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2013年 02月 27日

コッヘル203番 酢おから

b0061413_17355818.jpg 料理を盛りつけたというわけではなく、村杉温泉の川上とうふ店の店先で売っている、おからを酢漬けにしてキュウリやニンジンなどの野菜を混ぜて販売しているものである。それを買ってきてコッヘルに盛っただけのものである。関西ではおからのことを「きらず」と言う。もうちょっと風流に言えば「卯の花」である。確かに今回は包丁をまったく使っていないので「切らず」(切らないだけでなくほぼ料理せず)でありながらコッヘルの上に卯の花が咲いた。ただ、これが美味い!豆腐サラダとはまた違うが、大豆のエキスと食物繊維が溢れ出る純和風サラダである。最近、思うのだが味覚や脳の働きを越えて体が喜んでいるような感覚のようなもの、それを感じた時に思わず声になって「美味い!」という声が出る。おからというのは元々安いものの代名詞のようなところがあったが、食物繊維や酢などのサプリメントのCMや広告を目にする(ホンマによう目にするなぁ)たびに舞妓はん口調で「そんなに高価な薬やサプリを飲まんと、こういうもんを食べはったらええのに」と思ってしまう。そして、体が喜ぶもの(個人差があります)は、ある程度、舌も脳も喜んでいるのであった。

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2013-02-27 20:59 | 草外道
2013年 02月 25日

失われた時を求めるラーメン(7) 新潟県三条市の「笹舟」

b0061413_17102272.jpg 昨日、シャラポア(妻・日本人)と6歳の末娘が二人で昼食を荻窪の春木家さんでとってきた。久しぶりに東京の実家に末娘だけを連れて帰っていたのであった。私も妻も春木屋さんのファンであり、長女を妊娠中の15年前に食べて以来であるということを本人もよく覚えていた。日曜日であったが正午前に行ったので行列に並ぶ時間は15分だけで済んだという。ラーメンをいただきながら末娘が「美味しい!美味しい!」と言いつつ、こういうことを言って店員さんたちと周囲のお客さんたちをみんな笑顔にさせたという。「美味しいね、パパもこのラーメンがきっと好きだね、お姉ちゃんも好きだね、お兄ちゃんもきっと大好きだね、今度はみんなで来ようね」ちょっとジーンとした。そして東京都内の大繁盛店のなかで春木屋さんというのは驚異的な忙しさのなかで実に細やかにサービスが行き届き、そして子ども客にも実に優しくて親切だったなぁと思い返すのであった。 さて、今回は4年とちょっと住んだことがある新潟県の三条市の「笹船」(ささぶね)というラーメン屋さんについて書いてこの連載を一段落させたい。通常、この新潟県の三条市と隣の燕市の「三条燕系ラーメン」(隣の燕市では燕三条系ラーメンと言う)というのは太麺でこってり醤油味で背脂のトッピングが特徴である。新潟県の県央地域、特にこの三条市と燕市は多くの中小企業や工場があり、太麺や背脂など三条燕系のラーメンの特徴が生まれたのは「出前をしても冷めにくい工夫」であると言われている。(だたし今は出前をやっているお店は極めて少ない)私はその三条燕系ラーメンも好きなのであるが、漠然と「ラーメンが食べたいなぁ」と思った時の「ザ・ラーメン」がこの「笹舟」のラーメンであった。オーソドックスな醤油味のラーメンで、麺といいスープといい、おそらくいろんな技工や工夫が施されている逸品なのであるが、外連味を嫌いつつその技巧はいづれも決して出しゃばらずシンプルに徹して丼のなかにザ・ラーメンとして収められている感じがする。 このお店はかつてあった地方競馬の三条競馬場に近かった。(三条競馬場はなくなってしまい現在は乗馬クラブになっている)子どもがまだ長女一人だけだった時代、当時2歳から3歳頃のその長女に「動物園に行こうか?」(動物は一種類しかいないのだが…)と言いつつ散歩しながら競馬場に行った。中央競馬とは違ってパドックなどは馬に触れることが可能なほど間近で観察することができ、競馬新聞も買わずに馬を観察した上での直感とゼッケン番号と名前というだけの情報で馬券を買った。そういう買い方だと単勝式で買うことが多くなることもあってよく当たった。私の場合は競馬新聞などで前走(以前のレース結果)の順位や持ちタイムや血統などの情報を頭に入れても惑いや迷いがあってかえって当たらなかいみたいだ。ただ中央競馬で馬単(レースの1着と2着をその着順どおりに当てる)方式が導入される前にいち早く地方競馬で実施されていた時、パドックでいちばん良く見えた馬とその次に良く見えた馬を千円で馬単の一点買いをした。初めて買った馬単馬券であったが、その通りに1着2着となって的中した。オッズ(配当の倍率)もまったく知らないままに買ったので「もしも万馬券だったらボーナスをもらうような額になるぞ…」と緊張しつつ勝馬投票券を機械に入れると、2万5000円が出てきただけだった。馬単としては25倍ぐらいの、割合と本命路線だったようだ。それでも、パドックでの観察だけで一点買いで当てて気分が良かった。幼かった長女も、何だかよくわからないがパパが応援しているお馬さんたちが一生懸麺にかけっこをしていて、パパが応援している馬が勝ったという雰囲気がわかっていたみたいで喜んでいた。そんな「一種類だけの動物園」の帰り道、この「笹舟」さんに寄った。普段でも人気店であったので競馬の開催中などはなおさら混んでいたのであるが、ここも春木屋さんと同じく子どもにも優しいお店。そして、春木屋さんと同じく本格派であるが子どもにも「美味しい!」と言わせるような、そんなザ・ラーメンなのであった。

