-17 17:01 | 草評
2011年 07月 15日

みうらじゅん著 『マイ仏教』 (新潮新書) を読んで (1)

本ブログのタイトルは 「草仏教」 である。
これは、まわりくどい説明をはぶくなら「草野球」の「草」である。

しかし、プロ野球の存在なくして草野球というものも成り立ちにくく
MLB仏教、プロ仏教を否定しようとは思わない。
学問としての仏教、そのアカデミックな場も大事だと思うし、
伝統ある場での荘厳な雰囲気のなかで語られる仏教も大事である。
もちろん儀式は大事だ。

事実として、そのレベルの高低はともかく
私は生業(なりわい)としてプロ側の人間である。

そのプロ側の人間が
「難解な仏教用語を噛み砕いてやさしくして教えてやろう」
という態度をもつこと自体は、これは大事なことあると一応言える。
大事なことではあるのだが 「教えてやろう」 の部分に
傲慢さのようなものが出てくる。
これは、どんなに上手く語っても書いても、その傲慢さの香りぐらいは
漂ってくるものではないかと感じている。

噛み砕くべきは日常語の方である、と思ってきた。

そう思ってきたところ、みうらじゅんという人が
『マイ仏教』なる本を新書で世に問うてきた。
僧侶という存在に複雑な思いをもちつつ、しかし基本的には
リスペクトしておられる方である。
日常語の方を噛み砕く天才であるとともに、そもそも
仏像ブームをはじめ、「マイブーム」という言葉を広めて
1997年の新語・流行語大賞を受賞したのはみうらじん氏ご本人である。
「ゆるキャラ」も、
造語もその言葉自体を広めたのもみうらじゅん氏である。

子どもの頃から仏像が好きで、
東山高校(私、この近くで生まれ育っています)という、
みうら氏が言うにはシャクソン(釈尊)系の中高一貫の私立男子校から
武蔵野美大造形学部視覚伝達デザイン学科に進み、『ガロ』でデビューする。

「仏像、仏教美術というものが仏教の教えの何を示唆し、
 何のシンボルとなっているのか?」


と、いう問題に関して、実はこれほど勉強し学識の深い人物は
そうそういないのではないだろうか?
たとえばこの 『マイ仏教』 という新書にしても
その問題に関しては私など足下にも及ばないほど勉強されている。
その学識の深さが些細な言葉遣いや行間ににじみ出ている。
でも、みうら氏のテレなのか屈折した謙遜なのか・・・それを隠そう
とするかのように、ゆるい言葉でマイ仏教が語られている。

第1回の今回は、まずは稚拙ながら、そして私が推薦したからといって
社会的な影響力はそんなにはないとは思うもののこの本を勧めたいという趣旨と、
論評というよりはマイ感想文を何回かに分けて不定期にブログに記していきたいと
思っているので、私が読んでピカッと光って見えたこの本のなかの言葉を
列記していくことにしたい。

マーヒー加藤が感じた、ピカッと光った言葉
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by kaneniwa | 2011-07-15 23:30 | 草評
2011年 07月 13日

コッヘル146番 北寄(ホッキ)貝のバーベキュー

b0061413_0221814.jpg 北寄(ホッキ)貝は寿司ネタとして有名。水産物としてはホッキ貝と呼ばれることが多く、お寿司屋さんでも「ホッキ貝くださーい」というのが普通だろう。ただ、魚介図鑑ではウバガイとして掲載されていることがほとんどで二枚貝綱異歯亜綱バカガイ上科バカガイ科と分類されており、やたらバカバカと言われて可哀想だ。代表的な産地は福島県の相馬市だと言われていた。あるいは「ホッキ祭り」というものが毎年2月に行われる宮城県の山元町だと言われているのだが、市場で見たこのホッキ貝は北海道産である。いつものコッヘルなので、いかに大きなものか分かっていただけるだろう。この2枚貝の先端部分がおなじみの寿司ネタなのかな。
 
