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2012年 11月 29日

追悼記事(27) 藤本義一氏

藤本義一氏が亡くなられて1ヶ月近くが経過してから、
だんだんと寂しくなってきたぞ。

数日前に「有吉ジャポン 」という深夜番組で写真以外の壇蜜(だんみつ)を初めて見た。
深夜番組とはいえテレビには出てこない人だと勝手に思っていた。
テレビに出てきた壇蜜を見たら、何だか懐かしい気がしてきた。
しいてその懐かしさをたどれば30年前のかたせ梨乃だろうか?
懐かしさと同時に新鮮さのようなものも感じたのは、
あまりにもマスコミがもてはやす女性像が少女系アイドルと
スポンサー受けが良い健全系に満ち満ちていたからかもしれない。
テレビという極めて日常的な家庭用電気製品から久々にフェロモンが出た。

もしも20年以上前だったら大橋巨泉司会の日本テレビか、
藤本義一司会の読売テレビか、壇蜜はコメントもできるカバーガールとして
まず間違いなく起用されていたように思える。

「11PM」という深夜番組は、大学生になってからは
毛布をかぶってこっそりと見なくてもよくなったのだが、
21歳の時に捨ててあった白黒テレビを拾ってくるまでは
テレビなしの生活をしていたため、
友人の家や下宿やアパートで麻雀をやりながら観ていたことが多かった。
それがかなりの頻度であったので「11PM」は
新聞報道的なニュースが終わり、スポーツ新聞的なニュースが終わった後の
週刊誌的な時間であった。
そこには今で言う「袋とじ」的なコーナーもあったが、
今、思わず四人の男が麻雀を打つ手を休めつつ画面に見入ったことを
思え返せば、それは必ずしも「袋とじ」の時間帯だけに限らなかった。
かなり硬軟取り混ぜ緩急つけつつ世の中の空気感をレポートしていた。
そして、東京の大橋巨泉の強い仕切りとはまた違った
柔らかい語り口のなかで毒舌を流し込む藤本義一の仕切りは見事だった。

実は、19歳の時に藤本義一が司会をしている読売テレビの「11PM」に出たことがある。
なんせ藤本義一は1965(昭和40)年から「11PM」の司会を努めていた。
そこに自分の姿とコメントについて藤本義一が語るということに不思議な気持ちだった。

とはいってもスタジオ出演ではなく、京都にかつてあったカントリー&ウエスタンの
ライブハウスの客で居た時にカントリーミュージックの魅力とは何かを
インタビューされたのだ。
「酒がなくても酔える!」
というようなことを言ったが、わははは、当時のメインスポンサーはサントリーだったが
よく電波にのったものだったなぁ。

ただ、スポンサーとの兼ね合いについて言うならば、
もっとスケールが大きなことがあった。
昔からずっと一貫して原子力発電所の危険性を訴えていた広瀬隆氏がゲストで、
生放送のCM中に「何か」があったのだろう。
「しゃべってもらうのを聞いてもらうだけなんやからええやないか!」
という、藤本義一の大きな怒声から生放送が再開されたことがある。
民放の番組のほとんどが広告代理店がスポンサーを見つけてこなければ
番組の制作費が出ないという仕組みになっているのだが、
「電通の電の字は電力会社の電ではないか?」
という感触を、この頃から、この藤本義一の怒声の勢いから感じた。

作家としての藤本義一は数本のエッセイが心に残っているのみだが、
それは父親に関するものであったように思う。
大阪大空襲で家を焼かれた45歳の父親は、
うつ病と肺病と拒食症を併発して閉鎖病棟に入院した。
「戦前はガチガチの固体のように生き、戦後は気体のように生きていた父を見て、
 男は液体のように生きていかねばならないと思った」

という言葉、そしてその父親が自分に言ってくれたという
「お前に渡す地位、名誉、財産をすべて失った。だからお前は失うものがなにもない」
という二つの言葉が印象に残っている。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-11-29 00:02 | 草評
2012年 11月 27日

