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2011年 12月 31日

大震災名言録

あと数時間で終わる2011年。
3月11日以降、200年以上前に書かれた古典を除けば
あまり本を読む気にはならなかった。

現代社会の闇を警告してくれていた本はありがたいと思っていたが、
危機感をもつのは危機への予感を察知する時にしみ入ってくるのであり、
現実に危機が押し寄せていることをひしひしと感じる時期には
むなしく響きすぎたということがあると思う。

そんななか、今年、何度も読み返した本が1冊ある。
1997年の8月に光文社から出た本で
(現在は光文社からは出ていない)
『大震災名言録 「忘れたころ」のための知恵』
という本である。

著者は藤緒潔 という人で神戸市出身。
出身の小中高の学校がすべて避難所になった被災者である。
被災者であるが、2年以上経たなければこの本を出せなかった。

この本が阪神淡路大震災から約2年半を経て出版された頃、
たまたま私はあらゆる名言集、箴言集、アフォリズム集を買い集めており、
それが塊となっていた本棚からつい手にとって3月下旬から読み始めた。

たとえばボランティアがもってきた中古のファミコンを借りて、
それまでまったくそのたぐいのゲームはさわったこともなかったのに
ごく短期間にファイナルファンタジーのⅠからⅢまでを
ファミコンだこを作りながらクリアーしてしまった大正生まれの
「ファイナルファンタジーばあさん」
など、新聞やテレビには出てこなかった巷の人間模様が
たくさん書いてあり、
笑いも涙もとまらなくなった。

阪神大震災は5時16分という早朝に起こった。
阪急神戸線をボーダーとしてそこより北では
激しい地震があったことは誰もが認識していても
家が倒壊したわけでもなく、テレビも映らなかったために
朝の7時台には普通に出勤のために駅に行った人も少なくなかったという。
そのなかの一人、Kくんは阪急岡本駅で駅員に
「ダイヤそうとう遅れますよね?」
と尋ねたところ
「きみ、ダイヤどころやない。みんな人生のダイヤ狂ったんや」
と返されたという。

このようなエピソード、市井の名言録でいっぱいの本なのであるが、
まことに見事である。
大震災が起こったのにその事情を認識せずに会社に出勤しようとするKくんは
まさに漫才でいうところのボケの役が言うようなセリフを自然に言っていた。
そこへのツッコミが
「みんな人生のダイヤ狂ったんや」
である。
兵庫県民は被災した後も3兆円(被災後2年間・推定)の税金を収めた。
避難所からネクタイをして出勤した人の分も含め、積もり積もっての額である。

東日本大震災から、2年経っても3年経っても
おそらくこのような本は出てこないと思う。
あの阪神淡路の大惨事から見ても天災も人災も大き過ぎるからだ。
特に原子力発電所の事故という最悪の人災は、
数十年単位での解決や解消ということさえ難しいかもしれない。

そして、震災の規模の違いの他に気質の違いが確かにある。
関西とは違って素早く鋭くリズミカルにツッコミを入れる文化は
東日本では希薄である。

それでも、いつか、とてつもない言葉が
東日本、とりわけ東北から出てくる可能性はある。
お笑いに関することだけではない。
ものすごく深いものが出てくるような気がする。

漫画家では、宮城県出身で現在も仙台市を拠点とする
いがらしみきお の今後に注目したい。
一時期、このような4コマを描く人は
とてつもなくクレージー過ぎる世界に入っていくのではないか?
と思いつつ、一時期は「この作者はどうなっていくのだろうか」と
息をのむように作品を見ていたら
意外にも 『ぼのぼの』 という路線に着地して、
今は5歳の末娘が超のつく ぼのぼのファンである

サンドウィッチマンの芸の深まりも見つめていきたい。
もともと、M−1チャンピオンになるほどの実力者であるが、
震災時に気仙沼の魚市場にいたこの二人が、
どのような深みをもつお笑いを今後見せてくれるのか。
今すぐにではなくても、
やがて笑って笑って泣いて笑うような、
そんなコンビになっていってくれると思う。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-12-31 16:38 | 草評
2011年 12月 28日

