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2012年 12月 30日

コッヘル194番 鯛茶漬け

b0061413_23133091.jpg 刑事コロンボのDVDボックスを持っているのであるが、1970年代のロサンゼルスはエキストラはもちろんのこと背景に映っている人々も実にスマートであるという気がする。対して、最近のメジャーリーグ中継のスタジアムの観客席はいかにも狭そうに映る。いろんな人がいる日本でも評論的に「日本人は…」などと言われると腹も立ったり首を傾げたりしたくなるのに多民族国家の典型でもありマルチカルチャライズであり日本の数倍の人口を抱えるアメリカを一絡げに「アメリカ人は…」などと一刀両断にしては申し訳ないのだが、それでも「アメリカ人は餓鬼道に堕ちている」と断言してみたい気持ちを禁じ得なくなる時がある。「豪快さ」というべきものがネイティブ・アメリカンからの伝統も含めてアメリカ文化の魅力であることは承知しつつ、子供用の洗面器ぐらいの大きさのカップでアイスクリームを食べまくっていたり、L寸のピザを各自が一枚づつ食べている光景などを目にすると、何だか餓鬼道であるという気がする。エキスキューズではなく、パーティなどで「たまにドッサリとガッツリ食べる」なんていうことにはほとんど問題がないような気がする。餓鬼道とは、メンタル面で食欲に限定してみれば「自分が何が食べたいのかがわからないままに、食べても食べても満足しない状態」と一応は定義することができると思う。偉そうなことは言えない。また、アメリカ人をバカにはできない。私もまた、餓鬼道に堕ちていた時期が確かにあったのだと思う。

b0061413_23134424.jpg (写真は出し汁と粉茶を注ぐ直前で、ハッキリ言ってこのままも美味しい!)その餓鬼道から抜け出す手段として「禁欲」や「節制」というものが思い浮かぶが、これまた私をはじめとして向かない人が多いように思う。満足できない心を自分の意思でコントロールしようとすればするほど、満足できない身を抱え心を抱えている事実がある以上、その反動というものがまさに心身ともにリバンドとなってやってくる。ストレートでは餓鬼道に打ち勝てないとして、変化球という手があると思う。この場合の変化球とは「コッヘル一杯で何だか満足しちゃうような食事をとってみる」という作戦である。私の場合、たとえばそれは「鯛茶漬け」であった。食べきれないほどのデカイ鯛をいただいたという贅沢がまずあった。食べきれない分を醤油漬けとしておき、翌日、出し汁をかけて薄めの粉茶(寿司屋さん仕様)を注ぐ。一応、一連の調理をしたのは自分であるが漫画の『美味しんぼ』の京極さん風に言うならば「か、海原はん、あんた、なんちゅうもんをワシに喰わせてくれたんや!」と言いたくなるような充実感。 新潟県柏崎市の「鯛茶漬け」は今年の1月に東京ドームで行われた「全国ご当地どんぶり選手権」において準グランプリに輝いた。(ちなみにグランプリは北海道・利尻島の丸善食堂によるうにめし丼)私はいわば関西から新潟県への移民であるので感じることであるが、私の年代から上の人は新潟のお米への思い入れと敬意が強すぎるために(でも、そのおかげでコンビニのお弁当でもおにぎりでも他の地方よりレベルが高い)お茶漬けというものを軽視してきた風土があったように思う。しかし、米の名産地であると同時に鯛の産地でもある新潟県がどうやらとうとう「鯛茶漬け」の魅力に目覚めてしまったような気がする。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2012-12-30 23:49 | 草外道
2012年 12月 28日