コッヘル190番 天然舞茸炊き込みご飯

b0061413_9374893.jpg いただいた天然舞茸をすき焼きにしたのはいつだったかなぁ?とコッヘルバックナンバーを見てみるとコッヘル155番、昨年の11月15日であった。今年も天然舞茸をいただいた。今年も半分はすき焼きにして子どもたちに「こら、舞茸ばっかり食べていないで牛肉も食べなさい!」と叱りつけた。そして、残りの天然舞茸を使って昨年はやってみたかったけれども躊躇(ちゅうちょ)してしまってできなかった炊き込みご飯をすることにした。新米の時期でもある。新潟県産、それも地元のピッカピッカのアイボリーが美しい新米のコシヒカリを炊き込みご飯にするということは普段であれば許さないのであるが、天然舞茸ということであれば何だか釣り合いのようなものがとれる気がした。炊飯器を開けた瞬間に漂ってきたいい香り!晩秋という名の秋ももう終わりである。「秋の味覚」というもののなかに基本的すぎて入ってこないのであるが、新米というものは秋の味覚の中核にあるということを認識した。天然舞茸と新米の交じり合った香り、それは数を数えれば二重奏にしかならないのであろうが、そこに至るまでの森と田んぼの大いなるプロセス、大いなる自然に思いを馳せる時、フルオーケストラにも勝るとも劣らないハーモニーを奏でるのであった。

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2012-11-27 09:56 | 草外道
2012年 11月 25日

愛着Tシャツ(3) カネテツ&アシックスのコラボTシャツ

b0061413_2345616.jpg 今日、2012年11月25日(日)に「第2回神戸マラソン」が開催され、すでに11月23日(金・祝)から神戸マラソンEXPO2012という催しは開催中なのであるが、昨日、私に素晴らしき貢物が届けられた。大会の協賛であるカネテツデリカフーズとアシックスがコラボレーションしたものである。カネテツは参加者ランナー18,000人の栄養補給を目的に、ちくわ(商品名:珍比良)1.8万本を提供するのだという。素晴らしい!中島らも先生の劇団、リリパットアーミーの公演においてはカネテツのちくわがプレゼントされたものであったが、このリンクしているホームページでは、あの「啓蒙かまぼこ新聞」の一部も読めるようになっているではないか!中島らも先生は死なず。ここにも生きていた。らも先生の啓蒙かまぼこ新聞が、どれだけかまぼこを啓蒙できたか?もっとストレートに言ってどれだけカネテツデリカフーズの宣伝になったかはわからない。ただ確かなのはモヒカンで革ジャンのパンク風の若者たちが1980年代には多く入社説明会に押し寄せるようになったことだけは確かだという。さらにそこから育成されたであろう人材が、今のカネテツデリカフーズを牽引していることであろうと思う。ここ新潟ではもともと練り物水産物に関しては十分な啓蒙が開花しており地元の大企業から中小企業までが群雄闊歩(ぐんゆうかっぽ)しており、関西とは違ってなかなかカネテツの製品を見かける機会は少ないが、ごくたまに歴史と伝統もあるゆるキャラである「てっちゃん」を見かけると即購入してしまうほどに啓蒙されている。

b0061413_23452997.jpg さて、今年の夏に「愛着Tシャツ」のタイトルで nuts と Bird のTシャツを紹介させてもらった。続けて3年前の夏にユニクロが作ったケニー・バレルのTシャツとジャッキー・マクリーンのTシャツ(人選がものすごくマニアック)やカウアイ島のワイメア本願寺のTシャツなどについて書き進めていこうと思っていたのだがグズグズしているうちに暑かった9月も終わってしまった。続きは来年の夏頃と思っていたが、昨日届けられたこのTシャツはまさに「愛着あるTシャツ」になることが確定的である。なぜかといえば、まず私には「てっちゃん」がとても他人とは思えないのだ。これは私の3人の子どもの幼少期をご存知の方々は力強くうなづいてくださると思っているが、「てっちゃん」は二人の娘と息子の5歳頃までの顔とそっくりである。今風に言えばクリソツなのだ。どうもマーヒー加藤とシャラポア(妻・日本人)の子どもの顔は「てっちゃん」のような奥二重でまつ毛は長く、顔の輪郭は野球のホームベース的になる。三人の幼少期の顔をゆるキャラ的にシンプル化して描くと「てっちゃん」の顔になるのだ。特にこのTシャツのデザインは歩き出すとすぐに成長して走り出し、走ることが面白くて仕方ない表情をしていた頃の息子を思い出してしまう。このTシャツ、嬉しかったなぁ。あ、大事なことを書くのを忘れていた。貢いでくれたのが、以前から法語も提供していただていた川柳作家の丁珍姉御からであった。ありがとうねぇ!ありがとう!XLでないと小さいか?とも思っていましたが、上質なメッシュ生地の伸縮性がさすがアシックスで抜群!これならLでバッチリです!