新潟市「コンチェルト」の閉店

年末という真冬の時期、薪ストーブを炊きまくっているので
ログといえばブログなどの記録のログではなく、
文字通りのログ(丸太)を連想してしまう。
ログには年輪が刻まれている。
「お前はどんな人生(人生なのか?)を送ってきたんだ?」
と薪になった元ログの年輪を見つめることもある。

薪ストーブを導入した昨シーズン(去年)は
「薪が燃える音、かすかにはぜる音、上に乗せたポットや鋳鉄オーブンの
 煮立つ音のシンフォニーにBGMなんて要らない!」
と息巻いていたのであるが、
今シーズン(2年目)は少し肩の力が抜け、
たまにBGMをかける。
ただ、車の中では実によく聴くレゲエやロックは自然に避けて、
ギターでもバイオリンでも、ピアノでも、
ボーカルも入っていても入っていなくてもいいのだが、
とにかくアコーステックなもの、
つまりはログ(丸太)の仲間であるところの
木の響きがある音楽を好んでかけている。

コンチェルト2号感動の毎日 というブログを愛読してきた。
いや、これからも愛読させてもらうつもりである。

コンチェルト とは「協奏曲」の意味であるが、このブログでは
新潟県新潟市中央区東堀通2番町のクラシック専門のCD店のことである。
そのお店が、この12月25日で閉店することになった。

お店の近くに知り合いの寺院があり、そこでの用事の際に立ち寄ろうと
いつも思いながら、この数年を過ごしてしまった。

この草仏教ブログを書き始めたばかりの頃、
コンチェルトの店員さんである 
コンチェルト2号さん(と呼んでいいのかどうかもわからないが…)は、
私が書いていた(今でも時々、思い出したようにクラシック音楽について書くことはあるが…)
拙きクラシック音楽についてのブログ記事に何度かコメントをくださっていた。
コンチェルトには多くのクラシックファンはもちろんのこと、
演奏家の方々もよく出入りをされていた様子が、
コンチェルト2号さんの素晴らしいブログを読むとよくわかる。
そのブログ全体が実に偉大な街角の「レコード」である気がする。

一昨年、近所にあった中規模書店が店を閉め、
本を買うのは主に大型店ということになった。
大型店もまあ歩いていける距離ではあるけれども、
雑誌や新聞で書評を見て関心をもっても
何だか実際にその本を手にとってみないと、
どうも買う気が起こらない性分だ。
若者を中心に広い年代での本離れが指摘されるが、
身近で手軽になってようでいて音楽離れというものも
かなり深刻であるという実感もある。
多くのの本を読み、たっぷりの音楽に浸るという人だけが
文化的であるとは思わないのであるが、
そこから離れてしまっては文章で残してくれたもの、録音で残してくれたものに
もったいないという気がする。
「もったいない」という言葉の本意だという気がする。
「サービス」もそうだが、「もったいない」も経済用語になった時に
その言葉は死んでしまう。
私のような者のために書いてくれた文章や
私のような者のために奏でてくれた音楽がきっとあるはずなのに。


本でたとえると、短編集であってもひとつの物語だけを
切り売りすることもそれを買いたいという人もあまりないだろうから
たとえとして的確ではないかもしれないが、
音楽のポップスに関しては、ジュークボックスの感覚で
1曲いくらということでパソコンにダウンロードすることも
まったく抵抗がないのだが、特にクラシックとジャズでは
断然CDがいい。

そして、音楽は生演奏がいちばんいいという意見も否定しないけれども
クラシックとジャスに関しては私が生まれた1963年前後の録音のものに
ビンビンくるものが多いので、それに出会うにはCDなどのレコード(記録)しかない。
ブルーズのジャンルでいえば、私が好きなものは
すでにこの世にいない人がほとんどである。