コッヘル193番 タコ飯2012

b0061413_0582623.jpg タコを中心にした炊き込みご飯、すなわちタコ飯であるが「以前にやったよなぁ」という記憶をもとにリストをさかのぼってみれば2009年の2月16日にコッヘル5番でやっていた。最初期である。この連載(コッヘル)はもうすぐ丸4年ですか…今後、こういうこと(メニューの再登場や重複)ということもあるだろうから、完成したタコ飯に刻んだミツバをトッピングして今年の年末のメモリアルも込めて「タコ飯2012」という形での再登場である。そもそも大晦日の年越しメニューやおせちコンシャスのために冷蔵庫のなかをスペースを空けるべく整理している時節において、昨晩の夕食メニューを決めかねていた。その時に読んだじぇにー姐さんのブログ記事の後半に記されている、アメリカ南部に日本の実家から届けられた「タコ飯の素」にてタコ飯を作られたじぇにー姐さんの心身ともに充実しきった堪能ぶりを見てしまったのは決定的だった。ものすごく久しぶりにタコ飯というものを作ったのであるが、私だけでなく家族全員のテンションが高まった。コッヘル5番の時はコッヘルを食器としてだけでなく調理器具としても活用して飯盒(はんごう)的に使ったのであるが、今回は「今晩はタコ飯!」のひと言で家族全員がノリにノっているのでそれでは分量が足りない。炊飯器にたっぷりと作ってすぐになくなった。たとえばパエリアなどを作る時も盛り上がり度はかなり高いのであるが、炊飯器の蒸気に醤油系の出汁味を感じると「日本のお祭り気分」という種類の盛り上がりがあった。たこ焼きにおける小麦とのコンビネーションは当然のごとく普遍的ペアリングにしてマリアージュであるが、ご飯の頼もしさと包容力の強さを改めて認識する。15年前の新婚時代にシャラポア(妻・日本人)から「今日の晩ご飯は何がいい?」と聞かれて「うーん、タコ酢なんか食べたいなぁ」と答えたことがあった。私のイメージはタコにキュウリとワカメなんかが酢に浸されたものであったが、仕事からアパートに帰るとタコスを中心にしたメキシコ料理っぽいものが並べてあった。タコ飯を食べながら、思い出し笑いというものをしたけれど、みんな「美味しい!」と笑顔だったので、思い出し笑いだとはバレなかったと思う。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2012-12-28 01:35 | 草外道
2012年 12月 25日

年末雑記

b0061413_14393297.jpg 9日間ほどブログの更新が滞っていた。ずっと以前(8年ほど前)などは週に一回ほどの更新をするということで続けていたので、それはそれでいいのであるが、最近では珍しい。この10日間ほど、6歳の末娘に絵本を読んでやっている。絵本を読むのも大変だが、まるで情報を処理するかのように早口で読むのも嫌だ。ただ同じ内容のものを何度も読むのも飽きてきたので、じゃぱねっとたかたの社長風や歌舞伎の台詞風、そしてウルフマン・ジャックのDJ風などいくつかのバリエーションで朗読したところ、ウルフマン・ジャック風がものすごくウケたみたいで、毎晩9時半を過ぎると絵本を何冊か私のところに持ってきて「あの読み方(ウルフマン・ジャック)で読んで」とせがみにやって来る。そのまま寝かしつけるような形となり、私も途中で起きてメールチェックやブログ更新などパソコンのところに行きたいのであるが末娘につられて朝まで眠ってしまう日々が続いた。 長女と長男の時のパターンでいえば、3歳までは母親一辺倒になついていたが、3歳を過ぎたあたりからようやく父親である私を見ると「パパ!パパ!」となついてきてくれるようになった。今、息子がちょうど10歳なのであるが、3歳から10歳ぐらいまでの間が父親にとっての黄金期であると心得ていた。ところが、末娘には4歳年上(学年だと5学年上)のお兄ちゃんがいる、という点が今までとは違っていた。母親一辺倒の時期を過ぎると父親よりもリアルに一緒に遊んでくれるお兄ちゃんばっかりを追いかけるようになって父親としては黄金期が来ると思っていたらその役割を長男が取って代わってきた今までの3年間であった。ウルフマン・ジャックのおかげで(と言っていいと思う)末娘の父親としての黄金期がちょっと遅れてやってきたのだ。もっとも、ウルフマン・ジャック風の絵本の朗読は、あと10日間ぐらいすると飽きてくるような予感がするので、次のバリエーションを考えなければいけない。 ところで、実を言うとブログペットのウニ(食品サンプル)を夏から失くしていた。愛読しているブログの mitsukiのお気楽大作戦 や 久次郎さんブログ では、ほぼ毎回ブログのシンボルともいえるお人形さんが出てきて投稿記事の味わいをいっそう深めてくれる。それほどの頻度ではないものの、特に写真を掲載する時のサイズ比較が必要な時などには脇役ではあるものの欠かせない存在が私にとってはウニ(食品サンプル)であったのだ。それを「失くした」と感じた時には心にポッカリと穴が開いた。失くしたと認識した時に「いつ撮影した写真が最後だったのだろう?」と調べてみると、山形県鶴岡市立加茂水族館のウミガメの水槽の前で写したものが最後であった。クラゲなどが大変に充実した水族館であり、確かにこの後もあちこちに持ち歩いて水族館のなかに忘れたのかもしれないと思った。幸いラッコはいなかったので間違えられて食べられたということはないと思うし、ラッコも軍艦巻きの形ではウニは認識していないはずだ。水族館の海洋動物や魚には迷惑はかけていないはずだと思った。そして、何となくウニのオブジェを置き忘れるのに水族館というのはふさわしい場所のような気もちょっとはしたが、その喪失感は自分の想像以上に大きく、特にブログに掲載する写真の被写体のサイズを読者の皆さんにお知らせしたい時にウニ(食品サンプル)がないときにはピークに達した。次に東京の合羽橋に行った時にはまた東京美研(芸術的食品サンプルのお店)に寄らねばならないと思ったし、寄ってもひとつひとつが手作りであり美術工芸品のようなものであると思っているのでまったく同じものは手に入らないのであった。それが、ギターケースの内側のカポタストなんかを入れておくところからポロッと出てきた。嬉しかった。可愛いヤツだと思った。見つけたきっかけは年末でありいろんなものを整理していたということもあるけれども、6歳の末娘がたびたび部屋にやってくるのでお片づけをしていたということでもある。もっとも夏以降にカポタストを使う曲さえやっていたらすぐに見つけたのであるが…とにかく、娘のおかげでもある。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-12-25 14:40 | 雑草
2012年 12月 17日