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-11-25 00:02 | 七草
2012年 11月 23日

この光景、キツかった

b0061413_025558.jpg 夕暮れ時に高速道路のパーキングエリアでトンカツ定食を食べて「あー、久しぶりにトンカツというものを食べたなぁ」と自分の車に戻ると、こういう車両があった。満腹の満足が、逆にキツいものになった。 アニメ映画の「千と千尋の神隠し」が封切りになったばかりの頃だからもう11年前になるのか…シャラポア(妻・日本人)と私と長女の三人で映画館に観に行った帰り、長女が「なぜお父さんとお母さんは豚になってしまったの?」とシャラポアに尋ねていた。シャラポアは「それはね、『いただきます』を言わずにごちそうを食べちゃったからなのよ」と答えていた。それから3歳の長女は毎食前に必ず手を合わせて「いただきます」を言うことを欠かさなくなった。いけね、高速道路のパーキングエリアのなかの食堂で一人きりの食事とはいえ「いただきます」を言うのもつぶやくのも念じるのも忘れていた。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-11-23 00:13 | 雑草
2012年 11月 21日

「舞浜」創作のためのノート(4) 物語

b0061413_0245846.jpg ディズニーランドにダンボの乗り物がある。メカニズムとしてはかなりシンプルな方に入り、おそらくこういうアトラクションはどこの遊園地にもあると思うし、同じ東京ディズニーランドのなかにも「スタージェット」という似たタイプの乗り物で、より仕掛けが大掛かりであり操縦によってダンボが飛ぶ位置よりもはるかに高いところを旋回できるものがある。にも関わらず、このダンボの持つ魅力はいったい何だろうか?シンデレラ城がすぐ近くにあるから、ということもあるが結局は「ダンボという物語があるから」ということになると思う。 香川県に1991年に開園したディズニーランドを敷地面積などの規模で凌駕するレオマワールドという巨大遊園地があったが2000年に閉園した。その後、2004年からニューレオマワールドとして加ト吉、日本たばこ産業(JT)、大江戸温泉物語などとさまざまな資本が入り込みつつ現在も頑張っているのであるが「レオマってどういう意味だ?」と思って調べてみると、最初にこのテーマパークを作ったゴルフ場経営の「日本ゴルフ振興株式会社」の社長が大西さんであり「レジャーは、オオニシに、まかせろ」の頭文字(と言っていいのかな?)からの命名であったという。どうも「物語」からは遠いところにある。香川県は2回訪問したことがあり、大好きなところであるが、私のレジャーはとても大西に任せることはできない。