そう思うと、普段聞いているCDなどにしても、ほとんどこの世にいない人の声と
この世にいない人が鳴らしていた楽器の音を聞いていることになる。
ブルーノ・ワルター指揮で戦前のウィーンフィルが鳴らしている音は、
指揮者はもちろん出ている音のひとつひとつが、たぶんもうこの世にはいない。
さすがにこの指揮者とオーケストラに加えて1937年録音の
(もっと古い録音もあるけれども)
ウィーン国立歌劇合唱団のモーツアルトのレクイエムなどを夜中に聞いていると、
この声のひとつひとつがもうこの世に存在しないと思うと、
まさに「この世のものとは思えない」という気持ちになる。
もっとも、いつだって声も楽器の音も出ては消えていく宿命だったのだけれども。

突然出てきて何だがビートルズを聞けば、2011年の年末の時点で、
ポール・マッカートニーの声とベースギターと
リンゴ・スターのドラム(イエロー・サブマリンなどほんの一部で声も)は
この世のものであるが、
ジョン・レノンとジョージ・ハリスンの声とギターは
すでにこの世のものではない。
今、ビートルズは生と死が混じり合った音が出ている。
生と死とのコンチェルトだ。

と偉そうに言っても、実際にこの数年にクラシック音楽のCDを数枚しか買っていない。
コンチェルトに頻繁に足を運んでいれば…という懺悔はあるものの、
お店がなくなっても 
コンチェルト2号感動の毎日
というブログが、そのタイトルのままに、そこに新たな文章が記されていくことを
勝手なファンとして願う。
お店の再開の可能性というものがわずかでもあることもあるが、少なくとも
「コンチェルトというお店があった」
という事実だけは変わらない。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-12-28 01:01 | 草評
2011年 12月 25日

コッヘル160番 フライドチキン醤油味

b0061413_21511911.jpg ファジー・ゼラーというゴルファーの「差別発言」というものがあった。マスターズでは前年度優勝者がトーナメント開幕前に主催する「チャンピオンズ・ディナー」というものがある。前年の優勝者がそのディナーのメニューを決めるのだ。1997年マスターズで、当時21歳のタイガー・ウッズが黒人選手として初の優勝を決めた後、45歳のゼラーが「彼が来年(チャンピオンズ・ディナーの主催者として)フライドチキンやコラードグリーンを注文しないように言ってくれ」と話した場面がアメリカのCNNテレビで放映された。フライドチキンやコラードグリーンは、一般的に黒人が好む食べ物であることから、ゼラーの発言は「人種差別発言」の非難を浴び、彼はスポンサー契約解除などの社会的制裁を経験することになった。ゼラーはタイガー・ウッズに謝罪をしたが、この発言の波紋はすっと広がり続けた。ただ、1998年のチャンピオンズ・ディナーのメニューにフライドチキンがあった(こういう情報を私は実によく覚えているのだなぁ)と知った時に、密かに喜んだ。

b0061413_21513580.jpg ケンタッキーフライドチキンの創始者であるカーネルサンダースおじさんはダッチオーブンに似た器具で大量に美味いチキンを揚げたといわれている。現代のケンタッキーフライドチキンの店舗でも、形はダッチオーブンとは似ても似つかないものの蓋をしてかなりの高温で一気に揚げるというところは伝統を継承しているようだ。ダッチオーブンは揚げ物専用としてもすぐれものだが、最初は揚げ物にリッド(ふた)をするのが怖かった。鋳鉄の重いリッドが吹っ飛ぶわけはないのだが、リッドをすると中から異様な音がしてくる。怖い。しかし、慣れたらその音の具合で絶妙な揚げ具合がわかるようになってくる。KFCも恐らく創成期の方が抜群に美味しかったのではないだろうか。ところで、今年の隠れたヒット商品は冷凍食品の「唐揚げ」や「フライドチキン」であったそうだ。なぜか?東日本大震災の影響が考えられる。被災地の需要が多くあったということも確かにある。ただ、被災地に限らずに「身近なごちそう」としてフライドチキンというものが大きく見直されたということがあるのではないだろうか。チャンピオンディナーでなくても、フライドチキンが食卓にあって家族に活気があると「これでいいのだ、これがいいのだ」という気持ちになってくる。