b0061413_0285572.jpg写真のようにダッチオーブンの横でじんわりと焼く。このダッチオーブンは直径12インチのキャンプ用で、うちにあるなかではいちばん大きなダッチオーブンなので、ここからもホッキ貝の大きさを感じていただけると思う。夏の貝のバーベキューはうちの家族にとって大事なイベントなのである。「海の日」は今年は7月18日であり、それもすぐだ。でも、恵みと夏の思い出の中心だった日本の海で今年起きた大惨事と現在進行形の深刻な事態があり、海辺のバーベキューも今年は趣が違う。趣は違うのだが、ほぼ原始時代から海辺の民はこうして貝を火で焼き、海のなかの海水の味わいだけぐらいで食べてきた。舌が喜ぶだけでなく、DNAにまで訴えかけてくる滋養は現代人の子どもにも深いところで分かる美味。

b0061413_023539.jpg 写真はホッキ貝から変わってダッチオーブンの中身のサザエである。サザエはコッヘル77番にすでに登場し、今回の調理法もほぼ同じである。ダッチオーブンという鋳鉄の利器と醤油という画期的万能調味料はあるものの、これに近いものを太古の人々も味わって育まれてきたはずである。「原子力より原始力」 かなり以前からこのブログでも幾度か書いてきたフレーズである。電気を否定するわけではない。パソコンを否定するわけではない。もちろん、利便性、快適性、合理性も否定する気にはならない。むしろ大事なことであるとさえ思う。しかし、それにも優先するのが「太古人も感じてきた喜びの世界」のことである。それは必ず現代人にも通じる。特に、私より原始人に近い子どもたちには必ず通じる。

b0061413_0242253.jpg いたずらっぽい気持ちでサザエがのったコッヘルを強烈な逆光のなかにかざす。手に入れることができたサザエが、こういうような感じで目に映った無数の人々がいるような気がした。最近、炭火焼きやダッチオーブンの扱いを革手袋をさせた9才の息子にも任せる機会が増えてきた。メカニックなものが大好きな息子であり、パソコンをいじらせてやると目を輝かせる。しかし、貝のバーベキューのために火興しやその管理をしている息子の目はさらに輝きを増している。原始人の喜びを連想させる目の輝きをしている。それを見ていると「原子力より原始力」は間違っていないと思うのだ。重ねて言うが、私は文明まで否定する原始力原理主義者(?変な表現だ)ではない。事実として電気が行き届かない社会では民主主義なんかは成り立ちにくい。でも、文明も現代の人々の目の輝きのためにあって欲しいと心から願う。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2011-07-13 00:29 | 草外道
2011年 07月 11日

追悼記事(19) ピーター・フォーク (Peter Michael Falk)

もう先月中旬のことだけれども、
ピーター・フォークが亡くなった。

中学生の頃から『刑事コロンボ』のファンだった。
先日NHKでは追悼番組として、若き日の青年スピルバーグが
監督をした「構想の死角」(MUDER BY THE BOOK)
を放映していた。

私のなかでは「構想の死角」はおもしろいけれども中の上ぐらい。
私のなかでは刑事コロンボ初登場にして、そのおもしろさの要素が
ほとんど詰まっていて、後のシリーズ化の原型となっている
「殺人処方箋」(PRESCRIPTON:MURDER)と、
よくできた詰将棋のように犯人を追い込む
「二枚のドガの絵」(SUITABLE FOR FRAMING)と、
ピーター・フォーク自身が監督をしていて、シリーズでは珍しく
殺人状況から始まらない
「パイルD-3の壁」(BLUEPRINT FOR MURDER)
の3作あたり(3作とも比較的初期だなぁ)が私にとっての上のなかの上。

滅多なことでは通販でエンターテイメント・メディアは買わないのだが、
5年ほど前に『刑事コロンボ完全版22枚組DVDボックスセット』は
買っちゃった。
だってファンだもん。