マーヒー加藤

失われた時を求めるラーメン(1) 天下一品のラーメン
失われた時を求めるラーメン(2) 北山新町にあったラーメン小屋
失われた時を求めるラーメン(3) 京都北山元町ラーメン(実践編)
失われた時を求めるラーメン(4) 春木屋(東京・荻窪)
失われた時を求めるラーメン(5) 天天有(京都市一乗寺)
失われた時を求めるラーメン(6) 京都モーニングラーメン
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by kaneniwa | 2013-02-25 20:08 | 七草
2013年 02月 23日

草仏教掲示板(50) ワンガリ・マータイ(Wangari Muta Maathai)さんの言葉

b0061413_09231.jpg マータイさんは2011年の9月25日にお亡くなりになられた。東日本大震災の報道、原子力発電所の大事故をどのように受け止められていたのだろうか。ノーベル平和賞の受賞者であり「もったいない」という日本語を世界に広めてくれた人としても知られているが、今の日本人として果たしてマータイさんに「MOTTAINAI、もったいない」という言葉を教えた国の一人として誇らしい気持ちになるかどうか?どちらかと言えば、その資格があるかどうか?という疑問に変わっていく。 最近「持続可能な社会」などという場合の「持続可能」という言葉をよく耳にしたり目にする機会が増えたような気がしているが、この「持続可能」という言葉も、最初に言い出したのがマータイさんだったかどうかは別にして「持続可能な開発(Sustainable Development)」などの提唱でマータイさんが世界に広めた言葉であり概念であると考えている。デベロップメントというと、受験生時代の悪いクセですぐに「開発」と言ってしまうけれども、持続可能な範囲で未来に向い進んでいくというか、歩んでいくという(進歩?)というニュアンスも多分に含まれていると思う。多分。 北京という都市がある。28年前に一週間滞在したことがある愛着があるところだ。今、テレビ報道では特に大気汚染が顕著な日の映像を見せられていることもあるれども、酷い状態だ。シャラポア(妻・日本人)に「俺がもしもサラリーマンで北京に転勤になったらどうする?」と尋ねた。「単身赴任」という答えが返ってくると思ったら「会社を辞めてもらう」と言った。ただ、子どもの頃の公害報道を思い出し、時々、光化学スモッグなど実際にそれを移動中などに体感した経験でいえば、40年前の日本も近い状態にあった。その時代から比べると日本はずいぶんときれいになったように思う。確かに自動車の排ガス規制は厳しくなり、いろんな分野でいろんな努力が行われてきたが、実際のところ工場などの生産拠点が中国をはじめ諸外国に行ったということであると思う。最後に、どうしても書かなければならない。ほんの数年前まで世界的な環境団体のいくつかが原子力発電を容認するだけではなく推進さえもする発言をしていて耳を疑ったのであるが、やはりそれは間違っていた。原子力発電は、持続可能ではなかった。東本願寺は御影堂の大修復を終えて阿弥陀堂の大修復に着手しているが、法人で山を買って100年後の修復のために、あるいは100年後の再建のために木を植えよう!