ドキュメント2012年12月16日

Twitterなどで
「今回の衆議院議員総選挙の投票率は極めて低調であるが、混み合って
 行列ができている投票場が全国で続出していた、なぜか?」
という話題が飛び交っていた。

私はその理由をこういう風に解釈している。
「今回は、候補者にしろ比例に書き込む政党にしろ決めないままに
 投票の場にやって来て、鉛筆を持った時点でも迷っている人が多かった」
ということではないだろうか?
実際にそういう人の姿も見たのであった。
それでも、迷ったままでも、選挙権の歴史と経緯、
さらには選挙というものを経験したことがない国家のことを考えると、
投票をしたということはまだいいと思う。
後悔の念さえ、投票という形で参画していなければ生まれてこない。
後悔は、まだ虚無感よりはずいぶんとましであると思う。


数年後、読みなおした時に節目の日になっている可能性が強いので
久しぶりに純日記風ブログ。

昨日の12月16日、日曜日。
法事を終えて夕方、投票に行く。
妻(シャラポア・日本人)は午前中に投票を済ませ、
夕方になってから二人の娘とともにニトリに買物に行く。
6歳の末娘が来春から使う予定の学習机を見に行くという用事もある。
「ゆとり教育」というものも終わり
「ニトリ、今日、行く」ということらしい。

午後7時からサッカーのトヨタ・クラブワールドカップを息子とテレビ観戦する。
サンパウロに住んでいたこともあるご縁からコリンチャンスを応援する。
あのセルジオ越後も1960年代に4年間在籍していたクラブだ。

序盤はチェルシーが優勢。
フアン・マタのコーナーキックからガリー・ケーヒルがヘディングして、
こぼれたボールをシュートされるがコリンチャンスのGKカッシオが
スーパーセーブ。
フェルナンド・トーレス、ビクター・モーゼス、エデン・アザールという
チェルシーのそうそうたる面々によるシュートをカッシオは好セーブや
スーパーセーブで得点を許さず、
こりゃプリウス(最優秀選手賞の副賞)ゲットも当然か。

ハーフタイムに冷凍うどんのさぬきうどんを茹でて
息子は冷たいものを生姜醤油で(本場、さぬき流の食べ方だなぁ)、
私は温かい月見うどんにして食べる。
妻と娘二人はニトリに寄った帰りに軽いものを食べてくるという電話があった。

後半に入ると、衆議院議員選挙の速報が画面の下の四分の一を占拠。
選挙が占拠。

コリンチャンスは個人技もスゴイけど実に狭いスペースにパスを通しつつ
チェルシーのゴールにジワジワと攻め上がり、ダニーロ放ったシュートが
デフェンスに当たったところをゲレーロがヘディングで押し込んで得点。
サンパウロは日曜日の朝だからこのゴールで沸いているだろうなぁと思う。
しかし、会場(横浜国際総合競技場)もすごく沸いている。
日本に住んでいるブラジル人のみならず、こりゃ相当の人たちが
サンパウロを中心としたブラジルからやってきたな。
チェルシーは、オスカル(ブラジル代表選手だなぁ)を投入して
その攻撃の激しさを増したが、コリンチャンスが1−0で勝利した。

衆議院議員総選挙の結果は深夜の今もまだ出揃っていないけれど、
この試合の後半からどんどん入ってきた。

民主党の大惨敗は予想通りだが、
憲法第96条は第1項で規定される憲法改正の最初の条件である
「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」というところの
衆議院の方の条件を満たすことになっているなぁ、と思った。
小泉進次郎が
「自民党に風は吹いていなかった、民主党が酷すぎた」
とキッパリとテレビカメラに向かってコメントしていた。