マーヒー加藤 

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2011-12-25 22:33 | 草外道
2011年 12月 23日

ギャンブルで大きく負けない方法

考古学などの発掘作業で目的の遺跡などが出てくるのは予定最終日が多い。
これは考古学の常識といってもいいと思う。
しかし、この常識には裏がある。
「遺跡を掘り出したい」という大きな情熱は、責任者をはじめ
多くの関係者がいろんなところにかけあって、予定最終日を何度も更新しているのだ。


井川意高という大王製紙の元会長が数十億円をギャンブルに使った。
「名前どおり意志が高い大王で、夢が大きい人だなぁ」
と思った。
勝つまでギャンブルをやり続けるつもりだったのだろう。
だって、スロットマシーンならば仮にジャックポットの100連発が
あったとしてももう負け分は取り戻せない。
ジャックポット3連発でさえ天文学的数字になるのだろうに。
最終的にやっていたのがバカラかルーレットかトランプかわからないけれども、
それで今までの負けを取り戻せると思って賭け続けていたのだから。
もしもそうでなかったら「無の境地」とまでは言いがたいものの、
「私はどこまで負けていくのか」ということに無我夢中だったはずだ。

まだ起訴されていない段階で何だけれども、
刑務所にも入ることになる可能性も大きいと思う。
刑務所や拘置所に、今はけっこう東京大学出身者がいるような気がするが
法学部卒でもあり、検事や裁判官に同期の人もいることだろう。
どちらにしろ、井川さんは刑務所のトイレで人生初めてエリエール以外の
トイレットペーパーの紙質をお尻に感じることとなるだろうと思う。

ギャンブルに必勝法はないが大きく負けない方法はある
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by kaneniwa | 2011-12-23 04:47 | 草評
2011年 12月 21日

名曲草鑑賞 (29) バーベキュー・ボブ( Barbecue Bob)のバーベキューブルース(Barbecue Blues)

パソコンのなかの音楽の 「アーティスト検索」 をしていて
自分でもちょっと驚いたことがある。

ウィリー・マクテル
レモン・ジェファーソン
ウィリー・ジョンソン

という私の好きなブルーズ系のミュージシャンが
それぞれ

Blind Willie McTell
Blind Lemon Jefferson
‪Blind Willie Johnson‬

というように、すべて B ではじまる項目で整理されていたのである。
バディ・ガイ(Buddy Guy) や ビリー・ブランチ(Billy Branch)
などもそうなのだが、その部門には何といっても
B.B."Blues Boy"キングと称される、
完璧な B である B.B.キング(B.B.King)が鎮座している。
今、ネットで「B.B.キングの血液型は?」と調べてみたがわからなかった。
何だかB型でなかったらおかしいぐらいの完璧なBである。
AB型でも違和感を感じるぐらいだからA型やO型なら幻滅だ。

ビッグ・ビル・ブルーンジー(Big Bill Broonzy)の曲も
パソコンにけっこう入っている。B・B・Bである。

ブルーズでありジャズであり、
2000年にはロックの殿堂入りもしているので
ジャンルを超えた存在であるが、
ビリー・ホリディ(Billie Holiday)の音源が多数ある。

そしてジャズでは ビル・エバンス( Bill Evans)がいる。
何だかんだ言って、CDの枚数でいえばビル・エバンスの音源を
ジャズではいちばん多くもっている。

レゲエでは絶対的な存在のボブ・マーリー(Bob Marley)がいる。

フォーク・ロック・ポップスの部門もかなりBがいるが
まず代表的なのは ボブ・ディラン(Bob Dylan)だ。

ビートルズ(BEATLES)のCDはまだパソコンに入れていない。
もしかしたら THE BEATLES として T ではじまる項目に整理
されていくのかもしれないが、これもBに入るのか?