文 マーヒー加藤
書 シャラポア
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by kaneniwa | 2013-02-23 23:09 | 草仏教
2013年 02月 21日

失われた時を求めるラーメン(6) 京都モーニングラーメン

b0061413_205264.jpg 昨年の春のJRの大きなダイヤ改正がかなり堪えてきている。京都や大阪に夜行列車(ブルートレイン)で移動できないという現実が日々重く感じている。新潟空港から伊丹空港までジェットでビューンは電車でゴーよりも移動そのものは短時間でできるものの、朝からの一日を有効に活用するのに夜行列車というのは非常に有用であったと常々感じている。関西に行く時にその選択肢を失ったことは大変に痛い。先月、スケジュール上の都合で往復とも夜行の高速バスを使ったのであるが正直言ってきつかった。夜行列車とは違ってなかなか熟睡するというわけにはいかなかった。夜行の高速バスはアメリカのグレイハウンドバスよりは少し柔らかくていい座席であるもののリクライニングシートを最大限まで倒しても夜行列車の寝台の快適さをどうしても思い出してしまう。夜行バスで快眠できる極意というものを一晩中考えてみた。ひとつは大変にシンプルながらバスの運転手さんへの感謝である。なんぼ深夜のバスでの移動が大変だとはいっても、何度も車やバイクで新潟と京都の間を往復した経験があるので、自分で運転するよりはかなり楽ちんであるという暗示をかけてみる。そして小さい小さい声で「運転手さん、ありがとう」と言ってみる。そうすると、そんなことを言っている間にも少しづつ目的地が近づいている実感が沸く。もうひとつは暗示というよりは妄想であるが、自分がお姫様になって「お姫様抱っこをされている」というイメージを持つことである。そうすると、それまでは無理にとっている苦しい姿勢であると思い込んでいたものが、悪者から救出してもらって安全な場所に運んでもらっているというヨガのポーズ的な身体からのイメージが、熟睡への手助けをしてくれる。そうすると、明け方ちかくの数時間は熟睡に近い形で眠れる感じだ。このイメージトレーニングは飛行機のエコノミークラスでも活用してみたいと思う。

b0061413_20525883.jpg さて、新潟を出発して夜行バスであると朝の5時台というたいへんに早すぎる時刻に京都に着いてしまう。京都駅周辺にはコンビニはたくさんあるのだが、喫茶店のモーニングにもまだ早い時間なのである。そんな時、京都駅から徒歩で10分圏内にある塩小路高倉、いわゆる「たかばし」付近に二軒のラーメン店があり、そのうち第一旭(ラーメンは上の写真)は朝の5時30分から、そしてその隣の新福菜館(ラーメンは左の写真)が朝の7時30分から開いているというのは嬉しい。第一旭などは朝の5時30分から開いて閉店は深夜の2時である。もちろん従業員さんは2回転か3回転していらっしゃるのだろうが3時間しか休みがないありがたいラーメン屋さんである。朝の5時30分などという時間帯にお客さんなんかいるの?と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、それがけっこう満席なのだ。朝から軽く行列になることさえある。夜勤明けの方々や徹夜での遊び人などなど。ライバル業者や麻雀を闘いぬいたグループなどが群雄割拠、呉越同舟でラーメンをすすっている。第一旭の朝5時30分開店もビックリするがラーメンの濃密度からいうと新福菜館の朝7時30分開店というのも驚異である。近くのサウナに入ってから、あるいは東本願寺の晨朝参拝をして朝のご法話を拝聴した後に喫茶店のモーニングにするか新福菜館のラーメンにするか迷いに迷った末に「喫茶店のモーニングはいつでも行けるからなぁ」という気持ちが後押ししてモーニングラーメンにする。そうすると、相席していたのが東本願寺の関係者であった、ということも何度かある。第一旭も新福菜館も失われた時を求めるラーメンというよりはこうして「今でも時々味わうラーメン」ではあるけれども、学生時代から麻雀などの徹夜明けにこうして朝ラーメンをしたことがある身としては、失われた時も味のうちに入っている。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-02-21 20:53 | 七草
2013年 02月 20日

かんだやぶそば の写真があった(しかしウニを撮っていた)

朝のニュースで東京神田の須田町一丁目という、東京のなかで戦火を逃れて
昔からの建造物がある場所から火災が発生したという。
そして「老舗のそば店が半焼した」と伝えていた。

草仏教ブログのなかに、神田のやぶそばの写真があった。
ただ、ウニ を手に入れたばかりで、ほとんどウニの背景とさせていただいたもの。

文化財的な価値がある建物を失ってしまったが、あの注文を復唱(復誦)する時の
独特のイントネーションをもって復活をして欲しい。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-02-20 06:37 | 草評
2013年 02月 19日