投票率の正確な数字はまだ確認していないけれども
日本テレビがニュースで報じていたことによると
投票率は衆議院議員総選挙としては現憲法下で行われたなかで最低の
59%台であったという。
震災復興支援、原発問題、消費税、TPP、憲法改正か護憲かなどなど、
争点がありすぎて困るということはあっても、
問題山積みの日本の衆議院議員総選挙で
これが、いちばん悲しくていちばん痛いニュースであった。
年代別の投票率などはまだ出ていないけれども、
投票場に歩いていくのがやっとの高齢者において投票率が高く、
20歳代や30歳代ではかなり投票率が低いという。

その気持ちはわからないでもない。
3年半前の前回の衆議院議員総選挙では民主党に投票した人がいちばん多いはずだ。
その人々が今回は民主党には投票したくないという気持ちになったとして、
かといって「ではどこに票を入れるか?」となった時に、
どこもピンと来ない

これから自民党に投票した人が、いちばん自民党を批判できると思う。
信頼し、支持して実際に選挙で一票を投じたのであるから。
もちろん自民党以外に投票した人にも、その政党に
「しっかりせい!」という叱咤激励をおくりつつも応援して支援する形で
批判することができる。
ただ、選挙に行っていないのであれば
たとえ居酒屋での政治談義(ばっかりしているのは私も野暮だと思うが)でも
その批判はどこか虚しいものであるような気がする。

憲法自体が定めているルールであるから、衆参両院の三分の二以上の議員が
「憲法を改正すべきだ」
というのであれば、そうするべきであろう。
ただ、その議員を選び出す選挙に有権者の三分の二以上が参加していないと
いうようなことになると大変に虚しいものを感じる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-12-17 01:22 | 草評
2012年 12月 15日

一見さんお断りの店

今の京都で
「一見のお客さんはお断りだす」
なんてお店はどれぐらいあるだろう?
『ミシェラン』の関西版で星が与えられるはずであったのに
掲載許可を出さなかったお店が京都で複数あったと聞いた。
だから、今でもあることはあるのだろうと思う。
ただ30年前から今では半減どころか、ほとんどなくなっていると思う。

名前を聞いただけでビビっちゃうような旅館でも料亭でも、
たとえば「一休.com」なんかで検索すると
そのまま予約ページに進めたりなんかする。
いけね、調子にのって予約なんかしちゃうところだった。

まあともかく、ネットを閲覧できる環境にあって
クレジットカードを持っていて
あとはそれを使った後で引き落とされる銀行の口座に必要な残金さえあれば、
まあ紹介者なしで初めてであったとしても入ることを断られることはない。
そしてクレジットカードにしても
「使えるのはアメックスとダイナースだけ」
なんていうお店も天然記念物なみになっているはずだ。

30年前の京都には
「一見さんお断りのお店」
というものがあったように思う。
それは必ずしも有名だったり高額だったというわけではない。
また、昔からそれは多くあったわけではないが、確かにあった。
京都に数多く滞在している観光客や学生と地元の常連客とを識別するための
ものであったのだろうか?
「一見さんお断り」とは、
何とスノッブ(見栄っ張りの気取り屋)な態度なのだろうかと
ずっと思っていた。

しかし、今ではちょっと考えが変わってきた。
サービスという言葉の語源が「礼拝、身を捧げること」ということでもあり、
そうすると「元祖サービス業」とも言える業界にあって
「一見さんお断り」などというようなことは言わないにしろ、
(そうじゃないと初めての人とはずっとご縁がないことになっちゃう)
ずっとお付き合いがある人たち、先代からのお付き合いがある人たちと
実際に対面する役割が生業の中心にあるということにおいては
「顔が見えるお客さんを相手に尽くしたいだけなんです」
という一見さんお断りのお店なり旅館なりの論理の正当性が見えてきた。
「不特定の多数の方々」というものの存在を抜きにしているわけではない。
まずはこのブログや道行く人のための法語掲示板などは
「会うべき未来の一見さん」のためにやっているようなとこもある。

AEON(ジャスコ)やファミリーマートが葬儀産業の世界に入ってきて数年経つ。

ポイントカードはお作りになりますか?