b0061413_0251437.jpg 東京ディズニーランドの空飛ぶダンボを見つめていて、中学と高校時代の友人だったT君のことを思い出した。T君は優しすぎるような温厚な性格の男だった。もっとも私は今でも昔でも非常にアクの強い人間なので、優しい人でないとなかなか友だちになってくれなかったのか?ま、ともかくT君は中学時代に野球部に所属していた。背はとても高い(私よりも高かったと思う)のであるが、線が細くて何だかいつもナヨナヨしていた。万年補欠で試合などには出たことがなかったと思う。そのT君と同じ高校に進学することになり、バレーボール部に入ると聞いて驚いたのを覚えている。ところがやっぱ15歳とか16歳とか17歳の成長期というのはスゴイ。T君は高校生になってから始めたバレーボールで、それまで積み重ねてきた基礎トレーニングの開花ということもあり、2年生の終わり頃から日々大化けをはじめていって、3年生の春頃には押しも押されぬ中心選手で高校のバレーボール界のスーパースターになっていった。その3年生の春に彼が出場したバレーボールの試合を観たことがある。どういう大会であったか、あるいは何への出場権がかかった試合であったか、それを覚えていない。覚えているのはT君のアタックやプロックなどの時に見せる驚異的なジャンプ力と、セットを重ねてもそれが一向に衰えないどころか凄みを増していった驚くべきスタミナだった。そしてチームの支柱である彼に多くのボールが集まり、彼はそれを「ここしかない」という場所に次々と物凄い球筋のアタックでコートに叩きつけていく。彼がプレーで跳んだ瞬間、私は空飛ぶダンボを見た思いだった。そして、空飛ぶダンボを見たということは、空飛ぶ以前のダンボも見たということだった。そうだ、私はそんなT君を自分より劣る者としてずっとずっと見下してきたということにジンワリと気づかされたのだった。T君はそんな大化けをした後も、私に対して変わらずに優しかった。大化けを果たしたのに私には変わらなかった。3年生の秋頃にT君は私に「俺、高校はバレーばっかりやっていたから二浪は覚悟でこれから勉強する」と言ったことがある。でも、どうも彼は試験勉強の方でもスタートこそ遅かったものの、そっちの方でも短期間に一日ごとに大化けしていった気がする。何だか高校3年生の後半から、彼の輝きの前に後ろめたさなのか眩しさなのか何なのか、私の方から敬って遠ざける(敬遠)ということになっていったような気が、今になってする。そんなT君と、今年の冬に30年ぶりに再会をした。彼は子どもの写真を携帯電話の待受画面にする優しい父親になっており、また大手旅行代理店の管理職になっていた。彼の手配するチケットで飛行機に乗り込んで「物語」が生まれるような旅に出たいと思ったが「待てよ?その前に俺も今から始めて3年後に突如開花できるものはないかな?」なんて夢みたいなことを考えたのであった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-11-21 00:26 | 七草
2012年 11月 19日

山本浩二監督の焼き魚オーダーを検証する

1番 サケ
2番 アジ
3番 金目鯛の開き
4番 ノドグロ
5番 サバ
6番 ホッケの開き
7番 太刀魚
8番 タラコ
9番 サンマ (DH)

草仏教ブログを開いていただいた瞬間、何のこっちゃ?と思われたことであろう。
これは、もう何年前になるか忘れてしまったが、
日本テレビ系列で日曜日の深夜に放映されている
「中居正広のブラックバラエティ」
という番組において、
「焼き魚でオーダー(打順)を組んで欲しい」
という要望に山本浩二氏が応えたものである。
しかも大いに乗り気でその依頼をこなし、
しかも数多くある焼き魚リストに
「ワシのいちばん好きな焼き魚がない!」
と注文をつけ、ノドグロをリストに加えて4番に据えた。

このたび山本浩二氏がWBCの監督となった時、
組まれる全日本の打順には、
この焼き魚に託された「理想の打順」というものが
必ずどこかに反映されることになろうと、
私は大事にとっておいたこの焼き魚メモを取り出してみた。
このようなおバカな野球評論を展開しているのは私だけであろうが、
野球ファンでありつつ焼き魚ファンであるという方々には
是非とも刮目して読んでいただきたい。

それでは、先日、11月16日(金)と
昨日の11月18日(日)に行われた
親善試合として行われたキューバ戦での打順と
焼き魚とを対比させて論評してみたい。

11月16日のオーダー

1番 サケ 長野 DH
2番 アジ 大島 センター
3番 金目鯛の開き 坂本 ショート
4番 ノドグロ T岡田 ファースト
5番 サバ 松田 サード
6番 ホッケの開き 糸井 ライト
7番 太刀魚 角中 レフト
8番 タラコ 炭谷 キャッチャー
9番 サンマ (DH) 本多 セカンド


11月18日のオーダー

1番 サケ 長野 DH
2番 アジ 大島 レフト
3番 金目鯛の開き 坂本 ショート
4番 ノドグロ 糸井 ライト
5番 サバ 松田 サード
6番 ホッケの開き T岡田 ファースト
7番 太刀魚 秋山 センター
8番 タラコ 嶋 キャッチャー
9番 サンマ (DH) 本多 セカンド 


1番(サケ・長野)2番(アジ・大島)と
3番(金目鯛の開き・坂本)、5番(サバ・松田)
9番(サンマ・本多)
というのは2日間とも固定され、
また山本浩二監督の頭の中に無意識的にも必ずある理想の焼き魚オーダーとも
一致しているのではないか?
という感触をもっている。
つまりアジは2番であり、1番サケは、いざとなれば
メインディッシュ格の3番あたりにも入れられる食材(人材)である。
現在の戦力であれば長野こそサケにふさわしく、
2番はアジな奴である大島がふさわしい。
さっそくであるがこの焼き魚のイメージと実際の人材起用は一致している。
これは予言しておきたいが、来年の実戦でもこの1番2番はこの通りにいくだろう。