コッヘル202番 カブのTITAN(炊いたん)

b0061413_1082185.jpg こういうものもたまには作りますということで、おばんざい風の炊きもの料理である。京都弁で「炊いたん」と呼ぶものを炊いたニックにTITANと総称してみたい。どうでもいい豆知識であるが、昔、資生堂のテレビCMに金田・長嶋・王というメンバーが出たことがある。CMのBGMにはマーラー作曲の交響曲第1番「巨人」が流れていた。読売ジャイアンツの「巨人」とかけているのだなぁ…と思ったがよく考えてみればマーラーの交響曲第1番の「巨人」の原題はGIANTではなくTITANであった。ま、どうでもいい昔話か。とにかく強引にこじつけるならば「炊いたん」はおばんざい界の巨人である。普通は土鍋で蒸すように煮るのが風情であるが、盛り付けをコッヘルにするので土鍋ではなくてダッチオーブンを使用。ダッチオーブンのリッド(フタ部分)の端から軽く湯気が出たらすぐに火からおろしてあとはその蓄熱効果に任せるだけである。これでじっくりと出汁成分が滲み入ってくれてしかも柔らかくなる。近くのスーパーには(たぶん地元で和菓子を家庭で作る人が何人も居てくださるおかげだと思う)吉野葛が置かれていて、うちでも常備しているのでそれを水で溶いて出汁にトロミをつける。片栗粉でもいいのだが吉野葛を使うとグッと「おばんざい」とか「炊いたん」と呼ぶにふさわしくなるような気がする。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2013-02-19 10:23 | 草外道
2013年 02月 17日

失われた時を求めるラーメン(5) 天天有(てんてんゆう・京都市一乗寺)

b0061413_23514292.jpg 天天有(てんてんゆう)のラーメンは、私にとっては麻雀の思い出とともにある。学生時代、明け方の4時近くまでやってくれているラーメン屋さんはなかなかなかく、麻雀仲間の下宿先やアパートでジャラジャラと麻雀牌をかき回しつつ「ポン、チー、ロン、ツモ」の言葉と、その麻雀用語の合間に若かったのにオヤジギャクばかりを飛ばしつつ、夜中の2時か3時頃まで麻雀をやって、その後に一乗寺の天天有でラーメンを喰って明け方近くになってから寝た日々の記憶と麺がからんでいる。だから大きく勝った日の天天有のラーメンはなおさら旨く感じ、大負けした日のラーメンはしょっぱく感じた。私の学生時代は一乗寺でラーメンといえばこの天天有であったが、今では複数のラーメン屋さんが軒を連ねて京都で有数のラーメン激戦区となっているようだ。しかしこの一年は一乗寺に行けば(というよりもほぼ京都に行けば)天天有の斜向かいにある焼肉の「いちなん」さんに行く。何といってもいちなんの焼肉は旨いし、そこで満腹となってなおかつヘベレケとなるのがこの一年の京都での恒例となった。胃にラーメンが入る余裕はほとんどない。考えたら「いちなん」さんと出会ってからようやく1年と数週間なのだなぁ。昨年の5月、3階はライブハウスでもある「いちなん」のステージに立たせてもらった。その時の最初に歌った「アメリカ南部牛追い唄」という、E→C♯minor7→F♯minor7→B7という、一応はブルース形式の自作曲のなかの歌詞に「♪天天有の女将さんは、ビリー・ホリディに似てた」というフレーズを置いたのが、予想外に大ウケした。まあ場所が天天有のすぐ近所で弾き語っているから、ということもあっただろう。数十人しか知らない楽曲の歌詞を解説するのも何だが、天天有の女将さんが言っていた「おおきに~!」の言葉のなかの「き」に強くアクセントを置くその言葉の特徴が、「サンキュー」の「キ」に強いアクセントを置くビリー・ホリディに似ていたのである。わはは、やっぱりどうでもいい情報だったかな?私は「いちなん」を出る時にはいつも「サンチュ!」と言って出る。わはは、これもどうでもいい情報だ。ともかく、昨年、胃袋ははちきれそうでヘベレケであった状態でながら、あまりの懐かしさに20年ぶりぐらいに天天有に入った。写真も一枚撮った。薄切りのチャーシューと紅しょうが、それからネギは麻雀生活の時代を彷彿とさせてくれたが、私の正直な感触では「スープはこんなに油っぽくなかったぞ?」と思った。学生が多く住む場所の激戦区を勝ち抜くために油の投入量が増えてしまったのではないか?なんてことを思ってしまったのである。ただ学生時代に麻雀明けで何を喰っても美味しいという状態で食べてきた記憶と焼肉を食べて満腹であった昨年とではこちら側のコンディションがまるで違い、また当時20歳そこそこの頃と50歳近くの中年である今とでは年代も違うので何とも言えない。いちばん寂しかったことは、何といってもその女将さんの存在は見当たらず、ビリー・ホリディに似た声とアクセントでの、あの「おおきに~!」の声が聞けなかったことである。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-02-17 23:52 | 七草
2013年 02月 15日