というのはサンドウィッチマンの葬儀産業を題材にしたコントのネタであるが、
このネタを笑えなくなっているのが今日。
とても大きな資本をもつ流通業界の大手が参入してきた。

従来の(とはいっても30年前にセレモニーホールのようなものはなかった)
葬儀産業と呼ばれるところも大きな渦に巻き込まれることになった。

葬儀産業を否定するわけでもAEONやファミリーマートの参入を
否定するわけでもないが、ここでどうも
「価格競争」
というものが行われているようだ。
価格競争が起こって出費が減るのはどんな分野でもいいことではないか?
という考えがある。
(葬儀が安い!と言われても安いとは思わない人も多いと思う、あっ一般論です)
家計簿の上ではいいことにしか見えない。
でも、
安いことを威張られても困る。
安いことに甘んじて手を抜かれても困る。
コストパフォーマンス最優先ですべてを合理性で仕切られても困る。

デフレは 「賃金が安くなる」 という弊害がある。
数字にできることでは、これが弊害としていちばんわかりやすい。

数字にできないことで言うならば、
人間が安っぽくなる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-12-15 02:10 | 草評
2012年 12月 13日

コッヘル192番 セリの根のきんぴら

b0061413_16295120.jpg 写真では「セリ、特にセリの根っこなんてどこにあるのか?」と言われそうなので少し説明が必要だ。すき焼きなどでセリがたっぷり入っているものは大好物であり、私としてはセリの根っこの部分もいっしょに鍋のなかに投入したいと思うのだが、どうも子どもたちにとっては見た目に抵抗があるようだった。(根っこ部分以外は私と同じく大好物)そこで、啓蒙のためのきんぴら。根っこ部分を水洗いしたあとでさらに一晩、水に浸しておいて、毛細血管のようなセリの根をさらに刻んで何が入っているかわからないぐらいに細かくなったものをゴボウとニンジンのきんぴらに混ぜて炒める。見た目は大きく削いだり切ったりしたゴボウとニンジンしか目に入らないのであるが、香りが全然違う。それも、ゴボウの持っている土の香りにとてもマッチしつつ相乗効果をかきたててくれるような感じ。この啓蒙活動をすすめていきたい。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2012-12-13 16:40 | 草外道
2012年 12月 11日

中村勘三郎さんの法名(戒名?)演暢院釈明鏡大居士

私はとても歌舞伎のファンとは言えないが、
追悼番組で見た連獅子で
中村勘三郎さん(18代目)の毛先に渦が巻き起こりはじめるのを見た。
物理現象を超えた形でのトルネードが舞台に現れて
それがまずは共に演じる二人の息子を巻き込み、
さらには三味線方、唄方、大鼓、小鼓、笛など舞台上の
すべての音もまたリズムキープだのテンポだのそんなデジタル的な価値観を越えて、
すぐそばに居る演者の気持ちが憑依してきたかのような音が醸しだされ、
それはアクションと呼応の関係をもった。
さらにそのグルーヴはすぐに客席全員をも巻き込んで、
スタンディングオベーションという
メジャーリーガーを褒めたたえるかのような表現が観客側から巻き起こった。
(勘三郎さんは、かなりのメジャーリーグ通であり、
日本ではかなり珍しいアリゾナ・ダイヤモンドバックスの大ファンであった。)

つい先程、その中村勘九郎さんの出棺の様子が生放送で放映されていた。
喪主挨拶が代読であったのでテレビに注視していたら、
すぐにその理由が長男次男ともに京都の南座の舞台に出演中であるからだ
ということがわかった。
そしてこの中村家のお手次の寺院(菩提寺)が、
浄土真宗の、真宗佛光寺派である東京台東区にある西徳寺という寺院であることを知って、
正直言って嬉しいものを感じた。
中村家の家風(そこに封建制などを連想して家を安易に批判などもすることは簡単だが
背負う責務によって実父の出棺にも立ち会うことができない厳しい家風なのだ)
のなかに、その求道の高みゆえに尊重せざるを得ない
カリスマ的なもの、神秘的なもの、規律的なもの、順列的なものがあることも確かながら、
十八代目の中村勘三郎さんの気質、性格から垣間見えるものは
「大衆性、平等性をとても重んじる」
ということであり、それがファンを大事にしたり、
後進を育て上げたり、歌舞伎や演劇に関わる
裏方のひとりひとりをたいへん大切にしてきたエピソードとともに絶賛される。
その気風に、浄土真宗との接点があるとするならば嬉しいと、単純に感じたのだ。
葬儀が本派本願寺派の築地本願寺であるということも、
同じ浄土真宗でのつながりのほかに、
広くて公共交通機関での移動ができる場に
一人でも多くの方に列席していただきたいという、
おそらくはそういう配慮がはたらいているものだと感じることができる。