そして5番松田というのは、まさに「サバだよなぁ」と納得する。
その納得の質感を上手く伝える言葉が私にないのが残念だが、
実にサバなんですよね。(と、共感を求める)

8番タラコ というのが、この焼き魚オーダーを初めて見た時から
「タラコ…確かに焼きタラコというのは美味いけれど、奴は焼き魚か?」
という素朴な疑問も持ったが、
なるほど強打の捕手である阿部慎之助が故障中ということもあり、
ここにキャッチャーを置いた。
16日の試合では8番の炭谷が公式戦で今シーズン本塁打ゼロであった彼が
ホームランを打ったのであるが、まさに意外性の8番タラコ的な位置づけであった。

さて、山本浩二監督本人は現役で法政大学から広島カープに入って、
新人から数年の森永監督時代は1番バッターであった時代があった。
(古い話になっちゃったなぁ)
ただカープのヘルメットが黒から赤ヘルに変わったルーツ監督時代、
そして古葉監督時代以降は、ほぼ4番に固定された。
つまり4番には大きな思い入れがあり、
なおかつノドクロのようなカリスマ性を求めている。

その私の予想は当たり、
11月18日に北海道日本ハムファイターズでも4番は打たない
糸井外野手を起用したあたりに、
私は
山本浩二監督のノドグロ探しがはじまった…
ということを感じた。
焼き魚オーダーの時に深海からノドクロを探し当てて起用したように、
候補選手の海のなかから、ノドグロは誰か?ということを模索しはじめた。

来年3月の4番は誰か?
T岡田か?
阿部慎之助か?
糸井をノドグロとして育てるのか?
代打でいいところを見せた堂林か?

とにかく、本番では4番が誰かに注目である。

本当は年末に誰が総理大臣なのか?なんだけどね。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-11-19 02:03 | 草野球
2012年 11月 17日

実は大好きなキューバ野球

オマール・リナレスというキューバの野球選手が大好きであった。
キューバのナショナルチームの3番でサードとして
オレステス・キンデラン、アントニオ・パチェコ
(おお、こうして書くとこの二人は社会人野球のシダックスでプレーしたなぁ)
らと共に世界選手権4連覇を成し遂げ、
バルセロナ・アトランタと五輪での連覇をしたキューバチームの中心選手。

2002年から3年間、中日ドラゴンズでプレーをすることになったのだが、
30歳代の後半になってその時のリナレスは太っていた。
太っていただけならいいけれどもたまに先発出場をする時でも
守備位置は、その華麗な守備で見ているだけで爽快になった三塁ではなく一塁。
そして、アマチュア野球時代の金属バットは使えないということもあったけれども
あの超人的な速い打球はなかなか見ることができなくなっていた。
(西武ライオンズとの日本シリーズで2本のホームランを打ち、片鱗は見せてくれた)

ともかく、競技種目から外される前の北京までのオリンピックか
WBCが絡まないとキューバ野球というものをなかなか一試合まるごとテレビ観戦できない。
そのWBCに向けての親善試合が昨日、福岡Yahooドームであり、
親善試合なのになぜか楽しみにしてテレビ観戦しちゃうということは
自分はとってもキューバ野球が好きなのではないかと思った。
テレビをつけるとお客さんも少なく、
山本浩二監督が勝利監督インタビューの前に発した
「えっ、この試合、テレビ中継されていたの?」
という声も聞こえちゃったぐらい注目度は低かったのかもしれないけれど、
私はなぜか楽しみにしていたんだよねぇ。