しばらくピーター・フォークの追悼とは関係ないことを書くけれど、
今見て思うのは、
「1976年頃までのアメリカ人の体型は正常だよなぁ」
ということである。
これは俳優のみならず、エキストラと街の背景に映っている
アメリカ人全体を見ていてそう思う。
コロンボファンであると同時に野球、特にMLBも昔から好きなので思うが、
テレビに映る観客がものすごく窮屈そうに立ったり座ったりしているのが
最近のMLBだ。
1980年以前のVTRなどを見ると、ほとんどの観客が適正体型だ。
コロラド州に住む従妹が言うには
最近、合衆国のマクドナルドでは「スライダー」(slider)という
薄型ハンバーガーが発売されて流行っているということで、
さすがに合衆国もメガサイズ崇拝からの脱却をしたのかと思いきや、
そのスライダーを5個も6個も買って次々に口の中にスライドさせる人が
多いとか。

ピーター・フォークがおんぼろ車(シトローエンだそうです)で行く
道の多くは、どこか見覚えがある。
実は私、ロサンゼルス市警本部から徒歩5分の場所に住んでいた。
大体、ロサンゼルスでは実際には初めてなのに映像で刷り込まれている
デジャヴ現象が頻繁に起こったのだが、観光地でも何でもない場所の場合、
それはコロンボに起因するというケースが私には多かった。

ますますピーター・フォークの追悼文にはならなくなっていくが、
小池朝雄による吹き替えと、日本語版脚本というものもおもしろい。
小池朝雄による吹き替えがモノマネされるほどインパクトがあり、
味があることもさることながら、
「草仏教」の主宰者として見逃せないのが
コロンボが死体のことを 「仏さん」 と言うところだ。
イギリス人俳優(ピーター・フォーク)が、ロサンゼルスの
イタリア系アメリカ人刑事を演じている彼の口から
「仏さん」 という言葉が吹き替えとはいえ発せられていること自体が、
考えたらおもしろい。
違和感があるというよりは、おもしろいとしか言いようがない。
仏教の、特に浄土真宗では
「亡くなった人のことを仏と呼ぶことは正しいか否か?」
ということが、かなり昔から論じられてきたわけであるが、
今まで、このブログで指摘する以前には
「コロンボと仏さん」の関係というものは、あまり問題にされたことがないだろう。
これは実際の警察のなかでの隠語・符丁文化と、刑事物テレビドラマの伝統と、
仏教の伝統や民間信仰・習俗の伝統が実に複雑に混合して
日本語版の脚本の文字となって成り立っていて興味深い。

とにかく、死体を直視することは苦手な設定になっているコロンボであるが、
この「仏さん」の状況によって示唆される事象によって、
それが直接的なダイイング・メッセージとなっている場合でもそうでなくても、
「仏さん」が教えてくれたことによって解決した事件がけっこうある。

そういえば、日本語吹き替え版でのコロンボは、
伴侶のことを 「うちのカミさんがねぇ」 と言う。
日本語で女性の伴侶を「カミさん」と呼ぶ場合、
それは料亭や旅館の女主人を「おかみさん」と呼ぶ場合でも、
漢字で書けば「女将」であるが、音からすれば「山の神」と言ったりする
オヤジがいるように「カミさん」の「カミ」の音象が指すものは
「神」であり、実際それが語源であろう。

何と、コロンボは仏と神が示唆するものによって数多くの
難事件を解決してきたのだ!

何だかまったく追悼文になっていないが、
私が今までテレビ画面でもっとも多く見てきた俳優に
間違いないと思う。
さよならピーター・フォーク!