コッヘル201番 6歳の末娘が調理したナマコ(酢漬け)

b0061413_18432450.jpg シャラポア(妻・日本人)が魚市場から私に電話をかけてきた。「6歳の末娘が活きたナマコを欲しがって仕方ないんだけれども買ってもいいか?」という相談内容であった。なぜ末娘がナマコを欲しがるということが起こってしまったのか。その伏線を説明しながらブログを書くことになるが、まずは芸能人(最初はグラビアアイドルやモデルと紹介されていたが、今やタレントである)のローラがここに深く関係しているのであった。まずは末娘、ローラのことが大好きである。4歳の頃からローラがテレビに出はじめたのであるが、いきなりファンになったようだ。ただローラにとって失礼な言葉が並ぶかもしれないが、まず4歳の頃の末娘は動物的直感をもってローラが好きになった。キャラキターという言葉自体、神の創造物という意味であるのだが、愛玩すべき動物(キャラ)が自分に語りかけてくれるような魅力があったようだ。メンタリティも幼児に非常に近いというか…そういう感じ。ただ、料理番組などで私(末娘にとって父)がローラの包丁使いなどをほめると、末娘はまるで自分がほめられているかのように喜び、ローラがテレビに映ると「パパぁ、ローラが出ているよ!」とわざわざ呼びに来る。そして昨年末の12月27日に『いきなり!黄金伝説 6時間SP』(テレビ朝日)という特番で、ローラとSHERRYがペアを組んで式根島でアウトドア生活をする番組があったのだ。ローラが出てくる場面は東京のWILD−1という私もよく行く感じのアウトドアSHOPで可愛いマグカップとそれら食器を吊るすためのバンドのようなものを購入するシーンから始まった。ローラがスノーピークのテントやコールマンの調理器具を設営するシーンは早回しながらノーカットで放映されていたが、一人だけで実に楽しそうに、そして早回しだからそう見えるのかもしれないが実に手際よく、そしてスタッフなどの助けを借りずにやっているシーンが写った。「こりゃなかなかファンタスティックなテントとその周辺の設営だ!」とほめると、例によって末娘はまるで自分がほめられているかのように嬉しそうにするのであった。テント設営にしてもアウトドアクッキングにしてもかなりの手際の良さを発揮して、しかもそれを実に楽しそうにしていたローラであったが、彼女の唯一の弱点が「ナマコ」であった。グアムでのグラビア撮影時にナマコがウヨウヨいて、それが気持ちが悪かったそうで、ローラはナマコだけはそれを見たとたんに悲鳴を上げて逃げまわるのであった。さて、実に長い伏線を語ってきたが、うちの6歳の末娘の頭のなかでおそらく考えたことをまとめるとこうである。「私がナマコを調理することができれば、パパが尊敬する(ホントは尊敬ではなくてちょっとほめているだけなのだが…)ローラに追いつくどころか超えることができるのではないか」ということである。だから魚市場でナマコを買って欲しいとねだったのだと思う。ああ、やっとこれでなぜうちの末娘がナマコを欲しがったことの経緯が説明できた。(説明できているかな?)

b0061413_18434226.jpg というわけで、6歳がナマコを調理する。台所で椅子の上に立ち、先端が丸い子ども用の包丁ではダメで「大人用の包丁を貸して!」と強く主張する。子どもが包丁を扱って料理するところを見ているのは通常でもハラハラするのであるが、ナマコというのはそのなかでもハラハラ度は文句なしに今までのナンバー1であったと思う。まず硬い。そしてヌルヌルしている上に生きているのでそれが動くのである。指を切ってしまうのではないかという心配は今までにはなかなかないハイレベルであり、救急箱の位置を確認しつつシャラポア(妻・日本人)とともに見守る。切れ目が入ったところで「よし、小学校にも入っていないのによくやった!あとはお父さんがやろう!」となだめるとと泣きながら「最後までやる!」と言ってきかなかった。そこまでしてローラに追いつき追い越したいんだなぁと思った。とうとう最後まで切り刻み、そしてそれを酢に浸したのであった。「さあパパ食べて!」と出されたもの(最初の写真)はどう見てもナマコ酢としては分厚いもののように思った。しかし、食べてみてビックリしたのは案外と硬過ぎないことであった。酢に浸してもらった効果もあろうが、やっぱり活きがいいからだった。しかし、硬すぎなくてもこれを切ることは大人でもなかなか大変であり、この厚さに切ったことには感心した。「すごいなぁ、あのローラちゃんでも料理できないものを包丁で切ったんだねぇ」と言うと、どうやら末娘にとってその言葉がいちばん待っていた欲しい言葉であったみたいで、いつまでもいつまでもニッコリ笑っていた。しかし、本当にハラハラドキドキしながら見守った。自分で調理した方がどんなに精神衛生上いいかと何度も思ったが、時間をかけてナマコを切り終わった末娘は、ナマコの手強さに比べたらよっぽど楽ちんに感じたのか、その後のキュウリの輪切りはストンストンといい音をさせながら切り刻んでいったのである。末娘、この4月から小学生。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2013-02-15 18:44 | 草外道
2013年 02月 13日