ただ、テレビに映った
演暢院釈明鏡大居士
という法名に、逆に違和感があった。
ちなみに浄土真宗では戒名と言わずに法名という。
帰敬式(ききょうしき)というものを受けられ
生前にその法名を授かられた方も多い。
「戒律を守るものになった」
という、受戒の意味合いが強いのが戒名である。
戒律よりも南無阿弥陀仏をとなえることが最優先である浄土真宗には、
どうも戒名という言葉はなじまない。
ところが、この法名(戒名?)は
釈尊(お釈迦様)の真仏弟子の名乗り、まさに法名としての「釈」の文字が
ある一方で、「大居士」という戒名の位である院殿号(いんでんごう)の
最高位のものがつけられている。
つまり、これは「法名でもあるし戒名でもある」という言い方もできるし、
「法名とも戒名とも言えない」という言い方もできると感じる。

十八代前(あるいはそれ以前)にさかのぼって中村家と仏光寺派の西徳寺さんとの関係や由緒や
慣例などを存知しないまま批判するつもりはない。
私が今所属している寺院も太平洋戦争中やその直後などの時期には
「遺骨さえなく、せめて法名だけでも立派なものを」
という切なる希望のもと、居士をつけた法名はいくつかあるのだ。
ただ、思ったままを書かせていただくならば
「大居士」
という院殿号は、できれば見なかったことにしたかった。
見なかったことにして「法名」としてその味わいを語りたかった。
これは論争の種にしようというような考えではなく私の願望である。

ちなみにこれは全体の違和感を語る上でのエクスキューズではなくて
釈明鏡
は、素晴らしい法名である。
日常的な文字ながら、いや、だからこそ
ゆえに「明」も「鏡」も大事な経典にもある文字であり、
鏡を通じて自分を見つめてこられた方にふさわしい名である。

院号(演暢院)の方に関しては、
「演」は演技者であることを示すものとして
「暢」の文字は「のびやかに通る」という意味である他に、
真宗(大谷派)の僧侶としては歴代の門首の名乗りとして
大事な文字でもあり少し驚いた。

とにかく、
十八代目中村勘三郎さんが
法名として私に名のってくる名前は、
釈明鏡
の三文字。
これは私の個人の受け止めです。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-12-11 15:03 | 草評
2012年 12月 09日

最終の行方

12月5日に放映されたNHKの「クローズアップ現代」の特集
「お葬式がだせない。どうする、葬送の場」
の反響がすごいようだ。
この番組のゲスト解説者へのインタビュー部分は基本的に生放送であり、
再放送というものがない。
オンエア時に見ずに録画もしていなかったのに
会う人からコメントを求められて、まずはネットで放送内容を確認した。

放送内容の要点は老人人口が増えた関係で死亡者数が増加して、
火葬場(あるいは火葬場も兼ねた斎場)が受け入れられない状況が発生していると言う。
従来であれば3日か4日のうちには荼毘(だび)にふすことが可能だったが、
最近では半数以上が1週間以上待ちの状態になり、
場合によったら10日程度かかってしまうのだと言う。

首都圏、あるいは環首都圏がそういう状況にあることは薄々ながら気がついていた。
首都圏の「どこか」に火葬場(あるいは火葬場を兼ねた斎場)の新たな建設や設置が
必要であるのだが、その「どこか」という空想上の場所が具体的になった時から、
その計画は実行が困難となってしまう。

死体遺棄罪という刑法上の罪があるように
遺体、遺骨は決してゴミとか廃棄物ではないので、
この流れのなかで次のことを書くには心苦しいどころか
自分でも過激さに近いものを感じるのであるが、
核廃棄物の処分をどうするのかと思う。

もしも重大な原子力発電所の事故が起こらなかったとしても
(そうだったらどんなに良かったことだろうとはいつも思う)
そうだったら日本には新たに4基の原子力発電所が出来て、
そして日本全国の使用済み核燃料を保管しておく場所は
後1年ほどで満杯となる予定であった。

12月7日の「報道ステーション」という番組の11党首討論会で、
(クローズアップ現代は見逃したがこちらの方は見た)
司会者の古舘伊知郎が憲法改正やらTPPやら震災復興支援やら増税やら
大変に大事な問題を驚くべき短時間の間に次々と質問していくなか、
最後の方に
「核廃棄物の最終処分について具体的に考えている政党はありますか?」
という趣旨の質問を投げかけた。
まさに放送終了間際の質問であった。
政策の違いはもちろん各党首の将来構想がわかりにくいなかで、
その見解の違いを問うという意味でいい質問だと思ったので
「最初からその問題だけに絞って1時間やれ!」
と思った。