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-07-11 01:31 | 草評
2011年 07月 09日

電車のなかでの読書、その泣き笑い

電車のなかで読書をしている人が笑っているのを
見たことはあると思う。
漫画も読書に含めると、実によくあることかもしれない。
わざわざ本人に「何を読んでいるの?」と問いただすことは
めったにないにしろ、ブックカバーなしで本が目に入れば、
それを買ってみたいとは思う。
そして、たまに読書で泣いている人もいる。
何を読んでいるかはとても気になる。

大新聞に広告を出すよりも、電車のなかに乗る
サクラ(劇団員のみなさん)に宣伝したい本をカバーなしで
読ませて笑わせたり泣かせたりする方が宣伝効果が大かもしれない。

私が新婚の頃だからもう13年前ぐらいだろうか、
東京から長野に出張している時、隣に座った女性が
一冊の本を読み、途中ですすり泣きをはじめた。
女性は本を閉じるとハンカチを取りだして
今度はけっこう本格的に泣き出した。

二人がけの席であって、
途中から乗ってくる客、車掌さん、車内販売のお姉さんの目に
どうも私が悪い男で
女を泣かせてしまっている光景に映ったような気がして
どうも居心地が悪かった。

私は 「あの・・・どんな本をお読みになっていたのですか?」
と思い切って声をかけると、女性が差し出したのは
浅田次郎の 『鉄道員(ぽっぽや)』 だった。
女性は本を指指しながら
「この、うぇーん、本のなかの、うぇーん、
『ラブレター』という短編を、ひぇっく、読んでいたら、
うぇーん、涙が、涙が、涙がチョチョ切れて、えーん、
止まらなくなっちゃったのです・・・うぇーん」


と、涙ながらに何とか語ってくれたのだった。

長野で東京に戻る際に駅の近くの書店で『鉄道員』を買った。
この本が出てまもなくの頃で、バカ売れしているらしくて
レジの前にも平積みしてあった。
それを読み始めた。
「ラブレター」も読んだが、私には泣くほどではなかった。

翌朝だったか、その翌々朝のことだったか・・・
私は妻(当時新婚の妻・日本人)の泣き声で目を覚ました。
寝床で読んでいたのは私が買ってきて置いてあった
『鉄道員』で、泣いていた時に「まさか?」と思いつつ
「どこを読んで泣いた?」
と尋ねると、まさに本を開いて見せたのは
「ラブレター」 だったのだ。
女を泣かせる浅田次郎の力、恐るべし!

つい最近、私はシャラポア(妻・日本人)の笑い声で起きた。
読んでいたのは、私がもらった本でゲッツ板谷が世に問うた
『板谷バカ三代』 という本。
(2001年に角川から出ていた本だが、今は手に入るかな?)

野球解説者の別所毅彦さんが「プロ野球ニュース」に解説者として
出ていた頃、
「いやあ巨人の状態はもう崖っぷちかな、わははははっははっはははっは!」
と豪快に笑うのを受けてフジテレビの福井アナが

「昔は、泣くな別所・選抜の花、と言われた方でありますが、
 現在は、笑うな別所という感じであります」


と言ったのを思い出した。

笑うなシャラポア!
その本はなぁ、最後半でちょっと泣けるんだぞ。
私にとっては浅田次郎よりも泣けるんだぞ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-07-09 23:45 | 草評
2011年 07月 07日

ウィーンフィルとベルリンフィルの音色の違いが私のなかで明確になった

柄にもないと言われそうですが、クラシック音楽は好きです。
気まぐれで1年以上まったくクラシック音楽鑑賞をしない時期も
何度もありましたが、逆に妙に聴きこみたくなるような時期もあったりして、
かれこれクラシック音楽鑑賞歴は30年といったところ。

その、クラシック音楽のオーケストラの両雄である
ウィーンフィル(Wiener Philharmoniker ウィーンフィルハーモニー管弦楽団)と
ベルリンフィル(Berliner Philharmoniker ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)
の音の違いが、ようやく私のなかで明確になりました。

ウィーンとベルリンを区別する方法
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by kaneniwa | 2011-07-07 23:38 | 草音