そして、ファーストネームではないけれども
パソコン検索での「アーティスト名」では
クラシックの3B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)も
B の項目に入ってくるので、Bの項目は大いに混み合っている。
もしかしたら、もっている音源の半分ぐらいが B なのかもしれない。

そして最近になってまた、好きになった B が24曲入った。
バーベキュー・ボブ(Barbecue Bob) キングがつかない B・B である。

バーベキュー・ボブ Barbecue Bob
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by kaneniwa | 2011-12-21 00:32 | 草評
2011年 12月 19日

コッヘル159番 充血目玉焼き

b0061413_0344246.jpg この12月10日に出たばかりの『銀座の板前が教える酒の肴のコツのコツ』(下田徹著 祥伝社新書)というものをふと手にとってつい買って読んだ。料理写真が一枚も掲載されていない文章だけの料理本である。これがかえって私には良かった。NHKではラジオで料理番組をやっているのをご存知だろうか?(ラジオビタミンのなかの「私の愛情レシピ」というやつ)最初は「ほら、こんなにきれいに仕上がりましたよ」などという料理研究家などの言葉を車のなかで聞いていて「見えないってば!」というツッコミを入れつつ笑っていたが、なかなかどうして調理の音と料理法の言葉による説明だけで食欲や調理意欲をかきたてられるということが非常に多い。学生時代は拾ってきた白黒テレビで過ごしたのだが、さすがにパネルクイズアタック25は白以外のパネルの色が全然わからなので見る気がしなかったが、練られた番組、作りこまれた映画はたとえ白黒でも見入ってしまっていたということに似ている。

b0061413_0345715.jpg さて、冒頭の本だが著者の下田徹さんのお店「銀座しも田」は立川談志もよく出入りをしていたということで、基本的にはレシピ本であるのにオヤジギャグが満載であることが嬉しかった。そして、銀座の板前さんが書いた本とはいっても高級素材はたまにしか出てこない。ほとんどが身近な食材でできるものだ。その90ページに「トンボ眼鏡焼き」というものが出てくる。タマネギの皮を剥き、その中央部を1センチほど横に切り、中を出せばリングができる。それを二つ用意して、そのなかに卵を落として目玉焼きを作るというものだ。それを二つ並べてトンボの眼鏡のようにするという。タマネギはけっこう大きめでなくてはいけない。ひとつのタマネギからリングを二つ取ったので、小さめの方からは白味がはみ出しちゃった。

b0061413_035139.jpg シンプル料理であってもどこか自己流にしちゃうのが私だ。本ではバターと醤油で味付けをすることになっているが、タマネギと卵の白味の色が同化してくる外観の面白さから、ここは配色重視でケチャップの赤を入れる。血走った充血目玉だ。また、本ではフライパンにふたをすることになっている。それが半熟の目玉焼きを作るにはいちばん簡単で確実な方法であるとは知りつつも蒸し無視。白と赤がそろったのだから卵の黄色に白い薄膜をかけたくない。弱火でじっくりと半熟のタイミングを待つ。オリジナルと違うものになったことでもあるし、これをトンボの眼鏡状態でコッヘルに盛るにはサイズ的にギリギリだったので「一眼国」となった。赤、黄、白の国旗ってあったかなぁ?今調べたら南オセチア共和国とロシア領北オセチア・アラニア共和国の国旗がこの配色だが… ともかく充血の鬼太郎のオヤジだ。鬼太郎のオヤジは、オヤジギャグを言わないオヤジだ。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2011-12-19 01:30 | 草外道
2011年 12月 18日