失われた時を求めるラーメン(4) 春木屋(東京・荻窪)

b0061413_015348.jpg まずは表題の春木屋さんとはまるで関係ない写真を投稿。京都北山元町ラーメンが、現在の地下鉄・四条烏丸駅の近くの路地ではなくまさに北山元町(北山新町)にあった頃の貴重な写真である。ともに何度もここに足を運んだ久次郎さんが、琵琶湖一周を皮切りにその旅を共にしてきたママチャリを撮影するために1980年代に撮った一枚であったが、ここには懐かしく思い返す情報がたくさん詰まっている。まずはここを「ラーメン小屋」と表現したことが間違いではなかったと思っていただけるだろう。そうだ、写真の左にある赤ちょうちんの灯火を遠くから見て、それが点いていれば喜び勇んで駆け寄り、消えていれば意気消沈していた日々であった。ブロック塀があった。そして隙間を埋めるブルーシートがあった。外に赤い椅子があり、小屋の中が満員の時にはここでラーメン丼を持ちつつ食べたものだった。この扉を開けると、そこには廃車となったトラックを改造した調理場があり、椅子とテーブルがあったのであった。今現在、ティッシュの箱にマグネットなどを差し込んで壁や柱に取り付けるグッズをスーパーやホームセンターや百円ショップなどで普通に売っているが、この小屋が柱にティッシュを固定して取りやすくするシステムを最初にやっていた場所ではないか?なんてこともこの写真が忘れかけていた記憶をどんどんと呼び覚まさしてくれる。今の時期などはこのドアを開けて中に入った途端にメガネが曇り、それを柱からティッシュを取りつつ拭いている間、たとえ2週間ぶりであってもライダーっぽい(SMの女王様っぽくもあった)レザーの上下を着た女将さんが「あら久しぶりやなぁ、どうしとったん?」と迎えてくれたその声までが何だか蘇ってきて、この連載をやって良かったなぁと思う。久次郎さん、貴重な写真をありがとう。

b0061413_0161116.jpg さて「失われた時を求めるラーメン」は、私にとってはどうしても京都が中心となってしまうのであるが、今回は東京である。「激戦区」という言葉は選挙報道以外ではラーメン(ま、家電量販店などその用語例は色々と波及はしましたが)の用語といってもいいと思うのであるが、元祖ラーメン激戦区ともいえる東京・荻窪のなかでも、昭和24年創業の「春木屋」さんを取り上げたい。現在のご主人は四代目である。そりゃ京都の南禅寺前の老舗料亭「瓢亭」のご主人の髙橋義弘さんは十五代目であり、もう400年以上の歴史があって十五代目ということは「15世」とでも表記したくなり、それには比較できないけれどもラーメン界で四代目ぐらいになると初代を振り返る時に「ご先祖様感覚」というべきものが出てくるようになり「歴史」という言葉も比喩的ではなくなってくる経年である。そしてその長い年月、ほとんどずっと行列店であり続けている吸引力は凄いと思う。私も最初は「行列に並んでまではなぁ…」という思いは持ちつつも、食べた時から「ザ・東京ラーメン」いや、もっといえば「ザ・ラーメン」というべきその味に忽然となってしまったのだ。今では魚介系スープなど当たり前となったラーメン界ではあるが、日本蕎麦屋さんをその発祥としつつ煮干しや鰹節をラーメンスープに取り入れた創成期からの名店である。ラーメンに海苔が入っているのもこの春木屋さんなどの「元は日本蕎麦屋であった」というお店の名残りであり、同時に醤油ラーメンのスタンダードとなっていったものではないかと思われる。現在、普通のラーメンが800円、そしてチャーシュー麺は1200円!ラーメンの世界では老舗であるとともに高級店であるとも言える。しかし、私はその価値があると思う。けっこう春木屋さんに通っている人でも知らない人も多いのだが、普通のラーメンとチャーシュー麺では豚肉のまったく違う部位を使用されているのである。まず最初に行かれた時に普通のラーメンを食べ、2回目に行かれた時にはチャーシュー麺を試すというのがいいと思う。と言っても、私も10年以上春木屋さんのラーメンを口にしていない。中央線沿いには何度も行っているが「時代は変わっても行列は絶えないのだろうなぁ」と思ってしまって充分な時間がないとなかなか立ち寄れない。5年ぐらい前に荻窪で降りたこともあった。その時には春木屋さんもチラッと覗いてあの煮干しと醤油のいい感じのスープの香りをたんまり吸ってお腹が鳴ったのであるがお昼時ということもあって長い行列ができていた。荻窪駅北口の屋台でウナギの肝の串を食べていった(まあこれも好物なんですが)のであるが、ああ、6年ちょっと東京に住んでいた時には月に1回ペースで食べていた失われた時を求めて、東京実践編も今年中に書かなきゃいけないな。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-02-13 00:17 | 七草
2013年 02月 11日