キューバの内容としては全日本の投手陣
大隣、大竹、筒井、今村、加賀、大野、山口
の継投の前に3安打の完封負け。
(ありゃ、キューバ側に立って記事を書いちゃっているよ、私)
まったくいいところがなく負けちゃったみたいだけれども、
果たしてそうだろうか?
(ありゃ、キューバを贔屓にしちゃっているよ)
7番バッターが驚異的なバットの振りの速さを見せてくれていて
「誰だお前は?」
と思ったら数年前まで4番を打っていたセペダではあーりませんか。
2回の裏、角中のセンター前に抜けそうな打球をさばいた後、
軽く一歩で2塁を踏んだ直後に糸井のスライディングをジャンプで交わして
一塁に軽ぅーく矢のような送球をした遊撃手のアルエバルエナの守備は華麗だった。
(その直後に今季公式戦本塁打ゼロであった灰谷のホームランが出た)
ペドロソ、マルティネス、ヒメネス、ゴンサレスという出てきたキューバ投手は
どこか変則的投法には見えるものの豪快な投球に見所が多かった。

3安打完封というキューバにとって見せ場が少なかったような試合のなかでも、
何だか魅了されるものがいっぱいあったぞ。

日本が送り出した7人の投手のうち、
クローザーとして登板した横浜の山口 俊(やまぐち しゅん)が、
何というか野性味があふれていたというか昔のプロ野球選手っぽくて良かった。
さすがお父さんは大相撲の元幕内力士の谷風だ。
勝負師の魂を受け継いで、しっかりと「対決している」という感じがした。

そうか、書きながらだんだんと私のキューバ野球びいきの理由がわかってきた。
キューバ選手というのは何だか昔の日本のプロ野球選手の野性味をもっているのだなぁ。

カストロとチェ・ゲバラはキャッチボールをしたことがあったのかなぁ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-11-17 00:42 | 草野球
2012年 11月 15日

「舞浜」創作のためのノート(3) 夢

b0061413_0584791.jpg というわけでそれから数年後、私は東京勤務となり千葉県の松戸や市川などにはしょっちゅう出張もしていたのであるが、依然として東京ディズニーランドは私の視野のなかには入ってこなかったのであるが、私が担当していた保育協会の会議の席で、それは突如視界に入り込んできたのであった。簡単に書いちゃうけど、会議の座長であった横浜のある幼稚園の理事長である大御所のT先生が「全国の保育者が京都の東本願寺に集結してもらえるようないい研修案を出せ」とハッパをかけた。それに対して会議を構成するメンバーのなかでは比較的若い(私より1歳年上)世田谷の幼稚園の園長であるG先生が「京都の東本願寺に人を集めるというよりも、今の時代に人が集まっている場所について、なぜそこに人が集まっているのかを研究する研修会というものを模索した方がいいのではないか」という提言を投げかけたのであった。私は反射的にG先生の考え方に大きく頷き賛同をした。そして、その会議において「今(1995年頃)、人が集まる場といえば?…ディズニーランドだ!」という流れが出来上がった。

b0061413_059761.jpg 会議の後T先生が愛車である横浜ナンバーのBMWに乗れと言う。私は以前からよく御大T先生にはよく横浜にそうやって連れて行かれた。そして夜中まで付き合わされ(まぁ奢ってもらう形をとっていたので悪口は言えないけれども)確実に終電は終わっている時間までは付き合い、そして真夜中に横浜でタクシーを拾った際にタクシー代を1万円くれた。(わはは、ありがたいことであったが割増になっている時間帯なので、いつも3千円から5千円足りなかったなぁ)今日もそういう日になるんだなぁ…今日は特に自分の提言が否定されたともとれる会議の流れになったから不機嫌になって荒れるんじゃないかぁ…という思いで私は車に乗り込んだ。ところが予想に反してT御大は車のなかから夜中のBARまで、その日は終始上機嫌であったのだ。「Gのヤツ言うようになったなぁ…頼もしいじゃないか…そしてディズニーランドをテーマにした研修会なんて面白いじゃないか!加藤、よろしく頼むぞ!」という具合だったのだ。研修会のタイトルは「管理された遊びを考える」となり、どちらかといえば批判的(少なくとも批評的)な眼でディズニーランドを検証する趣旨の研修となった。案内文が対象となる幼稚園や保育園などに配布された次の日から、研修の拠点となる船橋市内のホテルをほぼ貸切にする関係で定員を先着順70名としていたその研修会には応募が殺到し、数日以内に定員を満たした。研修会は興行ではないのだが即ソールドアウト。この形でもディズニーランドの集客力の凄みをしみじみと感じた。