息子にプロレス技で世界を教える

息子(9歳)は全日本プロレスのBUSHI(日本人の覆面レスラー)のファンである。
たまたま半年前の全日本プロレスのジュニアヘビー級のタッグマッチを
私が録画していたものを見ていた。
「うーん、清水哲也がメキシコマット界から得たものは大きいなぁ」
(別に正体はじめてバラしていないよね?録画でもヘッドフォンで
 よく聞けば清水がんばれ!の声援がある)
と、面白いど派手な飛び技の応酬を観ていたら
かたわらでいつの間にか息子が目を輝かせていっしょに観ている。
いきなりBUSHIのファンになってしまったようだ。

そして、どうしても私とプロレスがやりたいというのでやった。
初めての息子とのキャッチボールも何だか照れたが、
初めてのプロレスも照れますのぉ。
(相撲はしょっちゅう)

オクラホマ・スタンピートから
カナディアン・バックブリーカー、
そしてマンハッタン・ドロップから
ボストン・クラブ、そしてテキサス・クローバー・ホールド。

ボストンクラブのボストンって、
あのマサチューセッツ州のボストンのことなのか?
ということはともかく、
何だか北米の地名にちなんだ技ばっかりなので
最後はジャーマン・スープレックスで決めてやろうかと思ったが、
カール・ゴッチの指導を受けたとしてもこれは大技すぎて
できない。
万が一、できたとしても危険だろう。

プロレス技で世界を教えてやろうと思ったが、
BUSHIのようにメキシコマット界にも行けず
北米どまりでした。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-12-18 01:52 | 雑草
2011年 12月 15日

コッヘル158番 鶏胸肉のソテー

b0061413_22564511.jpg 肉屋の店先に並んだ  いろんな肉を見ていた  ひとそれぞれ好みはあるけど  どれもみんな奇麗だね この中でどれが一番だなんて 争うこともしないで ショーウィンドーの中 誇らしげに しゃんと胸肉をはっている それなのに僕ら人間は・・・(実は2007年の12月3日に同じ文章を書いていました) というわけで鶏のシャンと胸をはった肉が今回の素材。これからしばらくチキンにとっての受難の日々が続く。七面鳥も受難だが、日本ではやっぱり鶏の方が人気が高い。これから『ヨハネ受難曲』や『マタイ受難曲』がよく演奏される時節であるが、何となく『チキン受難曲』とか『ターキー受難曲』というものの方が、あったらそっちの方がふさわしい気がする。 ともかくチキンソテー。鶏の胸肉は値段の面で、学生時代の「どうしても肉が喰いたい」という時の救世主であった。しかしちゃんと胸肉をはっている鶏に対して僕ら人間は値段のことばかり言いたがる。

b0061413_2257193.jpg 「塩と胡椒の味付けだけで食べるにはどんな肉がいいのか?」という時に、それはいろんな肉が合うのだろし何がNo.1だなんて決められない僕ら人間だけれども、寿司にたとえてサシが入った和牛のステーキがトロだとすれば、鶏胸肉はヒラメとかの白身ではないか?あるいはタコか?イカか?ともかく何がNo.1といえなくても、塩と胡椒でいただく肉の白眉には違いないと思う。料理の話とは関係ないけれどもNo.1に関連しての話題。数日前、ある人にマーヒー加藤が「私は白と黒の配色のハイテク・スニーカーを見るとウルトラセブンに出て来たエレキングという怪獣を連想してしまい、ハーフマラソンを走りきった時も崇高な達成感のようなものではなく、頭のなかはエレキングでいっぱいでした」(どんな用件だ?)というメールを送ったら、素晴らしいお返事をいただいた。「私はおトイレのなかでアニメのアタックNo.1の主題歌をついつい口ずさんでしまいます。別に苦しい時でも辛い時でもないのに、なぜアタックNo.1の主題歌をこのようにいつもおトイレで口ずさんでしまうのかが不思議でした。でもその秘密がわかりました。おトイレに入っている時の私の視線の先には、洗剤のアタックがあったのです」というものであった。洗剤が歌わせていたのか。これがホンマの潜在意識やな。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2011-12-15 23:33 | 草外道
2011年 12月 13日