舛添要一氏が
「ツンドラ地帯など人が住んでおらず地盤が安定した土地に国際協力で
 もっていくべきだ」
という持論を語って、後は尻切れトンボであった。
ツンドラ地帯?
ロシアかアラスカ(アメリカ合衆国)か北極圏か南極圏か?
アラスカにはかつて核廃棄物(原子力発電ではなく核兵器とその実験で出たもの)を
そこに持っていく計画があったようだが、寸前のところで阻止した。
日本の核廃棄物をどこの国が受け入れてくれるというのだろう?
南極圏はどこの国の領土でもないということになっているが、
そこに核廃棄物をもっていって最終処理をするということになると、
ロケットに乗せて太陽に打ち込むとか、同じくロケットで宇宙空間に発射して
遠い星を周回する軌道にのせてしまうというような案にも近いSF的な発想であると思う。
(打ち上げや起動計算を失敗すれば、ジ・エンド)
ただ舛添氏を単にバカにしたくはない。
他の党首は時間がないせいもあったが何も言わなかったのだから。

その「報道ステーション」の党首討論会には出席していなかったようだが、
田中康夫氏は
「福島第一原発から30キロ圏内の方々に他の居住地を国家が責任をもって提供する」
ということを条件に(田中康夫氏を擁護するわけではないが、ここに力点を置いている)
福島第一原発の周辺地を最終処分場とする案を述べている。
これもまた、何も言わないよりはえらいと思う。
しかし地震国の日本のどこにも適した土地はないとはいっても、
「千年に一度」(この表現が正しいのかどうかは誰も断言できないが…)
という地震であったにしろ、プルトニウムの毒性がようやく半分ぐらいになる
25000年後まで、25回は大震災が起こりうる土地に人類全体を滅亡させ
得るほどの分量の核廃棄物を取り集めていいものだろうか。
そして当然ながら
「これ以上の汚染と生命を脅かす危機をさらに福島に押し付けるのか!」
という声は怒涛のごとくに巻き起こる。

他に「現在の原子力発電所がある土地」という案も
考えられる。考えられるというか、
最終処分の方途もまったく具体的に検討されないまま、ズルズルと先送りとなり
「とりあえず青森の六ケ所村の再処理工場も含めて今ある原発施設内で預かってくれ」
ということが毎年繰り返されるということも考えられる。
それを繰り返して
「無事に10万年が経過しました!」
というのならいいけれども、
何かあったら大惨事となる危険が全国に分散しているままである。

いちばん実現が難しいであろうが、
いちばん筋が通っているように思える意見は
「消費した土地で最終処分をする」
である。
つまり、ある意味においては契約のとおり
青森の六ケ所村の再処理工場で預かって保管してある使用済み核燃料は
預け先の各電力会社に返すというもの。
東京電力の使用済み核燃料は東京電力管内に。
関西電力の使用済み核燃料は関西電力管内に。

東京電力管内といってもほとんどが首都圏と環首都圏に含まれる。
東京というところを愛すべきところと思い、妻の故郷であり、
友人が多く住むところであり、恩のあるところであり、楽しい遊び場である
ひと言でいえば「好きな土地」であるけれども、この「筋を通す論」から
そのなかでももっとも実現しそうもない東京都の二十三区内を考える。
反対運動なんてものではないだろう。
(1) 多くの住民に生命の危機がある
(2) 土地の資産が大幅に下る
(3) 皇居がある
(4) 国会議事堂がある
(5) 霞が関がある
などなど、数え切れないほどの理由があがってくるだろう。
火葬場や斎場さえ新たに作ることができないところに
使用済み核燃料の最終処理施設などできるわけがない。
でも、
「じゃあ、他の場所ならいいの?」
と問うならば、そんな場所は日本のなかにない。
今の段階で世界のどこにもない。
「電力をいちばん消費してきたところで処分する」
ということの可能性ぐらいは模索してもらわないと
何だかやりきれない気持ちがある。


原子力発電所が必要で安全を強調するならば
全国の主要都市のどまんなかにあればいい、
とはずっと思っていた。

「こんなことなら原子力発電は最初からやるべきではなかった」
と、誰でも思うようになったことが唯一の学びの成果であろうか。
大きな後悔だけが現段階での結論か。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-12-09 04:15 | 草評
2012年 12月 07日