b0061413_0592026.jpg というわけで30歳を過ぎてから、それまで自分の視野に入らず幾度も通りすぎてきたディズニーランドの内部にいよいよ入ることとなった。ディズニーランドのお化け屋敷である「ホーンテッドマンション」に憧れの先生(既婚)と二人(二人一組になっている)で入る。「スペースマウンテン」に可愛い先生(独身)と共に乗り込む。なるほどディズニーランドはデートスポットとしても極めて優秀だということを学んだ。(何を学習してきたんだか…)たとえばスリルとサスペンスにあふれた映画をデートで見て一緒にドキドキするハートの鼓動が恋のときめきとシンクロしちゃったりなんかして…というセオリーにも忠実な要素も満たしている。 さて、船橋市内のホテルを会場として私自身が勉強になったことがひとつあった。ディズニーランドで遊んだ子どもたちにとってディズニーランドを去ること自体が辛いことなのであろうが電車や地下鉄に乗って急速に夢の世界から現実世界に戻るということが嫌でたまらないことなんだろうなぁ…ということを確認したからだ。ディズニーランドの門の前ではミッキーやミニーの風船を持ちながら「楽しかったぁ」と言っているような子どもの表情が、日常空間そのものである電車のなかではしぼんでいる。手に持っている風船もしぼんで見えるほどつまらなそうな顔をしている姿が焼き付いた。3年前に家族でディズニーランドを訪れた際にはその時の風景が思い浮かび、ディズニーリゾートライン(モノレール)という、ちょっと非日常的な乗り物で移動して、子どもたちのいい寝顔が見ることができるところに泊まりたいなぁ…とつくづく思った。これが シェラトンの奇跡 への伏線となったと思う。 さて、もうひとつ「ディズニーランドにはなぜ人が集まるのか」ということについて、この時に思い浮かんだキーワードがあるのだが、それは次回のお話。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-11-15 00:10 | 七草
2012年 11月 13日

「舞浜」創作のためのノート(2) 視野

b0061413_2372288.jpg 人が亡くなられ、取り急ぎ駆けつけるという形の枕経が終わり、お通夜が終わり、お葬式が終わり、初七日のお参りに赴いた時に読経を終えてお茶などをいただく時にかなりの確率でこういうご質問をいただく。「最近、お葬式が多いのですか?」と。はっきりとデータをとったわけではないが、大半の方々が空調が整った病院で亡くなられる今の時代は昔ほどは気候の変化がただちに死因に関わるということは、少なくとも昔ほどはないと思う。ただ、私はケースを重ねて質問者がそういう言葉で質問する意図の深層がわかってきた。質問者には「見えてきた」のだ。ある程度の人口があれば住宅地のなかに一つや二つは必ずといっていいほど立っている忌中の札が見えてきたのだ。斎場の煙も見えてきたし、セレモニーホールに常にといってほど立てかけられている花輪も見えてきたのだ。「あそこはどなたが亡くなったのだろうか」「あそこも大変だっただろう」という気持ちを通じて実際の視野に入ってくるようになったということなのだろうと思う。 私も自分の妻が妊娠するまで街中にこんなに妊婦さんが多いことがまったく視野に入っていなかった。運転中に見る「街を走る人」という存在は交通安全上の意味以上には視野に入ってこなかったのだが、自分がジョギングをはじめると自然に目に入ってくることになった。 

b0061413_2373473.jpg アウト・オブ・眼中。つまりディズニーランドという存在がまったく視野に入ってこない私の生活のキャリアは長かった。1983年、私が大学の2回生(関西地方の表現)の頃から東京ディズニーランドは存在していた。世間的な注目も浴びていたことも知っていた。知ってはいたのにまったく眼中になかった。アルバイトに明け暮れて、少しまとまった暇があればオートバイであちこちに行っていた頃だったが、その行き先の候補どころか視野のなかにディズニーランドというものはなかった。ずっとなかった。もっと顕著なのが1989年から90年で、ロサンゼルスのダウンタウンに住んでいた時期がある。その頃に「ニューポートビーチ東本願寺」ができることになったのでダウンタウンからニューポートビーチまで車で往復するたびにフリーウェイでアナハイムを経由し、あのカリフォルニアのディズニーリゾートのすぐ前を何度も何度も通った。今でも時々だが夢にも出てくる道であるのに、ディズニーランドはまったく視野に入ってこなかった。その代わり、そのすぐ近くにあるカリフォルニア・エンジェルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)の本拠地のスタジアムばかりが私の視野に入ってきていた。もっとも、それでディズニーランドが目に入らなかったのだろう。