コッヘル200番 水

b0061413_133132.jpg コッヘル100番というキリ番のメニューは シャラポアのおにぎり であった。コッヘル626番(最終回、なんせこのナンバーはモーツアルトのケッヘルナンバーのパロディですから)のメニューにもちょっと考えていた今回の「水」という根本メニューを600回以上の掲載を予定しているこの長丁場の序盤の終わりあたりのところに「ドン!序盤に」(モーツアルトのドン・ジョバンニはケッヘル527番)ということで(なんちゅうダジャレだ…)置いておきたいと思った。 よく湧き水が飲めるようなところにあるアルミなどの素材の柄杓の先端も「コッヘル」と定義しつつ今回の200番目のかなりの根本メニューについて、2013年の時点での記述をしていきたいと思う。 さて、まず最初に語りたいエピソードはシャラポア(妻・日本人)の妊娠中のこと。シャラポア(シャラくせいので本ブログ記事では以下シャラと記述)は悪阻(つわり)がひどかった。私は事実として男であるので評論家的なことしか言えないが、悪阻とは胎児が最初にこの世の中と折り合いをつけていくための苦しみではないかとも思う。今年の4月から小学生となる末娘がシャラのお腹のなかに居た時には、現在住んでいる土地に居た。水道水でも都市部とは比べものにならないほどいいレベルであると思っていたので贅沢ではあると思ったが「せめて妊娠中だけでも他の食べ物を受けつけにくいのだから水ぐらいは好きなものを飲ませてやっか」ということになり、せっかくだから夫婦で「利き水コンテスト」というものをやることにした。用意したものはまず水道の水。それからフランス産とカナダ産、それから六甲、南アルプス、富士山を産地とする国産という5種類の市販のミネラルウォーター。さらに自宅から5キロ離れたポイントから汲んでこれる「どっこん水」といわれている地元の湧き水の合計7種類でやってもらった。「利き水」はそれらをコップに注ぎブラインドテストの方式でやった。するとシャラは市販の国産ミネラルウォーターなどについて「これはさっきの外国のものと違ってたぶん日本のおいしい水だと思うけれど、わずかにペットボトルの匂いがついている」などということを言った。「シャラ、お前はそんなに鋭い味覚を持っていたのか?」と思いつつ、言ったことはすべて当っていた。そして「これがダントツに美味しい水!」と指し示したコップに入っていたものは地元の「どっこん水」であった。まぐれかもしれないと念のためにもう一度ブラインドテストを繰り返したが同じ結果が出た。ガソリン代がちょっとかかっても無料で汲んでこれるポイントがあるのでいちばん安く済んだこともあり、嬉しい結果であっった。この「どっこん水」で悪阻から回復してから「カップ焼きそばが食べたい」と言われた時にはシャラの味覚は鋭いのかどうか???と思ったが、悪阻を克服していくきっかけに「地元の水」というものがあったことを嬉しく思う。6歳の末娘とドライブの途中に「ここの水を飲んでいくか?」と「どっこん水」の湧いているポイントに寄る。末娘は「美味しい!」と言う。無理もない。この世の中に出てくる前から好んでいた水なのだから。

ジョン・スタインベックの短編(題名を忘れた、検索しても出てこない!)で
主人公がホースから出てくる水を飲みつつ
「やっぱり生まれた土地の水がいちばんだ」
というセリフがあった作品があったと思う。
先月末、京都のモントレというホテルに泊まった。
このホテルは季節によって値段の変動がとても激しく、先月末は受験シーズン前で
一年でもっとも安く泊まれる時期で六角堂も近いいい場所にあるので久しぶりに泊まったが、
地下から汲み上げた水を部屋で自由に飲むことができる。
京都の水道水は全国的に中の下か下の上ぐらいで、真夏だと間違いなく下の部類
(でも大阪よりはちょっといいかな、とみんな言う)
だと思うが、地下水の方は間違いなく名水だ。
寺院や神社などで地下の水を飲むことができるところもある。
是非とも京都の天然水をお試しいただきたい。