ユングのシンクロニシティ(synchronicity)を考える

b0061413_21384055.jpg 6年前に5年ほど前の話として書いたことがあるので、11年ほど前のことである。車で寒冷地の出張先から帰ってくる途中に急に雪が降ってきて、車のフロントガラスの霜を取るためのスプレーを買おうと思った。確か高速道路を走っていたのだが、視界が悪いせいで万が一のことがあってはいけないとわざわざ高速道路を降りたのだ。ホームセンターでも良かったのだがオートバックスの看板を見つけて、霜取りのスプレーを1本買うだけの用事でそのオートバックスに立ち寄った。たくさんの商品が並べられているなかでレジに霜取りスプレー1本だけをもって行った。「ありがとうございます」と言ったレジ係の女性店員さんの胸の名札を見ると 「霜取」 と刻印されていた。 その時に急に寒くなってこなければ、ふとスプレーを買おうと思わなければ、など、いろいろな条件が重ならなければこんなに11年前のささいな出来事など覚えていないだろう。スプレーのことも出張自体のことだって忘れている気がする。 シンクロニシティ(synchronicity)とは「意味のある偶然の一致」のことで、日本語訳では「共時性(きょうじせい)」とも言う。カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)がクライアント(治療対象者)とカブトムシの話をしていたら、まさにその時、窓から一匹のカブトムシが部屋に入ってきたことから発想されたと聞いたことがある。その時にカブトムシが入ってこなければ、何人ものクライアントを持っていたユングはカブトムシの話をした事実自体が記憶にはまったく残らなかったのではないかと想像する。どうも、シンクロニシティは「記憶」ということと関係がありそうな気がする。もちろん、ご縁とか因果関係とかセレンディピティとか、めぐり合わせとか、そういうこととももちろん関係ありそうだ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-12-07 21:38 | 草評
2012年 12月 05日

長時(George)と慈恩(John)

娑婆永劫(しゃばようこう)の苦(く)をすてて 
浄土無為(じょうどむい)を期(ご)すること 
本師釈迦(ほんししゃか)のちからなり 
長時(じょうじ)に慈恩(じおん)を報(ほう)ずべし


(親鸞聖人の『高僧和讃』のなかの善導大師を
 讃えて書かれた二十六首のうちのひとつ)

シャバダバもがいて苦しんだ
相変わらずのこの俺の
背中をあんたが押したから
どでかい道が見えたんだ
ずっと頭を下げながら
一歩一歩を踏みしめる

(マーヒー加藤・洋楽歌詞カード風超訳)

「長時」は「じょうじ」と読み、さらに儀式としての読みでは
「ジョージ」という感じで発声する。
ふと頭のなかでジョージ・ハリスン(George Harrison)を
連想しちゃった次の瞬間、
「慈恩」という言葉が、これまた発声としては
「ジョン」という感じで発声するので、
連想の連鎖とはいえ当然のごとく
ジョン・レノン(John Lennon)を思い浮かべた。

ポール・マッカートニー(Paul McCartney)が
70歳であるという事実はロンドンオリンピックの
開会式と閉会式で意識した。
矍鑠(かくしゃく)としたプレイ、というには失礼なほどの
若さを見せてくれたものの、70歳であるということもまた事実。
ビートルズエイジと呼ばれた人々がもはや若者ではないことも事実。
メジャー・デビュー曲の『LOVE ME DO』の音が世に流れてから
50年が経過したということも、これまた事実。
たとえば老人介護施設などで、
慰問に訪れたバンドから初期のビートルズナンバーが演奏されるのを
ビートルズエイジが聴くということがあってもおかしくない時が経ったのも事実。
ビートルズエイジと呼ばれた世代で亡くなられる方がいる、
そういうことから、最初は自分でも突飛だと思った連想ははじまったのかもしれない。

12月の上旬になると、12月9日の命日を中心に
ラジオなどから、ジョン・レノンの歌声を耳にする機会が増える。
ジョン・レノンが銃弾に倒れた17歳の冬に繰り返し耳にしたことと、
『Happy Xmas (War Is Over) 』という曲があることから、
どうもジョン・レノンはもちろん冬の風物詩などという存在ではないのだが、
私のなかでは冬を感じる。

さて、そんな感触をもとにビートルズを聴いてみると、
(特に多重録音などは駆使していない初期のナンバー)
不思議な感触にとらわれる。
ベース・ギターとドラムの音は
「今も生きている人がかつて出していた音」
であり、
サイド・ギターとリード・ギターの音は
「亡くなってしまった人が出している音」
なのである。
さらにそれが渾然一体となった音の塊に聞こえる時には、
「生と死の混ざり合った世界からの音」
というようにも聞こえる気がしてくるのであるが、
聞き方を少し変えるならば、
生と死の世界をつなぐものに聞こえてきたり、
生と死の世界の別を超えるものとしても聞こえたりする。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-12-05 08:36 | 草評