b0061413_2374513.jpg 後にヤンキースに移籍してノーヒット・ノーランも達成するのだが、当時、ジム・アボットという投手がエンジェルスのエース格のローテーションに居た。先天性右手欠損というハンディキャップを抱えながら投げ続け、グラブは右脇に挟み打球を処理する時にはそのグラブを瞬時に左手にはめ、ボールを取るとすぐに左手で取り出して送球するという「アボット・スイッチ」と呼ばれる見事なフィールディングをしたことでも知られる。アボットは日本では長嶋一茂と同世代。長嶋一茂が立教大学の4年生であった時、全日本学生野球チームの4番を打っていたが日米対抗の時にアボットの投球にきりきり舞いさせられ連続三振をしていたことも覚えている。そのアボットがエンジェルスの主戦として投げているマウンドがあるスタジアムが見えたという感激でいっぱいで、すぐ隣のディズニーランドはまったく目に入ってこなかったのだろう。私の英語力の不足で勘違いやあるいは私の頭のなかでの美化をしていて正確ではないかもしれないが、ロサンジェルスでテレビを見ていたらアボットがインタビューでこんなことを言っていたのを覚えている。まさに「視野」ということに関する言葉だ。「僕はマウンドの上に居る時がいちばん幸せだ。街を歩いている時、人々が僕の右腕に注目しているのがわかる。僕の右腕はストレンジだからね。でもユニフォームを着てベースボールプレイヤーとしてマウンドに上がる。投球すると人々が注目するのは僕の右腕ではない。この左腕に注目してくれるんだ」 マウンドに立った時にスーパースターとなる彼は実在した「ダンボ」であった。そして数年後、あることをきっかけに東京ディズニーランドが突如、わたしの眼に入ってくることになったのであった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-11-13 00:18 | 七草
2012年 11月 11日

コッヘル189番 からし&大根(おでんメニュー)

b0061413_0105082.jpg おでんの鍋の中身を野球チームにたとえてみる。大根は欠かせない存在である。不動の4番バッターか絶対的エースか、はたまた4番でエースか。それなのにスター性がなくて一歩ひいた感じがある。このブログ記事も「大根&からし」としようと思っていたのに自然とキーボードで「からし&大根」としていた。からしの前でも大根は一歩引いている感じがする。スター性がないのにたいへんな人気者。その人気の秘密のひとつはその控えめなところなのだろうか?コンビニのレジのところでおでんを購入する人を見ていると「まず大根」というタイプの人や、他のおでんダネを何種類か注文した後に「あと大根」というタイプの人などが多いという気がするが、オーダー(注文と打順のダブルミーニング)で大根を外す人はとても少ない。どちらにしろ、打順を組んだり投手陣のローテーションを構想する時に「こいつがいなけりゃ野球にならない」というべき存在となる。実は4番かエースか、というよりも「打順は2番あたりでオーダーからは外せない存在」という打者、あるいは「セットアッパー(中継ぎ)としてベンチ入りしていないとチーム全体が不安定になる」という投手のような存在なのだろう。実際、おでんの広告の写真やイラストで大根を外した絵は少ない。それぐらい「大根がないおでん」というのは想像しにくいし、逆にいえば「大根とこんにゃくとチクワ」というトリオだけでもおでんの体裁を整えられる力をもっていると感じる。さらに薬味としておでんに欠かせないという人がほとんどの「からし」とのコンビネーションは絶妙であるのだが、ここに今回、プチ発見があった。「ぶり大根」という料理がある。(これも「大根ぶり」とは言われない)そこには薬味としてうちの場合は刻んだ生姜を最初からいれちゃうということはあるにしろ、そこではおでんの時と違って(少なくとも私の場合は)からしはつけない。濃さは違うものの同じような成分の味つけをし、広い意味で魚味が染みた大根であるのに。一度(私としては)間違ってぶり大根の大根にからしをつけたことがある。「あっ、間違っちゃった」とすぐに感じた、あの失敗感覚は何だったのだろうか?

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2012-11-11 01:03 | 草外道