名詞であるのに「はたらき」をあらわす言葉は?

b0061413_3435094.jpg 先日、坂東性純先生の言葉をこのブログでご紹介させていただいて以来、「名詞であるのに名詞ではなく、はたらきをあらわす言葉は他にないのか?」ということを考えてきた。まず「阿弥陀如来」について、これが仏像の「阿弥陀如来像」という言葉になればあきらかに名詞である。それも抽象名詞でもなく指で指し示すことが可能なモノということがいえる。もっとも指で指し示すものではなくて両手を合わせるのがいいですけれど。 「嘘も方便」という言い回しがあり「方便」という言葉があるとすぐに「嘘」という言葉と連想的に結びついてしまうのだが、これは無相(むそう)であるものを有相(うそう)のものにしたから「有相も方便」というのが本来である、という話もきいたことがあるが、ウソ?ホント? とにかく、もしも浄土真宗のご家庭であれば、ご本尊とするご家庭のお内仏(仏壇)のご本尊(絵像の阿弥陀如来)の裏をめくって「方便法身尊形(ほうべんほっしんのそんぎょう)」という文字が記されていれば正式に本山から与えられたものである。「方便」という言葉が入っているのがホンモノという、ちょっと不思議な世界である。

名詞であるのに「はたらき」そのものである言葉があった
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by kaneniwa | 2011-12-13 06:10 | 草仏教
2011年 12月 09日

草仏教掲示板(37) 阿弥陀は名詞でなく動詞です。はたらきです。

b0061413_222192.jpg お亡くなりになられた坂東性純先生とは面識があった。まず学生時代に単位をいただいた。坂東先生には「どんなヘボ答案を書いても、どんな珍妙で幼稚なレポートを書いても絶対に単位をくださる摂取不捨(せっしゅふしゃ)の仏である」という噂があったからだ。それで単位登録をしてろくに授業に出ず単位をいただいたのだが、なんせそんなものだから坂東先生の実際のお顔を拝見することは単位をいただいてからずっと後のことになった。 ところがその後、ご縁はめぐりめぐって東京大学仏教青年会会館ホール(文京区本郷三丁目 三菱UFJニコス本郷ビル)での「親鸞聖人の和讃を読む」という坂東先生の講座の助手をこのマーヒー加藤が6年間つとめていたことがある。 

その坂東先生がお亡くなりになり、
今、新たに吟味しているのがこの言葉である。

今年の『BE-PAL』(アウトドア雑誌)9月号は「お遍路さん特集」であり、
もっとも伝統のあるロング・トレッキングとしてお遍路を見直してみる
というような企画であった。
その旅の行程のすべてに弘法大師(空海)と共にあるという意味での
「同行二人」(どうぎょうににん) というお遍路の旗印に、

一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり
(親鸞聖人『御臨末の書』)


という言葉も連想しつつ
ふと雑誌の表題の 『BE-PAL』 という文字に目をやると、
これはなかなか意味深だなぁと思った。
PAL(パル) という言葉は仲間、友、相棒をさす言葉であるが、
BE という動詞が前に置かれていることによって、
まさに動的な用(はたら)きを感じることができる。

久々に難しいことを考えて自らの思考回路がショートしそうだが、
たとえば「命」という言葉を名詞でつきつけられても、
現代社会の「命」に関する諸問題が多すぎて多岐にわたりすぎて、
はたらきのようなものにつながりにくい。

それが「帰命(南無)」という動詞となった時に、
ちょっと違う。
本当はちょっとではなくて、かなり違うはずなのだが、
今の私には「とにかく違う」とだけしか言えない。

阿弥陀仏が名詞ではなくて動詞であるとはどういうことか?

なかなか草仏教流にはいかないが、
時に「光」とか「光明」に喩えられる阿弥陀仏は、
「光」という名詞に比喩がたくされることよりも、
「照らす」というはたらきが託される「何か」に、
より重きが置かれるということか…みたいな

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2011-12-09 23:13 | 草仏教