15年ぐらい前のことだが、
横浜の中華街で地元の住職さんと中華料理で紹興酒を飲んだ後、
「ちょっと酔い覚ましにいいところに寄っていこう」
と言われ、いい喫茶店にでも連れていってくれるのかと思ってついていくと、
その場所は横浜スタジアムのある関内の横浜公園のなかの小さな森のなか。
横浜スタジアムのバッターボックスに入っていて
左中間(中華街方面)に160メートル弾ぐらいの特大場外ホームランを打ったとして、
そのボールがコロコロと転がって止まるあたりのポイントだ。
その小さな森のなかに湧き水が出るポイントがありカップが置いてあった。
「これが横浜の水だ」
と言って住職さんは美味しそうに飲み、私もご相伴にあずかる。
なるほど、徳川幕府が港を作るにあたって積荷に不可欠である水のいい場所を探し、
横浜に狙いを定めたというどっかで聞いた歴史は間違いではなかったと実感した。
その場所のすぐ近くを、横浜スタジアムでの観戦を終えた人々が塊となって通りすぎていく。
これを読まれた方は、スタジアムか中華街の帰り道にちょっと立ち寄ってみてください。

ロサンゼルスのダウンタウンに住んでいた時、
こんなパターンの夢をいくつかのバリエーションをもって何度か見たことがある。
指揮者がオーケストラと稽古をしている。
指揮者は私が世話になったことがある先生だったり住職さんだったりする。
指揮者は、ある時は英語で、またある時は日本語で(ここら辺が夢だなぁ)
繰り返しこういうことを言う。
「ダメだなぁ、お前らの出す音はドライすぎるんだ。
 お前らの演奏にはモイスチャー(水分、湿気)がないんだよ」
と言いながら繰り返し稽古をしている。
そして、何度もやり直しつつ、音が指揮者の満足がいく仕上がりになった時、
ニッコリ笑ったその指揮棒の鋭い先端から水なのか汗なのか、一滴の水滴がこぼれ落ちた。
そんな夢だった。
ロサンゼルスは砂漠性気候の土地に水をひっぱってきて
スプリンクラーを置き、無理やりに大都会にしたところがある。
同じカリフォルニアでもサンフランシスコやその近くのバークレーを訪れた時には
何ともいえない回帰感と回復感が体中に満ち溢れたが、その正体は、今思えば
毛穴から感じるモイスチャーだった。
そして米文学を学んだわけでも作品を真剣に読み込んだわけでもなく書くのはおこがましいが、
水辺の風景でかわされる会話や動植物の描写なども含めて
ジョン・スタインベック作品全体に通底する大きなキーワードは「水」であるという気がする。

もうすぐ2年になるが、東京電力福島第一発電所の大事故が起きた。
言うまでもなく、その事故そのものが甚大すぎる大惨事であったが
「水」というもっとも身近なものからセシウムをはじめとする放射性物質が
検出されることが報道されはじめた時に、
地元の水道からは検出されずに
その水道局には遊び人ながら人間性は誠実そのものの友人が居てくれるということはあったが
「明日からどうやって子どもたちを育んでいこうか?」
と正直思った。
汚染というものは複合汚染であり、その複合汚染の媒介となるものも水である。
だから、この懸念は今でも消えたわけではない。
ついでに書くことでもないと思うが(事実誤認であれば陳謝したいのでご報告ください)
「ただちに健康への害はない」
という言葉を当時の枝野官房長官が会見で繰り返していたその時、
官房長官の家族はハワイに避難していたらしいではないか。
「ただちに」の時はどれぐらいの期間であったのか、まだわからないが、
わからないがゆえにそれはジレンマとなる。

ハワイ、ワイキキ、カウワイなどハワイ諸島には「ワイ」のつく地名が多い。
ハワイは Hawaii と表記した方がわかりやすいが、
精神(Ha)の水(wai)を分け合う(i)土地であるという。
このことを教えてもらってから、なるべくハワイのことを「ハワイイ」と発音している。
そして、カウワイ島の水は美味しかったなぁと想い出す。

中国と仲が悪くなると、黄砂も大気汚染(特に微小粒子状物質のPM2・5)も
なおさら気にかかる。
ただ、原子力発電所の事故を抱える日本が中国に正当に文句を言うことは微妙に思える。
以前から疑問に思っていたが、東日本大震災が起こる以前には世界の環境団体の大きなところで
CO2を削減するために原子力発電を推奨するような発言が多く、しかも堂々と飛び交っていた。
まず、善人ぶるつもりはないけれども、多くの中国人が今、どんな水を飲んでいるのか心配である。
そして黄砂にのって日本にもやってくる大気汚染が日常的に摂取している水に
どのような影響を与えるのか、切実な問題として心配だ。

こうしてみると、生まれてから(文章の流れからすれば生まれる以前から)
「死に水をとってもらって」死ぬまで縁がある「水」であり、
やっぱりこれが登場するのはコッヘル626番の最終回だったのか?という思いもある。
整理がつかない文章ばかりを並べたが、今の時点で「水」について思うことを
ダラダラと書いてみた。

最後まで読んでいただいてありがとう。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2013-02-11 01:33 | 草外道